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円形の和紙に貼りつく赤きひれ掬われしのち金魚は濡れる

という短歌なんですが、まず鑑賞文ってどういう感じで書けばよいのでしょうか。

とりあえずなんとなく書いてみたのですが、自分で読んでも変だと思うのですw
アドバイス貰えたら嬉しいです↓

なにかしら生き物が濡れた状態だと、哀れな姿に見えるものです。
しかし水中の金魚は、ひれを揺らし優雅に泳ぐので、決して哀れだとは感じさせません。
しかし作者が金魚を掬いあげたとたん、綺麗だった赤いひれが和紙に貼りつき、
のたうつ金魚を見て哀れだと感じ、初めて濡れているのだと感じます。
金魚が水の外に出たとたん、私たちが受ける印象は一転するのです。

A 回答 (4件)

おもしろい短歌ですね。


そしてあなたの鑑賞文もなかなかすてきだと思いました。
確かに、水の中を泳いでいる金魚を「濡れている」とは表現しませんね。
水の中にいるのだから濡れているのは確かなのですが、自由に泳ぎ回っている金魚を「濡れてる」とは形容しにくいと思います。
それが掬われて自由を奪われ、水から引き上げられた途端に「濡れている」と感じられる。その対比をメインに持ってくるのがオーソドックスな評論でしょう。
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この回答へのお礼

おもしろいですよね!
今まで私が読んだ数少ない短歌の中で一番好きなものなんです♪
そして褒めてくださってありがとございます、適当に書いたと書いてるけど、
それなりに頑張ったので嬉しいです^^
アドバイスのほうも参考にさせていただきます。

回答有難うございました^^

お礼日時:2012/07/30 23:12

よくまとまっていると思います、しかし、しかし、と2度使っている。


2度目のしかしはいらない。使うなら「だが」でいいと思います。
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この回答へのお礼

確かに!
読み返したら、なんか変ですね・・。
「だが」に変えたいと思います。

回答ありがとうございました^^

お礼日時:2012/07/30 22:43

 短歌から推測される、詠まれた時の情景・心理なども説明したほうがいいんじゃないかな、と思います。



 質問者さんもお気づきのようですがこの歌は、おそらく金魚すくいの時に詠まれた歌であり、金魚すくいが行われるのは縁日など、とてもハッピーな雰囲気、雑踏の中で行われます。

 そんな中で掬った後の金魚の姿を見て、詠み手はがく然とするわけですので、詠み手の心理を鑑賞するのはもちろんですが、それだけではなく、1匹だけ掬われた金魚の「思い」を、人間の楽しい雰囲気・雑踏などと対比して推測してみると、もう少し深みのある鑑賞文になるかもしれません。

 詠み手自身も、金魚の思いに想到して、歌を詠んだのかもしれませんし。

 例えばそうすると、「濡れる」とは、単に金魚の体が水に濡れているということだけではなくて、詠み手は金魚がべつなものに濡れていると感じたのかもしれないと想像する余地も出てきそうです。
 
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この回答へのお礼

なるほど!
さっそく取り入れたいと思います
そして「掬われた金魚の思い」は、考えもしませんでした;;
いろいろな目線からみたら、想像が膨らんできました
もう少し良いものが書けそうです。

回答ありがとうございました^^

お礼日時:2012/07/30 22:38

とてもよい鑑賞文ですね。


「掬われししのち 金魚は濡れる」の発見が、この短歌のキモですから、この発見から、作者が何を感じたか、それをあなたが考えて、「水から掬いあげられた金魚の哀れさ」と、鑑賞したのだから、それも、「和紙に貼りつく 赤きひれ」という表現を根拠として示しているのですから、しっかりと書けていると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
がんばって書いたので嬉しいです^^
回答ありがとうございました!

お礼日時:2012/07/30 22:22

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