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(1) 【なにごとのおはしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる】
これは、西行法師が伊勢神宮にお参りしたときに詠んだ歌です。

(2)【Here, in this holy place, I feel the underlying unity of all religions.】
(私はこの聖地において、あらゆる宗教の根底をなす統一的なものを感じる。)
これはアーノルド トインビーが伊勢神宮を訪れたときに記帳したものです。

(3)現代の、仏壇も神棚もお祭りしている信心深い老人が伊勢神宮にお参りして、深く感動し
「ハー、ありがたや、もったいなや」と敬虔にお辞儀する。

西行法師もトインビーも現代のおじいさんも、言っていることは総じて同じだと思いましたが、いかがでしょうか。

A 回答 (15件中11~15件)

んーーーー



西行のストーリーを読んで、裸の大将山下清氏を思い出した。

放浪癖がすごく、じっとしていられないが、絵を作るときだけものすごい注意力を発揮する。
現代でいけばADHD?
西行は世の移り変わりのせいじゃなくて、発達障害ゆえにこういう人生になってしまったんじゃないかと。。。


で、伊勢神宮ってなんでできたのか本で読んだことがあります。
魔を封じるためだったと思います。


そのことを知った上で伊勢神宮を参拝すれば「ありがたやー」となるんじゃないかと思うんですけど、、、、
大震災の魔を防いではくれなかったと、、、、 残念。
まあ 所詮 いくつか神社をつくり、伊勢神宮ができた頃、疫病が鎮火したので、敬虔あらたかなってなったわけで、伊勢神宮を作っても疫病が猛威をふるいつづけていたら、別な神社が「ありがたやー」になっていたわけで。

で、古都からみて鬼門の位置が伊勢神宮だったらしい。
西日本にとっての鬼門ってことですね。


http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82 …

この本 エンターテイメントっぽくて面白かったですよ。

呪術が結構盛んで、疫病は魔女の仕業と思っていたヨーロッパの中世もすごいですが、日本の中世の妄想もすごかったみたいです。
まあ 妄想が起こったので、文化ってものができたわけですが。

人が移動すると疫病も拡大するから、

「西行 自分は発病しないからってあちこち移動しないの!」

「免疫持ってない人は あんたにくっついた病原菌で死ぬの!

ねぇ

ワクチンない時代は、あっちこっちいかず、一箇所にとどまって祈り続けるってのが正解だと思う。
交流が盛んな場所だと、疫病を持った人もやってきるので、たちまちそこにいた人に感染し、その人たちは潜伏期間中は発病しないので、結構な距離を移動してしまう。
隣町に病気がうつり さらに拡大していく。

警戒して交流を断つことで、疫病は沈静化する。

だから伊勢神宮ができたからじゃないよぉ。
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この回答へのお礼

西行がADHDですか。
面白いですね。
現代のADHDの人と比べると、たくましく教養が高いのでしょうね。
ただ回答者様御紹介のURLの御本は、みな怪しげな感じがしますね(すみません)。
ああいう御本に本当のことが書いてございますんでしょうか。
それとも質問者様は、清濁あわせてガブ飲みして、いいものだけを頭に残すという御器用な方なのでしょうか。

最後に、「トインビーの気持ち」についてご意見お聞かせください。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/05 09:45

神宮は、明治になってから江戸時代の御師の宿や色街などを接収して、現在の形になったと聞いています。


江戸時代のおかげ参りは、一大物見遊山で「ハー、ありがたや、もったいなや」というのとはちょっと違うような気がします。

(2)(3)は、そういう意味では明治以降の国家神道の思い込みの面が大きいような気がします。
(2)は、宗教に寛容な知識人であれば、他の民族が神聖としているものの中に、自らの宗教体験を沿わせよう、同じものを見いだそうとするでしょうから、若干のリップサービスということも含めれば、当然の発言です。
(3)については、日本人としての宗教環境の中にいるのですから、全く当然の事です。

西行は12世紀の鎌倉初期ですから、まだ神道が成立していません。本地垂迹説の影響下でしょうから、天照大神は大日如来の化身という意識で神宮参拝したはずです。天照大神が大日如来の本地だという逆本地垂迹説や伊勢神道の成立は13世紀以降なので、これは天照大神に対する意識という点で、(3)と(1)は同じものだとは思えません。
また、「なにごとのおはしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる」は、西行の作とされていますが、西行の歌集「山家集」には見られず、江戸時代になって編まれた西行歌集に見られるという事で(http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.refe …)本当に西行の作かどうか疑問があるようです。

この回答への補足

神道について大変お詳しい方とお見受けしました。
ニ、三、追加でお教えくださいませ。

1.>江戸時代のおかげ参りは・・・

(1)(2)(3)は江戸時代の人ではありませんが、どうして江戸時代の神社周辺のセックス産業を持ち出されたのでしょうか。

2.>(2)、(3)は、そういう意味で国家神道の思いこみ・・・

トインビーもお爺さんも「国家神道」というものに取りつかれていたり、また造詣が深いとは思えませんが、どうなのでございましょう。

3.>西行は12世紀の鎌倉初期ですから、まだ神道が成立していません。

神道は太古の日本から信仰されてきた固有の文化に起源を持つとされる宗教であると聞いています。「まだ神道が成立していない」の意味するところをお教えください。

4.>天照大神が大日如来の本地だという逆本地垂迹説や伊勢神道の成立は13世紀以降なので、これは天照大神に対する意識という点で、(3)と(1)は同じものだとは思えません。

西行やトインビーやお爺さんは、それぞれ「天照大神」「大日如来」を意識しておまいりしたのでしょうか。
私はそれぞれ「神様」ということで変わらないのではないかと思っていますが。

「なにごとの・・・」が西行の作かどうか疑問があるということですが、これが西行ではないとなると、質問の前提が崩れますので、西行作だとしてご回答をお願いします。

恐れ入ります。よろしくご教授お願い申し上げます。

補足日時:2011/05/05 09:30
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伊勢神宮は本物の木造建築だからねえ。



今日、しさしぶりに、神田明神に行ってきました。
権現造の御社殿の甍(いから)は立派ではあるが、やっぱ鉄骨造りだと、「かたじけなさになみだこぼるる」程では無いですね。

一方の隋神門は、昭和の半ばの建立ですが、総檜造りで、こじんまりとしては居りますが、「かたじけない」感じがします。

鉄骨造りの建物の前では何も感じない人も、本物の木造建築物の前に立つと、生命の力、生命の残像を感じてしまうのではないでしょうか。西洋人が木造建築に関して畏敬の念を感じ取るかどうか不明ですが、大抵の日本人は本物の木造建築を前にすると、なぜか心が清められるのですね。現代のおじいさんも未来のおじいさんも、それは変わらないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
鉄骨やモルタル、新建材・・・何やら偽物らしく感じますね。
こういうもので建てた建造物は古くなると汚らしくなりますが、本物の木造は古くなっても手入れが行き届いていれば、ますます立派になるようです。
私は伊勢神宮へお参りすれば、神道者も仏教者も西洋人さえも、みな「かたじけなく」思うのではないかと感じたのですが。
トインビーが記帳したHere, in this holy place・・・も、西行の「かたじけなさになみだこぼるる」も同じだと思いました。

お礼日時:2011/05/04 17:25

 こんにちは。



 マインドコントロールが そう思わせ言わせていませんでしょうか?

 古代国家が出来てからの《空気》として 51%は影響があるのではないですか。

 トインビーは お客としてホスト側に敬意を表していましょう。

 ただし人びとに素朴に その対象や地がどうであれまたマインドコントロールがいかにあれ かむさびた空気(雰囲気)に打たれるという心は もともとあるのでしょうね。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
マインドコントロール、私はそういったものは苦手でして51%につきましても理解できかねます。
ごめんなさい。

お礼日時:2011/05/04 13:16

>総じて同じだと思いましたが、いかがでしょうか。



同じだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/05/04 13:10

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