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私は剣術をしています。最近新人が参加し剣のスパーリングをし始めました。彼は格闘組討と型剣術をしていて、スパーリングは未経験です。簡単な篭手狙いは点取りゲームになるので私は通常腕を狙うことはありません。しかし、今回は彼がスパーリング初心者であることもあり、腕があまりにもがら空きだったので、注意の意味で篭手を切りました。
 さて、このことを振り返って「なぜ私は篭手ががら空きの隙だった」とこがわかったか?
私たちは八双の構えが多い。これは左手が前に出るので篭手を狙われますが、上級者と初心者で同じ構えをしていて、片方が隙がなく片方が隙があるとはどのような情報で判断をしているのか、自己分析ができませんでした。おそらく経験則からで相手の脱力・緊張だとか、こちらの動きに対しての反応だとかあるのは間違いないと思いますが、それが具体的にどのようなものなのか。
もし、こちらの動き反応に対してなどであれば、静止した写真では隙の判断はできないことになります。時間がかかわってきますから。私は構えた相手の写真を見て、どこに隙があるか判断したことはないですがこれもわかるかもしれないし、わからないかもしれない。
しかし、目線ではないのは確かです。フェンシングマスクでは相手の目は見えないし甲冑兜のスリットからでも相手の目は見えません。

例えば対人格闘技ロボットを作るとして「隙を狙う」ための隙の定義とはどのようなものと考えられますか?
初心者に「いま、相手の篭手に隙がある」とアドヴァイスして「どうしてですか?」と聞かれると答えられません。

A 回答 (3件)

古流の型剣術の修行者です。



動きは重要な要素であると思います。
私の考えでは、「隙」というのは敵のどんな攻撃に対して注意を払っているか、という精神的心理的な部分と、どんな攻撃に対して対応できる体勢になっているかという身体的な部分の二つがあるように思います。

身体的な部分に関しては、重心の置き方であるとか、手や足の位置や角度、筋肉の緊張と弛緩などの要素があると思います。その他に、使用する武器や技によっても異なってくると思います。

たとえば刀に対する正眼の構えは、守りの構えであると一般に考えられています。しかし、私が修行している流派に伝わる槍術では、相手の刀を弾き飛ばしながら突くことを得意としています。ですから、私たちの槍術にとって正眼の構えというのは、「刀を弾き飛ばして突いてください」と言っているような隙だらけの構えなのです。

No1の回答者は「基本的に八双の構えの真意は、隙の提示です。」と書いていらっしゃいますが、それはこの回答者の流派ではそうであるにすぎません。私たちの流派は八双というのは上段が変化したものと考えています。狭い場所で特に室内など上段に取ろうとすると天井や壁にぶつかってしまうような場所で使う、上段の代替の構えと考えています。ですから、隙を提示する構えであるとはみなしていません。むしろ、槍に対しては隙のない守りの構えであるとみなしています。


精神的心理的な部分に関しては、目配りなどの他、足先の方向、ひざやひじの角度などに現れるだろうと思います。しかし、これは難しいですよね。何とも言えないですね。



ところで、後進の指導に関してですが、私たちのような型剣術の場合、「型のきまった動きしか考えない」という人が出てきます。実際の真剣勝負では相手はどこに斬りつけてくるかわからないので、敵のどんな動きにも対応できなければなりません。しかし、型では「面を打つことになっているから」という理由で面だけを守るような人がいます。そのような人に対して私は、

「斬り殺し合いだったら敵は面じゃなくて胴を斬ってくるかもしれないんだぞ。その体勢で俺が胴に斬りつけたらお前は対応できるのか。」

と言って注意します。
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この回答へのお礼

御礼が遅れました。
有難うございます。
いろいろと他の方々のご意見を伺いましたが、皆さんそれぞれでとても面白い結果となりました。
多くは相手の体の緊張や弛緩を経験的に読み取っている。というものでした。
わたしもこれには賛成ですが、どうしてもそれ以上の何か~気とでも言うべきもの~があるように感じます。

お礼日時:2011/01/26 22:50

隙」とは相手の問題ではなく、


自分の問題ではないでしょうか。
要は「隙を見分ける力(センス)」のことです。
これは相手には説明のしようがありません。

なぜなら相手(素人)は洗練した動きができないため、
「無駄な動き」とそもそも「意識が及んでいない」状態からのスタートだからです。

No2さんが面白い答えを書いてますね。
得物が違えば隙も違う。なるほど、確かに自分が無駄な動きをしていなくても、
意識が及んでいても、得物が違えば防御に対する予測がつかないからです。
相手が脇構えでこちらが中段構えで対峙したとき。
素人の脇構えでは全身隙だらけです。しかし佐々木小次郎が所持していたような得物で
脇構えをされると不用意には飛び込んでいけなくなります。
同じ構えなのに持っている得物と自分の知識によって隙の情報が違ってくるからです。

では将棋の場合はどうか。
こちらが総矢倉で固めたとしても羽生氏のようなプロなら必ず隙を突いてきます。
その「隙」とは不用意な一手、つまり無駄な動きだと思います。
私が用意周到に打った一手だとしても、隙を見分ける力が格段上な人間から見ると
不用意な一手となってしまうからです。
そして崩されるのは当然「意識が及んでいない」部分からでしょう。
しかし、実力が拮抗した者同士ではこうはなりません。ましてプロ同士なら。
だから実力者同士は無駄な動きがないから、駆け引きになるのではないでしょうか。

従って隙は同じ得物を持ち、同じルールで戦った場合に初めて価値を共有できる
「センス」なのだと思います。

これは何も戦いに限ったことではなく、
陶芸や絵画一つをとっても同じことだと思います。
人間の極めた(洗練された)センスを素人に教えても
そこまで及んでいない人には言っても分からないでしょう。
修行を積ませれば必然的にある過程で分かってくると思います。

答えとならずとも思考の手助けになれば幸いです。
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この回答へのお礼

御礼が遅れました。回答有難うございます。
センスというのが隙を見つける自分の問題というのは、やはり経験則となるのでしょうが、そうなると答えが一巡します。
あるフェンサーは「隙は自分で相手に作らせるもの」といいました。

お礼日時:2011/01/26 22:57

基本的に八双の構えの真意は、隙の提示です。

正面に隙があると見せるのが八双の神髄です。誘いの隙なのです。隙と見せて誘い出し、袈裟がけ、または横薙ぎを繰り出すわけです。隙と見て飛び込むのは、八双を理解していないことになります。

そもそも、八双とは、前蹴りなど足での蹴倒しも念頭にあるかも知れませんが、原則的に八双と言えば「肉を切らせて骨を断つ」という自己犠牲による、一撃必殺を希求したものです。自己保身とか、防御を捨てた構えなのです。ある意味、誠に武士道の精神に添った構えなのです。

にもかかわらず、初心者に対して、隙を発見したという言説、その隙を狙う行為、隙の定義を求めることは論外と言わざるを得ません。

隙と見せるのは正しい八双の理念に添っていますし、その隙を狙う行為は肉を切らせて骨を断つという高貴にして高尚な八双の神髄を蔑ろにするものです。

隙があるという言うのはアドバイスではありません。隙があって良いのです。隙と見せて良いのです。隙に誘われて相手が篭手に来るのに、どう対応すべきかを教授すべきなのです。

正しい八双の理念、正しい武道観というものへの配慮を切に望みます。

最後に補足致しますと、「飛んで火に入る夏の虫」的な事態を避ける意味においても、相手の隙を見出すのではなく、裂帛の気合にてジリジリと間合いを詰め、これ以上下がれないと察した相手が、無理な心理状態、無理な姿勢、心身のバランスを失った状態で攻撃してくるのを待って、切り返す(カウンター)というのが、本来の日本人が好む横綱相撲と言いますか、所謂、「後先」の戦いということになります。八双とは、究極の「後先」とお考えください。私は打撃系の格闘技を長く経験しましたが、常に、そういうことを念頭に稽古に励みました。実際にそれが達成されたかどうかは心許ないのですが、そういう理念への到達を希求していました。

この回答への補足

形としては八双ににているので便宜上そうかいておりますがフォムタ-グという中世ドイツ両手剣のかまえですから武士道のものではなく、理念も違います。
「肉を切らせて骨を断つ」という理念ははじめに除外されます。我々の剣術では「その場を生き延びること」が最重要であって、相手が死のうが怪我をしようが重要ではありません。
フォムターグは剣を立てることで重さが軽減され、左右の複数的にも有効であり裏刃での切り、突きといった対応がしやすいものです。日本剣術の理念とは違います。しかし、隙があるかないかは構えをかえても同様にあるものです

補足日時:2010/12/25 23:43
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