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麻原さんはなぜ、反社会的なことを数多くしたのでしょうか?
そんなことをしなかったら、毎日贅沢三昧の優雅な日々が続いていたはずです。
しかし、それらをなくすリスクを考えずに、サリン事件などを起こしたのでしょうか?
ファーストクラス貸切といった、かなりの贅沢をWIKIではしていたとのこと。
刑務所に行ったらそんな生活なくなります。そこまでして、サリンを撒けと指示したのはなぜ?

A 回答 (3件)

オウムは、創価学会のように「政治的影響力」を持ちたかったのです。



その為には、信者と資金とが必要で、色々な手法で信者は獲得できましたが、「生き神」としての地位を守るには、予言という方法しかありませんでした。
その中で、「ハルマゲドン」というものを説いていて、その一環でサリンを松本で散布しました。
目的は、オウムに対する裁判を判事を殺すことで有利な運びにする目的がありました。
さらには、地下鉄では「霞が関」の役人を大量に殺害して、オウムに逆らう者には天罰が下るというストーリーを目論んでいたようです。
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オウム真理教の麻原こと「松本智津夫」は単純な野心家だったからです。



彼の生い立ちですが、9人兄弟の7番目(4男)に生まれ、幼い頃から視覚障害を持ち盲学校から医師を目指したようです。
しかし、地元の熊本大医学部受験に失敗し鍼灸師に転向、その後に政治家を目指して東大(文1類)を受験するも失敗する挫折を味わった事が、反社会的な考え方を芽生えさせたと思います。
予備校時代に知り合った女性(松本の妻)と結婚し鍼灸院を開業するも、間もなく漢方薬局を始め健保の不正受給が発覚し多額の罰金刑を受ける事になり反社会的な考え方が強まったと思います。
この後に、ヨガ道場を開き「オウム神仙の会の会員を募ったのがオウム真理教の始まり」ですが、ヨガ修行に興味を持つ多くの優秀な若者の指導者として、また尊師と奉られる快感に妄想の世界に酔いしれたのでしょう。
信者の中には、曾て挫折を味わった医学部出身者や東大卒などがいたので、それ等の優秀な信者を側近に従えて妄想の夢が膨らんでしまったのです。
しかし、オウム真理党から立候補した国会議員の夢はまたもや脆くも崩れ、反社会的な考えが一層強くなり「オウム王国」の建国を強く夢見ることになったのでしょう。
この頃には、優秀な側近達が多くの信者を集めて資金も多く集まりましたが、信者獲得トラブルの仲裁に入った弁護士を恨むことになります。
この弁護士が「坂本弁護士一家殺害事件」に発展します。
しかし、この事件の捜査に難航した警察当局の甘さを嘲笑うように次第に大胆になり、国家転覆まで夢見ることになったのが「サリン」を始めとする毒ガス類や武器製造でしょう。
サリンは「松本サリン事件」では裁判官宿舎を狙ったものの失敗に終わりましたが、死亡した犠牲者が何人も出たことで威力は認識してたはずです。
この事件もオウムが怪しいと言われながら捜査が及ばなかった警察当局の不甲斐なさがありましたが、公証人拉致殺害事件では目撃証言があった事で警視庁が動き始めました。
しかし、既にオウムの独裁者になってた松本は警視庁の捜査を撹乱する目的で「地下鉄サリン事件」を弟子達に指示したのがオウム王国の終演を迎える結果になったのです。
結局、松本(麻原)自身が快楽に酔いしれて仮想と現実の見境をなくしてしまい、数々の悲惨な事件を起こして「罪悪感が麻痺」した結果が地下鉄サリン事件の指示です。
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オウムってハッタリばかり言って信者を集めていたので、


ビックマウスで事件を予言したので、
事件が起こらないと、辻褄が合わなく合わなくなってきたのです。
ばれるとは思っていなかったのでしょう。
そこが甘かったのです。
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