プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は「無の境地に至る簡単な方法」を教わりました。

それをホームページにまとめました。

Most Fate into Zero Mental State
http://zero.coolverse.jp/

簡単に言えば、感じた感覚を極限の速さで忘れるということを
繰り返すのです。最初は忘れるというのがネックになりました。
しかし2時間続けると、時間がゆっくりと感じて、あらゆる感覚
に対して敏感になり、思考は最高スピードで、まるで無敵にな
ったような感覚に包まれました。それで無の境地に入った事が
分かりました。

その体験は6時間も、長い時間続き、いまでもその体験を呼び
出すとスイッチが入り、瞬間に無の境地に入ります。でも1時間
ほどすると消えてしまいます。

私はその師匠から、多くの人間が感じてる無の境地は幻想で
あると言っていました。音が聞こえないのは単なる無視であると
何も感じないのは単なる無視であると、単なる無視を無の境地
と呼ぶ事が間違っていると断言しました。

その師匠は不思議な術を使い、自分を取り巻く、あらゆる悪を
取り除きました。いまも、その効果は続いていてアンラッキーは
存在しません。たとえば子供の頃から続いていた薬の効かない
幻聴は、

「I defend You !」

の言葉ととも一瞬で消し去りました。いまはどこへ行っても幻聴は
ありません。師匠はあなたが死ぬまでの間、必ず護りきるから、
安心していなさいと言って消えました。

無の境地を科学的に解釈すると、感じた瞬間に忘れるという脳の
仕組みが完全に成された時に到達すると思います。たとえば仏教
の座禅で無の境地を目指すとき、それについて具体的には伝承さ
れていません。感じた瞬間忘れるという訓練であるという前提で
座禅を考えると、後ろを通り過ぎた瞬間を忘れるという訓練という
ことになります。

昔は自動車なんてありませんし、人や馬では練習にならないと
考えたのでしょうね。いまは自動車がたくさん走っています。
感じた瞬間忘れるという訓練がいつでも可能です。つまり座禅で
目指す無の境地の訓練がいつでも可能です。

武術の無の境地もまた、感じた瞬間忘れる事であるという前提を
付ければ、簡単に意味が分かります。相手の攻撃の瞬間を忘れ
自分の反撃だけに集中する。

しかし感じた瞬間忘れるという状態を2時間続けると、無の境地に
入るという科学的な根拠が分かりません。私はそのとき、ただ、
道に向かって、通り過ぎる車を感じて忘れるを繰り返していただけ
です。特に集中していたわけでもなく、雑念も大変多い状況でした。
それでも無の境地に突入した科学的根拠が知りたい。

いわゆる運動してトランス状態に入るのとは、まったく別の体験で
呼吸の乱れは一切無く、テンションがハイになるのとも違います。

無の境地とは、感じた瞬間忘れ、それを極限の速さで行う事と
説いたサイトは、私のサイトを除いて一切無いのです。

忘れるといっても感覚を忘れるだけで記憶には残ります。記憶の
消去ではありません。

私の友達が3人協力して、この方法を試みて、全員がたやすく
無の境地へと至りました。約1秒以内の感じた瞬間忘れるという
のは、やさしいけど、極限の速さから無の境地に至るまでが
大変だったという感想をもらいました。

私は脳科学の専門ではないので、感じた瞬間忘れるという動作が
どういう脳の働きをして起きているのか、そして、なぜ、無の境地
に到達できるのか、不明な点が多いのです。

別にテンションがハイになっているわけではありません。そのテン
ションとやらも、感じた瞬間に忘れているのです。気分は平静時の
ままです。

それから私の師匠はこの世のものではないと信じています。ひょっ
とすると未来の人間だと思っているぐらいです。未来の脳科学では
無の境地という状態を科学的に立証できており、その方法は、感覚
の極限の速さでの消去で達成可能であるということかもしれません。

この方法が正しければ勝負事やスポーツの精神論に大きな影響を
与えるかもしれません。実際、悪口を間近でほのめかされても、
まったく動揺しなかったのです。それは本当に不思議でした。

逆に無の境地を訓練するに不適当な場所とは、無音の空間であると
いうことになります。またうるさすぎてもダメであると分かります。
感じた瞬間忘れる余裕がある空間がベストです。

私の師匠はたまたま、電車の高架橋のトンネルと隣接する幹線道路
を利用して、最も効率の良い方法を教えたのかもしれません。

話は逸れますが、私の師匠について宗教にとても詳しい友人に話すと
トップクラスの守護霊が守護したと考えられると言いました。まず、そう
いうことは滅多にない話ということです。信じられますか?

予備知識は以上で、質問があります。

感じた瞬間忘れるという一連の動作は脳の仕組みでどんな働きを
するのでしょうか?

それを極限に速くした場合、無の境地に達するという真実には
どう科学的根拠があるのでしょうか?

以上です。

A 回答 (7件)

現在の脳科学等では、あなたのおっしゃるような状態に至る過程について、何らかの説明をつけることは難しいと思います。


あなたの言うように、脳の仕組みについて分かっていることは少なく、どこかの大学の教授などに聞いてもあなたの期待するような答えを教えてくれる先生は、まず見つからないと思います。
ただ、あなたのやっているように、2時間も何も考えずにずっと一つのことに集中していると、そういう状態になるということは、他の方法でもよくあることではないでしょうか?
熟練の催眠術師などならば、もっと簡単に同様のことができるのではないかと想像します。
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 回答番号ANo.1です。



>感覚の一時的な消去です。いいですか、間違って解釈してはいけません。

 例え一時的な消去であっても、感覚を消去している状態とは、ちょうど麻酔をかけたのと同様に、何も感じる事が出来ない状態の事を指します。
 しかしながら、質問者様は、感覚を消去した状態でおられた間に、周囲で起きた事を記憶されておられると仰います。
 既にANo.1で

>感じる事が無いのであれば、そもそも記憶する事柄(データ)自体が存在していませんから、記憶に残っている筈はないと思います。

と述べました様に、感覚を消去して、何も感じる事が出来ない状態になられたのでしたら、その間に周囲で起きた事を記憶する事は出来ません。
 つまり、「感覚を消去している」という事と「その間に起きた事を覚えている」という事は、互いに矛盾している事になります。
 だからこそ、ANo.1において

>、「感覚を忘れる事にすら成功していない」

と申し上げたのです。
 或いはもしかしますと、質問者様は感覚する事は忘れずにしっかりと行っているものの、感じた事柄に反応する事なく、感じた事柄に関して考える事を意識から追い出す事により、一時的に感じた事を忘れる、という事をなさっておられるのかも知れません。
 しかしながら、「感覚する事は忘れずにしっかりと行っているものの、感じた事柄に反応する事なく、感じた事柄に関して考える事を意識から追い出す事により、一時的に感じた事を忘れる」という説明は、「無視する」という事に関する詳細な説明そのものです。
 もしも、質問者様がなさっている事が、「感覚する事は忘れずにしっかりと行っているものの、感じた事柄に反応する事なく、感じた事柄に関して考える事を意識から追い出す事により、一時的に感じた事を忘れる」という事なのであるとした場合には、質問者様は「周囲で起きている全ての事を無視する事により、無の境地に達した」という事になりますが、それは、

>単なる無視を無の境地と呼ぶ事が間違っている

という話と矛盾します。
 この様な矛盾が生じている原因は、(これまでのやり取りを拝見した処から考えて)おそらく質問者様が、言葉の意味を、世間一般で使われている意味とは異なった意味に考えておられるために、使う言葉を間違えしまい、その結果、御自身が行われた「無の境地」に至る方法の説明が、間違った説明となってしまっているからである様に思えます。
 説明が間違っていたのでは、他の人間に「質問者様が無の境地に至る」際に、質問者様が何をやっておられるのかが、正しく伝わる筈もありません。
 元々の説明に矛盾があるのですから、矛盾を抱えた情報に科学的な根拠がある筈もない訳で、存在していない「科学的根拠」を回答する事は、誰にも出来ません。
 ですから、正しい「科学的根拠」をお求めになるのでしたら、まず最初に、世間一般で使われている意味で、言葉を使われた上で、御自身が行っておられる方法を、正確に、且つ矛盾なく、説明して戴く様御願いします。
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やっぱり勘違いしてますね。


あなたがぶっちゃけたので私もぶっちゃけますが、「あなた、私の回答読んで(理解して)ないでしょ?」

「無の境地」はあなたが使ったから、便宜上、私も使ったまでで、別に「hogehoge」でも「tanasin」でも「あっちょんぶりけ」でもいいんですよ。要するに「無の境地」=「感じて忘れるという極限の速さの繰り返しを行う事によって達せられる感覚」について、主観でなく「客観的な(定量的、定性的な)データ」を示してくれないと、回答のしようがない、って言ってるんです。

別にあなたの質問に答えるにやぶさかではないんです。適当にそれっぽい回答を「でっちあげる」事は出来るんですよ。「α波が出てる」だとか、「脳を酷使することで、感覚をつかさどる神経が疲弊している」だとか、「特徴的な脳への刺激によって、脳内にエンドルフィンだとかドパミンだとかが分泌されている」とか。

上の内容で、「それが科学的根拠なんですね」って言われる前に、もう一度、端的に言っておきますね。

「知らんがな。データ出せ、データ」

この回答への補足

試してみればいいでしょう。ともかく私の友人らは全員2時間程度で、この境地にたやすく到達した。守護霊の存在が未来だというなら、未来の技術ということになる。だけど現代科学で既に証明されている状態かもしれない。

その線を聞いてるのに? なぜ非科学的根拠を振り回すのですか?
私にとって、その、あなたの関心事が大変不思議です。

それでは平行線のままですね。

だれか脳の研究をしている第一人者に直接、手紙を送って聞いてみます。
私は無知なので、「データ出せ」というぐらいなら一人ぐらい知っていると
思って聞いてみます。

補足日時:2011/07/16 19:32
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ここでの「無の境地」の定義がよく分かりませんが、禅やヨガの行者のおこなう「深い瞑想状態」と同じだとすると、


深い瞑想状態の人の脳波は、アルファ波とよばれる、睡眠時でよく見られる波形になります。睡眠では人は夢を見ている状態だと言われています。
また、瞑想状態では、全身の筋肉の緊張が解けたり、呼吸の酸素消費量が大きく減ったりします。

このへんの事実から、あなたの状態を類推できるのではないでしょうか。

この回答への補足

私が感じて忘れるを極限に繰り返すというのを友人らにやらせてみて、返ってきた答えが「無の境地」だと思うだったから、あえて「無の境地」と書いたのです。

私の状態は正常だがね。試すと4時間から6時間続く、この状態の科学的根拠を知りたいんだ。

補足日時:2011/07/16 19:27
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ちょいと違うかもしれませんが、”無”という言葉の概念が違うような気がします。



私の知っている”無”という概念は仏教に裏付されているそれで、
色即是空やら諸行無常やらといわれている無に関連したそれなのですが、
貴方の言われている”無”というのは、その教えていただいてる方個人が持つ
非常に個人的な概念による”無”というもののように思えます。

そのようなものから貴方が何を得られたかは別として、
そのようなものに万人に普遍的な何かを求めるのは難しいだろうと私は感じます。

もしまだ貴方が考える力をもっているならば、貴方が感じ得られた何かが、
万人に対しての 何か になるには、どういうものであるべきなのかを考えてみてください。

この回答への補足

それは簡単だ。集団ストーカーやテクノロジー犯罪といった未解決の完全犯罪を完璧に防御できる。それをされても、思考盗聴器を使えなくするので、「結果の分からない犯罪に犯罪者はいない」という考えでは、有効な手段。

それで脳のどういう仕組みが、このような境地を産むのかを科学的に教えて欲しいんだ。そうしたら、もっと簡単に、ある薬を飲めば解決するとかね。いわゆる幻覚に効く薬は友人らと協力して、全部試したけどダメだった。

補足日時:2011/07/16 19:23
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まず、あなたのおっしゃる「無の境地」というのは「科学の言葉」ではありません。

どういう現象なのか「定量的に、定性的に」わからないものに「科学的根拠を示せ」と言われても、できるわけないのはわかりますか?「あなたの言うことは確かにその通りでしょう。あなたの中ではね」ということです。私はやりませんよ。めんどくさいですから。

つまり、あなたの言う「無の境地」そものものについて、現時点で科学には説明する必然性がないのです。

どうしても科学的根拠を求めたいのなら、あなたがすることは一つです。どういう現象なのかの説明責任は、あなた(あるいはあなたの師匠)にあるのですから。

定量的に、定性的に。データは論理的に解釈。それが科学です。

無の境地に達した瞬間の脳波でもfMRIでも、とってみてはいかが?何か違いがあるなら、それはそれで面白いですし。

この回答への補足

ぶっちゃけ無の境地の話なんて、どうでもいいんです。

感じて忘れるという極限の速さの繰り返しを行う事によって達せられる感覚は脳の科学ではどういう意味を持つのか知りたいし、どういう脳内物質が関与してそのような錯覚を見せるのか知りたいのです。

質問に、まったく答えてないので、補足させていただきます。

科学的根拠についての回答を重ねてお願いします。

補足日時:2011/07/14 18:44
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 私には、正しい無の境地に関しては、殆ど何も知りません。


 只、

>音が聞こえないのは単なる無視であると何も感じないのは単なる無視であると、単なる無視を無の境地と呼ぶ事が間違っている

と仰いますが、「無の境地」とは、一般的な意味では「無我の境地」の事を指すと思います。
 「我が無い」即ち「自我が無い」状態という事は、認識する事もまた無いという事になります。
 無視とは、認識していても、その事に反応しない事なのですから、認識していない(気付いていない)状態の事を、「単なる無視」と呼ぶのは間違っていると思います。
 むしろ、「感じた瞬間忘れる」という事は、「感じている」即ち「認識はしている」という事なのですから、「認識しているにも関わらず、反応せずに忘れ去る」という事の方が、「単なる無視」に相当する行為だと思います。

 それから、

>雑念も大変多い状況でした。

という事は、「あれこれと考えている自我」が存在しているという事ですから、「無我の境地」からは程遠い状態の様に思えます。
 個人的には、それは「無の境地」等ではない、何かもっと別の状態である様な気がします。

 それに、

>忘れるといっても感覚を忘れるだけで記憶には残ります。記憶の消去ではありません。

と仰っておられますが、

>時間がゆっくりと感じて、あらゆる感覚に対して敏感になり、思考は最高スピードで、まるで無敵になったような感覚に包まれました。それで無の境地に入った事が分かりました。

>通り過ぎる車を感じて忘れるを繰り返していただけです。

と言う以上、明らかに感覚は残っている事になり、「感覚を忘れる」事にすら成功していない、という事になると思います。
 感覚する事を忘れているのでしたら、車が通り過ぎた事を感じる事もないと思いますし、感じる事が無いのであれば、そもそも記憶する事柄(データ)自体が存在していませんから、記憶に残っている筈はないと思います。

 そして、「感覚を忘れる事にすら成功していない」にも関わらず、「無の境地に達した」という事は、「感じた感覚を極限の速さで忘れるということを繰り返す事で、無の境地に至る」という方法が間違っているのか、「無の境地に達した」と感じた事が間違いだった、のどちらかだと思います。

この回答への補足

私の日本語の文章がおかしくて申し訳ありません。

感覚の一時的な消去です。いいですか、間違って解釈してはいけません。
その感覚は覚えているものであり、書けて当たり前なのです。あらゆる勝負事に真剣になってるときは、手順など覚えていないが、終わってみると回想できる。それと同じ事です。

あれこれ考えていても、考える事と、感じるとは別の行動です。あれこれ考えていても、優先的に感じて忘れるを強制して、それも極限の速さで行う事に意味があります。

しかし感じて忘れるを極端な速さで繰り返すと無の境地に至る。

質問に、まったく答えてないので、補足させていただきます。

科学的根拠についての回答を重ねてお願いします。

補足日時:2011/07/13 16:30
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