
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
次の質問にも絡みますが、領事裁判権の撤廃が先です。
当時日本は清とぶつかる見込みで、中国大陸で戦争となると在中イギリス人の保護やイギリスの持つ権益、資産に害がおよぼないか中国としては心配なわけです。そこで日本をある程度対等に遇することで、イギリスに対する国際法の遵守やイギリス人・資産の保護を日本に期待したわけです。
また広くは極東において最大の武力をもちつつある日本に、極東における自国権益の保護を求めたかったわけです。
この流れは日清戦争後もシベリア鉄道建設し極東進出を狙うロシアに対抗する目的で続き、日英同盟へと続き日露戦争におけるイギリスの日本支援となるわけです。すべて中国で潤うイギリス権益を日本に守らせるためです。
1894年の時点でロシアの極東進出に対抗する意図まであったかどうかはわかりません。
No.3
- 回答日時:
まず、領事裁判権の意味を御存知でしょうか?
簡単にいうと、外国人が日本で犯罪を犯した場合に日本の法律・裁判所で裁けないということです。
これは日米修好通商条約締結時に「日本に関税自主権が認められていない」こととの2点で不平等な条約だったのです。
領事裁判権に話を戻しますが、最初に問題となった大事件に「ノルマントン号事件」があります。
イギリス船ノルマントン号が和歌山沖で沈没した際、イギリス人は全員避難、または救助されましたが、日本人乗員は全員水死してしまいました。つまり助けてもらえなかったのです。
これは日本では、「船員は乗客を救助しなければならない」旨の法律があり、当然、日本で起きた事件ですから日本の法律でイギリス人船員を裁けなければなりませんよね?ところが、イギリスは領事裁判権を楯に、イギリス人全員を無罪にしました。
こういった事件をきっかけに、領事裁判権の撤廃に明治政府は本腰を入れたのです。
ですから、日英同盟とは関係ありません。大日本帝国憲法や大津事件も関係ありません。
また、誤解のないように書きますが、この不平等条約はイギリスだけと結んだ訳ではありません。
同時に、この条約締結国すべてと不平等であったことは覚えておいて下さい。
ちなみに関税自主権の回復は1911年ですから、日本は60年近くも不平等条約のもとにあったわけです。
日清戦争ですが同年の勃発だったと思いますのでどちらが先かというよりも、戦時中だと思います。
No.2
- 回答日時:
1890年に施行された大日本帝国憲法が背景にあります。
そのすぐ後に大津事件が起きました。事の顛末はwikiでも読んで貰うこととして、行政府の干渉を跳ね除けて司法府は法の独立を守りました。大津事件は偶発的な個人犯罪でしたが、結果的にそれが世界に日本は近代的三権分立の法治国家だと印象付けることになったのです。それをイギリスにアピールして日本を文明国と認めてください、領事裁判権が撤廃してくださいと交渉した努力が1894年に実るといった流れです。
日英通商航海条約の方が日清戦争より先です。部分的ながらも不平等条約の改正に成功したことが国際情勢の好転を日本に意識させ自信を深めて日清戦争の開戦を決意させた背景にあるともいわれている。逆に言えば、清が日朝修好条規を踏みにじった事実を黙認してしまえば、せっかく勝ち取った文明国の地位を失ってしまうという意識もあったのです。
まあそういう流れです。日英同盟は義和団事件と義和団事件に便乗した露西亜軍の満州進駐を受けた流れでまた別な話です。
No.1
- 回答日時:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%8B%B1% …
日英通商航海条約
の後で、日清戦争
欧米諸国の19世紀から20世紀前半までの認識
○ 平等条約を結ぶ文明国
○ 不平等条約を結ぶ半文明国
○ 植民地にする非文明国
というような大まかな区分けがありました。
東南アジアのタイも植民地にならなかった国ですが、不平等条約が撤廃されたのは 1911年
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4% …
日本も最終的には 1911年
中国は1943年
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%A8%A9% …
欧米諸国の判断基準は、法による統治がちゃんとなされているかどうか?なんてところです。
日英通商航海条約
の後で、日清戦争
欧米諸国の19世紀から20世紀前半までの認識
○ 平等条約を結ぶ文明国
○ 不平等条約を結ぶ半文明国
○ 植民地にする非文明国
というような大まかな区分けがありました。
東南アジアのタイも植民地にならなかった国ですが、不平等条約が撤廃されたのは 1911年
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4% …
日本も最終的には 1911年
中国は1943年
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%A8%A9% …
欧米諸国の判断基準は、法による統治がちゃんとなされているかどうか?なんてところです。
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