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イギリスの王家、王朝になったプランタジネット家は、
ヘンリー2世の1154年に始まり、
リチャード2世の1399年で王朝自体は途絶えているようですが、

同家は現在も存在、存続しているのでしょうか。
また、同家の血を受け継ぐ家は現在も存在しているのでしょうか。

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A 回答 (2件)

プランタジネット家自体は絶えていますが、その血を引く人は、大勢います。


現在のイギリス女王エリザベス2世もその一人です。
ヨーク家、ランカスター家もプランタジネット朝に含めて考えると、プランタジネット朝は、1485年のリチャード3世まで続いた事になります。
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http://en.wikipedia.org/wiki/Line_of_succession_ …
http://ja.wikipedia.org/wiki/イギリス王位継承順位
少なくとも1615人以上はいるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ゾフィー・フォン・デア・プファルツ
スチュアート朝の血を引くことが条件であり
スチュアート朝はチューダー朝を通じてプランタジネット朝と繋がっていますので
http://ja.wikipedia.org/wiki/テューダー朝
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Qフランスの爵位

先日テレビを見ていてフランス人の方で爵位を持っている方が出てきたのですが、現在でも爵位はあるのですか?
あるとしたらイギリスみたいに世襲制なのでしょうか
それとも単なる名誉の為にその方に与えられたものなのでしょうか。ご存知の方教えてください。お願いします

Aベストアンサー

 
イギリス、フランス、イタリアなどに爵位は、世襲制として家系にあります。イギリスの爵位を持つ貴族は、王家との関係もあり、経済界や産業界の大資本家をかねていることが多く、大金持ちが多いですし、互いに協力関係にあったりします。

前英国皇太子妃の故ダイアナ妃殿下は、スペンサー伯爵の娘でしたが、スペンサー伯爵家は大金持ちで、軍事産業に深く関与し、富を持っていました。ダイアナは、地雷によって足を失った人のための慈善活動などをしていましたが、実家のスペンサー家は、その地雷を生産して世界に売って儲けていた家です。

イギリスの場合、没落した貴族家系もありますが、社会制度に大きな断絶がなかったので、いまでも上院は貴族院で、貴族が上流階級を作り、自分たちの利益のために、相互に便宜をはかり、また自分たちの勢力や威信を守っています。

イタリアでも、現在は王国ではありませんが、貴族制度が破壊された訳ではないので、多くの貴族が存在し、彼らは財産を持ち、イタリア産業界の背後で支配しています。

フランスでは、イギリスと違い、またイタリアとも違い、革命によって貴族の特権が奪われ、ナポレオンが新しい貴族制度を作りましたが、これもひっくり返り、古い貴族制が復古しましたが、ナポレオン3世の統治などもあり、古いフランスの貴族階級は、新しい時代の社会の支配階層と必ずしも一致しませんでした。

古い家柄であり、貴族の世襲爵位・称号は持っているが、イギリスと違い、社会の支配階級とは言えないのがフランスの世襲貴族です。彼らの世襲爵位は、名前の一部として残っているのだとも言えます。

イギリスの貴族は、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵までで、准男爵は、英国貴族ではありません。世襲の称号家系ですが、貴族ではないのです。

一代准貴族とも言えるものは、「勲爵士」と呼びます。イギリスには色々な勲章があり、ガーター勲章とかバス勲章などがあり、これらはランクがあるのですが、こういう勲章を貰った人物は、「勲爵士」と呼びます。ガーター勲爵士とか、バス勲爵士と呼びます。また、普通の「ナイト(騎士)勲爵」もあり、これらを、「士爵」とも呼びます。

普通、イギリスでは、「何何卿」という名で呼ぶ人がいます。政治家などで多いですが、これは、勲爵士で、sir の称号で呼ばれます。

フランスにも、勲爵士はいる訳で、代表的なレジオン・ド・ヌール勲章を授けられた者は、フランスの勲爵士だとも言えます。日本では、生前受勲を受けて、勲章をもらった人が、その勲章を付けて街を歩くなどというのは、ありませんが、フランスでは、結構、勲章を付けて街を歩く人がいるそうです。

警官も市民なども、そういう人には、相応の敬意を払うという話をどこかで読みました。というより、国家が授勲した人は、国のために貢献した人なのですから、勲章を付けて,堂々と街を歩いても不思議はないのですし、それに対し警官や市民が敬意を払うというのも、或る意味自然だとも思えます。

日本の勲章は、いい加減な人が高級勲章をもらうので、市民のあいだで、いい加減だという認識があるのかも知れません。

なお、イギリスの貴族は、爵位を複数持っている場合があります。例えば、イギリスの公爵位は、幾つだったか忘れましたが、二十と少しあったと思います。ところが、家系で見ると、公爵位の数より少ないのです。これは、一つの家系が複数の公爵位を持っているからです。ある家の当主は、ABC公爵でもあれば、EFG公爵でもあるということがあります。

これは爵位に領地が付いていたからで、政略結婚などで、領地を自分の家のものにすると、いっしょに爵位も付いて来るので、こういうことが起こります。

イギリスの baron は普通「男爵」とされますが、baron は、貴族階層の総称のような意味もあり、大陸の baron は、イギリスの男爵より高い位で、伯爵などよりも、baron が上に来ることがあります。

フランスのマルキ・ド・サドという人は、これは「サド侯爵」ですが、サドの「侯爵」は、名称からすれば、ドイツのマルクグラーフ(Markgraf)つまり辺境伯(方伯)から来ていますが、実体は、「宮廷伯」で、地方の大名とも言える、ル・コン(伯爵)に比べて、王権に付属した爵位で、それほどの実力はないことになります。
 

 
イギリス、フランス、イタリアなどに爵位は、世襲制として家系にあります。イギリスの爵位を持つ貴族は、王家との関係もあり、経済界や産業界の大資本家をかねていることが多く、大金持ちが多いですし、互いに協力関係にあったりします。

前英国皇太子妃の故ダイアナ妃殿下は、スペンサー伯爵の娘でしたが、スペンサー伯爵家は大金持ちで、軍事産業に深く関与し、富を持っていました。ダイアナは、地雷によって足を失った人のための慈善活動などをしていましたが、実家のスペンサー家は、その地雷を生産し...続きを読む

Qイギリス王室は何処から来たの?

 イギリスの王室は過去に絶えてしまい、オーストリアから迎えた人たちだという話を聞いたような気がするのですが、本当なのでしょうか?
 本当だとしたらどんないきさつで今の王室の人たちが選ばれたのでしょうか?また、イギリス国民は見んな知っているのでしょうか?

Aベストアンサー

 
  イギリスの王室は、過去何度も絶えています。この場合「家系が絶えた」というのは、王家の継承者が、正統な継承権を持つものとしていなくなったという意味です。
 
  歴史的に有名なエリザベス一世はテューダー王朝最後の女王で、テューダー家は確か、ヘンリー七世の時、前の王朝の断絶を受けて王位につき、テューダー王朝を創始したはずです。
 
  しかし、エリザベス一世処女女王は、後継嗣子がいなく、その兄弟姉妹も近親も正統な王位継承権を持つ者はいなくなったので、1603年、エリザベスの崩御と共に、スコットランド王国国王ジェームス六世を、イングランド王国国王として迎え、ここで、スコットランドのステュアート家の後継者である王を迎えたので、イングランドの王室は、テューダー王家からステュアート王家に変化するのです。ジェームス六世は、イングランド王位継承権を持つ、スコットランド女王メアリーの息子で、メアリーはイングランド王位を主張して、エリザベス一世に処刑されているので、メアリーの息子ジェイムス六世にイングランド王位継承権があり、彼がエリザベスの後を襲って、イングランド王になり、「イングランド王国国王ジェイムス一世兼スコットランド王国国王ジェイムス六世」となたのです。
 
  スコットランド王国とイングランド王国は、同じ人物を王とする別の王国で、1707年、アン女王の時、両王国は統一して、グレート・ブリテン王国になります。
 
  ステュアート王家は、名誉革命で、1688年ジェイムス二世が王位を追われ、フランスに亡命した後、ナッソー伯爵兼オレンイェ公爵オランダ総督ウィーレム三世が、その妻で、スチュアート王家出身のメアリーと共にイングランド兼スコットランド王位についたのですが、メアリーの方が王位継承第一位であったので、王家はステュアート家のままで、この二人の後を継いだアン女王が1714年に崩御すると、後継者がいないので、血縁を過去に遡って、ドイツのハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィッヒを、グレート・ブリテン国王に迎え、ゲオルク・ルートヴィッヒが、グレート・ブリテン王ジョージ一世となります。
 
  ジョージ一世は、同時にハノーファー侯ゲオルク・ルートヴィッヒでもあり、王家が、ここで「ステュアート家」から、「ハノーファー家」に変わります。
 
  グレート・ブリテン王国国王は、以降、ハノーファー選帝侯を兼ねていますが、1801年、グレート・ブリテン王国は、アイルランドを併合して、グレート・ブリテン及びアイルランド連合王国となり、当時のジョージ三世(ハノーファー侯ゲオルク三世)は、グレート・ブリテン及びアイルランド連合王国(以下「連合王国」)国王となります。また、ハノーファー選帝侯家は、公家になり、やがて王家になります。
 
  1837年に、連合王国王位を継いだ、ヴィクトリア女王は、1901年まで在位しますが、彼女の崩御の後、王位を継承したのは、ヴィクトリアと、そのクイーン・コンソートのザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバートのあいだに生まれたエドワードで、1901年エドワード七世即位と共に、家名を、ハノーファー王家から、「サックス=コーバーグ=ゴータ家」に変えます。
 
  連合王国の王家は、1901年からは、サックス=コーバーグ=ゴータ王家です。しかし、1910年にエドワード七世から王位を継承したジョージ五世は、1914年、第一次世界大戦において、ドイツと戦争状態になった為、王家名を変え、サックス=コーバーグ=ゴータ王家から、ウィンザー王家に名称を変更します。
 
  それ以降、現在まで、ウィンザー王家の名で、連合王国王家は、現国王エリザベス二世で、英国を統治しています。
 
  イギリスの王家と言っても、11世紀のノルマン・コンクエストで、プランタジネット王家が英国王となったと言っても、この時のイギリスは、イングランドであって、まだ、ウェールズは独立国で、ウェールズ大公が君主であり、イングランド王国国王ウィリアム一世は、ノルマンジー公爵を兼ねていました。プランタジネット家のジョン失地王は、その名の通り、北フランスのノルマンジーの領土を失い、それ以降は、英国王とは、イングランド王のことでした。
 
  プランタジネット家以降は、何らかの意味で、王家と血縁を持っていた人物が、先の王家が断絶すると、新しいイギリス王家を創設した訳で、色々な王家が、イギリス王位につき、やがて、イングランド王国は、ウェールズを併合して、イングランド+ウェールズのイングランド王国となります。
 
  更に、スコットランド王国とも王国合併して(併合ではありません)、グレート・ブリテン王国になったことは以上に述べた通りです。そのグレート・ブリテン王国が、アイルランドを併合して、グレート・ブリテン及びアイルランド連合王国になったのも以上説明した通りです。この後、南アイルランドの26州が、1922年にアイルランド自由国(1949年にアイルランド共和国に改名)として独立して、北に残った6州が、連合王国に留まったので、イギリスの国名は、グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国となっています。
 
  >本当だとしたらどんないきさつで今の王室の人たちが選ばれたのでしょうか?また、イギリス国民は見んな知っているのでしょうか?
 
  上に説明したように、王家の正統後継者が絶えると、その王家の血縁の別の家が王位につき、新しい王家となって継承されて来たということです。イギリス国民は、少なくとも普通教育を受けた人は、自国の歴史ですから、みな、概ねのことは知っているはずです。細かいことは、日本人でも、日本の歴史をよく知らない人がいると同様に知らないかも知れませんが。別に秘密でも何でもないので、調べれば、すぐ分かります。
   
  >ハノーファー家
  >http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/people/hanover.html
  

参考URL:http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/people/hanover.html

 
  イギリスの王室は、過去何度も絶えています。この場合「家系が絶えた」というのは、王家の継承者が、正統な継承権を持つものとしていなくなったという意味です。
 
  歴史的に有名なエリザベス一世はテューダー王朝最後の女王で、テューダー家は確か、ヘンリー七世の時、前の王朝の断絶を受けて王位につき、テューダー王朝を創始したはずです。
 
  しかし、エリザベス一世処女女王は、後継嗣子がいなく、その兄弟姉妹も近親も正統な王位継承権を持つ者はいなくなったので、1603年、エリザ...続きを読む

Qクーデンホーフ光子の子孫について

クーデンホーフ光子の子孫の方は今何をしていらっしゃるのでしょうか?
ご存知の方教えてください。

Aベストアンサー

 いま分っている人たちの生没年月日一覧です。
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<PRE>
 Coudenhove,Franz Heinrichの父 18‥‥‥ Austria 18‥‥‥ ?/
♀Coudenhove,    Heinrichの母 18‥‥‥ Austria 18‥‥‥ ?/旧姓=Kalergi
 青山 喜八  光子の父/骨董商 18‥‥‥ 江戸  19‥‥‥ ?/
♀青山 津禰  光子の母(つね) 18‥‥‥ 江戸  19‥‥‥ ?/
♀青山 サダ  光子の姉     187.‥‥ 江戸  19230901 4./震災死/心中?
♀青山 ミツコ→クーデンホーフ光子18740607 江戸  19410827 68/喜八の三女
♀□□ トミ  ミツコの乳母   18‥‥‥ Japan  19‥‥‥ ?/1896渡航、帰日
 Coudenhove,Heinrich C.K. 伯爵 18591012 Austria 19060514 56/19060516 55
♀,Marie 留学生/Heinrichの恋人 186.‥‥ France 1879‥‥ 1./短銃自殺
♀Coudenhove,Maria Tecla     187.‥‥ Austria 19‥‥‥ ?/伯爵の妹
 Coudenhove,Mitzko   伯爵夫人 18740716東京 Wien19410828 67“Mitsouko”
♀Laurent,Coudenhove,Ida 女優  1881‥‥ Austria 1951‥‥ 70“西欧四大女優”
 Coudenhove-Kalergi,Hans    18930916 Austria 19‥‥‥ ?/光子の長男
 Coudenhove-Kalergi,Richard   18941116 Austria 19720727 77/光子の次男
 Coudenhove,Gerolf 大使館通訳  1896‥‥ Austria 1978‥‥ 82/光子の三男
♀Coudenhove,Elisabeth   作家  1901‥‥ Austria 193.‥‥ 3./光子の長女
♀Coudenhove,Orga  光子の次女  19‥‥‥ Austria       /「母の思い出」
♀Coudenhove,Ida  光子の三女  19‥‥‥ Austria       /F・C・K
 Coudenhove,Karl  光子の四男  19‥‥‥ Austria       /日本名=?
♀Coudenhove,Lily  Hansの妻   19‥‥‥ Austria Rome    /ユダヤ人看護婦
♀Coudenhove,Pixy  Hansの長女  19‥‥‥ Austria Suisse   /文筆業
♀Coudenhove-Kalergi,Barbara   1930(69) Austria /Gerolfの長女/キャスター
 Coudenhove-Kalergi,Michael 画家1937‥‥ Czech Wien /Gerolfの三男/光子の孫
♀Coudenhove,まゆみ Michaelの妻 1953‥‥ Japan Wien /
</PRE>

参考URL:http://blogs.dion.ne.jp/duke/archives/1127952.html

 いま分っている人たちの生没年月日一覧です。
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<PRE>
 Coudenhove,Franz Heinrichの父 18‥‥‥ Austria 18‥‥‥ ?/
♀Coudenhove,    Heinrichの母 18‥‥‥ Austria 18‥‥‥ ?/旧姓=Kalergi
 青山 喜八  光子の父/骨董商 18‥‥‥ 江戸  19‥‥‥ ?/
♀青山 津禰  光子の母(つね) 18‥‥‥ 江戸  19‥‥‥ ?/
♀青山 サダ  光子の姉     187.‥‥ 江戸  19230901 4./震災死/心中?
♀青山 ミツコ→クーデンホーフ光子187...続きを読む


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