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(1) 【なにごとのおはしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる】
これは、西行法師が伊勢神宮にお参りしたときに詠んだ歌です。

(2)【Here, in this holy place, I feel the underlying unity of all religions.】
(私はこの聖地において、あらゆる宗教の根底をなす統一的なものを感じる。)
これはアーノルド トインビーが伊勢神宮を訪れたときに記帳したものです。

(3)現代の、仏壇も神棚もお祭りしている信心深い老人が伊勢神宮にお参りして、深く感動し
「ハー、ありがたや、もったいなや」と敬虔にお辞儀する。

西行法師もトインビーも現代のおじいさんも、言っていることは総じて同じだと思いましたが、いかがでしょうか。

A 回答 (15件中1~10件)

 No.2&8&10&12です。



 回答No.18 たぬはちさんにお答えします。
 ● 「そのアマテラスが天皇氏の祖先神であるということは 土地の人びとにとって初耳であったはずです。いくらなんでもどこのお爺さんお婆さんであっても その自分たち先祖の土地の由緒を知らないとは考えられません」とのことですが、これは如何なる根拠に基づく御指摘でしょうか?。
 ☆ これは 《由緒を知らないとは考えられません》についての根拠をお尋ねだと受け取ります。まづその問いのご説明をもう少し掲げます。

 ● 現在の老人は少なくとも1945年8月15日以前の教育で「天皇は神の子孫である」ことをすり込まれていた世代です。こうした現象がマインド・コントロールのもたらす一つの結果です。つまり「信じて疑わないこと」です。それが彼らの中ではもっと単純化され「天皇=神」となり、その神を祀った場所が神社、それも日本の神社の総本山とも呼ぶべき存在は伊勢である。となれば彼らの意識レベルでは「神社」と「天皇」は一体化した存在として認識されている可能性もある、と僕は考えます。
 ☆ けっきょく《マインドコントロールがあって その影響が現われている》というところまで認めておられますので ほとんどご見解は違わないのではないかと思います。
 
 ● なぜ「伊勢」なのか。「出雲」であってはならないのか。もしこの和歌に詠まれている場所が伊勢でなく出雲や三輪だったとしたら、どのような光景になっていたか等々考えてみると、西行も老人も同じ反応を示したでしょうか?。そして同時に1945年以前の歴史意識とそれ以後の歴史意識の間で僕は線を引くべきだと思います。
 ☆ とおっしゃるということは もういちど掲げますが 次の歴史的な見方がその昔の国家成立の前後の頃から現代まで一様に通して当てはまると見なし過ぎである こういうご批判でしょうか?
 ☆☆( a ) そのアマテラスが天皇氏の祖先神であるということは 土地の人びとにとって初耳であったはずです。いくらなんでもどこのお爺さんお婆さんであっても その自分たち先祖の土地の由緒を知らないとは考えられません。

 ☆ そうすると こうなりましょうか?
 (1) 西行に関しては この( a )の見方が当てはまるかも知れない。 

 (2) けれども 先の大戦の戦時中に教育を受けた人びと――いまはお爺さんお婆さんになっている人たち――に関しては 別の扱いが必要であろうと。

 (3) そうですね。そのマインドコントロールの内容は 言ってみれば骨身に沁みて刷り込まれているのだから 伊勢の宮をありがたがっても何の不思議もなければその人たちに何の罪もないのだと。

 (4) 人によるでしょうね。オモテではおおむねその年代のご年配の方たちは 
 ★ 「ハー、ありがたや、もったいなや」と敬虔にお辞儀する。
 ☆ とわたしも思います。人によると言ったのは では内面においては どうか? です。

 (5) それというのも 加藤周一でしたかが言っていたと思うのですが 戦前に皇国教育を受けた人びとの間では けっこう高い比率でけっきょくそのおしえ込まれた内容を《信じるふりをしていた》場合があるというものです。端的には 天皇が神であるというそのことについてです。内面と外向きとでちゃんと使い分けていたのだという・これは何らかのアンケートの結果でありそれを分析した内容だったでしょうか。(少し記憶だけでお伝えしているところがありますが)。

 (6) ですから 戦前に小学生だった人たちの間では 人によってすっかり軍国少年であったり天皇の赤子であると信じてうたがわなかった場合もあれば そうではなく人間が神であるとは考えられないと思っており ただしそれは心の中にとどめていたという場合もある。これは ふつうの推測だけによっても納得の行く見方ではないかと思いますが どうでしょう?

 (7) 伊勢神宮の由緒や アマテラスが天皇氏の祖先神であることについて 伊勢の地元の人びとがどれだけ知っているか。これは 知ろうとすれば 分かるのでしょうね 地元としては。知ろうとしないか 知ろうとして知ったあと忘れようとするか そのようであったら どうなんでしょう?  
 でも何となく まったく違和感がないかとなれば あるという答えが 暗黙のうちにはあるのではないでしょうか? 帝について われらがムラが生んだ英雄としての大君でありスメラミコトであるとは思っていないでしょうね。
 どうでしょうか?
 
 この見方は 一人ひとりの主観・特にその内面においてまだ外に発表していない思いをさぐりつつ このわたしブラジュロンヌの見解としてかたちづくったところがありますから そういう性質のものと受け取っていただければさいわいに思うところです。よろしくお願い致します。
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 ANo.11です。

bragalonneさんに質問があります。
「そのアマテラスが天皇氏の祖先神であるということは 土地の人びとにとって初耳であったはずです。いくらなんでもどこのお爺さんお婆さんであっても その自分たち先祖の土地の由緒を知らないとは考えられません」とのことですが、これは如何なる根拠に基づく御指摘でしょうか?。
 現在の老人は少なくとも1945年8月15日以前の教育で「天皇は神の子孫である」とをすり込まれていた世代です。こうした現象がマインド・コントロールのもたらす一つの結果です。つまり「信じて疑わないこと」です。それが彼らの中ではもっと単純化され「天皇=神」となり、その神を祀った場所が神社、それも日本の神社の総本山とも呼ぶべき存在は伊勢である。となれば彼らの意識レベルでは「神社」と「天皇」は一体化した存在として認識されている可能性もある、と僕は考えます。
 なぜ「伊勢」なのか。「出雲」であってはならないのか。もしこの和歌に詠まれている場所が伊勢でなく出雲や三輪だったとしたら、どのような光景になっていたか等々考えてみると、西行も老人も同じ反応を示したでしょうか?。そして同時に1945年以前の歴史意識とそれ以後の歴史意識の間で僕は線を引くべきだと思います。
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私はbragelonne さんほど、国家の成立を遡らせて考えていません。


国家=民族国家と考えていますので、19世紀以降の問題としています。

確かに表面的には「何か荘厳(ソウゴン)なモノを感じる」という点で同じように見えますが、
その内実は違っているだろうと、私もbragelonne さんも言っているのです。
これを同じものだと言うのは、歴史の状況を無視して神宮を理想化し、そこに永遠性をイメージしてしまうことになります。

「聖地」は、その場所に初めから「聖地」としてあるわけではなく、多くの人がそこを「聖地」として認め、そこを「聖地」として荘厳(しょうごん<立派に飾り付けること。ソウゴンとは意味が違います>)するから、「聖地」として機能し始めるのです。
なぜ、そこが「聖地」として認められ、荘厳されるのか。
私の回答は国民国家の成立と絡めてのものですが、bragelonne さんはこれを古代国家の成立と関係づけています。

このようにすると、質問者さんは「何の関係があるんだ」と怒るかもしれませんが、宗教と国家の問題は切っても切り離せない問題です。
アメリカ合衆国やフランスを含め近代国家は宗教(イデオロギー)抜きには成立しなかったのですから。
この問題は中東諸国や中国に典型的なようにまだ決着がついていません。

宗教的な何かを感じるかどうかの問題については、視点を変えてみてはどうでしょうか。
例えば、バチカンのサンピエトロ寺院に自分が行ってみたらどうだろうか。
例えば、メッカのカアバを目にしたらどうだろうか。
もし、あなたがこれらに何らかの宗教的なものを感じたとして
それを敬虔なカトリック信者やムスリムと同じ感じ方なんだと言われて納得できるだろうか。
私だったら、納得できないです。
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 No.2&8&10です。



 ふたつの側面があると申し上げています。

 一般にその境域においてかむさびたその場所そのものに打たれるという側面がひとにはあるとすでに触れています。
 ★(No.11お礼欄) ~~~~
  >「何か荘厳なモノを感じる」

 まさにその通りだと思います。
 西行もトインビーもお爺さんもみんなそうなったと思いました。
 そしてそれ以上のこと(帝や天照大神や大日如来などを個別に)を意識せずに、ただ「はーっ」と感じ入ったのだと思っています。
 ~~~~~~~~~~~~~
 ☆ そしてそのあと これらの感覚について或る程度は吟味し分析もするということではないのでしょうか?
 すなわち
 ★(趣旨説明欄) 西行法師もトインビーも現代のおじいさんも、言っていることは総じて同じだと思いましたが、いかがでしょうか。
 ☆ つまりこんどは《その感覚を述べたあと 言っていること》はどういうことか? こういうご質問ではないでしょうか?

 ●(回答No.11 たぬはちさん) つまり西行と老人には「伊勢神宮=帝を祀る場所=ありがたい存在」の認識があると考えることが可能です
 ☆ 端的に言って この《認識がある》ということが 《古代国家の成立のあとこの社会に暮らす者にとっては 時には公然と(なぜなら 租庸調などの税金を納めなければならない)一般には暗黙の内に人びとが感じていること》の中身であろうと思われます。つまりこれを マインドコントロールと言っていました。
 国家成立の以前には 帝はいなかったし この伊勢には内宮すらもなかったのですから。アマテラスオホミカミは 微妙ですが――なぜなら お日様信仰は どこの民族においてもおよそ普遍的にあるようですから 伊勢の人びとにもあったかも分かりません ただし―― そのアマテラスが天皇氏の祖先神であるということは 土地の人びとにとって初耳であったはずです。いくらなんでもどこのお爺さんお婆さんであっても その自分たち先祖の土地の由緒を知らないとは考えられません。トインビーと 別の心つもりからでしょうが同じように ただ目をつむっているだけだと思われますよ。
 ★(No.10お礼欄) 付和雷同? お爺さんをばかにしてはいけないとおもいますよ。
 ☆ オモテに出ている振る舞いは 《付和雷同》でしょう。内面においては どうなんでしょう? その歴史認識について《お爺さんをばかにしてはいけないとおもいますよ》。分かっていて そう振る舞っているだけではないでしょうか。


 ★(No.10お礼欄) いずれにしても【なにごとのおはしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる】から、いくら想像をたくましくしても西行が生臭いことを思っているとは考えられませんでした。
 ☆☆(回答No.10) ~~~~
 なぜなら それゆえに――あたかものちの芭蕉がそうであったようにかどうかを別として――漂泊に放浪を重ねる旅をわが人生としなければならなかった。
 おそらく最後の最後には 最終の最終には 権力体制のその奥に潜む何ものか聖なるなぞのちからを見ようとしたし 見たのではないか。
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ と申し上げています。ふたつの側面があると。聖なるなぞのちからは 権力の生臭いあり方を超えて その聖域を蔽っていると見ても間違いではないとさとるに到ったのではないでしょうか。

 あるいは余分なことをつけ加えるなら 西行がこれをうたったかどうかは定かではないとすれば 後世の人びとは――日本人も馬鹿ではないのですから―― そのように奥の奥までものごとや世の中のことを読んだのではないでしょうか。読み込んだのではないでしょうか。それゆえこのうたなのでしょうし それゆえあの大いなる悩みを悩んだ日本人のひとりである西行に託された。こうではないでしょうか。
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 「何か荘厳なモノを感じる」との意味合いではないのかな、と僕は感じます。

質問者の方が引用されている3つの例ですが、僕は実質「2つ」だと思う。そこに違いがあるとすれば、一方は西行と現代の老人そして残るはトインビーです。前者は日本を含めての東洋という文化圏、後者はキリスト教が根底にある「文化としての西洋」です。
 トインビーにするならば、日本の伊勢地方にある木造の古建築を初めて見た時の森閑とした空気に触れた時、驚嘆にも似たカルチュア・ショックを隠すことは恐らくできなかったことでしょう。それは建築家としての桂離宮に対するブルーノ・タウトや古美術に詳しいフェノロサが語る薬師寺東塔の印象とは多分に異なるレベルのモノと推察されます。彼は歴史家であると一部では言われていますが、歴史学者の間では彼が歴史家ではないとの評価もされています(寧ろその方が多い)。それはなぜか。彼が歴史を語る時の特色として「目に見えないモノ」が歴史を動かしてきたとの不可知論に行き着いてしまう傾向が多々見られることに起因しています。その「目に見えないモノ」が此所に提示されている彼の言葉です。端的に言うならば「東洋の神秘」との一言、それも「自分達が出会ったことのない何か不思議な存在」だからこの様な感慨をもらした、と僕は考えます。
 他方、西行と老人の二者に共通する要素としては「畏怖」「畏敬」の念があります。西行にしてみれば、自分の目の前にある建物は帝の遙かな先祖が祀られている社であり、自分にとってはありがたい存在である。老人も同じです。今では誰も人間の祖先が神である、などと真剣に信じている人はいないでしょう。けれども西行の時代も老人が未だ若かりし頃も「事実」として信奉されていた。つまり西行と老人には「伊勢神宮=帝を祀る場所=ありがたい存在」の認識があると考えることが可能です。
 ここにトインビーと西行・老人との間には「意識レベルとしての違い」がある、と僕は考えます。如何でしょうか?。
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この回答へのお礼

詳しく明快なご回答ありがとうございます。

>「何か荘厳なモノを感じる」
まさにその通りだと思います。
西行もトインビーもお爺さんもみんなそうなったと思いました。
そしてそれ以上のこと(帝や天照大神や大日如来などを個別に)を意識せずに、ただ「はーっ」と感じ入ったのだと思っています。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/06 09:22

 No.2&8です。



 ★(No.8お礼欄) どんな聖地も聖者も素性を詳しく調べ上げてゆけば、怪しげなところは出てくるだろうと思います。
 ☆ わたしの回答内容としては いわば聖なる場所に その成立にあたって外からの政治の力がはたらいている こういう見解でした。もしそのことを《怪しげなところ》と言うでしたら その怪しげなところが出て来る場所に対して どうして手放しで
 ★(趣旨悦明欄) 「ハー、ありがたや、もったいなや」と敬虔にお辞儀する。
 ☆ という見方が当てはまるとお考えなのでしょう?

 もし当てはまると言う場合には それは その(3)のお爺さんについては ただの付和雷同だと見て間違いないでしょう。
 (2)のトインビーは 背景にある事情には一切触れないこととしたと推し測られます。
 (1)の西行は どうか? 

 むろん 国家神道のもんだいではありません。あり得ません。ただし もともとそのような中央集権体制という要因としてなら 古代国家の成立にあたってすでにその《基体》が築かれていた。おそらく西行ほどであれば そのことにも留意するところがあったはずです。

 たぶん こういうことでしょう。すなわち この古代国家としての中央集権制とそれにもとづくまさに伊勢神宮の創建については たぶんその力わざのことをかえって何らかの聖なる歴史の推進力やら統治力を伴なうものだと見たのではないか。

 と言っても おそらくこのような諦観による見方は 西行その人にあっては 決して本意ではなかった。この十把一絡げにして上から人びとを束ね押しなべ敷きなべて治めるというやり方に 忸怩たるものがあったはずであろうと見ます。
 なぜなら それゆえに――あたかものちの芭蕉がそうであったようにかどうかを別として――漂泊に放浪を重ねる旅をわが人生としなければならなかった。
 おそらく最後の最後には 最終の最終には 権力体制のその奥に潜む何ものか聖なるなぞのちからを見ようとしたし 見たのではないか。
 いくらか憶測を交えて こう考えます。
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この回答へのお礼

私が申しました「怪しげ」の中には、外からの政治の力も含まれています。
お爺さんはそういうことは知りませんし、仮に知っていても「ハーありがたや・・・」と敬虔にお辞儀するでしょう。
付和雷同? お爺さんをばかにしてはいけないとおもいますよ。

> この古代国家としての中央集権制とそれにもとづくまさに伊勢神宮の創建については たぶんその力わざのことをかえって何らかの聖なる歴史の推進力やら統治力を伴なうものだと見たのではないか。

・・・私にはこの文章がどういうことをおっしゃっているのかはっきりわかりません。
いずれにしても【なにごとのおはしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる】から、いくら想像をたくましくしても西行が生臭いことを思っているとは考えられませんでした。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/06 09:09

あ、 わかった。



というか西行の言葉と並べた場合の解釈でいけば、  畏 怖 ですね。

旧約聖書の神に対するものも 畏 怖 でした。

驕り高ぶって、自分は神だ となると、恐ろしいことが起こる。

畏怖する心が最悪の事態を引き起こさなくて済むわけで。


ゲド戦記の筆者は、インデアンの血を引いているのと、インディアンの信仰の知識があるそうで、それを作品に入れている。

ゲド戦記では、ゲドは「死をもおしかえしてくれるわ」と傲慢になってた。
自分こそが神だといわんばかりの傲慢さ。

傲慢すぎたので死んだわけですが、魔法学校の校長だったかが、自分の命と引き換えにゲドを黄泉から助けた。

それで傲慢だったゲドは名も無きものの存在を知るわけです。
壊れた腕輪の章では、アチュアン神殿に潜入したが、そこでは名も無きものの力が強くて魔法がつかえない。
神殿を守る(名も亡き者の存在を信じる唯一の人)テナーを神殿から連れ出したわけだが、一人も神殿を守るものがいなくなったとしても、名も無きものは存在しえなくなったわけじゃあない。

ゲドも名も無きものの恐ろしさを知っており、神殿が崩壊したあとも、名も無きものは存在しつづけると知っていた。

畏怖する心が、ブレーキをかけられ、最悪の事態を引き起こさなくて済むってことで、日本人の名も無きものを恐れる心こそ、信仰の柱ではないのか ってことじゃないかと。

トインビーは「日本がやったこと、それは西洋が不敗の神などではないと示したこと、本物の神ではないと示したこと」だって言ったわけで、それは、スターゲートでもそう。

西行もそのとてつもない力を持って人間などひとひねるな神が、自分を生かしておいてくれることが ありがたやー で、その聖地に足を踏み入れさせてもらえたことが 自分のようなものでも入れてくれて もったいないことでございます って言ってたんじゃないかと。

畏怖と感謝が根底に無い宗教は滅びるしかないってことじゃないかと。
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この回答へのお礼

ゲドのお話は存じませんが、トインビーと西行のところはよくわかりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/05 16:53

 No.2です。



 ●(回答No.6 ctaka88 さん) ~~~
 私は全体としてこう思います。
  トインビー:宗教一般の「聖性」
  お爺さん:天照大神の「聖性」
  西行:大日如来の「聖性」
 ~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ このご見解の示す思想や情況が現われる以前に 何らかの《コントロール》が伊勢神宮には為された。この点は 史実であろうと推測されます。(史実だと断定するまでには到らないでしょうが この比定をくつがえす見解は 見当たりません)。

 なぜなら 推測としてのかぎりで 外宮と内宮とがあって 外宮がもともとの宮であり 内宮があとで地元ではない外からの政治勢力によってつくられたと考えられるからです。
 内宮でアマテラスオホミカミを祀る以前に とうぜんのごとく土地のヤシロとして 食糧の神(トヨウケの神。ケが食べ物)が祀られていたと推し測られるからです。

 もう少し説明しますと。三輪山の大神(おほみわ)神社の摂社として檜原神社がありますが そこにアマテラスオホミカミを祀るかどうかで政治の舞台ではもめたと知られるからです。つまり もともとは オホモノヌシの神がこの山に祀る神であったのを あらたにアマテラスを祀ろうという動きが現われた。これを おそらく 地元はことわった。そのあと何らかの経過をたどって 伊勢の地に祀ることになった。こういういきさつがあると言ってよいはずです。

 早い話が 西行らが感じた《聖性》は もともとの神にまつわるものではなく 新しくこしらえられたところから《あるのだ》とされたものである。このようなコントロールがあった。こういう意味です。

 でももともとおごそかな所であるとも 他面では思われます。外宮のほうが 由緒正しいと考えるところにもとづいてのことです。内宮は どう見ても不自然です。
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この回答へのお礼

お詳しいご回答ありがとうございます。
どんな聖地も聖者も素性を詳しく調べ上げてゆけば、怪しげなところは出てくるだろうと思います。

>早い話が 西行らが感じた《聖性》は もともとの神にまつわるものではなく 新しくこしらえられたところから《あるのだ》とされたものである。このようなコントロールがあった。こういう意味です。

そうでございますか。勉強になりました。

お礼日時:2011/05/05 16:50

>現代のADHDの人と比べると、たくましく教養が高いのでしょうね。



なんか誤解があるようですが、アインシュタインも発明王のエジソンも、発達障害があったといわれていますよ。
ネット業界の風雲児のあの企業のプレインは全員発達障害を持っている可能性があるといわれていますし、大学教授にも発達障害の人は多いはずだと言われています。

気が散りやすいのですが、興味を持ったことに対しては異常なまでに集中力を持続できる。
その特徴ゆえに、並外れた集中力の持続ができ、研究を継続することができたわけです。


トインビーさんって この動画に出てくる人?




だとすると
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0705.html
『すべての歴史は「神と人間の遭遇の歴史の変形」であって、神をその成員として認知しうる高次な社会を形成しないかぎり、どんな文明も次々に崩壊するであろうと予告したことだった』

伊勢神宮に対する日本の信仰心をトインビーさんがどのように見えていたのかは知らないので、あの一文だけでは返信のしようがない。

じゃあ 返信するな といわれたら、、、すいません・・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>なんか誤解があるようですが、アインシュタインも・・・
ついそこいらでどんどん発生しているADHDの若者のことを思い浮かべてしまいました。

>じゃあ 返信するな といわれたら、、、すいません・・・・
そんなことおっしゃらないでまたどうぞお越しください。

お礼日時:2011/05/05 16:28

神道について特に詳しいわけではありません。



>1.>江戸時代のおかげ参りは・・・

>(1)(2)(3)は江戸時代の人ではありませんが、どうして江戸時代の神社周辺のセックス産業を持ち出されたのでしょうか。

現在の神宮の環境は明治時代に作られたものだということを忘れないでくださいというだけです。
これについては岩波新書の「お伊勢参り」をご覧ください。
ともかく内宮、外宮付近の景色は現在のものとは全く違っていたということです。
そこへの参拝は、善光寺参りとほぼイコールのものと考えられていたのではないかと思うだけです。
また、江戸時代は門前町に色町があるのは、「精進落し」ということで一般的だったようです。
とは言え、私自身も神宮に行けば、「聖地」という感じを受けます。


>2.>(2)、(3)は、そういう意味で国家神道の思いこみ・・・

>トインビーもお爺さんも「国家神道」というものに取りつかれていたり、また造詣が深いとは思えませんが、どうなのでございましょう。

何も彼らが取りつかれていると言ってはいません。
明治以降の国家新道の中で、神宮は特別の位置におかれ、また周辺環境も荘厳されたわけです。
そのような環境にあっては
トインビーは知識人としてまた東洋に着目した歴史家として、他民族の宗教心を受け入れようという立場からすると、日本人が神宮の外宮、内宮を聖地と見ているのだから、そこを聖地として見ようというバイアスがかかるでしょう。
他民族が聖地としているところに何らの聖性も感じないのは、暴力的な征服者か、そこが聖地であることを全く知らない人間だけです。

次に老人が「ハー、ありがたや、もったいなや」と感じるのは、それまでの教育=日本の宗教環境の中で、そこが聖地であること、神宮が神道で特別の地位にあることを知っているからです。具体的な内容を知っている必要はありません。


>3.>西行は12世紀の鎌倉初期ですから、まだ神道が成立していません。

>神道は太古の日本から信仰されてきた固有の文化に起源を持つとされる宗教であると聞いています。「まだ神道が成立していない」の意味するところをお教えください。

現在の神道は神社神道と言われるものですが、これは基本的には鎌倉時代後期から室町時代に成立した伊勢神道と吉田神道(これでググってウィキペディアを参照してください)を基にしています。
それ以前は、神話体系も祝詞もてんでんばらばらな状態だったと思います。ここで古来のアニミズムが神道という仏教に対抗する宗教になったのです。
さらに神社神道は明治時代の国家神道と結びついて、「我が国古来のもの」として、民族国家形成のための要石として、宗教ではない宗教となったのです。


>4.>天照大神が大日如来の本地だという逆本地垂迹説や伊勢神道の成立は13世紀以降なので、これは天照大神に対する意識という点で、(3)と(1)は同じものだとは思えません。

>西行やトインビーやお爺さんは、それぞれ「天照大神」「大日如来」を意識しておまいりしたのでしょうか。

トインビーはともかく、お爺さんは「天照大神」を意識しないわけがありません。
お爺さんの年齢が75歳以上であれば、戦前の小学校の教育を受けているわけですから、「天照大神」を意識しないわけがないのです。「大日如来」は意識外です。

西行の立場からすれば「天照大神」⇒「大日如来」ではなく、「大日如来」⇒「天照大神」の意識で参拝したでしょう、というのが私の意見です。
この歌の解説や感想の多くが、「天照大神」⇒「大日如来」の見方のものなので、時代的にもまた出家という西行の立場からすれば、ここでの聖性は「大日如来」からのものと感じたでしょうということです。

>私はそれぞれ「神様」ということで変わらないのではないかと思っていますが。

私は全体としてこう思います。
トインビー:宗教一般の「聖性」
お爺さん:天照大神の「聖性」
西行:大日如来の「聖性」

聖なる何かという点ではイコールに見えるかもしれませんが、それが実際の生活にどう反映するかで全く違ったものになります。

>「なにごとの・・・」が西行の作かどうか疑問があるということですが、これが西行ではないとなると、質問の前提が崩れますので、西行作だとしてご回答をお願いします。

これをもって神宮の永久性が立証されるような論調があまりにも多すぎるので、本当に西行の作なのと疑問に思っているという独白とご承知ください。
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この回答へのお礼

わざわざお詳しいご回答ありがとうございます。
大体のところはよくわかりました。
さて、戦前の小学校教育を受けた信心深い昭和ひとけたの男性に尋ねました。
この方は神仏混淆については知っていますが、本地垂迹等につきましてはしりません。
伊勢神宮にお参りしたときは「「ハー、ありがたや、もったいなや」と感動したが、特に天照大神は意識しなかったそうです。もちろん大日如来も。ただ神サンだけとのことです。
西行法師はお説の通り大日如来を意識したと思います。
また、トインビーもお説の通り宗教一般の聖性だと思います。
しかしながら、それらはみな「ハー、ありがたや、もったいなや」ということではないのでしょうか。
それぞれの時代や教養に差がありますので、発する文言に違いはありますけれども。

お礼日時:2011/05/05 16:23

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