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イマヌエル・カントの云う悟性とは何ですか?

A 回答 (5件)

イマヌエル・カントの云う悟性とは何ですか?



○誰もが本来生まれもっている正邪を別ける基準のことですね。
誰もが本来持っている基準ですが表面に出ている者もあれば厚い自我の層に埋もれている者もありということなのです。表面に出ている者は簡単に悟性といってわかるのですが、ほとんどの人は埋もれているのでわからないだけです。西洋的には代替語があまりないのですが、東洋的に言えば「仏性」のことですね。
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分析的思惟といっていますが


概念形成における意識の作用を言っているのではないでしょうか。
感性の照合に対する確定の働きを担うものなのでしょう。

五感や意識に付随する感性の働きは、半ば自動的になされるもののようです。
それによって把握されたものに対して、意識が言語的な照合をさらに感性に求めて、概念として確定する働きが悟性のように思えます。

また、五感や意識に付随する感性の働きといっても、実際にそれらは不離不足の関係にあることから
五感と意識と直観を合わせた受動的な働き全体を「感性」と呼んだほうが正確のように思います。

「悟性」にしても、単なる意識の能動性だけでは成り立たず、直観による照合を含むものだとするならば
「悟性」とは「感性」の働きをも含むものと見るべきだと思います。

以上から考察すると、繰り返しのようになりますが
「悟性」とは、概念形成における意識の作用や、その能動的な有効性の面を端的に表したもののように思います。
「分析的思惟」と表現したのは、直観における瞬間的把握や照合に対して、意識における概念形成の働きに相応の時間が伴うことを示しているのではないでしょうか。
参考にしてください。
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カント『純粋理性批判』入門 (講談社選書メチエ) [単行本(ソフトカバー)]


http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062581922

P61~以降に書いてあります。
英訳するとunderstanding=知性、です。

そもそも、知性=悟性と理性とは対立する概念です・・・・・

あまりに長くなるので、説明不可です。そもそも知性=悟性対理性の関係を徹底的に論じたものが、純粋理性批判です。一言で、こうです、と言えるものではありません。一年かかっても完全に理解しきれるものではありません。
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 はじめまして、ひどっち と申します。



 岩波文庫から出ている「純粋理性批判」読んだのは(もちろん、解説書付きでです)、もう20年以上も前ですので、若干、曖昧なところがあろうかと思われますが。概ね以下のように考えてみてください。

 よく混合しがちな“悟性”と“理性”の違いから、主にご説明したいと思います。

認識の3段階
 まず、説明の前置きとしまして、人間は“物自体”を直接知ることはできませんが、その印象(表象)を、感性・悟性・理性の3つ段階によって、世界を理解することができるようになる。との主張があります。

・感性(第一段階):心が触発され、“物自体”の表象を主観的に感受する能力

・悟性(第二段階):表象・現象として“物自体”を捉え、それを認識する能力(英語の”understanding”とお同じ意味となります)。
 なお、感性から対象を認識する方法やその内容のことを「概念」といいます。また、おそらく動物にも、この能力がある程度存在するものと考えられます。

・理性(第三段階):概念と概念を関連づけて推論し、“仮象”として捉える能力。
 ただ、悟性のみでは、それぞれの概念が統一されることはなく、概念どうしを関連づけて、思考・推論することが可能となります。この段階の認識能力を「理性」といいます。  
 つまり、ここで科学等の発展性が見られるわけです。おそらく動物には、この能力は認められないと考えられます。

 そこで、この「純粋理性“批判”」は、上記の理性の“仮像”を中心に“批判”していきます。
 また、何かございましたら、例えば読み進めていく上で疑問に思ったこと等がありましたら、以下の補足欄、もしくは新しいご質問を掲げてみてくださいませ。

 ご参考になれば、幸いでございます。
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「堪忍する」「諦める」ことだと思います。

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