西洋列強って何ですか???イギリスが関係しているっぽいんですが・・・なんなんでしょう?知っている人いたらすぐ教えてください(@■@;)))

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A 回答 (3件)

19世紀から20世紀初頭にかけて植民地化政策をとっていた西欧の強国(複数)という意味です。

通常は英国、フランス、ドイツを指しますが、オランダやロシアが含まれる事もあります。少し時代を溯ればスペインも含まれるでしょう。アメリカは帝国主義の国と分類されないので含まれません。著者によって言及する国は変るかも知れませんが、言葉の意味は西欧の強力な国々という事です。
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この回答へのお礼

ありがとうございますヾ(@^▽^@)ノとてもわかりやすかったです!!

お礼日時:2003/10/09 16:22

列強=POWERS ということで、国際関係において、仕切っている強国ということになります。



具体的には
19世紀末は、1878年のベルリン会議参加国となります。

実際には、ロシア=トルコの戦争の結果の調整なのですが、ロシア、トルコ以外の以下の国が参加しました。
イギリス,オーストリア,ドイツ,フランス・イタリア

トルコは当事者で、押しつけられたということですが、他のロシアを除いた5カ国は紛争当事国でなく、その国の合意がなければ、他の国際関係を調整できないから参加ということになります。

この時点では 六カ国となります。

1930年頃は ロンドン軍縮会議に参加した
日本・アメリカ・イギリス・フランス・イタリア
の五カ国となります。
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この回答へのお礼

ありがとぉございます!!!!!ぶち参考になりましたぁ!!

お礼日時:2003/10/09 16:13

日清戦争あたりの時代ですかね。


他の国よりはやく産業革命、市民革命などをすませている強大な国々のことです。
産業革命を済ませているので、当然製品が効率よく大量にできすぎて国内では売り切れません。そこで高く買ってくれる市場(他国)をもとめます。
ついでにその製品の材料も安く手に入ったらなぁ、なんて思っちゃうと貿易ではやっていけなくなって、『高く買って安く売ってくれる国』(=まだ産業革命をしていない発展途上の国)を植民地化しようと武力でせめてくることになって・・・っていうのが帝国主義って言うんでしたっけ。中学校で習ったのを思い出してかいてみました。
具体的にはフランス、オランダ、ロシア、ドイツ、アメリカ・・・イギリスも入っています。
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この回答へのお礼

ありがとぉございます!!!よく分かりました!!!

お礼日時:2003/10/09 16:15

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Q幕末、西欧列強の目的は?

幕末、西欧列強の目的は?

幕末、米英仏露などの各国が、日本を植民地化しようとしたといいますが、それらの国々にとって、こんな極東の外れにある国を自分達のものにすることに、いったいどんな利益があったのでしょうか? 
植民地化の目的がわかりません。
教えていただけると助かります。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

名目上は銀の世界の総生産量の1/3を算出する国ですから、
ターゲットになっている事は明白です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E8%A6%8B%E9%8A%80%E5%B1%B1

勢力は、
価格の暴落で、香辛料=銀でなくなったオランダからイギリスへ移っていました。
それに遅れてフランスやドイツが参入していました。

ロシアは南下政策。アメリカはモンロー主義の名の下に、太平洋の捕鯨で灯油を得る事に専念します。
捕鯨は南太平洋の漁場から北太平洋の漁場へ移っていました。

貿易が出来る国は植民地とはなりませんでした。

中国の人口は巨大なマーケットであり、列強各国の利権争いの波に翻弄されます。

日本も幕府にフランスが味方し、軍事顧問を送り込みます。
イギリスは自由貿易を基本理念としますので、商人との取引となりました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%BC

見ての通り、
蒸気機関車、小銃、軍艦などを輸出出来る日本は植民地化しませんでした。
(実際は利益を半ば度外視したグラバーの功績が大きい。)

坂本竜馬→海援隊→岩崎弥太郎→グラバー→三菱
この構図は大きいと思います。

貿易赤字の解消ではアヘン戦争が起きています。
アロー戦争は中国の人口から考えれば貿易利益が薄い事があげられます。

事の発端は、紅茶の輸入が多いのに、中国は綿布や銃、機関車などを全く購入しなかったからなのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%BC%E6%88%A6%E4%BA%89

朝鮮や東南アジアは中国の冊封を受けていたのでその度に紛争が起きています。

一部の国は中国に見切りを付けてフランスに保護を求めます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E5%8D%B0

大韓帝国は強くロシア寄りの政策に走った為に併合されてしまいました。

貿易による商業利益が望めない場合には植民地となります。

インドでは工業が盛んでしたが、産業革命の安く、高品質のイギリス製品にはかなわず、
工業自体が衰退してしまいます。(関税0の自由貿易の結果。)

インドは、鉱物資源や農作物などの第一次産業を生産手段とします。

国家経済の破綻。
国家安全の破綻。
生産体制の破綻。

これらが植民地を決定付けます。

名目上は銀の世界の総生産量の1/3を算出する国ですから、
ターゲットになっている事は明白です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E8%A6%8B%E9%8A%80%E5%B1%B1

勢力は、
価格の暴落で、香辛料=銀でなくなったオランダからイギリスへ移っていました。
それに遅れてフランスやドイツが参入していました。

ロシアは南下政策。アメリカはモンロー主義の名の下に、太平洋の捕鯨で灯油を得る事に専念します。
捕鯨は南太平洋の漁場から北太平洋の漁場へ移っていました。

貿易が出来る国は植民地とはなり...続きを読む

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Q満州国建国の目的を教えて下さい。

なぜ日本は満州国という独立国を建国したのですか?当時の国際事情や国内事情などを踏まえながら、建国の目的を教えて下さい。

Aベストアンサー

当時、日本を含めた列強諸国は中国に数多くの利権を有していました。
これはアヘン戦争以来、一世紀近くに渡って列強諸国が鎬を削って中国での利権獲得競争を行った結果でした。
そして植民地獲得競争において出遅れた日本において、満州周辺で獲得した利権はほぼ唯一に近い「海外利権」でした。
このため当時の日本では「満蒙の特殊権益」は「明治以来、先人が苦労と犠牲と投資を重ねて獲得した利権」であり、また「国家の生存に必要不可欠」と認識されていました。
しかも当時は世界恐慌の結果、引き起こされたブロック経済化により日本製品は欧米やその植民地の市場では高額の関税を課せられる事となったために、その重要性がかなり誇大に意識されるようになっていたのです。
誤解を恐れず敢えて言えば「戦後の日本における一時期の憲法9条」のように、その是非を議論すら許されないという風潮があったのでした。
しかしながら第一次大戦以降の世界的なナショナリズムの高まりにより、中国においても列強に奪われた利権を奪い返す国民運動である「「国権回復運動」が起こりました。
ただしこのようなナショナリズムに根ざす運動は、現在でもそうですがしばしば過激化し、外国勢力への排撃運動に近いものになる事もよくありました。
その結果、日本人の多くは中国で獲得した利権が危機にさらされており、それが日本という国家の生存すら危うくしかねないという(現在の視点からすれば)かなり大げさな意識がもたれていました。
これは戦後の日本でも「日米安保は戦争の道」「PKO活動で日本は軍国主義化する」とか後から見ると馬鹿馬鹿しい話が大きな政治問題になったことを考えれば、理解しやすいのではないかと思います。

ただし満州事変当時の日本政府はまだ国際協調路線を取って、交渉で穏便な事態解決を望んでいました。
ところがその前にロンドン軍縮条約で引き起こされた「統帥権干犯問題」のため、政府は軍の統制を取ることが出来ず、満州事変により日本軍は政府の不拡大方針を無視して満州の殆どを制圧し、一気に「特殊権益問題」の解決を図ったのでした。
この行為は現在では「軍の暴走」とされますが、当時の日本ではマスコミは拍手喝采して支持し、事態の不拡大を計った「政府の弱腰外交」を非難しています。
そしてこの国民世論の後押しを受けて建国された満州国について、欧米との対決を望まなかった当時の犬養毅首相は承認を渋りますが、五・一五事件で暗殺され(犬養は統帥権干犯問題を引き起こしてこの事態を招いた張本人のひとりであるので、自業自得の一面もあります)、日本政府は軍の暴走と国民世論に引きずられる形で満州国を承認、欧米との全面対決、そして国際連盟脱退へと向かってしまいます。

このように満州国の建国は決して日本が国家意思として行ったものではなく、当時の日本人の「満蒙の特殊権益」に対する過剰な意識と中国側の反発、そして軍の統制問題などが絡み合ったために、一部の暴走を国家が追認するという非常に危ういものでした。
しかしそれが当時は「大成功」を収め、国民からも高く評価されてしまった事で、その成功体験が後の日中戦争、そして太平洋戦争の遠因となり、大日本帝国を滅ぼしてしまうのです。

なお満州事変当時の日本国民の意識について論じた本で、簡単な書籍としては「日米もし戦わば―戦前戦中の「戦争論」を読む(光人社)」などがあります。

当時、日本を含めた列強諸国は中国に数多くの利権を有していました。
これはアヘン戦争以来、一世紀近くに渡って列強諸国が鎬を削って中国での利権獲得競争を行った結果でした。
そして植民地獲得競争において出遅れた日本において、満州周辺で獲得した利権はほぼ唯一に近い「海外利権」でした。
このため当時の日本では「満蒙の特殊権益」は「明治以来、先人が苦労と犠牲と投資を重ねて獲得した利権」であり、また「国家の生存に必要不可欠」と認識されていました。
しかも当時は世界恐慌の結果、引き起こされた...続きを読む


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