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「必ずしも」を辞書で調べてみると、用例として(辞書ごとに文章の内容は様々ですが)
二つのパターンが見られます。

1.必ずしも成功するとは限らない(言えない)
 必ずしも幸福であるとは限らない
2.必ずしも成功しない
 必ずしも幸福ではない

どちらが正しいのでしょうか?
私の周囲数人に聞いたところ半数が2に違和感を感じるようです。

「しも」をしらべると、前に来る語の強調とあるので
必ず・しも→なにがなんでも絶対に、必ず
必ずしも成功しない→絶対に、何が何でも、どうあっても成功しない
という意味にとることも出来そうです。

とすると、本来の用法としては「限らない」「言えない」が付いていたものが
省略され定着したと考えてよいのでしょうか?

ただ「しも」の項には、「必ず」について部分否定の意味・・・・とも書かれているので
「必ずしも」の場合だけ元々ただの強調でない使われ方がされていたのかもしれません。

ずっともやもやしています。
皆様のお知恵ですっきりさせて下さい。よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

#6です。



>私の周囲でもこちらでも「とは限らない」に異を唱える人はいません。
>つまり誤解が少ない、よりわかり易いと言うことですね。

この場合のような「呼応の副詞」の用法は、その側面からは「陳述の副詞」とも呼ばれています。それは、、「必ずしも…とは限らない」「必ずしも…わけではない」など「必ずしも…<と・は>~ない」といったような、限られた用法での陳述の仕方を指定するからです。

言い換えれば、このような「必ずしも…」には、話し手の心的態度を表す「~わけではない」「~限らない」といった言葉との「呼応」が欠かせないということです。これは一般に「モダリティ」「ムード1」「法」「対事柄ムード」などと称されるような構文上の明解性に関わるものです。

この点がおざなりになると当然「呼応」の構造がボケだし、情態や程度の副詞レベルに戻る、もっと言えば相手に伝える内容が<ブレ>出し、その指す意味の<崩れ>が発生し始めることについては、近頃の「全然」などが好い例ではないでしょうか。

ここで「必ずしも」など他の「呼応の副詞」においても、実は<ゆれ>が生じ始めているということは、いささか驚きながらも興味深いことだと思っております。
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先に、



>でも実は「必ずしも幸福ではない」の方には
>あまり違和感を感じていないのです。

に回答します。

>「必ずしも徳有らず」を口語で「必ずしも徳がない」と言った場合
>私のように違和感を感じるものが少なからずいたため

で、「必ずしも徳はない」とすると、
「必ずしも幸福ではない」ほどでなくても、
違和感減りませんか?
あるいは、「必ずしも幸福でない」にすると、
違和感増えませんか?
それとも、「必ずしも成功はしない」と言いかえると
許せそうな気がしてくる、とか…

質問者さんに、それなりの増減感覚があったとして、という前提で言うと、

秘密は、明らかに「は」にあって、この区別の副助詞が付くことで、「必ずしも」がない場合でも、「徳はない」だと「それ以外のものならあるかも」、「幸福ではない」なら「他の状態ではあるかも」のような含みを感じる、それは、直接「部分否定」に繋がらなくても、そういうことはあってもおかしくなさそう、という心の準備を生むので、「必ずしも~ない」という部分否定表現になじみやすい、ということかと思います。

私の考えは、基本、#4さんと同じ、というか、もっと過激で^^

「は」が付いたくらいで、左右されるような、「成功しない」を、全否定と見てしまう感覚ってどうよ^^、上に書いたように「は」自体に「部分否定」そのものを暗示するような意味はないのに、あれば安心する言語感覚って?それなら、「成功しない」を見ても、「部分否定」の可能性は否定できないって思ってくれよ、というものです^^

実は、そこらへんは、漢文だけでなく、英語や数学についても、常々感じているところで、

自分で、英語の数学や自然科学の本を読むときは、自分で理解すればいいだけなので、楽チンなのに、他人に読ませるために訳をするときは、「not necessarily」をどう訳すかで、いつも苦労させられる。

私の正直な気持ちは、普通の人に、本当に基礎の基礎の漢籍の素養、高1で、1か月かそこらで教えてもらえる一番の基本の部分か、数学の論理の、一番基本の部分か、最低どちらか解っていれば(これが訳が必要な数学が必要な人でもカッチリしてないところが悲しい^^ところなのですが)、「この試みは必ずしも成功しない」と書いておけば、解るはず、それで短く済ませたいと思うのに…

#8さんのように、「成功しない」は全否定(じゃ「完全には成功しない」は?)なんてことを言いだす人や、

#5さんのように「多くは、『成功率が高いのだが、不成功に終わることも考慮しておくべきだ』の意味で用いられる事が多いと思います」(そういう使われ方が多いからと言って、必ずそんな前提があるという訳じゃない)と言い出す人や、

失礼ながら、質問者さんのように、

「ところで余談ですが「必ずしも徳有らず」だと
部分否定「大部分は有徳だけど中にはそうでないのもいるよ」と言うよりも
大部分否定「結構みんな徳がないんだよ」のようにわたしは感じてしまいます」
と言う人もいれば、
(それは、漢籍の素養というか単なる練習不足なだけでは?)

「「しも」をしらべると、前に来る語の強調とあるので
必ず・しも→なにがなんでも絶対に、必ず
必ずしも成功しない→絶対に、何が何でも、どうあっても成功しない
という意味にとることも出来そうです。」のようなことを言い出す人
(外国人が辞書を読んで、この言葉はこの意味、この言葉はこの意味
だから、この組み合わせで使ってもいいですよね、と、日本人からは
違和感を感じる組み合わせの言葉持ってきたとき、無批判に、
御説ごもっとも、とは言いませんよね?)

などなどと思い悩んで、余分な言葉を付け足して、
「この試みは必ずしも成功するとは限らない」などと書くことに…

漢文・数学の論理、どっちも高1でやることだぞ~、と、腹の中で、読み手を頭に浮かべて、ブツブツ言いながら(その前に、「not necessarily」なんて高1の英文を訳させないでくれよ、と、文句言うのが先か^^)
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「必ずしも成功しない」だけは誤った用例ですが、他は全て自然な表現だと思います。



「必ずしも」は、
必ず…というわけではない、…とは限らない、という気持ちを表す。
のように解説されています。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%BF%85%E3%81 …
すでにご指摘があるように、これは「部分否定」の用法でしょう。
この意味で「必ずしも成功しない」は、誤った用例ではないかと思います。
「必ずしも」が部分否定を前提にしているのに「成功しない」という全面的断定表現が続いているからです。
料理の一部を残した場合に「全て食べなかった」と表現するようなもので、正しくは「全ては食べなかった」とすべきです。
1のように「必ずしも成功するとは限らない(言えない)」のほか、「必ずしも成功するわけではない」「必ずしも成功はしない」「必ずしも成功ではない」などであれば違和感はなくなるでしょう。
この場合の「は」は、
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%8 …
の、
2 ある事物を他と区別して、または対比的に取り立てて示す意を表す。
または、
3 叙述の内容、またはその一部分を強調して明示する意を表す。
という用法であり、「成功」の部分性を担保することになるため自然な構文になるのだと思います。

>「しも」をしらべると、前に来る語の強調とあるので
必ず・しも→なにがなんでも絶対に、必ず
必ずしも成功しない→絶対に、何が何でも、どうあっても成功しない
という意味にとることも出来そうです。

というご見解についても私見を述べさせていただきます。
「しも」は前に来る語の強調なので、たとえば、
「誰しもが賛成した」などの場合は全面的に・圧倒的に(おっしゃるところの「何がなでも絶対に」)などの意味になると思います。
ただ、今回の「必ずしも~ない」のような打消しの構文の場合、「必ずしも」は、「必ず」の持つ絶対的意味を否定するために「必ず」を強調している、と考えるのが自然でしょう。
その意味で、あくまで部分否定の用法(意図)に特化して捉えるべきではないかと思います。
  
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「もやもやする」と言う人も確かにいるようです。

そのような人が下のwebのように書いています。
http://torokko.sblo.jp/article/1108415.html
「勝つ」を否定して「勝てない」にしますと、「必ずしも勝つときまっていない」は「必ずしも勝てない」になります。しっくりしません。文が中途できれている感じです。しっくりしない理由がわかりました。わかれば修正も簡単です。「必ずしも教員免許をもっていない」を
「必ずしも教員免許をもっているわけではない」に修正すれば落ちつきます。
 
落ち着きを気にするためか「必ずしも、、、わけではない」というように「わけでは」をはさむようにする人や、「必ずしも、、、ものではない」「必ずしも、、、ことではない」としたり、さらにご丁寧に「必ずしも、、、限るものではない」というように「限る」をはさむようにする人、「必ずしも、、、限るわけではない」というように「限る・わけ」「限る・もの」「限る・こと」をはさむ人もいます。
 
これらは、構文の構造が分かり易いようにしているのではないでしょうか。
表現の順番を変更するとどうでしょうか。
A 必ずしも成功するとは限らない: 必ずしも幸福であるとは限らない
a 成功するとは必ずしも限らない: 幸福であるとは必ずしも限らない
B 必ずしも成功しない     : 必ずしも幸福ではない
b 成功(は)必ずしもしない(★) : 幸福では必ずしもない
C 必ずしも必要ではない(☆)  : 必ずしも逆は真ならず(△)
c 必要では必ずしもない(△)  : 逆は必ずしも真ならず(☆)
★の場合は、やや不自然で、格助詞「は」を補わないと??です。それ以外はなんとかなります。
☆はよく使う表現で、△はノーマルではない表現だと思います。
 
D 必ずしも打撃を与えない   : 必ずしも得ではない
E 必ずしも楽観的ではない   : 必ずしも不幸ではない
deで 上記に(もの)(というわけ)を入れても良いですが、なくてもそれほど不自然ではないと私は思います。
 
著名な知識人が伝えて来た言葉には、次のような使い方もあります。
http://www.kokin.rr-livelife.net/classic/classic …
「必ずしも」と発声するときに「なんで」を共に使えば、明示的に限定や否定を述べる必要はなかったのでしょう。
 
「辞書」は、言葉が使われる色々な場合をカバーするように意味や用例を記載するのだと思います。自分が使う言葉でも、同時に使う単語との並びや順番で、自然に感じたり、不自然に感じたりすることがあります。 
 
「どちらが正しいと言えるような単純なものではない」と考えるのが良いと私は思っています。
 
「周囲数人に聞いたところ半数が2に違和感を感じる」=「周囲数人に聞いたところ半数が2に違和感を感じない」のであれば、特に問題はない言葉の使い方です。
 
なお、「自分の周囲数人」は同じような言語経験であることが多いです。住居地が異なったり、年齢経験が異なる人だと、別の感じを持つこともあります。古典に限らず、現代文でも、色々な作家の、多くの分野の文章を読んでいる人は別の感覚を持っていることもあります。また、「ら抜き」と言われたり、丁寧語などの使い方でわかるように、言葉は生き物で、どんどん変わります。正しいとかをあまり思わずに、どのようにでも使えて、どのような表現でも意味や感覚を感じ取れるようにした方が良いと思います。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます

「必ずしも成功しない」をはっきりと否定する訳ではないが
あまり肯定的ではなく何かしらの語を補う方が良い、と言うことですね?

>「どちらが正しいと言えるような単純なものではない」と考えるのが良い
>と私は思っています。
会話する際の態度としては、私もこれで良いと思っています。
思ってはいるものの、何が正しいかわからずに使い続けることにモヤモヤを感じてこちらに投稿しました。

お礼日時:2012/02/27 00:31

副詞の機能や用法は変化ないし発展します。


そのような観点から変化を対比してみました。

1.動詞の<情態>を修飾
必ず成功する。
必ずや成功しよう。 (「や」は強調の副助詞)
必ずしも成功したい。(「しも」は強調の副助詞)

2.形容詞(含む形容動詞)の<程度>を修飾
必ず幸福である。    (断定)
必ずや幸福であろう。  (推定)
必ずしも幸福であろうか。(推量)

3.打消し(含む部分)構文の<呼応>をする
必ず成功すると限らない。  (未詳)
必ず幸福であると限らない。 (未詳) 
必ずや成功させねばならない。 (強調)
必ずや幸福であらねばならない。(強調)
必ずしも成功するとは限らない。 (一部否定)
必ずしも幸福であるとは限らない。(一部否定)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

私の周囲でもこちらでも「とは限らない」に異を唱える人はいません。
つまり誤解が少ない、よりわかり易いと言うことですね。

そう考えると仰るように発展してきたと言えるのかもしれません。

お礼日時:2012/02/26 20:27

次の文を御覧ください。


部分否定の漢文です。

 不

 必
  ズ
  シ
  モ
 成
 功
一 セ

これを書き下し文にすると「必ずしも成功せず」で、「必ずしも成功しない」は、書き下し文に近い
表現だと思います。
やや古風な表現と言えなくもないのかもしれませんが、少なくとも日本語の伝統に基づいた、
問題のない表現であると思うのですが、いかがでしょうか。

時々、漢文なんて必要ないという意見を見聞きしますが、こうした表現に違和感を感じてしまう人が
それなりにいらっしゃるようで、やはり最低限の漢文の素養は必要ではないかと再認識させられました。
(私は漢文に興味があるというだけで、教育関係者ではありませんけれども。)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。
漢文「有言者不必有徳」、「必ずしも徳有らず」や
漢文的表現「前よりしも来らず」には違和感を感じません。

こうは考えられますか?
「必ずしも徳有らず」を口語で「必ずしも徳がない」と言った場合
私のように違和感を感じるものが少なからずいたため
更にわかり易く「あるとは限らない」と言う表現が出来た、と。

ところで余談ですが「必ずしも徳有らず」だと
部分否定「大部分は有徳だけど中にはそうでないのもいるよ」と言うよりも
大部分否定「結構みんな徳がないんだよ」のようにわたしは感じてしまいます。

お礼日時:2012/02/26 19:33

『必ずしも・・・ない』の形は、『絶体に(100パーセント)・・・ではない』


つまり部分否定で、

『必ずしも成功しない』は、成功する人も居れば(場合もあれば)成功しない人も居る(場合もある)
と、解するべきでしょう。多くは、『成功率が高いのだが、不成功に終わることも考慮しておくべきだ』の意味で用いられる事が多いと思います。その場合、本人の努力次第とか、周囲の環境など『運』次第の意味もかかつているでしょう。

したがって、
1.の用法が正しく
2.の用法では『必ずしも成功する訳ではない』、『必ずしも幸福とは言えない』
 などに言い換えた方が適切かと考えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

う~んやはり、意見が分かれますね。

でも実は「必ずしも幸福ではない」の方には
あまり違和感を感じていないのです。
それだけにモヤモヤです。

お礼日時:2012/02/26 19:09

しも


多くは必ず を伴って下に打消しの語を伴い、部分否定の形をとる

と国語大辞典にあります。

1.必ずしも成功するとは限らない(言えない)
 必ずしも幸福であるとは限らない

が普通の形ですが、

2.必ずしも成功しない
 必ずしも幸福ではない

も部分否定としては機能します。間違いではないと思いますが、ちょっとずさんな言い方だという印象です。結局 1)と同じことを言っているわけですが。
また、仰る言い方

必ずしも成功しない とは限らない

も状況によってはありでしょう。この場合は成功しないという全面否定の部分否定になっている形で、意味としては1)の裏返しです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

う~んやはり、意見が分かれますね。

お礼日時:2012/02/26 19:06

>「しも」をしらべると、前に来る語の強調とあるので



一般論としてはそうかもしれませんが、「必ずしも」の場合は部分否定を表わします。
後ろに否定表現が来ていればよいので、

>1.必ずしも成功するとは限らない(言えない)
> 必ずしも幸福であるとは限らない
>2.必ずしも成功しない
> 必ずしも幸福ではない
>どちらが正しいのでしょうか?

どちらも正しいのではないかと思います。なお、

>必ずしも成功しない→絶対に、何が何でも、どうあっても成功しない

この解釈には違和感があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

後ろに否定表現が来ていればよい、と言う観点からすると
どちらも正しいとなりますね。

お礼日時:2012/02/26 18:40

例えば、



「必ずしも夕食が出る。」とは言いませんが、
「必ずしも夕食が出るとは限らない。」とは言います。

「必ずしも優勝する。」とは言いませんが、
「必ずしも優勝するとは限らない。」とは言います。

そう考えるとやはり 1. の方が正しい用法なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

仰るとおり「必ずしも優勝する。」とは言いませんが
「誰しも認める」のように肯定的な用法もあるので
またまた悩んでしまいます。

私自身は「限らない」派です

お礼日時:2012/02/26 10:43

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