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礼砲の数は、受礼者の資格により元首級21発、首相級19発などとされていますが、
何故21発なのか(19発なのか)という、根拠・由来がわかりません。
どなたかご教示ください。また、典拠等もあわせてお願いします。

※自衛隊礼式訓令とかいう意味ではなく、なぜ元首級は21発なのかという趣旨です。
(外交史・陸海軍史)

A 回答 (2件)

1 礼砲数に関して



1688年の名誉革命の時に、ウィリアムとメリーを迎えたときに、21発空砲を撃ったというのが、最初の前例になった。
その後、王様が他国を公式に訪問するなんて事は、ないわけで、前例として、これが尊重されたんでしょうね。
※ ロシアのピョートルが17世紀末頃に、お忍びでオランダに行ったことはありますが、あくまでお忍びで「ロマノフの印籠」を見せることもなかったらしい。

火薬の向上によって、21発以上艦艇も連続して撃てるようになったが、まぁ吉例だから、その辺にしますかということになったと思います。
※ ビクトリア女王がインド皇帝になったときは101発撃ったようです。
1875年にアメリカが決めていた21発というようにしますとイギリスもしたようです。

アメリカでは1842年に21発を大統領を迎えるときに撃つべしと決めたそうだ。
たぶん、ウィリアムとメリーの前例にならったのでしょう。
だいたい、19世紀の後半くらいに、元首が訪問すると言うことが出てきたんでしょうね。

3:もやもやした記憶では
イギリス革命史 上下 研究社
http://www.h4.dion.ne.jp/~room4me/william/

だったと思います。
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1:非武装宣言


17世紀のイギリスの軍艦は、7発撃つと、打ち止めだったそうです。それは、当時の火薬の性質上避けられない事実。
軍艦側が、空砲を7発撃つと、しばらくは砲撃できない、つまり「非武装宣言」になります。対して、陸上の方は火薬の持ちが良いので(戦場と違って乾燥している陸地ですから)三倍くらい撃てば、非武装宣言になります。なので陸上では7×3で21発の空砲になります。
http://en.wikipedia.org/wiki/21-gun_salute
2:来賓に対する非武装外交儀礼
上記の事が外交儀礼化して、王礼砲が21発になったので、王に準じる、首相はそれより減らしたので19発。となりました。
3:なんで三倍なんだ?
艦船側の7発に対して、なんで陸上は3倍なんだ?その背景は?と疑問になるかと思います。これには名誉革命が絡みます。
オランダ総督ウィレムは、妻メリーとともに共同統治者としてイギリス王となるのですが、イギリス上陸に際して、議会側が本当に自分を受け入れるのか疑念に思いました。その疑念を晴らすために議会側が上陸部隊である艦隊の空砲7発に対して、三倍もの量を撃ったので、ウィレムは上陸することになりました。
※ なんせその20年ほど前には英蘭戦争をやっていた間ですから、イギリスとオランダは。このくらいが安心ラインだったのでしょう。
これが三倍の21発の空砲という前例となりました。
※ この部分はどこかのイギリス近代史で読みましたが、原典は覚えていない。
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございます。

1.軍艦からの砲撃は7発で打ち止め・・・・ とすると新たな疑問が沸いてきました。
  すなわち、当時は軍艦による21発の礼砲はありえなかったのでしょうか?(7発だと領事級の礼砲だけになっちゃいますよね)
  あと英文のウィキですが、私の英語力ではサッパリでして・・・すいません。
2.非武装儀礼ですね、それはよく理解できます。
3.名誉革命が絡んでいるのですか、これはまったくの初耳で参考になります。解決の糸口になりそうな情報です。
 自分でも文献を調べてみようと思いますが、また典拠も思い出したら是非ともよろしくお願いします。

 

お礼日時:2007/05/03 19:49

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