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最近素晴らしい作品を見て感動することがありました。
他の方も感動したようで、「まるで○○(モチーフの元の人物)が憑いたようだ」という感想も見かけました。
よくある表現ではあるのですが、実際演じている側からしたら本当にその「憑いた」「降りて来た」というのはありうるのでしょうか。
というのも観客側からしたら目の前で見せられたその一回が全てですが、演者からしたら裏で何度も練習したりリハーサルしたり、本番だって何度も繰り返しあるわけで(一発勝負の採点式とかもあるでしょうが)、現実的に考えて憑いた降ったはないんじゃないか、そういうのは観客の幻想なんじゃないかとも思うのです。
普通頭の中は次の演技はどうしようか、あの技は上手く決められるだろうか、観客の声援や立ち位置はどうのなどの雑念(?)が相当ありそうなものですが、実際はその所どうなんでしょうか。
素晴らしいものを見ただけに「貴方が憑いたと思ったのならそれが一番」みたいな感覚じゃ満足できないくらいかなり気になっています。
近くにそういったことに携わっている人がいないので、ここで質問させて頂きました。出来たらこの手のものを職業にしていらっしゃる方に回答頂けたら嬉しいです。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

こんにちは、はじめまして。



私は演劇をやっていますが、周りの他の役者に訊いてみると、舞台上にいる時の感覚は、人それぞれで一概にどうとは言えないようです。
私自身は自分がどうあれ「お客様が憑いたと思ったのならそれが一番」と考えています。
いわゆる「なりきり型演技」の役者も多くいます。しかし、「なりきり型」の役者には重要な欠点があります。それは、役になりきったあまり、例えば泣くシーンで本当に心から泣いて涙や鼻水が止まらず、肝心の台詞がかすれ乱れてお客様に聞こえなくなることです。私どもはこれを「観ている人のことを考えない、自分勝手なナルシスト芝居」と言っています。
若い役者さんには「役になりきるのが良い」と思い込んでいる人が多く、稽古場で「泣くのはいい。しかし、その台詞がお客様に届かないと、この後の芝居の流れがお客様に意味不明になってしまう。泣くとともにしっかり台詞もお客様に届くように稽古しなさい」と指摘してもなかなか納得できず、直らなくて苦労します。

私自身は元々「なりきり型」の役者だったのですが、諸先輩から指導を受けて「計算型の演技」や「様式型の演技」も、脚本・役・時と場合によって組み合わせてお芝居をしています。
私自身が舞台上で最も調子が良い状態の時は、頭の中が3つの視点に分かれています。1点目は「自分の役になり切っている視点と感情の流れ」、2点目は「舞台上、自分が他の役者・装置・照明等からちょうど良い位置にいるかを把握している視点」、3点目は「自分の役が観客席からはどう見えているかの視点」です。この3視点が常に同時進行で頭の中で動いていると「自分は上手く集中出来ているな」と思います。
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この回答へのお礼

当然かもしれませんが役者にも色んなタイプが居るんですね。
客席の事を考えると、やはり役者の頭の中では幾らかの思考が巡らされているのが現実のようですね。
観客から上手いと思われる人は特に考えていそうです。
じゃあ自分たちが見たあの憑かれたような瞬間はなんだったんだろうな~、なんてことを考え出すと止まらないです(笑)
回答ありがとうございました!

お礼日時:2012/06/18 14:30

こんばんは



私割と乗り移るタイプです
練習と本番って違うんですよ
空間とか空気とか自分が自分じゃない、私誰?と言う瞬間ってあるんですよね
これはやってみないと判らないと思いますけど

意外に記憶がそこだけ抜けていることもあります
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この回答へのお礼

演じ手からすると実際に乗り移るってあるのですね。
その乗り移った瞬間と、観客が乗り移ったと判断する部分というのは一致するものなのでしょうか?
「乗り移ったように見える演技」と「いかにも本物な凄く上手い演技」と「演者が乗り移ったと思った演技」の違いはどこにあるのでしょう。
疑問は尽きないです(笑)
回答ありがとうございました!

お礼日時:2012/06/13 23:20

答えにはなっていないかもしれませんが、山岸涼子さんの『牧神の午後』をお読み下さい。

ニジンスキーの物語です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!

お礼日時:2012/06/13 23:14

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