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人の痛みを分からないから平気で人を傷つけるんだ、などとよく言われていますが、私は全くそうは思っていません。人が痛みで苦しむ様を楽しむような連中がたくさんいるからです。なので、人の痛みが分かるか否かなんて重要な問題ではないと思います。皆さんはどう思いますか?

A 回答 (9件)

>人が痛みで苦しむ様を楽しむような連中がたくさんいるからです。


なので、人の痛みが分かるか否かなんて重要な問題ではないと思います。

難しい質問ですね。
上記は、人の痛みを知っている人、であるからこそ、苦しめる方法を知っている人である、それを苦しめたい人にあえてするような連中、とも言い換えられますからね。
そうした自己中心的で悪魔な人というのは確かにいます。

けれど、自分がされて嫌だった事は決して、他人にはしてはいけない、
これは日本では幼稚園教育を受けたことのある人なら、誰もが教育されていることです。
人の痛みがわかるからこそ、人を傷つけない、という正常なモラルをもって育ち、心優しく成長した大人ならば、たいていの人が、自分だけが良ければ良いでは幸せになれないことを知っていますから、
>人の痛みを分からないから平気で人を傷つけるんだ、
は、よく使われる言葉なのでしょう。

たとえば、こんなこと、よくないですか?
Aさんはお金持ちのお家の子です。
Aさんは夏休みに、出来る限りの貯めたおこづかいを使って海外の別荘で、何か楽しい思い出づくりをしたい、と考えました。
それには、仲良しのBさんも絶対に一緒がいいと考え、誘いたいと思いました。

けれどBさんにはAさんのような経済的余裕がありません。
夏休みはアルバイトをして、自分の学費を少しでも親の負担を軽くするため、稼がなければいけないからです。
そうした時、Aさんが、Bさんのような立場を経験したことがない人ならば、思いのままに誘いをかけ、断られたなら、学費なんてなぜ自分で稼がなきゃならないの?とか、悪気なくBさんにとっては傷つくことを無神経に聞いてしまうかもしれません。

けれど、Bさん側の気持ちの経験ある大多数の人なら、配慮はできたり、責めて思いやりの心を持つことくらいはできますよね。
そしてAさんがどうしてもBさんとご一緒したい、でも事情があることをご両親に相談すれば、資産家のお宅ならばBさんのご家庭に負担をかけずに、子供のAさんの希望を叶えることも可能なご両親であるとか、Bさん側の経済的事情にご理解ある場合もあります。

人の立場の経験がある、ないとしても、人の心の痛みが分かる人というのは、人を無神経に傷つけない配慮も、逆にわかるからこそ傷つけることも、できますし、相手を守って解決をはかることもできますね。
けれど、人の立場の経験がない、人の心の痛みが分からない人というのは、人を故意に傷つけるということはないにせよ、悪気なくとも無神経に人を傷つけていることがあったり、傷つけていることにすら気づくこともできないこともあったり、当然、分からないから解決もはかれない ということにもなるかも知れませんね。
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 #3です、言い忘れていた部分がありました。


他人を肉体的あるいは精神的に傷つけても「我関せず」「それが?」と感じているならば、想像力が欠如しているか、精神的に未発達かの何れかのケースも考えられます。
 行動も言葉も「発せられた瞬間から一人歩きしてしまう」、本人には悪意はなくとも「他人の目」からみればどうなるか、との対象化認識ができない場合がありえます。それが病的と認められた場合には治療も必要です。
 「人の痛みを分からないから平気で人を傷つける」と批判的なスタンスをとるのは一部宗教やその政治団体に見られる言説にも見られます。「相手の視点や目線に立って………」と選挙の時に叫んでいる姿を目にすると、「自分達のスタンスが上から目線だからそんなことを口に出来る」と胡散臭さと絶望を感じることもあります。
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>人の痛みを分からないから平気で人を傷つけるんだ、などとよく言われていますが、私は全くそうは思っていません。



こちらの考え方については共感しますね。

例えて言うならば、人は“苦労人”であれば有るほど角が取れて円くなり(プラス型)人間的にも性格も穏やかになり大人としての懐の深さを持つ・・・とは限りませんから。

確かに苦労し、痛手を負い、その痛みが分かる。とした方が居られるのは確かです。そうした人はとても素直で心の澄んだ性格だと、そうした面では判断することが出来ます。

しかし、人により、全くそれが逆方向(マイナス型)に表れている場合もあります。それは生まれ育った環境なり、生い立ちなり、親の影響も大きいと思われます。

こうした事は人それぞれで一概に確定する事は難しいでしょうね。

>人の痛みが分かるか否かなんて重要な問題ではないと思います。

何をもってそうした判断をされたのかは分かりませんが、ある意味当たっていると思います。

しかし、我々、『人間』として生きて行きたい、とした『心』があります。こうした意識的境地にはなりたくないとした思いはありますよね。

血の通った温かい生き物(人間)でありたいと願いますよね。

世の中殺伐としたところが大いに有るが故に、なをの事そう有りたいと思うのかもしれないですね。
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前半は賛成です。


人を傷つけるのを思いとどまるのは「傷つけたら心が痛むだろうなあ」と思うからじゃありませんし、
暴力を思いとどまるのは「殴ったら痛いだろうなあ」と思うからじゃありません。
怒りより、「暴力をしたくない」思いの方が勝っていたり、冷静さがあったり、そこに計算があるからです。
ただ、「暴力をしたくない」「傷つけたくない」と思うのは、成長のどこかでそれが私にとっても心地よいことではないということを学んできたのかもしれません。
これはいいかえれば、心の深いところで「人の痛みが分かっている」と表現できなくもありませんね。


後半は私は比較的重要だと思います。
誰かがつらい思い(心の痛み)をしているとき、それを理解したいと思うときがあります。
そのときに、想像力を働かせ分かりたいと思うわけです。
分かるか否かは難しいところですが、分かるとすることで、相手が気持ちの整頓をする助けになったり、私自身の思いが深まったりすることがあります。
それは、無駄なことではないと思っています。
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>人の痛みを分からないから平気で人を傷つけるんだ、などとよく言われていますが、私は全くそうは思っていません。

人が痛みで苦しむ様を楽しむような連中がたくさんいるからです

人が他人を傷つける、それだけをしたいためにそれをする下劣な人間が沢山居る、と仰るるのですね。沢山という部分はいろいろ解釈できますが、確かにそういった異常人格を持った人間の存在は否定できません。というよりも、時と場所に応じて普通の人間がそういった異常な精神状態になることが言われます。このほうがずっと深刻で重要な問題だと私は思っていますが。

>なので、人の痛みが分かるか否かなんて重要な問題ではないと思います

前記の問題に関しては、手がつけられない、と言う意味では確かにそうも言えるかと思います。
しかし、

>人の痛みが分かるか否か

ということは、もっと根本的な人間性に関わる重要な問題だと私は思っています。
人の痛みを自分のことのように感じる、ということは、人間の持つ、人間以外にはなしえない知的な(想像)能力なのです。しかし、これをもたない人間は一人前の人間ではない、動物に近い半端ものだと私は思っています。
普通の人間なら、この能力は人格として絶対身につけねばならないことなのです。
これだけは理解していただきたいと思います。

暴力のない世界平和がここから実現するのです。
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 個人的にはまったくNo1、2さんと同意ですが無意識の構造であるというポイントと愛情的表現の一つであると考えて良いでしょう。

例えば3人掛りで一人をナジるという行為では明らかに情けない行為です。なのになぜ情けないと感じないのかと言えば正当化して無意識に押し殺していると考えられます。『情けない』と感じたり『最低』と感じるのは性(さが)です。このさがは否応なしに沸いてくる筈ですから、それを押し殺すわけです。押し殺すことによって物理的に必ず負かす方法で望むわけです。そうすることにおいて『何か』の(例えば『恥ずかしい』とか『異質』etc)負もしくは不の感覚をかき消す効果を求めるわけです。またそういう人はまともな友達は居ないでしょうから友情表現の一つともいえると思います。

 
 >人の痛みが分かるか否かなんて重要な問題ではないと思います

 確かにその通りです。
『中には相手の痛みが直に理解出来ない人が居る』という見方でいいかと思います。


 http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_ar …

 ここにも書かれていますがこの手のタイプは感情が破滅している事にお気づきになられると思います。こうなってしまったらもうお終いです。こうならないように生きましょう。
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 抑止力には二つの種類がある。

一つは法による「罪と罰」の適用、もう一つは法の根底に流れる「哲学」の判断。
審判の場で下される判断は法に基づき、法の運用は裁判に携わる人間の見識に委ねられる。
 もし君が「法など必要ない」と漫画のキャラクターそのもの同様に力で相手をねじ伏せ続けた時には君が法によって裁かれる立場にならないとも限らない。先ずは愚かで幼稚な思考の持ち主から理性的な常識ある大人になることだ。そうすればこの様な愚問は成り立たないこともわかる。
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同意します。


自分の力を誇示するタイプは、相手にダメージがあるのを見る事で「俺の攻撃が効いている」と自己満足します。
また、相手に攻撃をする事で自分の鬱憤を晴らす癖があります。

この手のタイプは決まって自分より力の弱い者や抵抗出来ない人をターゲットにします。

心理的には、力でねじ伏せる事によって対象者より自分の方が上という単純な思考からくるものかと思います。

また、力でねじ伏せる事により常に自分が優位に立てると思い込んでいるのもこのタイプです。

こういった思考の持ち主は総じて自分が痛い目に遭うまで直る事は無く、痛い目にあった時の凹み方が半端無い結果になり凋落します。
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>人が痛みで苦しむ様を楽しむような連中



どれだけ苦しいかわからないから楽しんじゃってるんじゃないですか?
自分がどれだけ痛いか、苦しいか確かめてからやる人、ほとんどいないですよね?

「同じ思いをさせてやる」的な復讐の類はまた別でしょうが。。。
また、DVを子供が大人になって、自分の子供にDVする傾向にあるのも別。
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