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私は高2ですが、死後の世界があるという方々のその理由が納得出来ません。
神がこの世界をお作りになったや、天国はあるなど言う方々は、いったい何を根拠にそんなことを言っているのですか?
私には死後の世界があるかないかは分かりませんが、それはこの世の生きている人が全員そうなはずです。なぜなら、まだ死んだことがないからです。自分が実際に行ったことがないのに、死後の世界はあってこれからも私たちは「無」にならずに存在するという方々は、要するに自分が「無」になりたくないからそんな話を信じ込んでいるだけじゃないんですか?「無」になる恐怖から、宗教などが存在しているだけのように私は思います。
実際に、聖書や聖典を読んでみると、ありえない話や矛盾で満ちています。人間が作り出した自己満足のように思えるのです。
皆さんは、私の考え方をどう思いますか?
出来れば死後の世界の存在について私に納得のいく説明をしていただきたいです。

※言いたいことばかり言ってすみません。
信じている方々を否定しているのではなく、あくまで私だけの考え方です。気を悪くさせてしまったかも知れません。

A 回答 (19件中1~10件)

死後の世界はありません。


なぜなら、生まれてくる前を考えれば分かることです。
死後も生前も、この世に存在していないということになります。
死後の世界が存在するというのであれば、
生前(生まれる前)の世界もあるはずです。

アナタは生まれる前にどこかの世界にいましたか?
いませんよね。
だから死後には、なんの世界もありません。
「無」だけです。

と、ここまでは物理の世界ですね。
哲学や宗教上では、存在するんでしょうね。
要は、本当に死後の世界があるのではなくて、
「死後の世界が存在すると信じること」に意味があるんだと思います。
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この回答へのお礼

信じるとは簡単なことなのでしょうか。。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 07:12

誰もあの世から帰って来た人はたぶんこの世の何処にも存在しないでしょう。


では誰が最初に嘘っぱちを言い始めたのでしょう。

神や仏が存在すると堂々と言ってる人も見た事も触れた事もないでしょう。
霊魂を見たとかという人もテレビに出てますし、あの世と通信して亡くなった人の言葉を伝える人も居ますね。

では質問者さんが言ってる通りだとしたら神や仏や霊の事を語る人は全員大ウソつきと言う事になります。

私は質問者さんが言ってる事は当然のことだと思います。
ですがその半面、あの世の事も神や仏の存在も否定しない事にしています。
質問者さんは神社やお寺に行って手を合わせて拝んだ事はありませんか・
神や仏を信じないと普段言ってる人も正月には神社に行って手を合わせてますね。
神や仏が居ないと思えばそんな処に行っても手を合わせる必要はありません。

神や仏の存在も立証できませんが神や仏が居ないあの世は無いという事も立証出来ないからです。
若い頃は質問者さんとまるっきり同じ考えをしてましたが歳を取るにつれ神も仏も信じるようになりました。

人それぞれですから神や仏が居ないと思ったまま一生を過ごして亡くなるのも良いでしょう。
神や仏をうやまいながら一生を過ごすのもまたその人の生き方ですからそれも良いでしょう。

ただ言える事は自分に見えない物や触れない物をすべて否定してはならないと思います。
空気も見えないけどありますし、電気も見えないけどあります。

私は若い頃に「人は一生の間に一度は神や仏に近づく機会がある」と聞きました。
その頃は自分は絶対に宗教的な物には関わる事は無いと思っていました。
今も特定の宗教には加盟してませんが神や仏の存在は信じてますし、うやまって生活しています。

質問者さんもその内に私と同じに変わる事もあるでしょう。
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この回答へのお礼

はい、大うそつきだと思ってきました。
しかし、年をとれば変わるのかも知れませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 07:14

> 死後の世界の確信はどこからくるのか


それは「信仰」から来る。

> いったい何を根拠にそんなことを言っているのですか?
根拠は、聖書に代表される、様々な宗教的な「教え」。

> 実際に、聖書や聖典を読んでみると、ありえない話や矛盾で満ちています。
あなたは「ありえない」「矛盾」だと疑った。
死後の世界があるという方々は信じた。
それだけの違いです。

> 自分が「無」になりたくないから
「自分」とは限らないでしょう。
とはいえ
> そんな話を信じ込んでいるだけじゃないんですか?
その通りです。だから「信仰」です。

> 私に納得のいく説明をしていただきたいです。
信仰は理屈ではありません。

おそらくあなたは信仰というものを
うまく理解していないだと思います。

> 自分が「無」になりたくないから
自分のことで考えない方が
まだ分かりやすいのではないかと思います。

例えば、あなたには
自分以外の大切な人がいますか?
失いたくない人がいますか?
(恋人でもいい、友達でもいい、親兄弟でもいい。)
(まだ子供はいないと思うけど、子供が一番わかりやすい。)
その「大切な人」が無くなったときの「喪失感」が想像できますか?

ある人たちは、大切な人が無くなったということが受け入れられない。
だから、どこか他の場所、例えば死後の世界にいるのだと信じる。
それは、あなたにとって納得のいかないことですか?
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この回答へのお礼

私には実証されていないことを信じられることが分からなかったのです。
信仰を、理解できる日がくるでしょうか。。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 07:16

○確信はどこから来るのか?



人間は必ず死にます。
有限の存在です。
だから、国家を造り、子孫を造ろうとします。
永遠なるものに憧れているのです。
そうい下地に宗教がつけ込んでいるのです。

1,信仰。
  鰯の頭も信心から。
  ムスリムで自爆テロをやっている人は
  爆死すれば、天国で六人の乙女に囲まれて
  ウハウハ生活が出来る、と信じている、
  らしいのです。
  人間は、信じれば何でもありなんでしょうね。

2,臨死体験。
  死んだ人はいませんが、死にかかった人は沢山いて
  あの世らしい体験をします。
  その体験談が広まったのではないでしょうか。

3,手品、いや奇跡。
  キリストは種々の手品、いや奇跡を起こしたことで
  有名です。
  アラハラショコさんは、空中浮揚が出来ると称して
  美人信者を沢山集めました。

ちなみに、宗教を信じていると10年ほど長生きする
そうです。
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この回答へのお礼

宗教を信じれば10年も長生きするんですか。すごい力ですね。
しかし空中浮揚というのは、絶対に信じません。いくつかの種を知っていますので。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 07:42

私は死後の世界を信じるね。


ただし生きてる今の意識のままあの世にいくわけではありません。
意識とか記憶がばらばらに解体され浄化されいくべきところにいくのです。
人知というのはこの世界の極々ほんの一部を解明(パターン認識)したに過ぎません。
死んだら無と絶望することはありません。
何も分からないということは何かある可能性もあるのです。
死後については何も分かっていないのです。
臨死体験は脳の化学変化だと思います。
その先に死後の世界があると思います。
といっても納得できる回答にはなりませんが。
私はなんとなく感じる。
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この回答へのお礼

なんとなく感じる…
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 07:42

確信はありません。

盲信があるだけです。
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この回答へのお礼

あなたは信じているのでしょうか?
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 07:44

こんにちは。



死後の世界は存在しないというdjpjdjpjdさんの意見は正しい見解です。
しかし、何故世界には死後の世界という共通した通念が見られるのでしょうか。

人間にはいつまでも若く、そして永遠に生きていたいという欲望がおおよそ備わっています。
ですが残念な事に人間にはその活動限界があり、必ず死んでしまうのです。
この矛盾を人間の通念上において解決する為に、宗教乃至は死後の世界が作られたのではないか、と私は考えています。

「逃げたいけれども逃げられない」という現実があるけれども、これは受け入れられない。だけれども「次の世界に逃げられるんだよ」という考え方が合理化でつくられた時、それが世界中の人に受け入れられ、それが今日まで継続されてきたのです。
死後の世界における私の考え方は以上のようなものです。

それでは、人間社会での通念上、この宗教・死後の世界という考え方は不要なのでしょうか? 
私は個人的には必要であると思います。
人間は極限状態になると、理性による哲理的理解よりも、本能による無根拠な信仰を優先します。

この問題を掘り下げて考えたいのであれば、次のポーランドのテレビドラマ「デカローグ」の第一話が参考になります。
物理(哲理的理解)と宗教(信仰)どちらが大事か? 

デカローグ-DVD-BOX-5枚組-クシシュトフ・キェシロフスキ
http://www.amazon.co.jp/dp/B0009OA5IE
こんなん誰も見ないんだからもっと安くしろ! って思うんですが、なんでこんなに高いんでしょうかね。

学校の図書館や、お住まいの地区の図書館で注文できましたら、頼んでみて下さい。
またはWOWOWやCSで放映するかもしれません。
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この回答へのお礼

分かりやすい説明でした。
またDVDを見てみたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 07:46

それなら無になるという根拠を示せますか?


霊感のある人は客観的な証明はできませんが生きながらあの世を感じているのですよ。

どちらが分が悪いでしょう?
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この回答へのお礼

霊感があるというのは、科学的にみて、脳の働きが作用してそういうものが見えるように感じてしまっているだけだと研究で発表されています。
だから私は、信じていません。
霊感があるという人は、人より敏感な脳をお持ちの方だと考えています。

最後に、私には無になる根拠など示せません。しかし、人々は有であり続ける根拠も示せませんよね。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 21:13

言われたくないだろうと思いますが一応言っておきます。


高2病ですね。私も罹りました。


さて、本文への回答は至極単純なものになります。
「あなたは“いったい何を根拠にそんなことを言っているのですか?”」です。
神が世界をおつくりになってない、天国はない、聖書の内容はありえない…その根拠は?
さらに、うっかりなのか、死後が「無」であるという自分の考えをあなたは晒している。さあ、死後が「無」である根拠は?
ということになるので、あなたの意見には価値があるがその問いには意味がないということです。


まあ、長々語ったところで、宗教ってのは「根拠とかよりまず信じるもの」なので、信仰していないひとに「納得のいく説明」ってのは理論上無理なんですけどね。


最後に念のため。
私も死後の世界とか神様系のことは基本的に信じてません。信じている人を無根拠に否定する理由も特にないしまあいいかと思っているだけです。
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この回答へのお礼

高2病、とは初めて聞きました。中2病は知っていますが。しかし、確かに私は高2病かも知れません。全てに対して、疑問を持ってしまいます。
まず信じること。私には出来そうにないですが、そうやって人が幸せに生きられるなら、それはそれでいいのかもしれません。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 21:18

当然そう言う疑問は出てきます。




死後の世界を人が信じるようになったのは、大切な人を亡くしたときのメンタルケアが目的かもしれません。

失った命の悲しみも、天国で見守ってくれると思えば多少はその悲しみは和らぐでしょう。そういった自己の精神的傷を癒す事情本能が、今もなお「死後の世界」というものを本気で信じるかどうかは別にしても、それを題材にした涙を呼ぶような映画などが共感を得ています(『黄泉がえり』や『シックスセンス』など)




それは置いといて、科学的な根拠はないのは事実です。
信じるに値しないと言えばその通りです。



ただもう一歩慎重な見方をすると、その「科学的根拠」という事も100%正しいとは限りません。現在の科学で証明されている事は「正しい」とされていますが、科学の進歩によってその科学的根拠が誤りだったという事例は数多くあります。



死後の世界を見た人は、この世にはいません。しかし、死んだ後、死後の世界を見なかった人も、この世にはいません。死後の世界は、あるのかないかという事すら分からないという事です。



逆に問います。「何を根拠に死後の世界は無いと言っているのですか?」
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この回答へのお礼

>何を根拠に死後の世界は無いと言っているのですか?
人は死んだら、ものを認識し考えることのできる脳を失うからです。肉体なくして何を感じられるでしょうか?私には分かりません。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 21:22

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