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「夏にふれてくる金魚売り」の「ふれる」

 日本語を勉強中の中国人です。次の文の中の「夏にふれてくる金魚売り」の「ふれる」はどういう意味でしょうか。

 「庭に出っぱなしで終日を弟と二人で過ごすわたしの耳朶にいまでも残るもの売りの呼び声は、毎日のとうふ屋、魚屋、たまにやってくる竿竹屋、夏にふれてくる金魚売りなどであったが、いずれも雨風の音、虫や鳥の声音と同様ののんびりとした環境音であった。」

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (19件中1~10件)

こんばんは。


この「ふれて」は「広く知らせて」という意味でしょう。

「折にふれて」や「事にふれて」と同じ用法で、
「夏にふれて」が「夏が来るたびに」という意味であると考えると、
ANo.5の回答者さんが引用されている辞書では[一](2)の
「機会・物事に出合う」という意味にあてはまることになります。

でも、「折にふれて」は「もし機会があればそのたびごとに」、
「事にふれて」は「もし何かが起こればそのたびごとに」という
意味で、この用法は偶然に出合う機会や物事に用いるものです。
季節や月や曜日のように定期的に必ずやってくる時期には
使わないように思います。「春にふれて」、「1月にふれて」、
「月曜日にふれて」という言い方はされないでしょう。

また、この「夏にふれてくる金魚売り」という部分は
直前の「たまにやってくる竿竹屋」という部分と対句となり、
「夏に」が「たまに」、「ふれてくる」が「やってくる」、
「金魚売り」が「竿竹屋」に対応しているものと考えられます。
一方を「夏にふれて」と「くる」、他方を「たまに」と「やってくる」に
分けて考えるのは不自然に思います。

以上より、この「ふれて」はその後の「くる」につながって
「ふれてくる」となり、「金魚売りであることを広く知らせながら
くる」という意味で使われている言葉だと思います。
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この回答へのお礼

 ご丁寧に教えていただきありがとうございます。とても分かりやすいと思います。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/07/17 21:08

>これも一理ありますね。


一理ですか・・・。私は、百里も千里もあると思っています(^^)。

>ベストアンサーはどれにしましょうか。相当迷っています(><)。
反論が出るまで二週間くらい放っておいたらどうですか。

「夏にふれてくる金魚売り」

(解釈A)夏になると「金魚え~」と売り声をあげて回って来る金魚売り。
「辞書」広く人々に知らせる。「隣近所に―・れて回る」     

(解釈B)夏という時期に出会ってやってくる金魚売り。
「辞書」ある時期や物事に出あう。「折に―・れて訪れる」「事に―・れてからかわれる」

AかBのどちらかです。
私は、「ふれて」は、文の調子を整える増量的な意味合いは多少ありますが、意味は「金魚え~」とふれ回ってくるということだと思います。・・・Aです。

Bの「ある時期に出会う」の「時期」について、春夏秋冬、1~12月などの必ずやってくる時期に使用した例がないように思います。
夏に出会って(遭遇して)金魚を売りに来るわけがないと思います。

「北海道へ行って一足早い秋にふれてきました」・・・これは東京より一足早い秋のさわやかな気候にちょっとさわってきた、もしくは、一足早い秋に出くわしたということでしょう。
この「秋」と、金魚売りの「夏」は、性質が違います。
金魚売りは商売です。レジャーではありませんので、遭遇する夏では商売になりません。
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この回答へのお礼

 度々ありがとうございます。この質問は2010/07/27の22時(日本時間)に締め切りさせていただきます。

お礼日時:2010/07/20 22:51

 ANo.15


 触れるという語でご説明が、ANo.15の後にございます。
 触感は五感の内、この地上に肉体的存在でいる実感や、経験するという意味性を内含しておりますので出会うや経験するということに広く使われる事は確かではないでしょうか。
 他の視聴味嗅は肌(肌でいる肉体)での存在と経験ではなく、来たもの来るものを受け取るという特徴があると存じます。
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この回答へのお礼

 度々ありがとうございます。申し訳ありませんが、今回のご説明の意味はよく理解できていません。

お礼日時:2010/07/19 23:04

Ano,16です。

追加します。

「ふれる」には「出会う」と同じ意味はあります。

出会うは、Goo辞書には次のように書いています。

であう ?あふ 【出会う/出合う】 (動ワ五[ハ四])
補足説明「いであう」の転
(1)偶然に人や動物に会う。行きあう。遭遇する。
「二人が初めて?・った所」
「山道で熊に?・う」
(2)ふと目にする。事件を体験する。目にとまる。
「こんな奇妙な文章に?・ったことはない」
「大事件に?・う」
(3)出て行って相手になる。多く命令形で用いる。
「なう人殺しがある?・へ?・へ/狂言・胸突」
(4)出て行って会う。特に男女がしめし合わせて会うことをいう。
「中二階にあがれば樽屋?・ひ/浮世草子・五人女 2」

「出会う」は「出くわす」とか「遭遇する」とか言う意味で、偶然性があるものです。
いつも確実にやってくる季節には、偶然性はありません。
(東京人が夏の終わりに北海道へ行って、秋に出くわすことはあります、これは偶然です。)

夏は毎年確実にやって来るものです。金魚屋は確実にやって来る夏に金魚を売って回っているのです。
夏に出くわして金魚売りをしているのではありません。
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この回答へのお礼

 何度もご親切に教えていただき本当にありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2010/07/19 22:59

私は「ふれてくる」を「金魚え~と売り歩いてくる」だと思っているものです。



「北海道に行って、一足早い秋にふれてきました」
・・・この「ふれて」は、「実際にさわってきた」ということでしょう。
「秋にふれてきた」ということは、さわやかな空気や澄みわたった青天などを少し味わってきたということで、「折にふれて何々」とは明らかに違うと思います。

頻度の順に関してですが、
「毎日のとうふ屋、魚屋、たまにやってくる竿竹屋、夏にふれてくる(金魚え~と売り歩いてくる)金魚売り」・・・と、チャンと頻度の順になっています。問題ありません。

「ふれてまわる」を金魚売りだけに書いていますが、これは他の物売りはふれまわりをしていないということではありません。
どの物売りもみんなふれて回っていることは、文の冒頭から明らかです。
金魚屋だけ「ふれまわり」を強調しているわけがありません。

この「夏にふれて」は、夏に力点があります。「ふれて」は文の調子を整えるための語句ですが、意味はやはり「ふれてまわる(金魚え~)です。
「毎日のとうふ屋、魚屋、たまにやってくる竿竹屋、夏の金魚売り」ではヘンでしょう。
「ふれてくる」を入れないと文章が整いません。
「夏にやってくる」でもいいですが、「やってくる」は竿竹屋に使われちゃっています。

とにかく、「折にふれて」の「折」を春夏秋冬、年月、曜日などに替えて使用した例に、私はまだお目にかかってません。
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この回答へのお礼

 度々ありがとうございます。これも一理ありますね。本当にありがとうございました。私はどうしたらよいでしょうか。困ったもんです(><)。ベストアンサーはどれにしましょうか。相当迷っています(><)。

お礼日時:2010/07/19 22:51

 ANo.8


 鰯こ(いわしこ)。
 大きいめだかのような小さな鰯の子ども(孵化してちょいと経った)
 二つの桶(盥のような)にね、生きているのをいれてぴちぴちしている。
 それを天秤で担いで、大きなしわがれ声で短く切った調子の呼び声でしたよ。
 納豆や豆腐のような間延びした声じゃ、鰯が腐っちゃう。
 短くいって最後を、っこ。ってきるんです。それを続けるんです。
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この回答へのお礼

 度々ありがとうございます。面白いです。聴きたいです^^。本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/07/19 22:43

見解が分かれている理由は、視点の違いによるものだろうと


思います。
分けると、主として「夏にふれてくる金魚売り」という部分に
注目された方が、「広く知らせる」意味だと捉え、私と同じくその部分
以外の文章も考慮に入れた方は、「ある時期や物事にであう」意味と
捉えているようです。

質問文の「ふれて」が、第一義的には「ある時期や物事に出合う」
だろうという理由は、「毎日の」、「たまにやってくる」、これらふたつが
物売りのやってくる頻度を言っているのに、「広く知らせて」という
意味ですと、金魚売りについてのみやってくる頻度以外のことも
書いていることになり、前のふたつと比べ異質になってしまう
というのがひとつ。
また、豆腐屋、魚屋、竿竹屋、金魚売り、実際にはこれらの全てが
「広く知らせ」ながらやってくるものであるにもかかわらず、金魚売りに
ついてだけ、なぜかわざわざ広く知らせてくると書いていることに
なってしまい、この点でも不自然です。
文章を書くときには(少なくとも私は)部分よりも全体の調和を優先
すると思いますので、「夏にふれてくる金魚売り」の意味は、「夏に
出合って(=夏になって)くる金魚売り」だと思います。

ついでに書きますと、「折にふれて」や「事にふれて」は、「機会や
何らかの出来事に出合うと(そのたびに)」という使われ方から
慣用句になったものです。
これに引きずられてしまうのは分かりますが、「ふれる」は「北海道に
行って、一足早い秋にふれてきました」などのように、「ある時期や
物事に出合う」という意味で使われます。

ただ、上記の理由から第一義的にということはないと思いますが、
「ふれて」に掛詞として「広く知らせて」の意味も想起させる意図がある
ということは考えられます。


なお、前回の『「夏をふれて」という言い方……』は、理由にも
なっていませんでした。
夏の風物詩のひとつである金魚売りが、その声で聞く人に夏であることを
感じさせながらやってくるという情景を想像して、あのように書いて
しまいましたが、ご質問とは関係のないことでした。
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この回答へのお礼

 再びありがとうございます。納得できました。大変参考になりました。助かりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/07/17 21:46

ANO.11です。


たしかに「折にふれて」は、「機会があったとき」だと思いますよ。
しかし、春夏秋冬、何月日、曜日などを、「折」や「時」に変えてこの言い方に使った例を知りません。
「冬にふれて」のような言い方を見たことがありません。
「ふれる」という言葉の大本は「軽くタッチする」ということです。
ガッチリ、キッチリと、おさわりするものではありません。
この「軽いタッチ」は、「ふれる」のいろいろな用法に共通しているものです。
定期的に必ずあるものを「~にふれて」とは、言わないと思います。

「夏にふれてくる金魚売り」は、「夏に『金魚え~』と言いながら売り歩いてくる金魚売り」でしょう。
とにかく、春夏秋冬、何月日、曜日などを、「折」や「時」に変えて、この言い方(折にふれて)に使った例は、見たことがありません。
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この回答へのお礼

 何度もご親切に教えていただき本当にありがとうございました。とても参考になりました。

お礼日時:2010/07/17 21:23

淡雪さん、こんにちは。



以下は個人的な意見です。
確証は無いです。


この文章を整理してみましょう。

--------------------------------------


私と弟が、庭で終日過ごしていると、いろいろな物売りの声が聞こえてきた。


*春夏秋冬 休みなく、毎日やって来る 
 - 「とうふ~、とうふー」   豆腐屋の売り歩く声
 - 「さかなー、いらんかえー」 魚屋の売り歩く声 
 ( いらんかえ -「いりませんか? ( 必要ですか? 必要なら買ってください )」の意味 )

*たまに ( 1ヶ月に1、2度 ) 、やって来る 
 - 「たけやー、さおだけ。」 竿竹屋の売り歩く声


*夏に、やって来る 
 - 「きんぎょ~、きんぎょー」 金魚屋の売り歩く声


私の耳に残る ( 記憶に残る ) これら ( 数種類 ) の物売りの声は、
( 雨風の音、虫や鳥の声音と同様の )
いずれも のんびりとした環境音であった。

---------------------------------------

上記のように、色々な物売りの声を期間別に比較しています。

上記から、
「夏にふれてくる金魚売り」-「毎年の夏になるとやってくる金魚売り」だと分析できます。

つまり、ここの「夏にふれて」は「夏が来るたびに」の意味
この場合の「ふれる - 折に触れる -機会」の意味だと思います。
このページの 1-(5)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%8 …
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この回答へのお礼

 kentaulusさん、こんばんは。ご親切に教えていただきありがとうございます。ご意見は大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/07/17 21:18

NO.5です。

NO・10さんの説に賛成。

確かに定期的なものには「~にふれて」はないな。見たことがない。

意見がコロコロ変わってごめん隊<(_ _)><(_ _)><(_ _)>参上。
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この回答へのお礼

 度々ありがとうございます。結構揺れていますね。私も^^。ごめん隊はかわいいですね^^。お気になさらないでください。

お礼日時:2010/07/17 21:12

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