自己愛の強い人、つまり性格的なものから、病的なほどの自己中心的な人やナルシシストですが、彼らは自分のその性格のために、周囲から他者が離れていったところで、結局は自分の中のもう一人の自分(これも他者と呼ぶことにします)を愛し、愛されているのですから、淋しくないのかなあと、たまに考えます。
健全な考え、また人に対してのマナーや謙虚さがある人はうっかりはともかく、継続して同じジコチューな自分をだしっぱなしにすると、結果的には人間関係が悪化するということを分かってもいますので、たとえ親密な関係でも、自分を抑えることもできます。もちろん、その人にある真の優しさや穏やかさの他に、孤独になる危機回避という打算も含まれているかもしれません。
しかしある種の方々は、そういうリスクを分かって自己中をやっているようです。(例えば、恋人が離れていくたびに限りなく落ち込む知り合いなどいますが)しかし、それでも懲りずに同じことを繰り返すのです。
ヒトも孤独に対する恐怖の本能がありますが、理性があるのですからリスク回避も考えられます。(それが処世術というのかもしれませんが)
しかしどうしても孤独に陥る人はその結果を(何度も)経験済みなのに、なぜ自分の中の自己中心的な考え(自己愛、甘え)を棄てられないのでしょう?
学習能力がないというのとは、ちょっと違うという場合で。本人はひどく反省しているのに、です。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
自己愛の強い人は自己が一番大事なために、それが脅かされると混乱します。
混乱状態でないときに、学習能力といいますか理性は働きます。
ご回答ありがとうございます。
>それが脅かされると混乱します。
なるほど。納得します。
ある意味で、人間関係を築けない人は、自殺行為だと思うのですが、体に悪いものであると分かっている、危険なことだと分かっていることに挑戦する人々もいて、それは人間は自殺願望があるからだと言われていますが、たぶん、それに近いものでしょう。
彼にとってはタバコや酒という害よりも、心への自傷行為の方が魅惑的に映るのかもしれません。
No.8
- 回答日時:
寂しいから騒ぐんです。
リスクを分かってるのではなく、
「愛されればすべてが解決する」と
いう思想の前提が間違っているんですよ。
愛されることで何かが得られると思っているから
それを他人に要求するのだけど、まぁだいたい
他人だって自分が可愛いから、サポートは
そう長続きするもんじゃないし、無限でもない。
でも、本人の中では「自分が愛されていない」という
否定的感情が大きすぎて、何をするにも
それに振り回される。ここのところの原因は、
人それぞれですが。
結果、人に不快な感情を与えて、
人が離れていくと、
「やっぱり私は愛されていないんだ!」
「周りのせいだ!」
と騒ぎ立てる。
以上の繰り返し。そしてブラックホールに飲まれるがごとく、
不幸なやつだけが増えていく。
何も驚くことではないんだけどね。
ここまで来ると救えるのは神様だけだけど、
そんなやつは、外の世界には居ない。
じゃあどうすればいいんだよという話になりますが、
逆をやればいいだけの話。
無限大に自分から愛せばいい。
ただ人に施し、感謝する。よくある話ですよ。
No.7
- 回答日時:
言語・信(使命)という観点からみて
「自己愛が、厳密に言い述べると『愛』ではない。」というのが、結論です。
言葉として、「自己愛が強い人」というのが、愛を持たない人・愛を育むことができない人である
ということにおいて一般性があります。
能力とその開発の問題です。
中心となるのは、他人に「自慢」するための「物語」です。傲慢です。
そういう人間性(性のプロパティ)=言い換えれば「時制的な虚無」・「無性asexualの非自然」と「信憑性」を出発点として、
過去の渇愛を軽んじ、
抑圧し無意識へと忘却しようとするために、
エリート思考に走った結果、その結論として獲得したのが、
負の人間性
としての 利己主義です。
なんでも長続きしない。実らない。「俺を取らないなんてあほバカである」という思想です。
主義という言葉が当てはまるように「取捨選択」の結果としての=
偽態としての「自己」です。
質問者様のおっしゃる「心理学的=後天的」トラウマから生じた「利己主義」・
「自己中心主義」というのは、存在しないわけではないでしょうが、経験的に見て症例として少ないようです。
私の立場としては、「もしこの論点で『性格』という内容について述べるとするならば、性格は作り上げられてしかるべきものである」ということです。
「病的」と「やまい」は違います。自閉症と自己中は似てもいませんし、現象として異なるものです。
病的なナルシストの実例
「俺は若死にする。短い人生を意義深く過ごしたい。大学院に行くので金を出せ」というような人間です。両親に愛がない とは到底言い切れないのです。
そのひとは、当然長生きしていますが、妹を禁治産者に仕立て上げ、財産を独り占めにし、馬鹿にするために病院におとずれ「野暮用は骨が折れる」とうそぶくような人です。
ご両親は私の存じ上げる限りにおいて、人徳のある人当たりの良い人間味にあふれた「善い人」の典型であったようです。
そういうひとは、殊に景色とか雲行き(雰囲気)に こだわるようですね。
自分はかっこいいというのがすべてだったり・・・
変なことには 気づいても 大事なことには 気付かないようです。
たとえば写真ですが、自分がうつってる写真は全部「ぶっすっとした不幸な顔」。笑顔は、全部両親と兄弟姉妹のえがいたものといったものです。 並んでいる顔を見ただけで自分が一番不幸であるというのがわかるのに、そういう自己中な人は、自分の持っている両親の写真を見ず、変な風景を大事にして見とれ、「不幸のバイアス」を無意識のうちにかき消しているんのです。 作り話のように感じるかもしれませんが事実です。
写真を撮るのが好き。人はいや・・・
これを読んでいる方々のなかでは、もしかしたら、頷いている方もいらっしゃるかと存じます。
あと「素晴らしいことは、自分が全部やった」という認識を持っているようです。他人の助けを認識できず、他人は俺のかかげた目的のために「当然のことをしている」と思い込んでいるのです。
たとえば
最近泥棒・空き巣の件数が増えてきたようだが、けしからん。俺なら近所に鋼板を立てるがどうか?
と近隣の人にうるさく付きまとう人。
で
とんでもないのは、交番ができると「自分が建てた」かのように威張りまくること。
なんじゃそりゃ ということばもでないほど
想像を絶するナルシストぶりです。
自分のその性格のために、周囲から他者が離れていっても何の不自由もないのです。
俺には怖いものはないという態度です。
「くぬう やるかあ!」とつっかかってくる態度です。
>自分の中のもう一人の自分(これも他者と呼ぶことにします)
>を愛し、愛されている
それはないでしょう。「俺には愛がある」と主張しているだけです。
「俺の愛は愛させる愛だ」という言葉を述べていますが、振られてばっかりです。
>淋しくないのかなあ
とか心を開くと、「きさまあ 馬鹿にするなよ!」「いまにみてろ!」とかけんか腰です。
彼らにとって
「愛は、得られなかった 。えこ ひいきである。」
「くっそお そういうことだ こんちくしょう!」
と思うことが
「反省する」ということだと思こんでいる(勘違いが邪魔して反省できない)というのが、本当のところの現実です。
そういう意味合いにおいて チンパンジー以下です。犬でも反省できますので。
出発点として大事なことは、「自分がほしい」という能動性にあります。親の子への愛と「愛がほしい」と考える個人の間の関係性は、えてして、愛の成り立ちとは 独立しているという所です。あえて、「個人の愛」とは記しませんでした。個人の中に愛があるかどうかということが焦点だからです。
おれは つらく当たられている。世の中が悪い。俺は悪くない。
この考えの中で一番大事なことは、世の「中」という「不特定な概念」が、擬人化されているという事実と自分以外の環境そのものが、共通した何かである と認識しているという事実です。
おれは俺がほしい愛がほしんだ!ばかにすんなぁ!じゃまだ どっかにいけ!
というのが自己中の神髄です。(わかるかわからないか分かったの神www)
No.6
- 回答日時:
flau様、こんばんは。
「自己愛」が強い状態とは、「他に誰も愛してくれることが無かったので、自分で自己を愛する他無かった」結果と考えます。
つまり、(それは)他者から見て「打算的だなあ」と思う以上に、(生きるための)本能の為せるところと思います。
・・・親が自分を愛してくれなかったとき、親以上に自分を愛してくれる存在を見つけることは、簡単でしょうか?
・・・「自分の中の自己中心的な考えを棄てられない」というのは、、、「もう十分だ」というのなら要らなくなるでしょ、というのとは違うのです。
ご回答ありがとうございます。
なるほどです。確かにそれが原因だと思える人も知ってます。
ただ、親の愛は子供にとって神の愛ともいえるものですが、その愛を被ることなくしても、自己中心的な自己愛を持たざる人もいます。
利己主義も利他主義も、愛の対象が自分か他者かという違いと同時に、憎しみの対象も自分か他者かという違いで、社会も大きく変わります。
例えば古い怒りや心の傷の抑圧が爆発するとき、他者に向くと反社会的となり、自己に向かうと自傷行為となりますが、どちらかというと、自己に向かう方が同情や理解を得やすい。
本能という言葉が出てきましたが、自己保存の本能を考えたとき、打算は逆効果なのではないかなと。
結局は自分も他人も傷つけず、損得考えない、納得した上での他愛精神主義の方は、まわりまわってその恩恵が本人に返ってきたとしたら、本物の自己愛なのでは?と思います。
No.3
- 回答日時:
人間も所詮獣です。
現実の世界で理性での言動は全体から考えると僅かだからでなないでしょうか。しかも感情はなかなか理性でコントロールはできない。だから後で理性的に考えて後悔する。「それでも懲りずに同じことを繰り返すのです。」というのは、自己チューな自分についてきてくれる(親の様な)異性がどこかにいると考えているのではないでしょうか。
ご回答ありがとうございます。
脳の構造を考えても、感情を司る脳が基盤に位置していますので、これがひっくり返ったら果たしてどうなるか、というのは興味がありますね。
学習能力が壊れているのは、私も自覚するものもあります。
しかしどうしても同じことを繰り返してしまう。
他人事ではありません。しかし自己統制(つまり超自我ですが)の力も強すぎて、むしろジコチューな人への憧れがあります。
No.2
- 回答日時:
三つ子の魂百まで、とはよく言ったもんですね、ってことじゃないですか?
発達心理学上も、(大雑把に言うところの)性格形成はおよそ3才までに終了するという定説がありますよね。
そして、質問者さんの質問は、なぜ三つ子の魂は百までなのか。
二十才とか三十才くらいで変化(修正)してもよいのではないか、ということですよね。
質問の答えにはなりませんが、
幼児期に形成された性格がなぜ途中で変わらないか/変えられないかと問うことよりは、例えば、異性にフラれてとことん落ち込んでいる自己中な人にはどう接したら良いか、という読み替えではだめでしょうか。
ご回答ありがとうございます。
心理学から切り口ですね。ですが、「異性にフラれてとことん落ち込んでいる自己中な人にはどう接したら良いか」というのは質問の主旨ではありません。「幼児期に形成された性格がなぜ途中で変わらないか」には興味がありますが。
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