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長文ですが、宜しくお願いいたします。

75歳になる実父についてです。
今年の5月の初旬に外出先で心筋梗塞になり救急車で運ばれ、緊急手術を受け一命を取り留めました。
運ばれた当日に 大きめの血管の詰まりをカテーテルで通し、あと1箇所細い血管へのカテーテルを約2週間後に受けました。

5月末の退院時に病院から今後の予定表を渡されました。
毎月の受診日の予約日が記載
2ヶ月ごとの検査(採血・レントゲン・心電図)
最初の手術から4ヶ月後に再度カテーテル手術を伴う入院(3日間)の予約日が記載
そのまた数ヶ月後に再度カテーテル手術を伴う入院(3日間)
以降、定期的に検査・手術をおこなう旨

医者からの説明は
「一度なると、再発しやすいから」と言う説明のみです。

投薬は続けるのは当然の事だと思いますが、2ヶ月おきの検査や
数ヶ月おきの入院とカテーテルの処置は本当に必要な事なのでしょうか。
検査で異常があってからのカテーテルでは遅いのでしょうか?
経過を診て云々ではなく、退院時にずいぶん先の手術予定日まで決められてる事に
驚きました。
人によって、それぞれ予後は違うものだと思いませんか?
経過が悪い、再発の予兆が検査でみつかった上で、入院ならわかるのですが。

心筋梗塞で手術を受けられた方は、みなさん、このような経過をとるものなのでしょうか?

9月末に、入院とカテーテルが予定されています。
検査で異常がない段階でも わざわざ入院してカテーテル処置を受けるべきなのでしょうか?
教えてくださいませ。
***********************
父はアルツハイマー型認知症で、現在グループホームに入所しております。
そのため通院や入院が大変な事もあり、
特に悪くもないのに頻繁に通院や入院は避けたいというのが本音です。
また父自身も自分の病気の事を理解できず、前回の入院中も点滴を外したり徘徊がひどく
周囲に迷惑をかけて大変でした
本来6月初旬の退院予定でしたが、父の異常行動がひどく、病院から追い出される形で退院した経過もあります。

A 回答 (3件)

どのくらいの頻度でrestudy(カテーテル治療後の経過観察目的のカテーテル検査)をすべきかというのはありません。

しかし、文献的には

(1)安定狭心症であれば、カテーテル治療しても薬物治療でも予後は変わらない
http://blog.goo.ne.jp/secondopinion/e/e7fb7e1edb …

(2)軽い心筋梗塞はすぐにカテーテル治療しても予後はかわらない
http://blog.goo.ne.jp/secondopinion/e/2950ff6448 …

(3)急性心筋梗塞でつまったままの血管に後から風船療法をしても内服治療と効果は同じ
http://blog.goo.ne.jp/secondopinion/e/2971f56787 …

というのがあり、症状がでてからでいいというのが常識的な判断となります。ただ、(3)の文献がでたあとも必要のない詰まった血管を開くことがよく行われています。
http://intmed.exblog.jp/13086978/

その理由として、
http://blog.goo.ne.jp/secondopinion/e/aeb2ad95dc …
があります。

基本的には、心筋梗塞後の予後改善効果はACE-Iやスタチンなどの薬では示されていますが、症状がない人に対する定期的なrestudyが予後を改善するというデータはないので、担当医とよく相談されてください。なお、注意して欲しいのは、"予後が変わらない"という意味は、心筋梗塞や心臓異常による死亡がおこらないという意味ではなく、おこるがその頻度はカテーテル治療した人と変わらないという意味です。
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この回答へのお礼

USB99様
早々のご返答ありがとうございました

適切な研究発表をたくさん提供していただきありがとうございました
内服治療と効果は同じと知り、驚きました
現在は以下を処方されております
【朝】
バイアスピリン
プラビックス
アバプロ
プロテカジン
ニトロールR
セルベックス
【昼】
セルベックス
【夕】
プロテカジン
ニトロールR
セルベックス
【体に張る】
フランドルテープ
他、眠剤と抗精神病剤と認知症の薬複数

実は、現在家族内で意見が分かれておりまして、「症状が出てからでいいのでは」という私と
「医者の指示ならそれに従う」という家族の間で意見が対立しております。
こちらで教えていただいたレポートを見せて まずは家族内でも話し合いを持ち、それから担当医に家族の気持ちを伝えようと考えています

ご意見本当にありがとうございました

お礼日時:2011/08/16 09:31

お返事を読ませて頂き、他人事ながらにもほっとしております。


何よりもお父様の名誉が守られて安心しました。

認知症はかなり急な発症だったのですね。
それはご家族の皆さんが受け入れるのに大変な思いをされたでしょう。

ICUに勤めていた頃に、シンドロームを起こされて大変だった患者さんのお話なんですが、ある日突然まともになって(いつもは鎮静薬をガンガン使うんですが、その前日の夜はそれ無しでスヤスヤと眠られてたんです。普段の高いびきでは無くて)朝になって目が覚めたら、う~んと伸びをされて、そして夢を見ていた、と言われるんです。
自分は電車のホームに寝ていて、目が覚めて起きようとすると、自分をみんながよってたかって押さえつけるもんだから、放せ、放せ、ともがいていた、と。
でも、もがけばもがく程、また押さえつけられて・・・きつかったよ、と言うような内容でした。

お父様の夢は何だったのでしょうね。
その悪夢から開放され、今はどこかのパラレルワールドで、いつもの日常生活を送られているのかも?


うちの母は「他人様に迷惑を掛けるような生き方をしてはいけない」と常日頃から言ってただけに、母がもしも客観的に今の自分を見ることが出来たら、それはとても屈辱な事だろうな、と思います。
だから「ボケていない!」と言い張るのですが、自分が何をしたかったのかさえも、次から次に忘れてしまう恐怖と戦っています。
でも、そういうのもすぐに忘れてしまうんですけど・・・

壊れたくても、壊れきれない母を見るのが辛いです。
若いときには結核と戦い、そして2度の癌と戦い、また転移と戦い、そして今は認知症と戦っています。
母は戦場にいます。横井さんや小野田さんのように、孤独とも戦っています。
もしもパラレルワールドがあるのなら、全ての不安から開放され、穏やかに過ごしてくれないかな、と思う日々です。


お父様の検査は出来たんですね。
何も無くてよかったです。
お父様がこれ以上悪い夢を見ることが無いように、心から願っております。
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この回答へのお礼

Jicco12様

再度のお返事、そしてお気遣いありがとうございます

認知症の初期をある意味飛ばして、急性心筋梗塞の手術後急激に(ICUに入ったとたんに)
認知症の中期程度に一気に進行してしまった父ですので
後に神経内科の医者から
「アルツハイマー型認知症です。 もう車の運転も危ないので止めてくださいね」などと
本人が告知されても、その場ではハッとした表情に変わりはしましたが
診察室から出たとたんに、今認知症と告知された事を覚えていませんでした。
「たった今 聞いた話」をです。

自分が認知症となった現実を受けとめることが不可能な父は 
普通の人が感じるような【葛藤・絶望感・ショック・恐怖等々】も感じることはなく、
ケロっとして淡々としたものでした。

ICUシンドロームから突然「こちらの世界」へ戻ってこられた患者さんの話
わ~~~そうなんですか~~~~
「夢」として、ある程度その間の出来事を覚えてる人もいるんですねぇ
不思議なモノですねぇ


Jicco12様のお母様の病気と生活、さぞご心配の日々でしょう
お父様の負担や心労も大きいですね
「苦しまないでぽっくり逝ってくれないかな、っていつも思います」・・・と話すJicco12様の
お気持ち、お察しします

(表現方法が不適切かもしれませんが)家族の中で父へのきれいな思い出だけがあるうちに
終わりがきて欲しいと願っています。
痴呆になると「段々赤ちゃんに逆戻りする」と言われる方も居ますが
現実はそうではなく 赤ちゃん=天使というよりも
もっと残酷な姿が待っていると思うのです。
そのような姿を見て、家族もクタクタのボロボロになり父への尊厳や愛情が
いつまで続くことか・・・
そんな辛くて酷い思い出が残るよりも、まだまだ人間らしいうちに、逝って欲しいと思います。
父のためにも

そのような気持ちもあり、積極的な治療(このたびの本題であります定期的な検査入院)に
疑問をもちました
医療の力でいたずらに延命するのではなく、父の【生きる力】を信じて老後を過ごして欲しいと思います。


皆さま、色々とご意見ありがとうございました

お礼日時:2011/08/21 22:13

初めまして。


以前、循環器内科やICUとかに勤務した経験のある看護師です。と言っても、今ではかなりブランクがあって、書かれている薬の半分は何これ??って感じの浦島太郎状態の者です。

最新の医学も看護も分かりません。
でも、人を思う気持ちは変わらないと思って投稿させて頂きました。


私の母もアルツハイマー型の認知症です。
アリセプトを飲んでます。問題行動は多々あるものの、何とかヘルパーさんやご近所の方々のご協力で自宅で暮らしています。
でも84歳になる父には負担なようで、グループホームも検討している最中です。

母は20数年前に左の乳癌になり、それから8年後に右の乳癌が見つかり、それから7年後に肺への転移が見つかりました。
当時大学病院で予後は2~3年と言われ、それから8年が経過してます。
体は元気で、ボケてない!と言うのが口癖です。


正直に言います。
私がangelmaomaoさんの子供だったら、その後のカテなんて絶対に拒否します。

認知症はその症状を遅らせることは出来ても、今はまだ完治する病気ではないことは承知されていると思います。
環境が変わるだけでもパニックを起こしてしまう病気なのに、カテなんてとんでもないです。
最も、再発や狭心症の発作が悪化して、万が一の事が起こる可能性もあると言う覚悟が出来ていれば・・・ですが。


私の母は先日83歳になりました。
何にも出来ない父の為に自分が世話をしないといけないと言う思いで、ボケてない、と言って一生懸命に生きています。
かなりご近所の方にも迷惑を掛けてますが、父の為にご飯を作らなきゃ、って1日に何回も買い物に行っては、たくさん買い物をして、冷蔵庫の中が腐った食品であふれ、生ゴミの臭いがしていました。
ようやく最近はヘルパーさんと協力して(女は自分んちの冷蔵庫を他人に見られるのが恥ずかしいですから)何とか多少は捨てることもやっています。
ボケててもプライドはあります。

私が一人っ子でしかも県外に住んでいて、子供たちもまだ小さくて、なかなか頻繁に行き来できません。
だからたまに帰省すると、お金を取られるから(被害妄想)これで子供たちにご飯を食べさせなさい、ってくちゃくちゃの1万円札をポケットに入れてくれます。


薄情と思われるかもしれませんし、どういう思考回路?と変人として捉えられるかもしれませんが、だからそういう母だから、苦しまないでぽっくり逝ってくれないかな、っていつも思います。
もう今まで十分に頑張って来たんだから、これ以上の苦しみを与えたくないのです。
肺への転移が見つかったときに、既に私の覚悟は出来ていました。
(それとも完全に壊れてしまうか・・・・)

普通のまともな(語弊がありますが)人間でさえも、急性心筋梗塞で入院し、手術なり何なりとした治療をしたら、ICUシンドロームと言われるように全くの別人格が出現し、かなり暴れたり暴言を吐いたりというようなこともあります。
今、日常の穏やかな生活をされていらっしゃるだろうお父様に、果たしてそういう一連の検査が必要なのかどうか・・・?
ましてや、そういうのを目の当たりにされたangelmaomaoさんのお気持ちを考えると、それはかなりお辛いかと思います。
認知症を受け入れるだけでも大変なのに・・・・

以前(かなり前だったので差別用語になってますが)「ボケは神様が与えてくれた最後の贈り物」という文章に出会って、しみじみそうだな・・・と思ったことがあります。

戦前戦後を生き抜いて高度経済成長を支え、人生の辛酸を舐めた時代の人に、嫌な事も辛いことも全て忘れ去ってしまうことが出来る贈り物だ、と確か書いてあったような記憶があります。
周りの人は迷惑だけど、本人は台風の目みたいなものなんでしょうね。


話を戻しますが、私が循環器内科にいた時代、そういう定期的なカテはありませんでした。(退院前に確認カテというのはあったような・・・)
外来でフォローしてても、内服でコントロール出来てました。
もちろん糖尿病があったり、内服が完全でなかったり、禁煙できなかったり、等などで狭心症の発作を起こしてから入院、と言うのはありました。
その当時大学病院に勤めていたから言うんですが(大学病院の目的は1に研究・2に教育・3に治療だから、と先輩ナースから伝授されました)定期的なカテは、いろいろ考えても患者サイドのメリットよりは、症例(データ)収集の方が臭います。


2ヶ月ごとの検査はやるに越したことはないのでしょうけど、もしも検査自体が何なのか理解出来ないと、お父様にとってはただの苦痛でしかないでしょうね・・・
採血もレントゲンも心電図もじっとしていることが出来れば(ちょっとでも動くと意味がないんで)健康管理としてのフォローにもなりますが、無理そうだったら、やるだけ無駄です。
更に、カテーテル検査なんてますますパニックを引き起こすだけだと思います。
想像しただけでも私の方がパニックになります。

と言うのが、あくまでも私の個人的意見です。
ご家族とのお話し合いが一番でしょうけど、家族の意向よりもっとお父様の幸せを第一番に優先してあげて下さい。

余談ですが、うちの母の認知症に気づいたのは近所の方です。
その時には乳癌のフォローで大規模な病院に通院してたのですが、ドクターに母の症状を伝えても話が通じないんで、原点であるホームドクターに相談して、ようやく介護保険に向けて動くことができました。
癌は年寄りだから?か、大きくならなくて、今も不発弾状態です。
そういう面白くもなんともない癌は、大病院のドクターには興味が無かったようです。

ご家族でまとまらないときには、ホームドクターに相談されてみては如何でしょうか?
長々と、しかも個人話をしてしまい申し訳ありませんでした。
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この回答へのお礼

Jicco12 様
書き込みに目を留めていただき、また色々とご意見を聞かせていただきありがとうございました

本日父の2ヶ月に1度の検査日であり、ちょうど母と妹と顔をあわせる時間がありましたので
Jicco12 様のお返事を3人で読ませていただき
次から次と大病を患い現在はアルツハイマーのお母様のお話に、3人とも胸が詰まる思いになりました

・・・わたくしの勝手な想像ではありますが
最初、お母様の左の乳癌が見つかった時には、発見できたこと、そして治療が間に合った事にみなさん喜びのお気持ちだった事と思います。
しかし、次々と癌になり、辛くて苦しい治療、お金の方もハンパなくかかった事でしょう、ずっと転移や再発におびえる日々・・・
そしてアルツハイマーにも。
どうしてまぁ お母様ばかりこんな目にあうのか・・・神も仏もあるものか!と
嘆きたいお気持ちではないでしょうか

実は、現在、母と妹(両親と同居)と私の3人は、5月に父が救急車で運ばれて一命を取り留めたことを
「なんであの時助かったんだろ」という気持ちになる事がしばしばあるんです。

Jicco12様もお書きのように、まさにうちの父がICUシンドロームになってしまったんです。
心筋梗塞を起こすまでは運転もしてましたし、会話も普通にでき、一人で外出もできていました。
家族からみて「お父さん、最近だいぶ頼りなくなってきたな~認知症になってるんじゃ~」ぐらいの心配はしておりましたが
病院にかかって認知症の診断を受けたこともなく普通の生活を送っていました。

しかしカテ手術の次の日から、症状が出ました。  
点滴は抜く、尿の管も引き抜こうとする、ベッドから出ようとする
「ここは火葬場だ。 電車に乗って帰る」と言い出し、ナースの制止もきかず家族が呼び出されました。
裸足でトイレに入り、自分が着ていたモノを脱ぎ和式便器の中の水で洗濯したり。
5年ほど前に亡くなった自分の兄弟の事をわかっておらず、死んだと教えても「え?本当? 昨日ココに来たで」と話したり。
担当医からはICUシンドロームだろうから一過性だ、1週間ほどで元に戻ってくるとの説明でしたが、
今居る場所も自分の住所も手術を受けたことすらも何もわからない状態。 
まったくよくなる気配も無し。
病室で付き添ってた叔母(父の姉84歳)が父の徘徊を止めたのに対し、叔母を突き飛ばして叔母は腰を痛め
別の病院で入院となりました。   それすら数十分後には何も覚えていない父でした。

ひどい記憶障害や異常言動が手術の次の日から始まったのは、父の運命なのか、麻酔が悪かったのかわかりませんが、とにかく父は救急で運ばれた病院で2日目からおかしくなったのです。
心筋梗塞の退院後すぐに神経内科で受診したら、脳全体が萎縮し、海馬もだいぶやせた結果がでました。
アルツハイマーだといわれました。

本題に戻りますと
そんな経過もあり不必要なカテ検査をされて、また麻酔をされる、入院してまた環境が変わるそんな事が怖くて仕方ありません。
そこまでして、父の健康を保つ意味ある?
リスクの方が多いのに、検査を重視してどうなる?
高齢だし、ステント部分を診て貰ったところで、他の部分が詰まる可能性もあるし、脳梗塞だって
心配や可能性を言い出したら、キリが無い!
やっと落ち着きだした父がまたおかしくなったら、グループホームでは「看きれない」と言われ追い出されるのではないかという心配もあります。

ずっと服薬も続けていますし、現在入所してるグループホームの隣は系列の総合病院もあります。
何かあればすぐに対応していただけるそうなので、あえて「先手を打った予防のカテ検査なんて要らない!」というのが私の意見です。
本日の検査(採血・レントゲン・心電図)は 勿論異常なしでした。
今日の診察には家族4人(父母私妹)とケアマネさん(心配して付き添ってくださいました)の5人で
先生の話を聞いて、家族の意見も聞いていただきました

担当医は、やはり手術をしたそうでしたが、
結論としまして、家族で決めてもらってよいと返事をいただきました。
今までは 医者の指示通りに検査入院をした方がいいと考えていた母と妹も、今日で決断できたようです。

とりあえず、自覚症状もなく元気で、検査もクリアですので
カテの検査入院は受けないことにします!!

お礼日時:2011/08/19 21:05

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