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別に東京電力を擁護するものではありません。
しかし最近の、あつものに懲りてナマスを吹くごとくの、極端な原発反対の意見には違和感を感じます。
例えば、自動車が交通事故を起こした場合に、自動車を廃止しろとは誰も言わないわけです。
皆、事故の主な原因は、自動車よりもそれを運転する人間にあることを知っているからです。

今回の原発事故も、まず糾弾されるべきは、原発の危険性を軽視し、十分な安全対策にコストを
かけず、のうのうと高給や豊かな福利厚生を得ていた、無責任、無能、能天気な東電の幹部たちだと思います。言ってみれば人災だと思います。
勿論原発には危険が伴います。しかしそれを言えば、何にでもリスクはあると思います。
原発はやはりコストや効率性を考えれば、そんなに簡単に捨ててしまってよいのでしょうか。

十分な管理能力と責任意識を持った人間による運営の下に、部分的な稼働を継続することが
現実的な選択肢ではないのでしょうか。

原発という施設が悪者になって一番喜んでいるのは、もしかすると東電の幹部たちのような気がします。

A 回答 (14件中1~10件)

>原発反対運動はあまりにも極端なのでは


→極端なのはたしかだと思いますが、反対側の人たちの主張も極端(非現実的)なので、わたしは必要なことだと評価してます。

>十分な管理能力と責任意識を持った人間による運営の下に、部分的な稼働を継続することが現実的な選択肢ではないのでしょうか。
→はい、そのとおりだと思います。しかし、「十分な管理能力と責任意識をもった人間」がどれだけいるのでしょう。

 質問者様も指摘されているとおり、福島第一の事故は必要な安全対策を放置してきた結果なのですから、人災にまちがいありません。彼らの言い分を要約すると、「地震・津波対策は万全でした。ただし、地震・津波が実際に来るまでは」になると思います。物をのせないかぎり落ちない棚を自慢していたようなものですね。

 自動車のたとえは適当ではないでしょう。自動車ならばどれほどひどい事故を起こしても、30キロ圏内は避難しなければいけないとか、いつ帰れるかわからない、なんてことはありません。もとより自動車とは比較にならない技術レベルや運転技能、安全に対する意識が求められます。
 にもかかわらず、これをことごとく欠いていたのがこれまで原発行政にたずさわってきた人たちでした。いわゆる原子力ムラの住人たちです。
 高木仁三郎さんは震災前に書かれた遺著の中で、「わが国の原発行政における安全対策とはすなわち広報対策だった」と喝破されています。マスコミは買収できても津波は買収できなかったということですね。

 原発という自動車を運転する資格・適性・覚悟をもった運転手は何人いるのでしょうか。これまで原発を動かしてきた人たちにそれが欠けていたことは、すでに明らかです。
 現状の原発再稼働とは、この同じ人たちが責任を問われることなく従前どおりに運転することを意味しているのですから、わたしは現状では反対です。

 いまだに東京電力は具体的な点に関して自分たちの過失を認めていません。要するに反省なんてしてないわけです。原子力ムラ全体がそうでしょう。だれも自分の責任を認めていませんよね。
 だから大飯の再稼働にあたっても、いくつもの重要な安全対策を後まわしにしたままで当人たちは特に問題だと思っていません。それでも安全対策にとり組んでいるのは世間がさわぐからです。原発反対運動がなければ、きっとまた口先だけでごまかす気でしょう。

 結論として、わたしは現段階では信用できる運転手がいないので、あるいは原発という自動車のハンドルを握っている人はのきなみ信用しないので、稼働に反対します。
 自分たちはこの自動車を運転する資格があると信じさせてくれないかぎり、もしくはみんなに信用されなければならないとわかっている姿勢を見せてくれないかぎり、結論は変わりません。
 ということは、この安全対策をとってくれるなら、安全を本気で追求しようとしているなら、わたしは限定した再稼働に賛成します。

 原発を停止したときに社会がかぶらなければならないコストは現実のものですが、原発が事故を起こしたときのコストも現実です。
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おっしゃるとおりです。



原発は日本ではまだまだ働いてもらわねばならない貴重で有用な設備です。
世界的にも原発の需要は高まります。日本はこの失敗を糧にして国内外に更に安全性を高めた原発を増やしていかねばならないし、それが使命だと思います。

地球の温暖化対策としてこれは必須の要件でもあります。

放射能の害についても病的に恐れている人がまだまだ多いです。


9/11でアメリカはテロを恐れるあまり、過剰防衛に走り、あの時の犠牲者の100倍近い人間を殺害しましたがテロはなくなっていません。これは狂気としか思えません。

3/11 で日本が原発と放射能を過剰に恐れるあまり、貧乏な3流国に落ちてしまわないか心配です。

日本国民は冷静に日本の未来を見つめて賢明に行動して欲しいです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。また賛同いただきありがとう
ございます。
今回明らかなように原発は事故が起これば被害は甚大な
ものになるわけで、反対する人の気持ちもわかりますが、
あまりにも性急で極端な方向に走り過ぎているように思います。
国民をここまで追い詰めてしまった東電の罪は重いと思います。

お礼日時:2012/07/30 18:51

原発事故を絶対起こさないなんてことはいえませんからね。


人間のやることは穴だらけで、
確率の問題はあるにしても絶対に事故が起きないとはいいきれない。
するってえと、事故が起きたときどうするのか、
ということを考えるべきですが、
そういう大切なところは曖昧なままです。
使用済み核燃料の問題もそうです。
捨てる場所、捨てる方法、
そういう一番大事な部分を決めないで原発を推進しています。
将来の科学技術でなんとかしてもらう、というのが方針のようですが、あまりにもお粗末。
このような状態を放置したまま、
原発を推進していくことに危機感を覚える人たちが反対してるような気がします。
僕は原発が今後事故を起こしたとしても仕方がないと考えます。
絶対はない以上、起きる可能性は確率的には低くてもありますから。
でも今の便利な暮らしを昔に逆行させるのは無理ですから、
原発の稼働には賛成なのです。
でも安全では無いわけですから、
せめて事故が起きたときのシミュレーションくらいはやっておいてもらいたい。
そういう大切な部分を何も考えないで、
安全安全と嘘を言ってだますのはやめてほしいと思うのです。
本当に安全なら、
電力供給は百パーセント原発依存するべきです。
本当に安全なら、
です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
今回の事故で、様々な問題が明らかとなり、それらを
先送り、あいまいなままに政策を進めて来た政府、官僚、
そして安全をないがしろにしてきた東電の責任は重いと
思います。
政府が今全力でするべきことは、徹底した原因究明と安全
対策の検討により、国民の信頼を取り戻すことだと思います
が、確かに人材があまりにも貧困なのは悲しいですね。

お礼日時:2012/07/30 18:55

>原発反対運動はあまりにも極端なのでは



そもそも原発の推進・設置自体が国の長年の
最重要課題であり、国策で
有無を言わさず、進めてきた経緯がありますので

反対運動としてはあのような
前後見境もなく、理論も理屈もそっちのけで
ちょうどよいのです。

>十分な管理能力と責任意識を持った人間による運営の下に

そもそもそれができないから、
皆さん反対しているのです。

国や電力会社は信用できない。
まさにその一点にかかっているのですから。


活断層の上に原発を建設しても、
いやあれは活断層じゃないと言っている学者もいる。
などといっているくらいですから、
合理的かつ理性的で責任意識のある管理運営など
前提条件からできるわけがないのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
かつて先の大戦で、最終的に国民は見放され、見殺しに
され、戦争指導者は誰も責任をとらず、一億総懺悔といって
責任をおしつけられてしまいました。その結果が、軍隊への
異常なアレルギーとなって70年近くが経ちました。結局その
おかげで平和が維持されたと言えなくはありません。
今回も、国民はひたすら原発反対を唱え、政府は責任逃れ
に終始して、50年、100年が経ってしまうような気もします。

お礼日時:2012/07/30 19:00

 仰るとおりです。



 デモの主催者らがよくメディアに登場しますが、彼らは理想を掲げるばかりで、現実を見ていません。
 計画停電回避には節電が必須、と言われて、一番節電にいそしむのはだれか。
 それは田舎の真面目な爺さん婆さんたちです。
 そして空調を全く使わずに熱中症で倒れてしまいます。
 この夏の猛暑では、すでに犠牲者も出ています。
 最も節電するべき電力消費量の多い大都市の人々はたいして節約せず、快適な空調の中で暮らしています。
 デモの参加者全てが、一切空調のない生活をすでに実践しているなら、その言葉は傾聴に値するかもしれませんが、そんなことはないでしょう。
 潔癖症では、人を救えません。
 この夏全国で熱中症で次々と倒れている人たちを救うには、安定した電力供給が必要で、それは現段階では原子力によってしか達成できないのです。

 今再稼動を阻止しても何のメリットもありません。
 原子力の代替となる高効率で安定的なエネルギーの確立こそ急務であり、それができて初めて原発廃止が可能なのです。
 順序を無視した暴論では、国が混乱するだけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かに、具体的かつ現実的な代案を示さずに、やみくもに
原発反対だけをコールするデモにも違和感を感じます。
平和裏に誰でも参加できるデモというのは、それなりに
意義はあるのでしょうが、今一つ説得力に欠けるように
思えてなりません。

お礼日時:2012/07/30 19:05

原発反対が大勢ですが 巨大利権となった原発は庶民の考えを完全無視して続行される政治体制なので まああきらめ半分で毒を食らわば皿まで・・と開き直って考えると まず エネルギー予算、(一兆円に近い)のほとんどが原発予算で赤字国債先送りの日本ではいまの世代ではまあ良いか・・・と見ました 最終の原発燃料廃棄場所も先送りでこれもまあ、すぐ金がかかることはない・・・これで納得するしかない 大地震、戦争などはまずないと考えてます



http://www.excite.co.jp/News/column_g/20120723/S …
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私は原子力発電所はなくなって欲しいと思う一人ですが。




東居日本大震災で計画停電を経験してるだけに、すぐに原発を全部廃止なんて正直言えないです。
あの時は確実に電気が不足した為計画停電を行っていましたが、1~2時間電気が止まっただけ、一瞬でも電気が止まれば作っている製品が全てパーになると言う所が多く操業を自粛してたから何とかなってた、のが現実なんですよ。

今、原発のほとんどは動いていない中で、今の所は原発の代わりに火力発電所のフル操業で今は何とかなってはいますが、火力発電所の大半は老朽化してます、今の所は使えてますがいきなりプスっと止まってしまう恐れが高い。
プスっと止まれば確実に起こりえる計画停電・いきなり停電などそれが一度起きたら起こりえる大混乱(特に都市部)を考えると、こっちの方が恐怖に思います。

原発電気が無くても全く困らないと、豪語する人もいますが。
 
電気が無いとでパッと思いつく例で言えば仮に電化製品としましょう
電化製品を作ると言われる会社では、部品会社が全国各地に有り、電気が安定している条件でないと 基盤とかネジの一本が作れない、部品が安定して送られてこなければ有名メーカーでも世界中に送る品物がも作れない。

マジに困るのはこの後です、有名メーカーは安定して作れる所に移転する・移転供給出来ない会社は切られます、子会社に融資したけど損をしたくない銀行は回収が出来そうな所に回って回ってを繰返します。
子会社・孫会社でも優良企業だろうがなんだろうが、信頼されない銀行は潰れます、お金を預けてる身としては、(負のスパイラル)にもなります、貸した金返せ、周り巡っての発想が無い。

一般家庭では過去一時電気が止まっただけで水が中々出無いトイレでしたけど流せない・ガスが出ない・など困る例も有る、買い物したけど精算が出来ないので商品を買えないなんてザラ。
マンション数十階にいるのだけど急病者が出たから直に来て、助けたいが行きたくても行けません・にも普通に成ります。

結局日本国内に住んでる限り電気が不足すれば東電以外に勤めている誰もが何かの不利益を被ります。

無くて困らない所は無い、無くすなら先ずその代替えの物が有って安定的に供給出来てからにして欲しいです。

酔っ払い親父の勝手な長文ですので・失礼しました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
勿論、安全、安価なエネルギー政策を将来実行して
原発は最終的に廃止になるのが、理想的であると思います。
ただ、だからといって今すぐに何が何でも全て廃止というの
はおっしゃるように現実を見ていないことになります。
ただ、そういう反対の声に対して、政府も官僚も何ら説得力
のある説明を行わない・行えないというリーダー不在の現状
に対して、なんと情けない国になってしまったものかと嘆く
ばかりです。

お礼日時:2012/07/30 19:11

>原発はやはりコストや効率性を考えれば、そんなに簡単に捨ててしまってよいのでしょうか



ただし、目前のコストで言えば小さいコストで大きな効果、ということでしょうが
その後の処理や長期的に管理、見守っていかなければいけないことを考えて
その中で経済状況や国政、文明がどれくらい続いているのか
という課題はあると思います
CO2についても、原発の建築、または使用済み燃料や施設の処理などの工事や作業でも排出される

低コスト、と本当に言い切れるかどうか。

というのが311の事故より遥か前、自分が大学生だった
15年くらい前にも言われていた話でした。

個人的には、現状可能な限りの安全対策
代替エネルギーが確保出来る分は一旦止めて大規模な検査や回収
可能なら廃止の方向もありかと思います。

今突然に全原発を廃止、というのはやはり
ほかのいろいろな面でも現実的ではないかと思います。

日本が経済的に沈没して破綻すれば
現存する原発の止めたものを、管理したり処理する費用すら苦しくなり
さらなる事故や問題に発展するかもしれませんし
そうなれば何のための全廃なのか、と。

ただ、なんについても極端な人がすべてではなく
「声を大きく上げる」のが0か100の人が多いというだけではないでしょうか。

「推進!ないとだめ!」というひとと「絶対廃止!」
という人は大声をあげてぶつかり、具体的な意思表示もします。

でも
「リスクもわかるけど現実、突然全体廃止は無理じゃないだろうか」

「じゃあどう対応すれば」
「何割ぐらいまでなら廃止して大丈夫だろうか」

中庸な意見ほど、細かいことについては意見が割れるでしょうし
全員がまとまって大声を出すということにはなりにくいでしょう。

原発が他の物よりも強い反発を受けるのは
直接的、瞬間的な危険度よりも
広範囲、長期的にわたって汚染されるタチの悪さ
近寄れない、触れない、放射線によって無線ロボなどもうまく働かないなど
事故が起きた場合のあとの大変さでしょうね。

確かに自動車事故で日々命は失われていますが
事故が起きた周辺数百メートルがその先何十年と汚染されるということはないでしょう。

議論が活性化するというのは良いことだと思います。
確かに事故前までは反対などと言うと
どこかの団体とか、運動をしてる人かな?という空気がありましたから。
反対という意見の方が言いやすい時流というのは確かだと思います。
危険性すら議論に上げるのがタブーだったであろう業界も
流石にリスクについては向き合うことになったでしょうし。

極論以外の人たちも大きく声を上げていけばいいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
極端な意見の方が主張しやすいということはあると思いますが、
中庸な意見でまとまらないものが、極端な意見ではなおさらまと
まらず、永遠と主張しあうことになってしまうのではないかと思います。
例えば、死刑廃止か継続か、再軍備か戦争放棄か、など極端な議論
が延々と続くだけで、結論を出そういう気配が感じられません。
原発問題も、極端な議論だけが延々と応酬され、その影で、本来
追及されるべき、政府、行政、東電の責任がうやむやにされてし
まうことが心配です。

お礼日時:2012/07/29 20:14

原発反対運動は極端ではありません。

狭い日本と言えども南北に長い日本。地域差ぐらいの問題でしょう、関東圏の人々は放射性物質が自然界の何倍も検出される所で生活しています。そういう人々がノーモア原発を訴えても何等極端の誹りを受ける事はありません。自動車の例えですが、規模が違い過ぎ同列にはなりません。又何にでもリスクは在る、との事ですが、国が行う事業ではハイリスクは避けるべきもので原発こそその最たる物と認識しなければならぬ、十分な管理能力と責任意識を持った人間による運営は当然の事ですが、一体何人居るんだそういう人が、何時来るか分からない地震、や津波、そしてテロ等に常時備えていられるのか、訓練では100点でもその(とき)に何点とれるか疑問だ。   前に戻ります。金曜日の官邸前デモは一部の政治団体や日教組が自派の活動にきているのも事実、迷惑な事だ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。反対意見も非常に参考になります。
結局今回の原発事故に対する反応は、先の大戦後の軍隊に対する
反応に似ているような気がします。
暴走を誰も止めることができないなら、そんなもの(軍隊など)はない
方が良い、ということで、戦後60年以上戦争の無い時代を築くことが
できたわけですから。
ただ、なんかさびしい気もします。自分の国の指導者も、リーダーも
管理者も誰も信じることができないという現実が。

お礼日時:2012/07/29 20:04

たぶん、福島第一原発の近くの居住可能な場所で一番放射能値の高い所にでも引っ越したなら、説得力があると思いますよ。

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