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こんにちは。
僕は理工系の大学院M1の学生です。
アスペルガーと診断されています。


僕は「自分が人から劣っている部分に関して逆に優越感を持っている」
「人とは違ってるんですと思ってる感が鼻につく」と言われる事があります。

似たような性質を持っている人とはそういう感覚を共有する事ができるのですが、
まあ大抵の人は「優越感を無駄に持っている人を見ているとイラつく」と思うらしいです。

どんな風に理解すれば良いのかよく分からないのですが
アスペルガーの人は実際に少し人と違う部分があるような感じなので
やっぱり自分が少しは人と違っている事を意識していないと
自分を保てないような節もあるような気がします。(甘えでしょうか?)

皆の中に溶け込むには「皆と違うんだ」という意識はなるたけ持たないで
皆に合わせようと努力しなければならないと思うのですが、



ソレについてどう思うでしょうか?
どんな心持ちで自分を持った上で他人と合わせていけば良いでしょうか?

A 回答 (5件)

はじめまして



私は、今月中にアスペルガーの診断を受ける予定の者です。
そのため参考になるか分かりませんが、その点、予めご了承ください。

結論からいいますと、甘えではないと思われます。
全てあなたと同意見ですが、私の意見を次のように書きますので、
よろしければご参考にしてください。

私は、選民意識(のような感情)が原因で嫌われてしまう事は、おおいにあるため、
気をつけなくては…と、常日頃感じております(実現は困難ですが)。
選民意識はつまり、神に選ばれた者と自信が意識することですが
アスペルガーは、自分に原因はなく生まれ持っての特性を持っていることは確かです。
なので、神(運命のような存在)にそのように生きるよう、背負わされているかのようです。
だから、”少し”くらいなら、他者に委ねることも必要だと思います。
(できない事を無理してやって、失敗してしまう方が無責任らしいからです)

しかし、そのフォローを”全て”定型の方々に委ねることは、違いますし
嫌われる原因にもなります。

具体的には、私自身が、アスペルガーに認められた際に、
自分自身の意識が変わってしまう事が恐怖で、気をつけたいと考えています。
障害者であることが、全ての行為の免罪符になると考えてしまうこと
つまり甘えを持ってしまう事ですが・・・。
障害なので仕方がないのだと主張すれば、馬鹿が免罪符を掲げてやってきた、
という風に定型の方々は往々にして感じるからです。(現に似たような事を言われました。)

恐らく、定型の方々も日常生活上で、他人への配慮に多大な労力を費やしていると思われます。
だから、定型の方々は「僕たちが頑張っているのにあなたは放棄するのか」
と感じているかもしれません。それが、無責任に映るのかもしれません。

その点、頭がフリーズしてしまわない程度に他者への配慮に労力を注ぎつつ
やりたい事を、精一杯やるしかないと思われます。
それを毎日頑張れば、消して甘えではないと思って、がんばっています。

頑張って書きましたが、違うところがございましたら、返信頂けますと幸いです。
また、気を悪くされたら申し訳ないのですが
恐らく履歴を見ますと所属が同じかもしれません。お互いに精一杯やりましょう。
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私はアスペルガーじゃないんですけど


天然というかおとぼけというかピントがずれています
人と感じ方捉え方が違うようです
私は自覚してます
だから仕事でも考えられないミスをします
でも私は甘えとは思いません
好きでそうしてるのではなく
自分にとってはこれが普通なのだから
自分ではどうにもならないことなのだから

周りもわかってくれてます
特別扱いではなく
あいつじゃ仕方ないって思われてるようで
そういう意味では凄く助かります
でもピントがずれているため
何が起きるかわからない状態です
だからよく
今までそんなことなかったとか
考えられない
とは言われます

私も周りも納得してるんですよ
だからそんな時は笑ってごまかしたり
我慢してよって言ったりしてます
けど後始末はちゃんとしてますけどね

参考までに☆
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 こんにちは。


 うーん。

 僕の話で恐縮ですが、田舎高校で首席卒業だったのですが、2位の生徒と偏差値10くらい違いましたよ。
 田舎なんでろくな進路指導も無くて、家が貧乏なので浪人する余裕もなかったので、北海道大学理類とも思っていたのですが、それよりハードルの低い東北大学工学部に進学しました。
 1校しか受けていません。
 当時の共通一次試験が終わって気が付いたのですが、あと、偏差値10高い所に入れました。
 同級生とかとは話しあわなくて当たり前かと思いました。
 研究室行ったら、大学院生が、企業からの奨学金もらっておにゃん子クラブのCDとか集めていました。あからさまに僕と知的レベルの差がありました。

 うーん、あんまり参考にならなかったでしょうか。
 なんか国家1種の公務員試験とか受けて国家官僚とかになっては?
 あなたと同レベルくらいの知的水準の人がいるかもしれません。
 馬鹿は馬鹿だよ。

「話せばわかる」犬養毅
「話せばわかる、なんて大嘘」養老猛司

 
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僕は特にアスペルガーってわけじゃない(そうは診断されない)けど、まあ殆ど似たようなものだと思う。

コミュニケーション不全ではある(別にそう診断されたわけじゃないけど。上手く行ってないのは分かる。)


貴方としては、別に普通にしてるだけなんだよな。
でも、その”普通”が他人から見て違うから、そういう風に言われる。
それはもうどうしようもないと思うんだよ。だって、貴方の場合はハッキリ”アスペルガー”って診断までされているんでしょ?じゃあ、仕方ないじゃん。むしろ、違ってないと辻褄合わないじゃん。

他の人達を小馬鹿にしたいわけじゃない。
とにかく、僕も貴方もごく自然に考えてるだけなんだよね。
人と違うから優越感、なんてわけの分からないことを考えてるわけでは、特になくてさ。
僕らは僕らなりに、単純に普通に考えてるだけなんだわ。
だってそうだろ?普通に考えて、コミュニケーションが上手く行く人を羨ましくは思っても、それが出来ない自分を「優れてる」なんて思わないだろ。本当にごく普通に考えてさ。
逆に、「なんでそれが理解出来ないの?なんでこんな単純な事を理解してくれないの?」とは思ったりはする。


僕の場合、単純さが他の人の鼻につくみたい。単純に受け取り、単純に考え、ごく浅い簡単な答を出す。他の人にそれが理解出来ないとは到底思えないぐらい、普通で単純(だと僕は思うんだけど)。特別な何かを考えてるわけでは決して無い。どっちかと言えば、考えなしの部類。
でも、時にはそれが他人には単純に映らなかったり(なぜか)する。途中の不自然さってのがあるかららしい。一般的にそうは考えない、ってところがあるらしい。
それは治そうと常々努力してるんだけど、でもその努力は相手に伝わらないんだよな。やっぱ単純に機械的に考えてるだけに、結果は同じになっちゃうんだ。どうしても自動的に、どこかに他の人から見て不自然に映る(自分では不自然だとは思ってないんだけど)部分が出てくる。

努力はするよ。合わせる努力はしなきゃいけない。でないと、伝えたい事が伝わらないから。
でも、最近はもう仕方ないんじゃないか?とも思っちゃう。自分にはそういう障害があるってのは認めなくちゃいけないんだな、って思う。
単純に考えるだけじゃなくて、他の人の裏を読むってのを意識してやらなきゃいけないんだろうな、って。難しい事だけどさ。まあ、出来てない事なんだからそれは努力しなくちゃね。

納得は行かないよ?
だって、他の人は僕らを理解してはくれないじゃん。僕らのごく普通を、他の人は理解してくれない。
お互い様・・・なのかな?そうはどうしても思えないんだよね。他の人の普通は理解出来ないけど、でも理解しようとはしてるもん。理解出来なくても、「それが普通なんだな」と納得はしてるもん。容認してるもん。
なんか悔しいよ、どうして他の人は僕らの普通を理解出来ないにしても、それが僕らの普通なんだ、って納得してはくれないのだろう?他意や悪意などない、って理解してくれないのだろう?何度もそういう衝突はあったのに。
それが少数派、って事なんだろうけどね。


話がまとまらない・・・。ごめんね。
途中、僕と貴方を同一視してしまってるしね。そう、僕と貴方は違う。僕はアスペルガーではない。ただ、その傾向はちょっとはある、と自分で思ってるだけ。
他の人から言われてる事は、まあ似てるんだよ。
僕は普段、普通に考えてるだけだし、だから貴方だって普通に考えてるだけってのは理解出来るんだ。
「人から劣ってる部分に優越感」とかそんなわけの分からない事を考えてない、って事はちゃんと理解出来る。
僕が理解出来るからなんなんだ?って話だけどね。少なくとも僕は理解する。

生きていく上で、演技って必要なのかもね。とこの頃思うんだ。
多分、他の人が僕らに求めてるのは、その”演技”なんだろう。その”演技”を僕らが出来ないから。
じゃあどうすれば良いのか、どんな演技をすれば良いのか?それはまだ分からない。
でも、そういう事なんだ。”演技”なんだよ、やっぱり求められてるのは。他の人はそれをやってるらしいから。
僕の知ってる事はそれだけです。ごめんなさい。
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おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、


他人に存する小なるものの偉大を見逃しがちである。  (岡倉天心)

《優越感を無駄に持》つ、というイメージが
どんなものか不明なのですが要は、
優越感は逆転した劣等感ですので、
劣等感が強ければ優越感も強くなるわけで……ここは
人生観を変えて、世界や地域に直接
具体的に貢献できるテーマで完全燃焼するようにすることで
自他比較との縁を断てるのではないでしょうか。
感情、感覚で付き合わないで、
社会への貢献度貢献性で協力協調し合うようにしませんか。

一個人としていかに優秀でも、
他人と仲よく働くことのできぬ人は、
集団生活においていちばん厄介な人である。 (石橋正二郎 ブリジストン創業者)
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