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はじめまして。私の質問に興味をお持ち頂き、ありがとうございます。
質問タイトルに書いたように、アンソニー・ギデンズ(イギリスの社会学者)は彼の著書『近代とはいかなる時代か?』の中で、「宗教の退去は信仰の消滅と同義ではない」と指摘しています。
宗教に代わって「貨幣」や「(無知な大衆と対比される)専門家」が人々の信仰の対象になっていると彼は言います。
私はギデンズがこう論じているのを読み、幸せをお金で実現できると考えたり専門家に間違いが無いと考えるのは、たしかに一種の信仰かもしれないなと思いました。
そして一部の(大部分の?)宗教団体がそうしているように、一部の(大部分の?)企業や専門家も、自分(たち)の必要性やカリスマ性をなんとかして増やそうと目論みながら動いているわけです。その結果、人々の「貨幣」「専門家」への信仰は強化されてゆくのです。

ギデンズの指摘について、みなさんは何を思いましたか?
面白い意見をお待ちしております!

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A 回答 (3件)

[神への信仰は本能である。


それは二本の足で歩くのと同じく、人間に生来備わっているのもだ。]
「ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク」 (18世紀ドイツの物理学者、1742~1799))
という言葉があるのです。これ人間と動物を分ける定義ですね。
このあとニーチェが「神」を否定してしまったのですが、人間と動物を分ける人間が生まれつき持っている本能として「信仰は本能である。」は変わっていないのです。
ギデンズ「宗教の退去は信仰の消滅と同義ではない」は 「信仰は本能である。」の焼き直しですね。
「信仰は本能である。」ですから頭に「神」をおけば宗教であり、「お金」をおけば拝金信仰、「科学」を置けば科学万能、「学問:専門家」とおけば学問万能、「平等」とおけば共産主義、「自由」とおけば自由主義・・・となるわけですね。
つまり、人間には「信仰の本能」が備わっているからなのです。これは、何かを信じていないと生きていけない生き物という意味でもあるのですね。
まっとうな哲学者は、目に見える価値を信じることは容易ですので、人間としての価値を上げるためには目に見えない価値を信じることがより立派であると教えるのです。だから頭に「仏神」を置くのです。
だめな哲学者、大衆迎合型哲学者は目に見えるものだけを信じなさいというのです。一番簡単で客が増えますからね。ギデンズがだめということではありませんよ。彼は人間には「信仰の本能」が備わっており、その方向を示しているだけですからね。
日本では、松下幸之助さんが「信仰の本能」を使っていますね。商売を通して気がついたのでしょうね。
そういう感じですね。
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この回答へのお礼

信仰は本能といろんな人が言っているんですね。
ん?もしかして「信じない事」も人間の本能と言えるのでは…?
どちらも本能なのでしょうか。こんがらがってきました。
目に見える価値と見えない価値で分けるのは興味深いですね。
でも私はやっぱり1000万くらいは年収が欲しいです(笑)

ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2012/06/02 08:41

追伸:


>もしかして「信じない事」も人間の本能と言えるのでは…?
どちらも本能なのでしょうか。こんがらがってきました。

○本能というのは特性を決めているものという意味です。
見かけの形状ではないのです。
例えば、
本能大分類:人間:信仰がある、動物:信仰なし、
特性小分類人間:犬型:従順、猫型:きまま、など
特性小分類動物:犬:従順、猫:きまま、など

だから、信じることができないという本能は「動物」の分類に入るのですね。
動物は殺しても罪にはなりませんね、食べてますものね。人間はそうではないですね。
人間を放棄して動物になるには「信仰の本能」を捨てれば良いということですね。
現代は、人間もどきの動物が増えてますね。という表現になるわけですね。
犬からみればあいつ俺と同じなのに人間の格好で調子こいてる。となるわけです。
だから、信仰の本能はあってよいのですね。手放すものではありません。
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この回答へのお礼

再度のご回答、ありがとうございます。
なるほど!そのように考える人もいるのですね。
私は信仰>不信とは思いませんが、いろんな意見を聞けて面白いです。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/03 19:13

生命として、生きるモチベーションは、自らの内なる


「生きる意志」のみである(物質のエントロピー増大
による淘汰の反力として)。
その限りにおいて、価値や権威は外にはない。

その人智や人力の及ばない所に、信仰の余地がある。
即ち、人力の及ばない天変地異や死に対して祈り、
人智の及ばない世界の起源や自己存在の意味に
ついての解釈において、第一原因の神を担ぎ出す。

その意味で、分業化や組織化による社会性の発達
において、自己の生命性が拡張するのをフォローし、
社会生命的自覚化によって自律的社会行動(助け
合いとしての(お金をもらうためではない)労働)を
とれる認識の深まりを怠り、お金や地位といった
“馬車馬の目の前のニンジン”によって、他律的に
社会行動をとらせる事は、「鰯の頭も信心から」の
類いであると言える。

自己の内なる生きる衝動をコントロールして発露し、
人生を通算して精神的充足量を最大化するための
認識の深まりとは異なる、自己の外なる抑圧的
権威や他律的価値。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
しかし、あなたの回答にはいたずらに難しい表現を用いて自己陶酔している印象を受けました。
申し訳ありません。

お礼日時:2012/06/01 11:47

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