
No.5
- 回答日時:
「もしも」を考えることは、歴史を広い視野で眺める必要があり、私にとってはとても楽しみなことです。
この場合、16世紀から17世紀前半の日本、アジア、西欧を眺めて大胆に想像してみますね。当時の日本は、海洋アジアと呼ばれる一帯に多くの日本町や日本人在住地を有し、その地域に確固たる地位の海洋民族国家と言えるでしょう。
秀吉がフィリピン、台湾に属国になるよう交渉し、遠征計画を立てていたくらい国力もありました。
当然、資源や利権を巡って争いになります。
ポルトガル船のマードレ・デ・デウス号を撃沈したり、浜田弥兵衛のゼーラム号乗っ取り事件があったりして、武力衝突は絶えず起こっていました。
そこで、「鎖国していなければ」という条件ですから、当然海洋への進出は続き、やがて日本はポルトガルやスペイン、オランダ各国、あるいはこれら三国連合にイギリスを加えた西欧諸国と戦争になったと思います。
当時、地中海東部はオスマン=トルコが押さえており、西欧諸国はアフリカ南端を回って海洋アジアに出て来なければならないので、兵站線が長くなり、日本にとっては有利に展開したでしょう。
「日本がかりに海への道を進んでいたら、当時の造船力また兵力からして東南アジアは勿論、北米ぐらいまで進出できたかもしれないけれども、恐らく百年後には早すぎた海洋国の悲運を味わったでだろう」
このように語るのは、小島慶三著『江戸の産業ルネッサンス』のなかで紹介されている山崎正和氏の説です。
「早すぎた海洋国の悲運」なるほど、かって大航海時代の担い手であったスペイン、ポルトガル、オランダが、一世紀内外で皆没落していることは周知の事実です。
日本も海洋への進出によって一時的には繁栄したでしょうが、大小の戦争が物資と人材を大量に消耗し、日本国土の保全はならず、農業生産力は落ちていってしまったと思います。
そして、どこかの国の属国になったか、ならなかったとしても産業革命をはじめとする近代化は後れたに違いありません。
さてイギリスですが、ヨーロッパ大陸が戦場になったのに対し、イギリスは戦場となることから免れて平和が続き、この平和が産業革命を起こす原動力となりました。戦乱で国土が荒廃した独仏の産業革命は、80年ほど後になります。
この回答へのお礼
お礼日時:2007/04/19 11:43
>スペイン、ポルトガル、オランダが、一世紀内外で皆没落
それはヨーロッパ同士で戦ったからじゃないでしょか?
>イギリスは戦場となることから免れて平和が続き、この平和が産業革命を起こす原動力
当時の日本も中国に攻め込まない限りどこからも攻められないと思います
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