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私、半年程前より伝統空手道の糸東流を習い始めたのですが、型について師範より一つ一つの所作について分解し意味を教えて頂いているのですが、いつも多人数の敵がいることをイメージしながら型を打ち込むよう言われています。

出きる限り考えながら打ち込むのですがどうしても最後に疑問が残ります。


型の最後に受けや払いで終わっているものが比較的多くあると思います。

残心を行い型を終了させますが、残心も相手が再度起き上がってくるか確認する為、心を残すものと習いましたが、受けや払いでは相手は倒れておらず残心を行うことに対して何か腑に落ちないです。


師範に聞いたのですが明確な答えはなくすっきりしませんでした。


するからには何かしら意味があるのではないかと思うのですが教えて頂けますでしょうか。

よろしくお願い致します。

A 回答 (2件)

相手の技を受けきることで、相手を完全に無力化した、と考えてください。



自分の受けによって、相手が背面を見せたり、体勢が崩れたり、自分が相手の死角にいる等、
相手がもはや反撃不能な状態を作り出せたなら、追撃の必要もありません。
残心さえ十分であれば、もしそこから相手が反撃に転じても、不利な体勢からの攻撃は脅威となりません。
受けにはそれだけの力があります。
ただ攻撃部位を守るというだけではなく、相手を完全に制圧するというイメージを持って、
受けの練習を行ってください。 
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この回答へのお礼

ありがとうございますm(_ _)m


受けというのも攻撃であることも念頭に置いて一つ一つ頑張っていきます。


これからも愚直に楽しんでいきます。

ありがとうございました(^-^)

お礼日時:2012/06/01 23:03

私も伝統派を学びましたが、多人数の敵とか残心を念頭に型(形)を行なったことはありません。


第一、多人数の敵を相手にするというのなら、もっと周囲に気を配る動作がなければなりませんが、そういうものがありません。常に、次なる敵に流れるように視線を送ります。視線を送った先に何時も進んでいたら、背後からやられますよね。それに眼球がキョロキョロと動くようでは減点の対象です。また、蹴りはともかく、突きに関しては突きっ放し動作が殆どですから、「残心」に留意しているとはとても思えません。型(形)に残心を強調するというのは、単なる勘違いか、または、組み手を知らない人ということになります。組み手には、今も、残心姿勢が要求されている筈で、何が残心かを心得ていれば、型(形)に残心姿勢がないのは明らかです。

残心というのはあらゆる武道に存在します。柔道ならば、引き手を離さぬことが残心姿勢です。投げ飛ばされたのに、負けを認めぬ者には、逆十時で腕を折るか、三角締めで首を取るかが準備されています。投げた相手を後頭部から落さぬ為と言う解釈もありましょうが、本来的には残心なのですね。剣術ならば、袈裟に斬った後、切っ先を敵の喉元にそのまま突き出せる形になるのが残心姿勢です。しかし、参ったという目配せがあれば、喉元を突きません。相撲なら、土俵から押し出した後、充分に腰を落して、脇を締めた押し動作が即できる姿勢になるのが残心です。土俵下に落ちたのに、負けを認めず、土俵に再び上がって戦いの続行を求めようとした場合、一発目の押しより、更に強烈な押しをせんとの準備なのです。今の異国の横綱が、私たち日本人に、この正しい相撲における残心姿勢を、様式など関係なく、勝ち負けだけが重要と思われる本場所でたびたび見せてくれます。

ともあれ、今日の伝統派組み手では「残心」姿勢が曖昧です。引き動作が遅いですし、引き幅が小さすぎます。昔は、「残心」後の、必要とあらば繰り出す一撃の方が強力でなければならないという鉄則がありましたから、拳足を気合とともに決めた後、拳を素早く、充分に体側に引き付けて、それがあって初めて、技ありとか一本になっていましたが、今は、チョコチョコと動いてのポイント制なんですね。

残心とは、《相手が再度起き上がってくるか確認する為、心を残すもの》ではありません。これは、明らかな間違いです。残心とは、己に対する戒めなのです。己の必殺の一撃たる突き蹴りを過信しないこと、そういう傲慢さを捨てて謙虚であることが求められているのです。で、必要以上に敵を傷付けぬよう、「参った」との意思表示があれば体側に大きく引いた拳を、留めの一撃として繰り出さないということなのです。これは、人としての優しさの体現ですね。言い換えれば、残心とは、拳足の引き動作のことで、予測に反する身体能力で立ち上がる敵に備えるものなのです。つまり、敵の起き上がり確認ではなく、「参った」の意思表示なく立ち上がる敵に対して、即、予め引き付けておいた拳足を最大限に爆発させる準備姿勢を「残心」と言うのです。確認ではなく、即、実行する為の準備なのです。

因みに、今日的には承知していませんが、かつて、糸東流の前蹴りは引き上げ動作で足首(足指も?)を曲げませんでした。それで、他流試合などで、そういう蹴りを正面から脛で受けられて大怪我を負う人が少なくありませんでした。伝統派の四団体が大同団結して最強と謳われた時代の空手協会(実際昇段審査が厳しく、他流派とは一段の差があるとされた)では、糸東流の蹴りは不採用になりまして、前蹴りの引き上げは必ず足首を曲げて至近距離でも、きちんと上足底が入るよう指導体系が決定しました。前蹴りに関しては剛柔流系が採用されたわけですね。――そんな昔話を貴方のご質問のおかげで思い出したり致しました。
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この回答へのお礼

なるほど残心自体の考え方が違うのですね。

予想外の自体に対する準備なのですね。
時代と共に歴史と変化があって少し忘れられてるものもあるのですか。

非常に勉強になりましたm(_ _)mありがとうございました(^-^)

お礼日時:2012/06/01 22:43

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