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むちゃくちゃ恐がりなんですけど、どうしたらいいでしょうか?
お化けとかは別に怖くないんですけど、以下に書いた様な物が怖いです。

・見知らぬ場所への旅行・研修などが心配
何度か海外にホームステイしたことがありますが、その度にひどく緊張します。
道に迷わないか? ホストファミリーが合わないタイプの人ではないだろうか? 飛行機に乗り遅れないだろうか? 現地の語学学校の校風はどうだろうか。
この様な事をよく考えてしまいます。

・通販やオークションでの購入が心配
本来、自分は人よりも慣れてはいる方だとは思いますが、それであっても実店舗で買うよりも色々とドキドキしてしまいます。
通販やオークションだと、実店舗と違ってすごく安いものがたくさん有ります。
店舗を構えなくていいのでコストが掛からない、新品や美品である必要が無いものなら中古品や訳あり品を買えば安い、などです。
しかし、実店舗なら「安い!」と衝動買いしそうなお値段や種類の物でも、んー、どうしようかなー、買おうかなー、やめようかなー、とかなり長期間迷ってしまう事もあります。
そのままヤフオクなどでウォッチリストに入れたものを入札忘れしたり、いつの間にか在庫を持って行かれてたりして、損することもしばしばあります。
とにかく、色々と心配で、購入を躊躇しがちです。

・夜道で人や車に遭うのが怖い
前に、深夜に外の空気を吸いに散歩をしていたら、職務質問をされた事があります。
警察車輛に乗っていた、おまわりさんの言い分だと、近づいたら逃げ始めたから、という理由でした。
その時、言いたかったけど言えなかった、言わなかった事ですけど、内心こちらも思っていたことがあります。
夜道を歩いていたら、後ろから(警察車輛に)ヘッドライトで延々と照らされて、長々と付け回された感じになった為、気持ち悪くて怖くて、車種も正体も確かめずに(というかヘッドライトが逆光になるので、確認は難しい上に、本能的に目を合わせたらいけないと感じたため)逃げた、という訳です。
こっちとしても怖かったのです。とても。

・お巡りさんが怖い
一つ上と重なる所もありますが、お巡りさんが怖いと感じます。
やましい事がなくても関わりたくないし、会いたくないと感じます。
まあ、そうやって避けていると、向こうは余計に職務質問して来たりと、そういう行動をとる訳で、こっちとしてもより「お巡りさんは怖いんだ」と感じ、悪循環に陥ってしまいます。

・電話をするのが怖い
家族以外の人に電話をするのに抵抗を感じます。
「ちょっと夜遅い」とか「休日だし」などと自分に理由をつけて、電話をしたくなくなる事も多いです。
何かのお客様センターとかに意見や質問があって電話をするのも、おっくうで、投書箱みたいな物が併設してあるのであれば、そっちに紙に書いて投函する方が楽に感じます。
特に、嫌な目に遭って苦情が言いたい、とかそういうのが理由だと、尚更言い出しづらい気分になります。
こちらの都合で約束を取り付けたい、という提案もなんだか苦手です。

・何かを発表するのが心配、完璧でないことが心配
現在、オープンβ中の某釣りゲーム系MMO RPGをやっています。
まだβで未完成の部分がかなり多く、新しく実装されている物などが数多くあります。
とある特殊マップが数ヶ月前に完成し、そこで釣りミニゲームをすると釣りBGMが別アレンジになる様になりました。
しかし、BGMの実装が完全ではなく、本来3種類の魚で別のBGMが設定されているのですが、そのうちの2種類はそのマップで釣りをすると別アレンジ(通常版BGMのオーケストラ風)になるのですが、1種類が存在せず、通常版のBGMの使い回しにずっとなっていました。
元々、音楽制作に興味がある上に、そのゲームは一年以上プレイし、他のゲームを全てすっぽかしてまで楽しんでいて、せっかくだから1曲だけBGMが通常版とだぶっているのはおかしいよね、と思い、自分でアレンジ版をMIDI打ち込みで作ってしまいました(通常版を耳コピーして、それをオーケストラ系楽器を用いて、マーチ風にアレンジして手持ちのXG音源で演奏)。
なお、そのゲームの公式サイトには要望コーナーという所があり、そこに運営への意見が投稿できる所があるのですが、まあダメ元で...と思いつつも、微かな期待を抱いて、曲をアップロードしてアップロード先のURLと、できれば使って欲しいな~って事をそこに書いておきました。
そしたら、想像に反して、物凄く前向きな回答がついていました。(普通は個別に回答がつく物ではないのです)
本来ここで、採用されるのか!?と喜ぶべきなんでしょうけど、急に心配になって来ました。
「もし、自分が作ったBGMが使われたとして、他のプレイヤーの反応はどうだろうか、今は前向きに見えるが、運営さんの後々の反応はどうだろうか」
こんな心配をする様になりました。
更に、心配が二重に膨らむ事態が起きました。
流し聞きしたぐらいでは分からないレベルですが、アレンジ時に少し音の取りミスを見つけたのです。
耳コピーだから仕方ないとは言え、人に聞かせる予定の物を困ったなーと言う状態になりました。
幸いにもその音の取りミスは大変軽微な物で、直ぐに修正ができ、急遽修正版を制作してアップロードしました。
その後、また要望コーナーに何通も似た様な事を書くのも抵抗があり(これも過度心配性?)、そこではなく投稿コーナー担当のGMさんにゲーム内のメール機能を使って、事情を説明し、URLを貼り直して修正版を再度ダウンロードする様に伝えていますが、相手はどんな対応をしてくるだろうか、という心配がつきまとっています。
修正版BGMもどう扱われるのか、GMさんはメッセージを読んでくれるだろうか、という不安もあります。
もっとも、投稿コーナーの方も、GMさんが目を通しているかは、回答がつかない限りこちらでは確認のしようが無いのですけどね。
こんな事が心配です。

・何か忘れていることがあるのでは?と心配になりやすい
正直、元々自分は忘れ物や忘れごとをしやすいタイプです。
しかし、何も忘れていなくとも、何か忘れている様な気がする、という幻想にとらわれがちです。
買い出しに外に出た後、帰る前にふっと一抹の不安が頭をよぎります。
「何か買い忘れてないか?」
出かける前に、ふっと一抹の不安が頭をよぎります。
「何か持って行くべき物を忘れていないか?」
気のせいな時でも、こんな事をよく考えてしまいます。

・車を運転するのが怖い
現在ペーパードライバーでゴールド免許です。
どうしてそうなったかというと、車を運転しないからです。
なんとか免許は取れましたが、免許を取れたら道をすいすい運転できるかというと、そういう訳でもありません。
教習所では先生が横に乗っていて、いざとなったらブレーキを踏んでくれますが、本物はそうはいきません。
学生時代、免許を取って間もないころ、どうしても車が必要で、ちょっとは乗ったのですが、いやはや危ない目にばかり遭う訳です。
事故こそ起こしていませんが、信号のない交差点で出るべきタイミングが分からず動けなくなったり、いざ道路に出ようとしたらぶつかりそうになってクラクションを鳴らされたり、色々です。
少しずつ練習をする...これは何をやるにも当たり前なのですが、車ばかりはちょっとのミスで簡単に物が壊れたり、人が怪我をしたりする、高額な罰金を取られる、下手すると刑務所に入れられる様な代物です。
ミスの許されない練習...ある種のジレンマな訳です。
そうこうしている内に近所に地下鉄駅ができてしまい、あっちの方が便利よね~と、車に全く乗らなくなってしまいました。
バスや地下鉄の方がなんだかんだ言って気が楽なのです。
車も大学卒業後、あまりに乗らないので維持費も高く、売却してしまいました。

とまあ、これだけ怖いと思う物がたくさん有り、本当に困っています。
何か問題があるたびに人以上にドキドキしてしまいます。
一体、どうやったらいいでしょうか?

A 回答 (5件)

あなたは他の人と比べて、慎重な性格故に、現実的で気が利きすぎてしまうのかもしれませんね。

決して欠点ではないと思いますが、取り越し苦労も多く、気持ちが疲れてしまうでしょう?

本当にただ性格なら良いのですが、社会不安障害という病気の可能性もあります。
http://sad-sad.com/kokoronomekanizumutoshoujou.h …
↑参照してみて下さい。あがり症と呼ばれるものとほぼ同じですね。

私はうつ病と社会不安障害で10年間苦しみました。色々な場面で、「何か失敗するのではないか?」「(私がこうゆう言動をしたら)誰かを不快にさせるのではないか?」と予期不安にかられ、できる限りそうゆう場面を避けるように行動していました。でも社会と繋がりがある限り、心配事が絶えることはなく、いつもビクビク、ソワソワ生き難さを感じていました。

夫は全くの正反対、自信家で、「考える前に行動!」というタイプです。彼からは多くのことを学びました。
「失敗してもいい、誰かに迷惑をかけてもいい、大事なのはそこから学んで次に活かす事と、冷静に対処できる力を養う事。何も考えないで行動してごらん。きっと失敗するから。でも絶対大丈夫だから。」
「取り返しのつかないことなんてそう多くはないから、どんどん失敗すればいい。失敗以上に成長できる要素なんてないんじゃない?」
「失敗してから考えればいい。解決できると嬉しいぞ~。誰かに迷惑かけたら謝ればいい。それで関係がダメんなったらそれまででしょ。その後は考えても意味がない。」
いつもそう言ってくれました。それができたら苦労しないよ!と思っていたのですが。ちょっとした忘れ物をしただけで、「どうしよう、もうおしまいだ…なんてダメな自分。」と今思うとすごく大げさに物事を捉えていた私。そういう時、「良い経験したね!」と褒められキョトンとしてしまい、冷静になったら、あぁ、大したことじゃないんだと思えました。
また、お店に予約の電話を入れることが(初めての所は特に)できませんでしたが、やってみたらできました。わからないことを聞かれてパニックになりかけましたが、「何のことですか?」と聞いてみたらわかって答えられました。

怖い事からずっと逃げるのは難しいですよね。だったらあえて立ち向かってみるのも手です。勇気も根性もいりません。何も考えずやってみるだけです。

長文で失礼しました。的外れだったらすみません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/15 01:17

ご質問、拝見しました。



たとえば、1つ1つの恐怖感に関して、
それぞれを、1つのテーマとして
リスクマネージメントを構築するのです。
具体的には、とりあえず、
どうすればリスクを除去できるかを
マインドマップなどに展開して、
アイデアが出尽くしたところで整理して
系統図などにして超高級ノートなどに
書いておきます。で、そのノートを常に、
携帯して、恐怖心が生じた際に
それを見ることができるようにしておきましょう。
それだけでも、救いがあるのではないかと
おもわれるのですが、

次のステップで、
それぞれの専門家に
相談して、対応法を完璧化します。

オークションなどには近づかないようにして
必要なときには信頼できる人にお願いして進めましょう。
いまは、家事代行業もありますし、
御用聞き的なお店もあり、直接、自身で買い物に行かなくても、
用を済ますことができます。
「どうしよう?」で思考停止するのではなく、
「このケースはこうすれば」
「こうなったら、こうすれば」と
極限思考して対策を考えることを
習慣にしましょう。

以上のようなことを
つづけていれば、
より恐怖感が軽減するでしょう。

それとは別に
合気道、テコンドー、空手などの
武道に入門して心技体を鍛えて
どのようなことにも動じない
精神をつくりましょう。

衛生学、感染症について
研究することは病気の恐怖を
緩和します。

他、
質問者さまの恐怖心は畢竟、
死の恐怖に起因してのことだと
思われますが
死に直結しないことでも
恐怖感を覚えておられます。
ですので、恐怖の分類をしてみることも
必要でしょうね。なにはともあれ、
そうしたことは
カウンセリングうけると
よろしいのではないでしょうか。

ご家族に、似たような恐怖心を
お持ちの方がおられますか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/05/15 01:19

森田療法を御存知ですか。


書店や図書館に本も置いてありますので読んでみては如何でしょうか。

また、自助グループもありますので、一度参加をしてみるのも良いかもしれません。
貴方と共感できる人はいらっしゃると思います。

森田療法を理解することによって少しは変わってくるかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
森田療法、調べてみます。

お礼日時:2011/05/15 01:23

不安障害のメカニズムと、治し方を書いてみます。

神経質な性格であっても、自身を学ぶ事でその性格を『ポジテブ』に替えて、おおらかに、そうして賢く生命力の溢れる生き方が出来ますので、自分に自信を持って、自分の良い所を伸ばす事と、自分を生かすことを学んで下さい。

不安になりやすい性格を『神経質』と云う事があります。そうして神経質な人が陥りやすい事が『恐怖症』です。そこで恐怖症と、神経症の起きるわけを書いてみます。

この原因は『人間の心の構造』にあります。もう少し詳しく言うなら『脳の構造』に在るとも言えます。『心』を感情を感じる『心』だけと思っているなら片手落ちです。その他にも心が在ります、その心は、『無意識の意識』として封印された形で存在しているために、普通では意識出来なくなっています。

ですが『神経質な人』はこの事に気が付いた人です。言い換えるなら『自分の心に敏感な人』を神経質な人といっています。この説明をする場合、三つの事を書かなければなりません。

一つ目は、二つ在る心の生い立ちです。自我意識は顕在意識です。『物事を言葉にして蓄えている心です』意識する『心』と言う意味です。それに対してもう一つの心とは、自我意識が出ていない時に働いている心です。

例えば自転車に乗る場合、始めは、おっかなびっくりで、慣れない内は怖くてなかなか乗れなかった筈です。処が乗れるようになって、更に練習をした場合、自転車に乗っている事を忘れたとしても、スムーズに乗れています。この場合の『自転車に乗っている者』の事です。

自我意識が直接には、『身体と心』を制御しなくとも、自分の身体と心は、しっかり上手く制御されています。この自我意識が携わっていない時、『替わってやってくれている者』が『自分の心』以外にもう一人存在しています。この意識が神経症の原因に深く関わっています。

二つ目の説明ですが、自我意識は『その者』からの情報を元にして、その言葉に拠らない情報を『言葉に翻訳して、言葉でその感情を』味わっています。その者と、自我意識は同時に『五官から入って来る』外界の刺激を、二通りの方法で感知しています。

例えば、怖いと云う事であっても、高い所の場合や、狭い所、鋭い刃物を見た時、或はスピードを出し過ぎた場合には、それぞれが違う怖さでありながら、それぞれの違い細かい事柄も、一瞬の内に読み取っています。

この場合もその者の情報が『感情が湧き上がる為の、言葉に拠らない情報が元になっています。』その者の役割りは、『感情が湧き上がる情報の提供者』と云う事になります。

三つ目の説明ですが、その者とは、人間の生命活動が始まった時から『働いています』その働きとは、細胞分裂する事を知っている働きから始まっています。そうして産まれるや否や『泣く事も、笑う事も、安心する事も、不安になる事も、恐怖する事さえも知っている存在です。

そうして学校に行かなくとも、人間を人間たらしめる事も知っています。可笑しい時には誰もが笑います。悲しい時には誰もが笑います。カラオケなどでは上手く歌えない人でさえもが、上手いか下手かを知っています。暑くなったら誰もが汗をかきます、寒くなったら誰もが火の傍に行きます。

良い事も悪い事も誰でもが知っています(カラオケと同じで、上手くゆくか行かないかには分かれますが)誰もが同じ心(良心)が備わっています。この習わずとも分かっている心の働きや身体の働きは、自我意識ではない『もう一つの意識』の働きです。是は各種の植物や昆虫や動物がその固体としての固有のDNAを持っていることに通じています。

この二つの意識の間に、違和感が無くて『上手く同調出来た時』健常者と言っています。つまり『自分自身の何処にも違和感を覚えない人』と云う事です。

不安になりやすい人とは、自我意識に送られてくる情報を怖がっている人と言う意味になります。或はその情報を受け取ろうとしない人と言う言い方も出来ます。何故なら、二つの意識の間には『確かな情報網』或はお互いの信頼感が築けていない事を意味します。そうして送る方の心は受取ってもらっていない事は分かります、そのためにその情報を『段々と増幅をして送る事』になります。

高い所にいると言う情報を『自我意識が受け取ろうとしない場合、その情報は増幅されてもっと大きな、高い所の情報』に拡大されてしまいます。是が高所恐怖症の『心の裏側です』パニック障害にしても同じです。

二つの心は『交替制』を取っています。その一例を挙げてみます。

眠る場合です、この場合自我意識は眠る事はしていません、只『意識がなくなっています』そうして自我意識は『身体と心を、(無条件で)』無意識の自分に絶対の信頼で預けてしまいます。この場合心地良い、深い眠りが保障されます。

その反対の例です、自我意識は『眠るもの』と勘違いして、『意識を凝らして、眠りに入ろうとしています』この場合、自我意識単体で眠ろうとしていますが、かなり高い確率で眠る事が出来なくなっています。この現象を『不眠症』と言っています。

人間の自我意識は単体で何かを出来ると思い込む事が、人間の障害を『己ずから作っています。』この例を三つほど挙げてみます。

自我意識単体で『心の平安を作ろうとする事』が心を病む原因となっています。

自我意識単体で『自分の行動が出来る』と思い込む事が、ノイローゼや神経症の原因を作っています。

自我意識単体で『身体を健康にしようとする事』が自律神経失調症の原因を作っています。

この三つの病症或は症候群は『心の矛盾』として、自ずから自分の症状を頭の中に作り上げて、そうして『身体と心で』自分で作った症状を感じています。

その治す方法は実に簡単です。自我意識には出来なかった事を認める事だけです。そうなるためには、自身の症状をを受け入れる事が必要です。何処も悪く無い物を頭の中だけで作っています。

もう一つの意識からの情報を素直に受け取ったときが『完治』する時です。

自我意識と『自分の命の働きが』同調することを言っています。人間の最大の癒しがその中に存在します。『生き難い想い』とは心の矛盾を言っています。生き難い思いの解消は『自分自身を知る』中に存在します。

不安になり易い人が、その解消方法を残しています。禅の歴史は不安解消の歴史です。学ぶ事で不安を『安心』に替える事が出来ます。

不安がない状態を『涅槃』と言っています。それは『心が相争う事ををしなくても良くなった状態』です。『心が静寂を取り戻した状態』と云う事になります。心の矛盾を人間は『苦しみ』として受取っています。二つの意識の間にホットラインが通じた状態を、人間は『楽』或は『天国』と言っています。

三つの障害が取り払われた状態です。言葉を替えるなら、寛解を通り越した『完治』と言う意味になります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2011/05/15 01:24

ご質問を拝見し、感じたことがありますので書かせていただきます。



怖いと思うものがいろいろあり困ってしまうとのことですが、あなたの悩みは心配症や不完全恐怖など神経症から来ているのではないかと感じました。

実は私も、あなたと同じように心配症や対人恐怖などの神経症に悩んでいた経験者です。
幸い、私の場合は、あるキッカケから森田療法というものに出会い、この学習をしていく中で神経症を乗り越えることが出来ました。
また、この中で、神経症のいろいろな症状のことも知ることが出来ました。

先のことが心配になってしまうとか、自分のしたことが不完全で何か問題が起こるのではないかと感じてしまうのが心配症や不完全恐怖と言われている症状なのですが、今のあなたが感じている、いろいろなことは、全て、ここから来ているのではないかと思います。

ですから、あなたの場合も森田療法の学習をしていく中で完全欲の「とらわれ」が薄れてくれば、これで充分、今のいろいろな怖さは感じなくなってくるのではないかと思います。

以上、私の経験から感じたことを書かせていただきました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
森田療法、調べてみます。

お礼日時:2011/05/15 01:29

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