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毎日、オリンピックの模様が報道されていますが、
選手のコメントの中に、引っ掛かって仕方がないものが見受けられます。
金メダルを取ることができなかった選手の、「申し訳ない」というコメントです。

これ、ものすごく傲慢なコメントだと思うのです。
自分としては努力を積み重ねてオリンピックの舞台に臨んだが、
実力を出し切ったものの上には上がいて取れなかったにしても、
実力を出し切れなくてメダルを逃し悔いの残る結果であったにしても、
「申し訳ない」って、メダルを獲得した上位選手に対して、失礼でしょう。

戦争に負けて、諸外国にすべてを牛耳られて国民として劣等感が蔓延する中で、
スポーツの舞台で彼らを打ち負かし、世界の頂点に立って金メダルを獲得した選手は、
「国民に勇気を与える」存在だったのかもしれませんが、今はそんな時代でもありません。
日本人が金メダルを取れば、それは国民として普通に嬉しいと感じますが、
取れなくても決してガッカリなどしないし、
取れなくて申し訳ないと言われると、非常に鼻白んだ気分にさせられるのです。

皆さんは、金メダルを取ることを期待(確実視)されていた選手が金メダルを逃したとき、
「申し訳ない」と言われて、素直に受け取っていますか?
おかしなコメントだと思いませんか?

A 回答 (15件中1~10件)

私は選手が「申し訳ない」と発言するのは変だと感じます。



オリンピックを見ていて選手のインタビューを見るたび、おかしいなあと感じていました。
数日経っても「やっぱりおかしい」と思ったので、ネットで同じ疑問を感じている方はいないだろうか?と思い「オリンピック 申し訳ない」と検索するとここを発見しました。

なんなんでしょうねこれは。金はとれなくても銅や銀をとるということは世界2位や3位という順位が決定したのだし素直に喜んでくれよ、と思います。応援しているこっちが残念になります。
そりゃ金に越したことはないですが、今の精一杯の結果はそれなのだからよく頑張ったし、それ以上でもそれ以下でもない。

日本のメダル数の順位を見ると銅や銀に比べて金が3分の1ほどと、他の国にはあまりないパターンです。
「国民のみなさんに応援してもらっているので金をとらないと申し訳ない」という気持ちがあるから不安になってしまい最後の最後で勝てなくて金がとれないのでは?と勘ぐってしまいます。

選手には4年に一度のスポーツの祭典を精一杯楽しんでもらい、その一生懸命な姿を見て我々は楽しいのであくまで結果は結果。
個人的には金銀銅にかぎらず、北島選手の「「超キモチイイ!」というくらいのスタンスで楽しんでくれれば私はもっと楽しいです。

そういえば、ロンドンからの中継でさんまさんも「国民に申し訳ないと思いますか?なんて聞くもんじゃない」っていってましたね。まあネットでは批判されているようですが。
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この回答へのお礼

私と同じ違和感を感じていらっしゃるようですね。

日本国内の雰囲気がおかしなことになっているので、
メダルにリーチをかけた選手がもう一歩のところでメダルを逃す、
というのは、なるほど、ありそうなことですね。

さんま発言のことは知りませんでしたが、
この質問の中でも「税金をかけたのにメダルが取れなかったので謝罪は当然」という
信じられないような感覚の人が一部いるようですので、
そういうズレた人たちは、何にでも噛みついてくるのでしょうね。

私も、4年に一度のスポーツの祭典に、世界のトップクラスの選手が集い、
勝っても負けても熱戦を繰り広げるのを純粋に楽しんでいる様子を見て
楽しみたいと思っています。

お礼日時:2012/08/19 10:46

#5です。


お礼並びに補足を拝見しました。

まぁぶっちゃけ、この発言自体が質問者さまに言ったものではないのです。
メディアでの発言をいかにも、(質問者さまのように)自分に対しての発言だ、(テレビに向かって「○○だって言ったじゃないか」というような人のように)双方向のコミュニケーションだと勘違いしている人がいますが、あくまで発言者は“その他大勢”に向けて言っているわけであって、それにそぐわない人はスルーするのがメディア・リテラシーというものです。
要は「あんたにゃ、言ってない」ってことですね。

質問者さまの言う“おかしなコメント”を受け取る道理のある人もいますし、#5で回答した通りに素直に受け取るのではなく「いやいや、そんなことない。頑張ったよ!」と返す人もいるわけで、そういう人に向けたコメントです。
先ほどから言っていますが、素直に受け取っちゃって疑問を抱くような質問者さまに言っているわけではありません。

なんかお礼や補足を拝見すると、いかにもいい人アピールをしていますが、
>精一杯頑張った結果、メダルに手が届かなくても、温かく拍手を送ってあげたいと思うのに、
のあたり、#5でも指摘はしましたが
>非常に鼻白んだ気分にさせられるのです。
とは矛盾してますね。
温かく拍手を送りたいと思っている人に対する言葉じゃありませんよ。
(せいぜい“謝る必要なんかないよ”程度でしょう)

質問者さまの温かい拍手を受け取るには、選手も言葉に慎重にならねばなりませんね。

なにやっても批判をされる。
世界のレベルって、肉体的にはもちろん、精神的にも大変だなぁって思います。
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この回答へのお礼

いったいなぜ、そこまで私を馬鹿にしたいの?
気味の悪い人だね。
「鼻白んだ」は適切でなかった、って言ってんじゃん。
それをまたつまみあげて、矛盾してますね、って、何なんだか。
そうやって粘着しないでもらいたいものです。
もう、私にまとわりつかないで。ね。

お礼日時:2012/08/21 13:57

負けた悔しさという極限状態の中で、自分自身の気持ちを落ち着かせるための、もっとも簡単な言葉です。



自己保身のための、自己中な敗者の弁…

関係者を気遣うよりも、まずは勝者を讃え、敗者を気遣かってほしいものです。

日本人は、スピーチが下手くそですね。


女子サッカーワールドカップで負けたアメリカ・ワンバック選手の言葉が好きです。

「これは絶対に勝たなければいけない大会でした。大会中ずっとそう思っていました。同時に、日本にはより大きな力が働いていたようにも思いました。彼女たちはこの大会にかけていました。だから、もし負けるとすれば、それは日本であってほしいと思いました。彼女たちはとてもまとまっていましたし、すごい気迫で闘い抜いたチームだからです。」

すごいと思うのは、、負けた悔しさ・落胆ははっきり述べると同時に(でも、嫌みにはまったく聞こえない)、自分たちを誇り、そして勝者に対して賛辞を惜しまなかったことです。

さらにすごいのは、これらのことをわずか20秒ほどで言ってしまえる言語技術です。

ああいう負け方をしても、彼女たちは凛々と、悔しさ、自分に対する誇り、相手に対する賛辞を述べていました。

日本人にも、学んでほしい…

私たちが忘れかけている大事な心を。
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この回答へのお礼

なるほど、日本人の気持ちの表現のスキル不足ということですね。

ワンバック選手のスピーチ、素晴らしいですね。
まさにスポーツの醍醐味、スポーツマンシップを上手に言葉にしている、という感じですね。

それだけ素晴らしいコメントを貰っておきながら、
なでしこジャパンの表彰式での落ち着きの無さときたら、残念でしたね。
日陰のスポーツから急に脚光を浴びて、勘違いしてはしゃぐのは、みっともないです。

お礼日時:2012/08/21 13:51

こんばんは。



他の方の回答にもありますが、
「せっかく応援してくれたのに勝てなくて申し訳ない」
「代表に選ばれなかった選手や支えてくれた家族に対して申し訳ない」
という気持ちが出ているのだと思います。
(どちらにしても本人に直接言えばいいと思いますが)

あと、大会前にメディアがさんざん「この選手は金メダル確実」などと
報道してしまうので、選手も使命感のようなものがあるのかもしれません。
特に柔道なんかは、金メダル以外は全部負けのような風潮が柔道界の中でも
あったりするようですし。

個人的には、金メダルが取れなかったからといって
ガッカリもしなければ怒りもわきません。
一所懸命試合をしている姿を見れば、たとえ負けても感動したりします。
むしろ、純粋に勝って喜んだり、負けて悔しがっている姿の方がグッときたりします。

最近のスポーツ選手って、勝てば「声援のおかげ」、負ければ「期待に応えられなくて」と
やたら言うような気がします。

多くの声援があれば「がんばろう」と思うのは分かるのですが、
私は勝っても負けても「選手の力」だと思います。

ボクシングで金メダルを取った村田選手が
「才能があって金メダルを取れた」
と言っていましたが、それでいいと思います。

少し脱線してしまいました。すみません。。。
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この回答へのお礼

金メダルが取れなくても、ガッカリもしなければ怒りも湧かない、
純粋に、勝って喜び、負けて悔しがる姿を見るのが楽しいので、
私たちは五輪を見るのだと思います。

勝って「応援のおかげ」「支えてくれた人たちのおかげ」というのは良しとして、
(本心としては、「頑張ってつらい練習を乗り越えてきてよかった」と言ってほしい)
負けて「申し訳ありません」は、やはり変です。

お礼日時:2012/08/21 13:47

金メダル至上主義で、強化費も一番多い?ような競技の選手が、過度の重圧で二回戦で敗退したら、「申し訳ない」と言うしかないでしょうね、でもそれ聞いても決して清々しい気分にはなりません。


 まして銀を恥じるような発言(選手で無く、協会幹部でした)は銅以下のライバル達に失礼なのは言うまでもありません。もはやお家芸でもないのに、誰もそんなに期待しちゃいないよ、自競技意識過剰という他ない。 その謝罪の仕方が慣習化して他の競技でもそう言うようになったのでは?
でも一応アマチュアなので、私はそう目くじら立てませんが、プロの発言はそうはいきませんね。
 「頑張りますので応援よろしく願います」、、プロ野球で言われ始め、今や大抵の選手が何の工夫も無く踏襲してますが、プロ意識サービス精神旺盛な、新庄選手は大批判しましたね。プロなら言う事もっと考えろよ、と。プロでなくとも頑張るのは当たり前だろ!と私も思います。
 「代表戦で戦う意義は?」という趣旨で訊ねられ、「完全に自分の為です(国の為でなく)」と即答したのは中田英寿でした。喝采もあれば大批判も呼びました。当時までスポーツ界に置いて、あまりに個人主義が無く、精神主義ばかりだったので誰かが言わなければならない事でした。ヒデ氏にしてもその後の活躍みれば誰よりもチームに献身的にハードワークしたんだけどね。ああやっとこういうの現れたかと感慨したね。
 「国民栄誉賞、何それ?現役選手に出すものなの?」という感じでやんわり受賞お断りしたのはイチローさんで、チョーうれしー?は誰だっけ、ビッグマウスの本田△もそう。クールネスのある発言できるのは皆チョー一流選手に限られます、はっきり言うけど知性派だよ。だから生意気・嫌いな人も多いでしょう。でもその言葉の知性が如実にそのプレーを作り上げてますよ。で彼らは別に、国の為にプレーしていないのははっきりしてるし、不要な謝罪はしませんね、でも逆説的に彼らこそ国の為になってるの認めないわけにいきません。
 つまり過度の代表意識は必ず人を萎縮させるので、強化の為にはならないし、御質問で問題のコメントはその事に関わってます。主さんは、勝たなきゃいけないガチガチの{義務}意識がその謝罪を生んでるとお感じになり、もっと清々しい{権利}のプレーを望んでるのじゃないかしらん?
 ナデシコの沢川澄などは本来選手に入るはずのCM収入をおそらく協会にかなり拠出してる?でしょうから銀でも恥じる事はありませんし、スポーツ振興くじ収入が全競技の強化費に回されてるはずなので、メダル逸しても難癖つけられる謂われは無いと思いますが、仮に多額の税金が投入されてるのなら、その事で申し訳を言うのは理解すべきとも思います。
 ちなみに、代表を訳すとReplesentativだと思いますがこれは普通、欧米で代議士の事です。代表チームはolympic team,アメリカでAll-star team、サッカーブラジル代表はセレソン=Selected teamで、選抜チームの事です。本当はただの競技者が国民を代表なんかできるわけないので、ただの選抜の方が相応しいんですよね。過度の代表意識は戦争でもそうですが、兵士・選手のメンタルがんじがらめにしがちなのは史上明らかです。こう言うと語弊ありますが、近代国家以前の戦では清々しい面も、楽しさ?のような局面もあったのです。じゃないと誰も時代劇なんか見ないでしょう? 完全に国家に従属してはいない戦いです。それと同じ事。 ちよっと東アジアの国はナチョナリズム強すぎるの今回あきらかでししょう。日本は引きずられて同様にならないよう望みます。
 尚、欧米では無闇に誤りません、訴訟に負ける証拠になってしまうし、宗教上も非を正式に認める事になってしまいます。
 大事なあなたのご質問ですので、原理的な事も書きました、心から強くなる為です。あしからず。
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この回答へのお礼

私自身が、自信満々で知性派のチョー一流選手が好きなので、
謝る必要もない場面で勘違いして泣きながら謝ってしまう二流選手を見ると、
それは違うだろう、と感じるのかもしれません。

お礼日時:2012/08/21 13:42

私の様な凡人でも、期待されていたのに成果が出なかった時は、まず「申し訳ありません。

」と言いますね。普通の日本人の感覚なんでしょう。外国人は違うようだけど。

柔道を例に挙げておられますが、東京オリンピックで日本の神永選手がオランダのへーシンク選手に決勝で敗れた時のバッシングは酷かったですよ。あれに比べれば、今はマシになったと思います。
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この回答へのお礼

東京オリンピックで銅メダルを取ったマラソンの円谷さんは英雄扱いされ、
次のメキシコシティオリンピックへの期待を背負わされながら、
怪我をして、それを悲観して自殺してしまう、という悲しい事件がありました。

その当時は、日本人がスポーツで欧米諸国を下すことに対して大いに熱狂したでしょうし、
メダルを取れば英雄扱いされ、勇気や希望を与えられたという一面もあったでしょうが、
今はそんな時代ではないと思うのです。
選手を始め、オリンピック関係者の中には、この感覚を少なからず引きずっているので、
「申し訳ありません」というコメントになってしまうのではないか、と思います。
私には、それを「日本人の美徳」と受け取ることはできません。

お礼日時:2012/08/19 10:38

選手には何かそういわなければならない空気のようなものが感じられるんじゃないでしょうか

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この回答へのお礼

競技ごとに、それは確実にありますよね。

柔道なんて、最悪だと思います。
何なのだ、その悲壮感は、とすら感じます。
私たちが見たいのは、ひたむきにスポーツに打ち込む姿なのに、
全然楽しそうにやっていない姿は、見ていてもつまらないですね。
そんな空気の中でやっているから、メダルを逃して申し訳ない、なんて的外れなことを
泣きながら言ってしまうのでしょう。

なでしこジャパンは、直近のワールドカップチャンピオンということで、
金獲得が有力視されていた割には、選手たちから金を逃した謝罪の言葉は聞かれませんでしたね。
日本女子サッカー初のオリンピックメダルだから、銀でも充分かも、という空気があったせいかもしれませんが、
例えば、次回ワールドカップを連破した後、次回オリンピックでも銀だった場合、
今回の歓喜とはうって変って、「金を取れなくて済みません」ってことになってしまうんでしょうか?
そうならないことを期待したいと思います。

お礼日時:2012/08/10 11:29

可笑しいとは思いません。

『盛大に声援してくださったのに、期待に答えられなくて…』という偽りのない気持ちだと思います。ことばを素直に受け取り、健闘には拍手を送ります。

本人は出るからには(金)メダルという意気込みで戦うでしょう。これは選手として当然ですし、ある意味では出場する上での条件のような気もします。

本人の気持ちと裏腹に、期待(確実視)するのは外野なのではないですか?
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この回答へのお礼

そうですか。。
どんなにメダルが確実視されている選手であっても、
メダルを逃してガッカリ・・ と私は思わないのですが、
応援される方は、ガッカリさせて申し訳ない、と思ってしまうものなのかな・・。

お礼日時:2012/08/10 11:21

今は何かにつけすぐ文句が出る時代です。

こういう質問が出るくらい、選手がなにか発言するとすぐいろんな意見が表に上がってくるのです。ネットが普及してなかった頃は3日くらい新聞の投書欄を賑わしてそのままフェードアウトでしたが、今はたとえば選手がブログ持ちならたちまち炎上して収拾つかなくなる時代なのです。

そんな中、選手は「自分のため」であるとはいえやはり国民の期待を裏切ってしまったということを気にせずにはいられないでしょう。
私は個人的には申し訳ないと言う必要はないと思うのですが(それはメダルが獲れなくて残念とは思いますが、勝手に期待して勝手にメダルだと焚きつけている国民とマスコミより、悔しい思いをしているのは間違いなく本人だから)決して鼻白む思いはしません。

正直に書きます。
むしろ「申し訳ない」というようなニュアンスのない言葉を発しなかったら、たちまち文句を言う輩が百倍は出るでしょう。
選手には住みにくくなりました。

あと強化費の話をお書きの方もおられますがスポーツ大国になりたかったらそれ相応の費用は必要です。
どの競技団体もお金がなくてキュウキュウしてるんです。

私は申し訳ないと言ってもらわなくても一向に構わない(むしろ言ってほしいなんて思うほうが傲慢に思える)派ですが、そのコメントをおかしくも思いません。選手としては、強化費の話だけではなく、今まで教えてもらったコーチ、支えてくれた裏方さん、そして国民の期待、すべてに対して申し訳ないと思う気持ちに嘘はないと思うからです。
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この回答へのお礼

私の感覚とほとんど同じで、最後の結論だけ違う、という感じですね。

一部、金を逃す=税金を無駄遣いしたのだから、謝罪は当然、
と捉えている、信じられないような感覚の人がいるようですが、
多くの国民は、スタッフも含めて、
「金を取ってくれたら嬉しい、取れなくても清々しく前向きなコメントが欲しい」
と思っているはずで、
謝られてしまうと、逆にガッカリしてしまうのではないでしょうか?

卓球の石川選手や、男子柔道の選手が、泣きながらメダルを逃した謝罪をしたのは、
私にとっては(「鼻白む」という言葉は適切でなかったかもしれません)「残念」なのです。

お礼日時:2012/08/10 11:14

金メダル候補だろうとそうじゃなかろうと


五輪選手は出場の費用を国に出して貰ってる=国民の税金から出してるんだから
国民全員に対して「申し訳ない」と思うのが当然の姿だろう。

五輪に興味があろうとなかろうと
自分の金が無駄になることは気分の良いもんじゃあない。



例えば公共事業で国が100億円かけて研究してた物が失敗して無駄になったらどう思う?
別にその研究が成功してもたいして嬉しくもない。失敗してもガッカリはしない。
でも金が無駄になったことに対して国民は怒りを覚えるだろう。

そこに「申し訳ない」という言葉はあって当然。
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この回答へのお礼

うわ・・・。
そんなふうに思う人が実際にいるなんて、びっくりと言うか、残念と言うか・・。

金を取れなくて申し訳ない、って、
まるで税金を使ってスポーツをやらせてもらっておいて、
成果を出せなかったなんて、税金を払っている国民の皆さんに申し訳ない、
って、的外れな謝罪をしているな、
と違和感を感じていたんですが、
実際に「金を取れなかったことに怒りを感じる国民」て、存在するんですね。

そんな輩は放っておいて、
精一杯頑張ったけど世界の壁は高かった、
自分はまだまだでした!
・・・って、清々しくコメントしてもらいたいものです。

お礼日時:2012/08/10 11:07

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