痔になりやすい生活習慣とは?

イギリス帝国(大英帝国)18世紀以降、急速に強くなり、近隣諸国(フランス、スペイン)を圧倒し「太陽の沈まない国」になりましたが、どのような歴史的背景が関係しているのでしょうか?
当時のイギリス独自の科学技術や軍事力があったのでしょうか?
非凡な才能の軍師がいたのでしょうか?
世界ではじめて産業革命を経験したのは18世紀末のイギリスですが、それまでに世界を圧倒できたのは別の要因が考えられますか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (6件)

ヨーロッパの小さな島国であった英国が大英帝国として


世界に君臨したのはさまざまな歴史の積み重ねの結果で

1 16世紀 ヘンリー7世による貿易振興 新大陸の経営
  海軍の増強という考えが出てきた
2 ヘンリー8世の新教旧教でない英国国教会設立が結果として以降の  自由貿易にあっていた
3 エリザベス1世の時代 スペインの無敵艦隊を破り
  世界の制海権を握った
4 産業革命により世界の工場となり蒸気船の製造を行い自由貿易を振  興
5 「統治すれど支配せず」という植民地側が受け入れやすい自由貿易  帝国主義のもと
  インド 中国 南アメリカ地区の植民地化を進めた
6 鉄製蒸気船による電信をベースにした海運ネットワークを作る
  (情報を有利に展開)
7 ビクトリア女王のときピークを迎える

結論としてこれらの相乗効果により大英帝国はつくられました
    • good
    • 0
この回答へのお礼

世界強国としての英国の研究はいろいろな事を教えてくれますね。

参考となる意見に感謝します。

お礼日時:2009/04/04 13:51

>世界ではじめて産業革命を経験したのは18世紀末のイギリスですが、それまでに世界を圧倒できたのは別の要因が考えられますか?



ということですが、産業革命以前は英・仏の力関係は拮抗、もしくは若干仏が優勢だったようです。よって、18世紀中盤以降の産業革命の進展により英国は覇権国家にようです。ではなぜ産業革命が英で起こったか?大真面目に「偶然」だったとする学者もいるようです。他の回答者さんたちが上げられていることも一理あるとおもいます。すなわち、一つの理由が挙げられない・・・

では、他があげていない理由としては、
・中間層(ミドルクラス)の力の伸長と国民の貿易に関する理解
これは、中間層は国内で土地所有や爵位保持のチャンスはほぼ皆無でしたが、貿易により貴族から土地や爵位の売買するだけのお金を手に入れたり、または貧乏貴族との政略結婚で上へ行くチャンスができるため、まずは貿易でお金を手に入れようとしました。
商人たちは、ただ私欲のためにお金を使うだけでなく、貧民救済のための資金投与も行われたため(慈善活動ではなく偽善活動が大半だったようですが)国民も中間層の貿易商人を支持しました。これは他国にはない現象です。この貿易活動は国にも莫大な利益をもたらすため、法整備も進みました。

・国民の統合
イングランドはスコットランドを、大合同後はブリテンはフランスを敵とみなすことで国民の団結を図りました。これも常に外部の敵だけでなく内にいる敵と戦う必要のあった他国とは違います。

・その他
農業生産力の向上、船舶建設の技術、船舶建設のための原料供給地、海軍に対する畏敬、動力革命に必要だった石炭の供給、階級の垣根を越えた知識・情報の交換の場(コーヒーハウス)の存在

まぁ色々あります。これらを一つ一つ考えてでた結論が“偶然”なのだから本当に良くわからないのでしょう。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

スペイン人,オランダ人,フランス人との200年以上に渡る戦争の末,1763年(パリ条約)で、英国が世界一の貿易収支および植民地大国と認められた訳ですが、何ともそれまで二流の国がのし上がったのが不思議です。

>大真面目に「偶然」だったとする学者もいるようです。
分かるような気がしますね。

参考となる意見に感謝します。

お礼日時:2009/04/04 13:30

 他の回答者さんが、言及していない重要な事柄。



 17世紀、世界の強国・富裕な国と言えば、インドのムガール帝国と中国の清朝。人口もイギリスの10倍以上。
 有名なインドのタージ・マハール廟に使われている白い大理石はイタリア産だとか。膨大な量を輸入するコストはどれほどだったか。

 イギリスは、中国などからお茶・陶磁器・絹織物など、インドから綿織物・香辛料を輸入しましたが(中継貿易で他のヨーロッパ諸国にも輸出し手数料を稼いでいた。)、ヨーロッパからアジアに輸出する物は大したものがない。そのため、ヨーロッパの銀が大量にインドや中国に流れていって、インド・中国が富裕になったのです。

 この富裕なインドを100年以上かかって植民地化することで、イギリスは、世界の大国にのし上がりました。その過程でインドは綿布の輸出国から、綿花の輸出国に転落し、インドの綿花を使って機械で大量生産された綿布を買うようになり、インドの富はイギリスへ流出するようになりました。

 しかし、清朝とヨーロッパとの貿易は依然として、ヨーロッパ側の大幅な輸入超過が続いていました。(中国は基本的に朝貢貿易ですから、貿易的には鎖国にちかいのです。例外的に広東だけが外国に開かれていました。そのため、中国のようにお茶・陶磁器・絹のような少量でも単価が高い交易物がないヨーロッパ側から中国に、銀が常に流れ込む状況でした。)

 そこで、イギリスから中国への輸出品の切り札として、18世紀末に「アヘン」が登場したのです。
 アヘンをインドで生産し、それを中国に密輸出して、お茶を筆頭とする中国物産を輸入することで、中国との貿易不均衡は解消し、それどころか中国が大幅な輸入超過に陥るようになります。中国からその代金として大量の銀が流出し、銀を主軸通貨とする中国では、物価が急上昇して庶民の生活を直撃、麻薬中毒患者の急増と相まって、社会が乱れ始め、国力は急激に低下していきます。

 19世紀にイギリスはインド・中国という富裕な地域を食い物にして蓄積した資本を使って、産業革命を急速に進めました。 

 ハーグで1912年、万国アヘン条約によって禁止されるまで、イギリスは中国にアヘンを輸出することで、莫大な利益を上げたのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

三角貿易の時には、すでに英国の独り勝ちの時代だと思います。
パワーバランスは完全に英国に傾いていました。
それよりも100年前にヨーロッパ、中東で英国が抜きんでることが出来たのはなぜでしょうかね。

参考となる意見に感謝します。

お礼日時:2009/04/04 13:31

民主化の理念はフランスが先行していましたし、


法学・哲学などではやはりドイツの理論が先んじていたように思えます。
にもかかわらず、他でもないイギリスが何故世界帝国となったのか。
軍事や科学技術、そして国家の発展に最も必要なものを
世界でいち早く整備した結果です。




それは何か。やはりお金です。






正確にはお金を稼ぐための論理、システムを徹底的に整備しました。
まず自由主義の確立です。大航海時代はヨーロッパ全体を発展させましたが、
一方で現代にも通ずる問題が生じました。一国の単位で見た場合、
強い他国産業に自国の産業の弱い部分が負けてしまう、といった事態が
発生したのです。

各国はその対策を「関税を高くして自国産業を保護し、他国の資本を締め出す」
といった形に求めました。「保護主義」の始まりです。当然、大航海時代の効果
そのものを否定するこの行為は、かつてない不景気を呼び込んだのです。
そして、イギリスはこの不景気から最初に脱出します。アダム・スミスら
により提示された発想である自由(放任)主義を採用したのです。
これは、「人間は相手に利得をもたらす為に働く」という発想から、
数々の規制を撤廃していきました。





規制が無くなれば、後は正しく投資を行えばそれ以上の儲けが発生します。
これを簡単に行うことが出来るのは、やはり株式です。
投資はある程度の金額のプールが必要ですが、株式はそれを分割して
庶民にも行えるようにしたのです。イギリスはこの制度にもいち早く着目しました。
1801年の時点でロンドンに証券取引所が建設されています。
この株式取引により、イギリスは大規模な投資を簡単に行えるようになったのです。

ですが、株式にも問題はあります。実際に営業を行っていない会社であっても
株の売買上は高値を付けることが可能なのです。やはり現代にも通じる問題である
バブル経済です。1720年、イギリスは「サウス・シー・バブル」事件を経験します。
およそ270年ほど日本の先を行っていたわけです。






さて、ここからがイギリス、そして同様の考え方を採用した
アメリカが以後の世界を支配した最大の理由です。

イタリアで生まれ、フランスやドイツで成熟した"会計"つまりお金の管理の発想は
「法律上の権利者(債権者)の保護」を謳っていました。権利・法律の概念が発展した
大陸ならではの発想で、これは「大陸式会計(フランコ=ジャーマン)」と呼ばれます。
一方でイギリスはサウス・シー・バブル後の改善案としてかつてない
画期的なアイデアが採用されます。「英米式会計(アングロ=サクソン)」
別名「時価会計」です。


そもそもバブル崩壊は、正確に権利の価値が
測定できないことに端を発します。大陸式会計では計算上の利便性を優先し、
取得時の価格を重視しますが、これだと今現在の価値が仮の数字になってしまいます。
一方、時価会計によれば、より新しいデータにより会社の情報を更新し続けるため
より正しい会社の姿を映し出せるのです。

さらにバブル崩壊の調査委員が出した結論も画期的です。
それまでは悪い商品(あるいは株式)を買っても、それは買う人間が情報を集めなかった
せいだ、という発想でした。そこでこれを、「売方注意」とすべきとしたのです。
つまり、売るときに悪い商品であると説明しなかったほうが悪い、という発想です。
後にここから「消費者保護」の発想も生まれることになります。



これらがどういった効果をもたらすか。現在の会計の大前提である「投資家保護」の
発想を生んだのです。言い換えれば投資家により多くの情報が伝わることで
安心感が生まれるわけです。
買うことに対して安全性が確保されていれば、あとはためらう必要はありません。
イギリス人の投資はバブル前以上に一気に拡大したのです。
お金さえ確保されていれば、後は軍事的に優位に立てるのも自明です。



物を買うことが罪ではない、むしろ幸福を増大させるという自由主義が生まれたこと。
これにより消費者や投資家に正しい情報を伝えたこと。結果として物を買いやすい
社会を作り上げたこと。この幸福追求のための経済理論こそが、イギリスとアメリカの
特殊性であったと考えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>それは何か。やはりお金です。

まさにその通りですね。圧倒的な海外からの、特にライバルの国家からの大量の資金の流入が必要だったと思いますね。
しかしバブルはイギリスだけでなく、オランダ、スペインにもあったのでなんとも分からないですね。

英国はもっと汚い手を使って世界帝国になった気がします。
海賊船や私掠船は政府公認の民間武装船でしたからね。そこからの資金流入が気になります。
参考となる意見に感謝します。

お礼日時:2009/04/04 13:38

大本には、民主主義の成熟があると思います。


一つには「野党があってもいいじゃん」という考え方、受け止め方。
最初の首相と言われるウォルポールが首相だったのが1721 - 1742。選挙で負けたら、首相を辞めちゃいました。選挙で勝てば、野党だったものが政権を握れると言うことを示しました。これによって、野党の人間は、現状に我慢できるようになります。次の選挙で勝てばいい!ということで。
一種のガス抜きです。これがないと、暴力に訴えて現政権を倒さないとなりません、あるいは、海外勢力と結びつく。
ガス抜きができないで、革命まで突き進んじゃったのが18世紀のフランスです。
民主主義のもう一つの側面が、政府から個人の権利が守られていると言うこと。あるいは、財産が守られていると言うこと。イギリスから独立したアメリカのテーゼが「代表なくんば、課税なし」ってやつです。1776年がアメリカ独立ですから、当時のイギリス人の考え方そのままなんです。これが、信用創造に結びつき、資本主義を育みました。フランスは今でも一人あたり「純金保有」が多い国です。いざというときに「投資」しないで、タンス貯金しちゃうので、投資が行われにくい。また、個人の財産として特許法が整備されました。技術に投資して、ちゃんと回収できる(他人に特許を使われない、あるいは他人に売れる)ということになったので、技術開発にインセンティブがつきました。
三つ目が、税金は少ない方がいいという選挙民の意向が働きました。これはなにかというと、イギリスには常備軍が育たなかった事に結びつきます。常備軍が貧弱なので、外交で「欧州大陸国家同士を争わせる」というのが基本になりました。

科学技術で言えば、18世紀で考えると、微積分はイギリスのニュートンも独のライプニッツも発見しているし、18世紀のフランスの科学もすごいものがある・・・それが技術という金になるものに変化できたのがイギリスで、変化できなかったのがフランスと言うことになります。
軍事力では、大陸の諸国の方が圧倒的。
非凡な軍師というより、凡人の力が上手い具合に集積できたのがイギリスなんじゃないかと。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

内政の成熟は成長の大きなカギですね。
世界強国としての英国の研究はいろいろな事を教えてくれますね。
しかし、英国による世界支配はもっと大きな影響力が働いていたとしか考えにくいです。

参考となる意見に感謝します。

お礼日時:2009/04/04 13:48

大学の教授から聞いた話です。



19世紀イギリスの原動力となったのは自助自立の精神だそうです。

1858年にサミュエル・スマイルズが書いた自助論という本が、イギリス国民に影響を与えたとされています。
ちなみに、その本は明治維新後に日本でも翻訳されて出版され、日本の近代化にも貢献しているそうです・・
    • good
    • 1
この回答へのお礼

参考となる意見に感謝します。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/04 13:50

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q日本は強かったの? 他国から歴史をみたら日本なんてなんてことない国だったの?

第一次、第二次世界大戦の時代
私は今まで、日本はアメリカに負けたけど、日本は戦争に強かった。と思っていました。零戦とか戦艦大和とか聞くし、神風特攻隊を出撃させたのは、作戦には疑問を持ちますが、とにかく日本は強かったんだと思っていました。でも、実際そうなんでしょうか?戦争に関して知識は豊富ではないですが、昔のVTRなどをみていると、簡単に言うと、ずるい方法をとったりしていたようにいわれてました。(約束破り?)
私は日本で日本の歴史を勉強するので日本は負けたけど、すごかった、強かった、というような感じを受けるものが多いですが、ほかの国から歴史を見たら、日本なんてなんてことなかった かのような存在だったのでしょうか?教えてください

Aベストアンサー

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸軍は弱かった、人命無視のムチャクチャな作戦をやって自滅して行った…という悪いイメージがありますが、仔細に見るとそうでもありません。

A) 支那事変は、蒋介石率いる国民政府が、上海周辺にドイツ軍事顧問団の指導で建設した第一次大戦型の塹壕陣地(第一次大戦の常識では『突破不可能』。ゼークトラインと呼ばれた)を建設した上で、上海に駐屯していた海軍の上海特別陸戦隊を襲撃し、救援にやってくる日本陸軍を、上海周辺の塹壕陣地に誘致して殲滅する、という計画で始まりました。

蓋を開けてみますと、上海特別陸戦隊は意外なほど頑強に戦って陸軍の援軍が来るまで持ちこたえ、杭州湾に上陸した日本陸軍3個師団は、国民政府が頼みにしていたゼークトラインを「浸透戦術」を巧妙に用いることで少ない損害で突破し、国民党軍を包囲殲滅しながら国民政府の首都である南京へ進撃しました。

これは蒋介石にとって全く予想外のことで、国民政府軍は総崩れとなりました。日本陸軍は、上記のランキングでは「ランキング対象外」の国民政府軍より「遥かに強かった」と言えます。

ウィキペディア 第二次上海事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89

B) ポツダム宣言受諾の「後」に、ソ連軍が北方から千島と南樺太に侵攻しました。
千島列島の北端である占守島、日本領であった南樺太には、比較的装備が良く、兵員も充実した守備隊が残っていました。
8月15日以降のソ連軍の攻撃に対し、占守島と南樺太の陸軍部隊は善戦し、
「占守島においては、上陸したソ連軍をもう少しで海岸に追い詰めて全滅させるところまで戦う」
「樺太においては、ソ連軍の南下を食い止め、南樺太の日本人が北海道へ逃げる時間をかなり稼ぐ」
という戦いぶりを見せています。

<海軍について>
日本海軍については、アメリカに次いで世界第二位の戦力を持っていたのは異論がない所で、戦前においては、東太平洋は「日本の海」でした。

「空母機動部隊」はアメリカと日本だけが編成して運用できたものですし、18インチ砲搭載の戦艦を建造できたのは日本だけです。第二次大戦終結までに完成させた大型空母の隻数で言えば、アメリカが圧倒的に多いわけですが、次に多いのは日本です。第三位のイギリスにかなり差をつけているはずです。

無限の物量と高度な技術を持つアメリカと戦っては、昭和19年のサイパン沖海戦で日本空母機動部隊が壊滅し、レイテ沖海戦で航空機の援護のない「レイテ湾への特攻」を命じられた水上部隊がろくな戦果を挙げられずに甚大な被害を受け、「沖縄への大和特攻」(坊の岬沖海戦)で終わったわけですが、アメリカ海軍相手にここまで戦える海軍は日本海軍だけだった、というのは紛れもない事実でしょう。

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸...続きを読む

Qイギリスとフランス、なぜ仲が悪い?

イギリスとフランスは仲が悪いと聞きましたが、本当ですか?
アメリカの独立戦争の際、フランスがアメリカの味方に付いて派兵したり、イギリスからのアメリカ独立を真っ先に国際承認したり、独立を記念して自由の女神像を贈ったりしたのも、全部イギリスへのあてつけという事らしいですが、本当でしょうか?
なぜそんなに仲が悪いのですか?

両国間の現在の国民感情も同じように仲が悪いのでしょうか?

イギリスとフランスについて詳しい方、お願いします。

Aベストアンサー

基本的にヨーロッパの国はどこも仲悪いです
たとえばAという嫌いな国とBという大嫌いな国があったら
Bを倒すために嫌いだけどまだマシなA国と手を組むということはあっても
嫌いなままです

乱暴な言い方をすれば島国の日本(イギリス)と韓国(フランス)みたいなものか
ちなみにイギリスはイギリスという名前ではあるけど
イングランド、スコットランドとウェールズと北アイルランドという国があわさった国です
W杯では別々にチームが組まれベッカムはイングランドの元代表選手です

Qアメリカとイギリスは仲が悪いの?

イギリスの知人がアメリカは最低といってました
映画でもイギリス人がアメリカのことを悪く言ってるのをよく聞きます
昔は自分らの方がゲスだったくせに。。。と思いながら聞いています

隣の国とは揉めがちだとは思うのですが
日本と韓国の今の仲と比べるとどの程度のものなんでしょうか?

そして決定的な理由はなんなのでしょうか?

Aベストアンサー

米国と英国は仲が良いですよ。

仲が悪そうに見えるのは、お互い兄弟みたいな
ものなので、遠慮無くモノを言い合っている
からです。

ホークランド紛争時、アルゼンチンと英国が武力
衝突することになりました。
アルゼンチンは米国に、英国の不当性を訴えましたが、
相手にされませんでした。

英国とは兄弟みたいなものだから、利害など関係
なしに米国は英国に味方をする、ときっぱり言われた
からです。

日本は米国と同盟を結んでいますが、この同盟には
英国とはレベルの差があります。
米国と英国とは一心同体みたいなもので、その間に
秘密は原則存在しない、とされています。


”日本と韓国の今の仲と比べるとどの程度のものなんでしょうか?”
    ↑
韓国は日本を憎悪していますが、英国人は米国人を
格としては下に見ています。
米国人は英国にたいしてコンプレックスを抱いています。
英国が兄で、米国が弟、という感じです。

これに対して、韓国は自分たちは日本の兄貴分だ、と
勝手に信じ込んでいます。
日本人にとって韓国はただのうっとうしい外国です。
米国と英国がお互いに兄弟のような感覚を持っているのとは
異なります。


”決定的な理由はなんなのでしょうか?”
    ↑
米国はかつて英国の植民地であり、英国から追放され
祖国を捨てた人間だ、という負い目があります。
しかし、お互いにアングロサクソンが中核をなしている
国家だという共同体意識があります。

韓国の反日は日韓併合が原因ではありません。
西郷隆盛の書見に、反日激しい韓国、という記載が
残されています。
当時既に反日だったのです。

江戸時代の朝鮮通信使の日記にも反日的記載が窺えます。
元寇などは、時の朝鮮王「忠烈王」が渋るモンゴルを説得
して起こしたものです。

この韓国の反日は、朱子学に基づく小中華思想にあると
言われています。
つまり、華夷秩序において、韓国は日本よりも格上のはず
だが、現実はいつも日本が上に位置している。
理解し難いのですが、彼らはそう考えて、日本は許せない
と信じているのです。

その証拠に、秀吉の朝鮮出兵に対して文句をいう韓国ですが、
千回も侵略されている中国には何もいいません。

格下の日本が韓国を凌駕しているのは、悪い事をしている
からに違いない。
そこから、日本に対する憎悪が生まれてくるのです。

米国と英国は仲が良いですよ。

仲が悪そうに見えるのは、お互い兄弟みたいな
ものなので、遠慮無くモノを言い合っている
からです。

ホークランド紛争時、アルゼンチンと英国が武力
衝突することになりました。
アルゼンチンは米国に、英国の不当性を訴えましたが、
相手にされませんでした。

英国とは兄弟みたいなものだから、利害など関係
なしに米国は英国に味方をする、ときっぱり言われた
からです。

日本は米国と同盟を結んでいますが、この同盟には
英国とはレベルの差があります。
米国と英国とは一心...続きを読む

Qイギリスとアイルランドの不仲の原因

これまで2国間で様々な事件があったと聞きます。
その原因と事件について時系列でお教え下さいませ。

Aベストアンサー

どこから書けばよいのかわかりませんので、一番初めから。

イングランドとアイルランドは、共にケルト文化を持つ兄弟のような関係でしたが、ローマ帝国が、イングランドを占領したとき、ローマは、徹底したイングランドのローマ化を行いました。
(アイルランドにはローマ帝国は進出しませんでした。)

これにより、次第にイングランドとアイルランドの文化的共通性が無くなってゆきます。

その一方、アイルランドには、キリスト教は入り、ケルト文化とキリスト教が交じり合ったケール教会が成立します。

ローマ帝国の崩壊後、イングランドは混乱し、文化や学術などの大幅な低下が起こります。
その時、アイルランドのゲール教会の修道士が大勢イングランドに進出し、学術・文化などの際築に力を入れます。
このことは、後のアイルランド人が、イングランドの混乱を再構築し、文明を与えたという自負心となります。

アイルランドに成立したゲール教会は、カトリックに属さないため、教皇ハドリアヌス4世が、ヘンリー2世に、アイルランドの領有権を与え、アイルランドのカトリック化を目論見ます。

アイルランドのレンスター地方(ダブリン周辺)の領有に成功し、イギリス人を入植させますが、彼らはしだいにアイルランド化してしまい、実質イングランドの支配下から離れてしまいます。

これは、当時のイギリスが、百年戦争、バラ戦争などで、アイルランドを顧みる事ができなかったのが原因です。

チューダー朝の成立により、余裕ができたイギリスは、アイルランドに進撃し、アイルランド最大の貴族キルディア伯を滅ぼし、再度アイルランドに覇権を確立し、時の王ヘンリー8世は、アイルランド王となります。
それと同時に、アイルランドの宗教を、イギリス国教会へと変貌させる事を始めます。

イギリス王として、エリザベス1世が即位し、カトリックのスペインと対立するようになると、スペインのフェリペ2世が、アイルランドにカトリックの宣教師を多量に送り込み、反イギリス感情の強かったアイルランドのカトリック化に成功してしまい、またアイルランドは、イギリスから離れてイギリスへの反乱を繰り返します。

エリザベス1世の死後、スコットランドのスチュアート朝がイングランド王となると、アイルランド北部のアルスター地域での反乱を徹底的に鎮圧するとともに、スコットランドから大量の移民をアルスターに対し行います。
これが、今日まで問題となっている北アイルランド問題の起こりです。
土地を奪われたアイルランド人の反感はすさまじく、イギリス軍との徹底抗戦となります。

一方イギリスでは、ピューリタン革命が起こり、クロムウェルが実権を握っていました。
クロムウェルは、アイルランドの反抗に、徹底的に対処し、反乱を次々に鎮圧し、イギリス領として確定させます。

その後王政復古で再度イギリス王位に返り咲いたスチュアート朝も、続く名誉革命で王位を失うと、アイルランド人と結び、アイルランドの領有を企てます。
アイルランド人を率いたジェームス2世は、アルスターに進出し、イギリス王ウイリアム3世との戦いに敗れ、スチュアート家再興はなくなります。
アルスターに移民したのは、以前のスチュアート家の領民でしたが、この時には、スチュアート家を見限り、イギリス側について戦い、ジェームス2世の侵攻からアルスターを守り通した事により、完全にアイルランド人との決別の意識を持ちます。

イギリスとフランスが対立するようになると、アイルランドの反乱を、フランスが支援するようになり、アイルランドでは、反乱と鎮圧が繰り返される事になります。

1796年の反乱に支援のフランス軍の敗北により、1800年アイルランドは完全にイギリスに併合されます。

その後アイルランドを支援するようになるのは、アメリカに移住したアイルランド人たちになります。
主に金銭的・精神的支援でしたが、かれらの支援により、アイルランド人たちは、民族意識を高め、アイルランド独立運動への流れとなって行きます。

1922年アイルランド自由国が成立し、北アイルランドを除いた地域がイギリスの保護下ながら独立し、1937年に完全にアイルランドは独立します。

しかしアイルランドの独立は、北アイルランド問題の解決をより遠ざけたともいえます。

どこから書けばよいのかわかりませんので、一番初めから。

イングランドとアイルランドは、共にケルト文化を持つ兄弟のような関係でしたが、ローマ帝国が、イングランドを占領したとき、ローマは、徹底したイングランドのローマ化を行いました。
(アイルランドにはローマ帝国は進出しませんでした。)

これにより、次第にイングランドとアイルランドの文化的共通性が無くなってゆきます。

その一方、アイルランドには、キリスト教は入り、ケルト文化とキリスト教が交じり合ったケール教会が成立します...続きを読む

Q白人はどうして黒人を差別するのでしょうか?

アメリカで黒人が白人に差別されたと
デモや暴動が起きているそうです。

どうして白人は黒人を差別するのでしょうか?

日本では、ボビーオロゴンやビリー隊長とか
大人気だし。野球でも黒人が大人気なのに
どうして差別されちゃうのでしょうか?

私にはどうしても分からないのでよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 まずアメリカは国土が広大で地方分権も進んでいるので地方によって人々の考え方が大きく異なり、アメリカと一口に言っても州や地方によって差別の現状は大きく異なる事と、アメリカにおける人種差別をもって白人全ての人種差別を語る事はできない事を申しあげておきます(北部ヨーロッパやイベリア半島では人種差別差別はまた違う様相を呈しています)。
 それとビリー・ブロンクスは大学教育を経て社会的に成功している黒人で、ボビー・オロゴンはナイジェリアの富裕層の出身です。一般的に差別を受ける黒人系アメリカ人とはその立ち位置は大きく違います。
 アメリカでの黒人差別は様々な要素が複合的に絡まりあって成立しています。差別の原因となっている要素を幾つか列挙してみます。

・歴史的経緯
かつて白人は黒人をアフリカ大陸から連れ出し(多くの場合、奴隷化したのは現地のアフリカ人達なのですがややこしくなるので割愛します)奴隷として過酷な労働条件で使役してきました。これを根源的な原因として加害者だった自分達白人を黒人は憎悪しているのではないかと考え、それ故に黒人との共存や黒人の社会進出を苦々しく思う白人は常に一定数存在します。

・社会階層的経緯
多くの黒人系アメリカ人は依然として貧困層であり充分な社会進出を行えていません。白人全体における犯罪経験者の割合と黒人のそれを比べるのであれば前者が明らかに高い数値を示すでしょう。その黒人は非文化的で危険であるというイメージが一部のメディアによって増幅され、それに強く感化されてしまう白人が人種差別に走り、さらにそれがイメージに輪をかけるといった悪循環がアメリカ社会には存在します。

・文化的経緯
同じかつての黒人奴隷を導入した国でも南米などでは人種の混合が進み、人種差別などそもそもどれを差別すれば良いのか解らない程複雑になっている国もあり、これらの国では当然人種差別は殆どありません。
 これとは違いアメリカでは人種・文化の混合が行われませんでした。原因については不勉強なのでなんともいえませんが(カルバン主義やアングロサクソンの島国根性が関わっているのかもしれません)、一部の白人にとって黒人が“同じアメリカ人”では無く“国内に居住するよそもの”的な存在になってしまった事は否めません。

 まずアメリカは国土が広大で地方分権も進んでいるので地方によって人々の考え方が大きく異なり、アメリカと一口に言っても州や地方によって差別の現状は大きく異なる事と、アメリカにおける人種差別をもって白人全ての人種差別を語る事はできない事を申しあげておきます(北部ヨーロッパやイベリア半島では人種差別差別はまた違う様相を呈しています)。
 それとビリー・ブロンクスは大学教育を経て社会的に成功している黒人で、ボビー・オロゴンはナイジェリアの富裕層の出身です。一般的に差別を受ける黒人...続きを読む


人気Q&Aランキング