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轍をネットで調べてみたら
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/238298/m0u/
との事だったのですが
コブクロの「轍」や
サザンの「希望の轍」など
轍と言う言葉が良い意味で使われていますが
これらも
「車の通ったあとに残る車輪の跡。」
と言う意味なのでしょうか?

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A 回答 (8件)

未舗装の道はさんざん走りましたが、実際に走る場合は轍になったところをトレースすることが多いです。

轍の部分はよく踏まれて固まっているからです。
しかし何も考えずにただ轍を追っていたら、前車と同じ間違った方向、間違った道をたどってしまうかもしれません。

つまり前に行った車が正しい方向へ行っている場合は心強い道案内であるし、間違ったり失敗している場合には同じあやまちの道ということになるわけです。ことわざの「轍を踏まず」は、この後の方の意味ですね。
ここで言っている轍とはそれ自体が好い存在とか悪い存在とかそういうことは言っていません。単に車の走った「跡」を言ってるだけなのです。

轍ではなくて山などで踏み跡のある場合も同じ様なことが言えます。正規の道ではない入ってはいけない踏み跡には枝を斜めに掛けて「止め」の目印にするという山仕事の決まりもあります。

コブクロも桑田も「足跡」とほぼ同じ意味で使っているようですね。
コブクロの場合は誰かが通った痕跡という意味で使われていますが、桑田佳祐の場合は自分のしるしてきた足跡というか、思い出というか、その先に今新たに自分が轍をつけ続けているという自負・確認のようなものではないでしょうか。「自分の足跡」と言うとあまりに人生を象徴しすぎて印象が重いので「轍」とスピード感を付けたのではないでしょうか。車に乗っての思い出が多いから「足跡」の代わりに「轍」を使わなければいけなかったとも言えるかも。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/01/09 13:38

辞書の立場で言えば「どちらの意味にも使える」となるでしょうが、実際には悪い意味で使うことが多いと思います。

道路舗装が十分でなかった時代を考えれは、前の車のあとにそのまま乗り入れるのは、一般に危ないことだったでしょう。
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この回答へのお礼

そうですか。ありがとうございました。

お礼日時:2012/01/08 23:21

轍という言葉自体には、特に悪い意味はありません。


「前車の(覆)轍を踏む」という言葉は、ひっくり返った車の後追いをするから
いけないのであって、ちゃんと目的地に着いた車の轍を辿るのであれば、
目的地に着くためにむしろ良いことなのではないでしょうか。
例えば、古代ローマの石造の道にも深い轍の跡が残っています。
これは、車輪と車輪の間隔が同じローマの馬車であれば、轍の中に車輪が入って
スムーズに走ることができたからです。
また、「わだち」には軌という字もあり、轍と並べた「軌轍」という熟語には、
「通った車の車輪の跡」という意味の他にも、「手本とするべき昔の人の行い」
という意味や、「法則」という意味などもあります。

どちらの歌も知らないので、歌の中での意味はお答えできませんが、轍というものは
「通った後にできるもの」ですので、そこから連想したものかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/01/08 09:13

「前車の(てつ)轍を踏む」とか、「ぜんてつをふむ」で検索してください。



間違いを繰り返すという意味でたくさん出てきます。

轍は広辞苑でも車の通った後の車輪の後の写真がわざわざ出ます。

轍はよい道にはつかないだろうと思います。
ぬかるんだ道につくものだから良い意味には使いにくいと思ます。
言葉だけで意味は考えてえいないのではないのでしょうか。
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この回答へのお礼

調べてみます。ありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2012/01/07 21:49

現代漢語例解辞典(第二版、小学館)によれば、



轍=車+徹(つきぬける)
轍環天下→テツ テンカをめぐる=車に乗って天下をくまなくめぐる

の説明があるところから、「轍」が男の名前として使われても違和感はないですね。

貴方もチットは漢和辞典で調べてみたら?
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この回答へのお礼

調べてみます。ありがとうございました。

お礼日時:2012/01/07 18:34

「広辞苑(第六版)」には、質問文のURLの説明以外に、



>【転じて、通過する車の輪】

という解説も有りました。
先の回答にも書かれてますが、「要するに想像力」なんですね。

「車の輪」とは、あくまでも比喩的表現。
「大きく回る、自分のイメージ(想像力)」。
或いは「次々と思いを巡らす想像や記憶の世界」を、「車」とか「輪」と言った言葉に置き換えているのでは?、とも思えるのです。
「走馬灯(そうまとう)」では、季語的に「夏」に限定されてしまいます。
「轍」の場合は、季節の制限は有りません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/01/07 18:34

 車なら「轍」、船なら「航跡」人なら、「足跡」(あしあと、そくせき)になるでしょう。

使い方次第ですね。「犯人の逃亡車両の轍」なら悪い言意味になります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/01/07 18:33

tk42です。



 唄(歌)や詩などは、独特の言い回しや比喩があると思います。言葉の持っている本来の意味と違う場合もあると思います。そして、作詩した人や歌っている人が思っている。事以上に、聞いている人が想像力で感動している場合もあると思いますよ。

 自分の人生を車が通った・・・自分で未来を切り開こうの意味? みたいに 道=人生 車=他人 かなぁ~


P.S今年は良い年にしていきたいと思っています。お互いに助け合って良い年にしていきましょう。
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この回答へのお礼

道 と思えば、意味がわかりました!
こちらこそよろしくお願い致します。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/01/07 18:33

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Q『更迭』と『罷免』の意味

皆様、こんにちは。

最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。(他にも『解任』などもあったりして)

どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。
gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。
『更迭』は他の人に変える事とでてきます。
だとしたら、『更迭』の用法としては『○○を△△に更迭する』という形となると思うのですが、新聞やTVなどメディアでは『○○を更迭』と使っている気がします。
これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか?

なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

罷免--免職と同じで、辞めさせる事. **を罷免する。はやくいえば首
解任---任を解く  課長の任、地位を解く。**さんを解任するはその人の任(地位)を解くで、**さんを辞めさせるという事ではない。結果的には首もあるでしょう.
更迭---人を変える。**を更迭する。--に***を更迭でもいいし、**を更迭するでも、どこへ行こうが更迭をされる事実がわかれば、いいのだから、**を更迭でもかまわいと思います.地位を下げられる人もあり.

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Qパーセントの計算がまったく出来ません…

本当にお恥ずかしいのですが、パーセントの計算方法を教えて下さい。

お店のバーゲンセールなどでよく「50%オフ」「45%オフ」といった表示を見ます。50%は半分ということは「感覚」でわかるので、定価が2000円ならその50%オフは1000円ですし、1500円なら750円と計算が出来ます。
ですが、たとえば75%オフだとか、44%オフだとか、80%オフだとか、そういう中途半端(?)な数の場合、さっぱりわからないのです。テレビなんかでバーゲンセールを取材している様子を見るとリポーターの女性なんかが「定価が○○円で、65%オフ!?ということは○○円ですね!?」などとパッと暗算で計算しているのを見るととても驚きます。

暗算とまではいかなくても計算機(ケータイにもその機能はありますし)があればいいので、どういう計算式でその%オフされた数字を出すのか教えて下さい。

また、今のバイト先で、商品の売り上げ目標というのを作るのですが、先輩たちのミーティングを見ていると「目標○○万円でしたが、××円しか売り上げがなく、△△%の達成率となってしまいました」と報告をしているのですが、この場合もどのような計算式で計算しているのでしょうか?

消費税を出す場合につきましても教えて頂きたいのですが、今現在の税率は5%で、その計算をする場合は「定価×1.05」で出ますよね。なぜ、1.05をかけるのかわからないのです。

本当にお恥ずかしいのですが、どうか教えてください。まったくわからないので、出来る限り丁寧で細かい説明をして頂けると本当に助かります。よろしくお願いいたします。

本当にお恥ずかしいのですが、パーセントの計算方法を教えて下さい。

お店のバーゲンセールなどでよく「50%オフ」「45%オフ」といった表示を見ます。50%は半分ということは「感覚」でわかるので、定価が2000円ならその50%オフは1000円ですし、1500円なら750円と計算が出来ます。
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Aベストアンサー

丁寧で細かい説明が希望とのことなので、ちょっと長くなりますが書いてみます。
数学的には無駄の多い説明ですが、分かりやすく説明したつもりですので読んでみてください。

1000円の50%は500円、30%は300円であることは分かりますね?
これは以下計算をしていることになります。
 1000×(50÷100)=500
 1000×(30÷100)=300
●%ってのは●÷100のことです。
で、▲円の●%を求める場合、▲×(●÷100)で計算します。

次、1000円の30%オフって場合ですが、「オフ」=値引きです。
つまり、1000円の30%分を値引きします、ということですよね。
だから、元の値段1000円から1000円の30%分である300円を引いた
残りである700円が答えです。
でもそれを計算するのは面倒なので、ちょっとテクニックがあります。
30%オフということは、元の値段の70%分を求めればよいと考えます。
つまり、1000円の70%なので700円、となります。
ここまではいいですか?

次、達成率の計算ですが、、
目標100万円に対して売り上げも100万円だったら達成率は100%なのは
感覚的に分かりますよね?
つまり、達成率=(実際の値÷目標値)です。
%で表現する場合はこれに100を掛けます。(●%=●÷100だから)
たとえば目標50万円で売り上げ35万であれば35÷50×100なので70%になります。

最後、消費税。前述のオフとは逆で、消費税5%分を上乗せする、と考えます。
つまり、税抜き●円であれば、●円と●円の5%を足した金額が税込み金額です。
式にすると●+(●×5÷100)です。
これが基本ですが、先程のオフの計算のテクニックと同じ考え方が適用できます。
5%上乗せした額ってことは、元の値段の105%分を求めればよいと考えます。
ですから●×(105÷100)です。
ここで出てくる(105÷100)は1.05ですよね。
つまり、元の値段●に1.05を掛ければよいのです。

おまけ。暗算を早くするためのテクニック初級編として3つだけ書いておきます。
1.計算式に掛け算と割り算しかない場合、もしくは足し算と引き算しかない場合、
  順番を無視しても答えは一緒です。
  上の例でいくと35÷50×100は35×100÷50でも答えは一緒です。
  で、100÷50を先に計算して、それに35を掛けます。
  これならすぐに暗算できますね。

2.割り算の場合、前後の数字に同じ値を掛け算しても答えは一緒です。
  たとえば35÷50であれば、前後に2を掛けて(35×2)÷(50×2)でも
  答えは一緒です。
  35÷50の暗算は一瞬悩むけど、70÷100なら簡単ですよね。

3.掛け算の場合、前後の数字を分解して細かく掛け算しても答えは一緒です。
  たとえば25×32を計算する場合、32は4×8なので25×4×8を計算しても
  答えは一緒です。
  25×4は100、100×8で800ということで25×32=800です。
  これなら暗算できそうですよね。

丁寧で細かい説明が希望とのことなので、ちょっと長くなりますが書いてみます。
数学的には無駄の多い説明ですが、分かりやすく説明したつもりですので読んでみてください。

1000円の50%は500円、30%は300円であることは分かりますね?
これは以下計算をしていることになります。
 1000×(50÷100)=500
 1000×(30÷100)=300
●%ってのは●÷100のことです。
で、▲円の●%を求める場合、▲×(●÷100)で計算します。

次、1000円の30%オフって場...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q「あくまで」「あくまでも」の意味

「あくまで(飽くまで)」「あくまでも」という副詞の意味ですが、辞書をひくと「物事を最後までやりとおすさま・徹底的に」とあります。例文も「あくまでもがんばる、あくまでも主張を貫く」などとあります。

しかし、よく話の中で「あくまでも個人的な考えですが・・・」「あくまでも噂です」「あくまで一例です」「あくまでの話しです」などという風に使われます。このような文章中では「徹底的に」という意味ではないと思うのですが、どうなのでしょうか。

Aベストアンサー

あくまでも、という意味の「徹底的に」という所から転じて、「完全に」とか「中途半端ではなく(どこまでも)」という様な意味合いも持っています。


「あくまでも個人的な」
完全に個人的な

「あくまでも噂です」
=「あくまでも噂[に過ぎません]」
完全に噂に過ぎません

「あくまで一例です」
=あくまで一例[に過ぎません]」
完全に一例にすぎません

「あくまでの話です」
・・・すみません、この用法は聞いた事がありません。

Q「仕舞う」という漢字表記について

「仕舞う」という漢字について、質問があります。

「しまう」は「終う」と「仕舞う」と2つの表記がありますが、なぜ「仕舞う」とい
う漢字表記なのか、何かもともと別の意味があるのか、を教えていただきたいのです。

「仕舞」という能楽用語があるようですが、それと何か関係があるのでしょうか。
「終う」と「仕舞う」2つの表記の使い分けなども、教えていただければ幸いです。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「しまう」には「了う」という表記もあります。
「仕舞う」だけは常用漢字表の音訓で書き表せますが、「了う」「終う」は表外音訓になります。
公用文や新聞では仮名書きの「しまう」を使うことになっています。

いくつかの辞書を見た限りでは、「しまう・しまい」の見出しの漢字はまちまちで、使い分けには触れていません。
また、能楽の「仕舞」との関連などに触れた辞書も見当たりません。能楽の「仕舞」を見出しに立てている辞書も、「しまう・しまい」との関連は全く触れていません。

ということで、「しまう・しまい」を「仕舞う・仕舞い」と書くのは、おそらく当て字であろうと思われます。

『広辞苑』
 |し‐ま・う【仕舞う・了う・終う】
 |し‐まい【仕舞】 …終りの
 |し‐まい【仕舞】 …能楽の
 |終 〔漢音〕シュウ 〔訓〕おわる・おえる・ついに
 |了 〔呉音〕〔漢音〕リョウ 〔訓〕おわる・しまう・さとる
『大辞林』
 |しま・う【仕舞う/▽終う/▽了う/▽蔵う】
 |しまい【仕舞(い)/▽終い】 …終りの
 |しまい【仕舞】 …能楽の
『大辞泉』
 |し‐ま・う【仕舞う・▽終う・▽了う】
 |し‐まい【仕舞(い)・▽終い・▽了い】 …終りの
『明鏡』
 |し‐ま・う【仕舞う・▽終う・▽了う】
 |し‐まい【仕舞う・▽終う・▽了う】 …終りの
 |し‐まい【仕舞】 …能楽の
『新明解』
 |しまう【《終う】(「仕舞う」とも書く)
 |しまい【仕舞(い)】 …終りの
 |しまい【仕舞】 …能楽の
『岩波』
 |しま‐う【仕舞う】
 |しまい【仕舞(い)】 …終りの
------------------------------------------

堀井令以知編『日常語の意味変化辞典』(東京堂出版)には、
 | しまう 仕舞う
 | 終りにする。片付ける。シはスル(為る)の連用形で「仕」は当て字。
とあります。

室町時代には「成し遂げる」の意味で使用。「終りにする」の意味は江戸時代からの用法。さらには「入れ収める」「片付ける」「殺して始末をつける」の意味も。補助動詞としての「シマウ」は江戸時代からで、「~し終える」の意味や強調としても用いられたとのことです。

能楽の「仕舞」は、これらの「しまう・しまい」とは意味のつながりが全くありません。たんなる憶測ですが、音が同じ「仕舞」の表記を借りて「しまい」に当てたのかもしれません。

「しまう」には「了う」という表記もあります。
「仕舞う」だけは常用漢字表の音訓で書き表せますが、「了う」「終う」は表外音訓になります。
公用文や新聞では仮名書きの「しまう」を使うことになっています。

いくつかの辞書を見た限りでは、「しまう・しまい」の見出しの漢字はまちまちで、使い分けには触れていません。
また、能楽の「仕舞」との関連などに触れた辞書も見当たりません。能楽の「仕舞」を見出しに立てている辞書も、「しまう・しまい」との関連は全く触れていません。

ということで...続きを読む

Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です)

Qアンチョビとは何ですか?

イタリアン料理で
よくアンチョンビを使われますが
これは何でしょうか?
どんな味がするのですか?
スーパーで売っているのですか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ちなみにこんな感じです。

http://www.kenko.com/product/item/itm_6511879072.html

参考URL:http://www.kenko.com/product/item/itm_6511879072.html

Qケセラセラの意味を教えてください。

ケセラセラの意味(ニュアンス)を教えてください。
日本語の歌詞では、「なるようになる、先のことなど解らない」と歌っていますが、原語では「自分が信じるようになっていくんだ」となっているという人がいます。
原語(何語か知らないけれど)の歌詞を知っている方、原語の訳を知っている方教えてください。

Aベストアンサー

私の勝手な解釈を書かせていただきたいと思います。。。

時間の流れ、物事の変化というのは定まっているもので、
過去、現在がこうであるから、未来がこうなる、と予測することは不可能だということだと思います。
未来に起こるさまざまな事象は大小の違いはあれ、予測とは異なってるものだと思うのです。

そのような、なるようになるという世界だから、
自分の意思こそが物事に意味を与えるものなのであり、
どうせ定まっていて変えられないものなら、
自分の信念こそが、自分の世界における時間であり物事だったりすると言えると思います。

過去や現在に憂慮してその気持ちばかりにとらわれていたら、
その気持ちでしか世界が見えない。
だから過ぎたことも先のこともくよくよ考えないで、
おおらかに構えてほんのり前向きな気持ちであれば、
そう信じたように世界は見えてくる。なっていく。

というようなかんじではないでしょうか?
うまく言えませんでしたけれども、いい言葉だなぁと思いました。
かなり生きるヒントですよね!

Q王道の意味は?

「学問に王道なし」ということわざがあります。
学問の道を追究するには、安易な方法や楽な道はなく、地道な努力が必要であるという意味だと理解しています。
この事から、「王道」とは、安易な方法とか近道という意味だと思っていました。
しかし、最近、「素材を生かし、かつ熟練された技術で作り上げられた、○○の料理こそ、フランス料理の王道だ。」などという使われ方をよく耳にします。
この場合の、「王道」の意味はニュアンスからは、「正当なもの」、「神髄」、「真っ当な方法」といった意味に聞こえます。
私の所有している「広辞苑」には「王道」という項目は記載されていませんでした。
「王道」の本来の意味を知りたく、お尋ねします。
ご回答をよろしくお願いします。

Aベストアンサー

この質問は面白いですね。勉強になります。

「王道 学問 安易」でGoogleの検索にかけると、「王道」の辞書上の意味と、実際によく使われている意味とのずれを不思議がっているページがたくさん見つかりました。

たしかに、「王道」は辞書上、「安易な方法」「近道」の意味ですが、実際は「正攻法」とか「定石」「基本」の意味でよく使われているようです。

いままさに、私たちは意味が変化している語をまのあたりにしているのでしょう。「もと誤用」など注釈つきで辞書に載るのも近いかもしれません。


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