痔になりやすい生活習慣とは?

漠然とした質問ですが、よければお付き合いください。


ご自分の中にいくつかの矛盾した「信念」や「感情」や「行動」があると思います。


・ご自身はどのような矛盾を抱えていますか?


・その矛盾をどう思いますか?


・そういう矛盾があるという事実に対して、どう向き合えば良いと思いますか?


・矛盾は無くせると思いますか?


以上、四つの質問になりますが、答えられるものだけで構いませんのでよろしくお願いしますm(_ _)m

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A 回答 (18件中1~10件)

http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/saiFrame.html

こういうページがあったので、参考になるかわかりませんが。
哲学メニューの中の13番「矛盾」です。
抽象的には、こうなると思います。
現実生活に落としこむのはわかりづらいとこがあるんですが。

参考URL:http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/saiFrame.html
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この回答へのお礼

URL見てみました。


矛盾は結局、人間自身が作り出したモノとも考えられますね。平易な語り口で、とても読みやすかったです。

おもしろいサイトを紹介していただいてありがとうございます。本テーマに限らず、色々と楽しめそうです。


何度もおつきあいいただいてありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2012/09/07 18:06

こんばんは。

また付け足しになります。
後半の抽象論は脱線してるかも・・


ーーー矛盾の具体的な例など

例えば、睡眠、リラックス、休憩、落ち着き、安堵、視野の広さ、冥想、遊ぶこと、集中など
理由は、このとき思考が停止してるからです。
その定義に思考停止が含まれるものは、全て論理的には理解できません。

例えば睡眠を科学的データで定義付けることは可能です。
でもこれらを人が知り得るときは、その人は目を覚まして起きていますから。
むしろ睡眠に関する科学的データを頭に詰め込んだら、興奮して眠れません。リラックスや安らぎも同じです。
たくさんの知識を得ることで直接休めるか? 考えることで考えをやめれるか? という矛盾です。
考えないから成立する現象は、考えて知ることはできません。
でも本気は、本気で休むことも、本気で考えることも、両方にまたがります。
本気には考えないことも、寝ることも含まれます。これは、本気において矛盾が起きないことを意味します。


また、これらの体験者である主体の自分そのものが、論理的矛盾です。また生死も矛盾です。
これは、この世と人間が、基本的に矛盾の上に構築されてることを指します。
ここが、なんというか、主体と客体の一番深い分水嶺、分け目だと思います。


優しく解ける日常生活での矛盾は、その矛盾を生み出す思考体系、世界観を解体して、
その矛盾が消えてしまう発生しないような新しい思考体系や世界観を容易に導入できる、という意味で
解くのが難しい矛盾とは、その矛盾を生み出す思考体系、世界観の解体が難しい、ということを意味するんだと思います。というのは前書いたかもしれないですが・・
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人間の思考を完全にコンピュータ内(論理回路内)に移植できたとします。



そうすれば、無矛盾な論理的思考を組み上げることができるでしょうから、矛盾は消え去るように思われます。

しかしながら、そういった論理的思考のみに限定しても、その内部(自己)からは、内部(自己)を含む論理的思索自体の無矛盾性を証明できないのです。
→参照:「ゲーデルの不完全性定理」

無矛盾かどうかを証明するための、一つの方法として「外部」の視点が必要になります。

ようするに「他者」の存在です。

単純に、自分自身の内部の矛盾は自分自身のみで消し去ることは不可能であり、他者の助けがいるという様に理解していただいてもいいでしょう。

しかしながら、独りよりも2人、2人よりも・・・と人数が増えれば増えるほど、相互に主張が異なり、矛盾だらけの世の中が出来上がるのは、火を見るよりも明らかでしょう。

矛盾を矛盾のまま放置すると、まとまろうとするものを分断していきます。
矛盾を解消しようとすると、一時的に事態が悪化するかもしれませんが、解消したなら、まとまりやすくなるでしょう。

でも、どうしても解消し得ない矛盾や壁があるにもかかわらず、一つにまとめようとするならば、矛盾が双方を滅ぼしてしまうかも知れません。

即座に解決可能な矛盾もあるでしょうが、解消に時間の掛かる矛盾もあるでしょう。
滅びの可能性があるからといって、矛盾を理由に分離しつづけるというのも、どうでしょうか?

矛盾を矛盾として認識させてくれる物事・相手がある・いるということは、ある意味、非常に大切なことなのかもしれません。
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この回答へのお礼

矛盾を放っておくべきか、解決しようと頑張るか、どちらが適切なのかは難しい問題ですね。


自分以外の他の存在が、矛盾を認識させてくれるとありますが、そうなのでしょうか。確かに、例えば「死にたくないが、死は免れない」という矛盾は、死=悲しい、悪だという価値観を他人から強制され、強迫観念のようなものを植え付けられているからこそ認識してしまうものなのかもしれませんね(極端に言えばですが)。


逆に言えば、他の存在が無ければ、矛盾もまた認識できないので、それはそれで楽かもしれませんね。


矛盾を認識することの大切さについては、まだ判断しかねているというのが正直なところです。矛盾=苦=悪という考え方をしてきたものですから。


矛盾を認識できることの大切さについては、考えたことがありませんでしたが、これを機によく考えてみることにします。矛盾とどう向き合うか、という心構えができるかもしれません。


御回答いただきまして、ありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2012/09/02 13:28

更に追加で何度もすみません。


まとめ的に思いついたので・・


矛盾とは論理的に完璧です。論理学でも定義されますし。
なのでこれが消えることはないわけですが、

唯一消える可能性があるのは、矛盾を成立させている論理体系の破壊や放棄、という手があります。
枠組みそのものをぽいです。
これが抽象的にはただひとつの方法だと思います。
これは具体的には思考する自分の停止になります。感情的に言うと、本気の諦め、でしょうか・・気にしない、ということにもなります。
ちょっとクリシュナムルティー的な言い方ですが。


またこれは止揚を産みます。
止揚とは2つの対概念が組み合わさることで、これは扉の鍵と鍵穴に例えられます。
つまり止揚そのものには大して価値はなく、そのアンロックにより、別世界への通路が開くことに意味があります。
解決への扉がないことで扉が開くのが、止揚、ということになります。


自己中な抽象論でした・・
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この回答へのお礼

結局のところ、矛盾は消えない(無くせない)ということですね。


唯一可能性があるものとして、「本気の諦め」や、「思考の停止」を挙げておられましたが、確かにそうすれば矛盾を感じることは無くなりますね。


また、それは止揚を生み新たな考えに至るということですが、これは不思議な感覚だと思います。「手に入れる努力をやめれば、それが手にはいる」ということですから。


望まない者にこそ、与えられるというような。


まず、「本気」という心構えになれるかどうかが大事で、途方もなく大変なことだと思いましたね。本気で諦めることに少しでも可能性があるのではないかと、僕もそう思うようになりました。


御回答いただきまして、ありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2012/09/02 10:46

追加です。



矛盾を消すことは、そのまま自分に帰ってきて、論理的整合性のある自分が成り立たなくなる、というのが僕の経験上のことです。
これは、投影によってつながる自己ー世界が両方共成り立ちません。



別表現だと、矛盾はこの世界を成り立たせてる基盤だと思いますし、
だから、矛盾は、本気で拒否するか、本気で了解するか、という2つの解決法があるかも、と思います。

清濁併せ呑むか、止揚によって世界を変えるか、ですが、この2つは表現の違いピントの合わせ方に過ぎず、もともと同じものです。
元をたどると、矛盾を拒否することも了解することも、同じことで、
肝心なことは、「本気」だということだと思います。



言い方を変えると、この本気というのは、止揚ですし、矛盾を超えてる、矛盾を拒否してる、矛盾を了解できてる、あるいは矛盾を初めて対象化できてる、とも言えると思います。
でも命とか魂とか愛とか持ちだすと、哲学的ではないですか・・
止揚とは存在に関係性を導入することですし、それによる統一や集中は、概念の論理性を破壊します。



はやりの言葉で近い概念を探すと、ゲシュタルト崩壊や、スポーツ心理学での「ゾーン、フロー」などの言葉は近いのではないでしょうか?
ちなみに、ゲシュタルト崩壊が集中の関与する概念で、ゾーンやフローは統一に関する概念です。
まとめるとこれらは、集中ー拡散と統合ー分裂の次元に関するもので・・・すみません、このあたり分析中で、これ以上書けません。

ただ、こういう数々の上の屁理屈は、それを認識している自分です。
それが自分の内に持つものか、自分そのものか、という違いが大きいというのを前に書いたわけなんですが。
こういう理屈ばかり書いてると、所詮形而上概念にすぎない、と取られるのが心配なので。



見事に途中で終りすんません。中途半端ですが。
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いい質問、と思ったので。


また興味もあります。

1.どういう矛盾ー生きてるのに死ぬとか、光と闇とか、罪と許しとか、愛と恐怖とか・・

2.その矛盾をどう思うか、どう思うか、無くせるか? ですが、

人の持つ矛盾は、そもそも持ってるものではなく、自分自身です。
つまり、質問文での、「ご自分の中に」「抱えて」矛盾が「ある」「なくせる」と言う言葉を使われていますが、
これらが誤解じゃないかと思います。
そういう部分的なものではないという意味で。あるいは思考の対象にはならないという意味で。



この質問文の言葉の使い方だと、矛盾が、自分の一部であり、断片であり、自分の一側面である、と質問者さんが考えておられる気がしますが、
実際の矛盾は、自分の一面ではなく自分そのものだと思ってます。
これは、別の表現だと、矛盾は形而上でも、論理的なものでも、思想や概念でもなく、現実だ、という意味です。
更に別の表現だと、人間は最低でも2人いると思います。その組み合わせは変わりえますが、
「自分が矛盾してる」のではなく、「自分が二人いること」が矛盾してると思います。
体が2つあるという意味でではもちろんなしで。体は道具ですし。



だから概念でも思考でもない、生まれた時から、あるいは脳と世界の機能として確立されてる自分の現実の矛盾は解決できない、と思います。
生まれたこと、生きてることが矛盾なので、逆に死んでることも矛盾です。これは自殺したって消えないということになります。
矛盾は、矛盾の性質ゆえ消えることはないし、消せないことが矛盾の定義です。
と知ることが、ひとつの解決の始まりになることもあるかと思います。

つまり、消えるのは矛盾を認識する自分の方になる、と書くと、よく聞く宗教的な主張になりますが。
でもこれが思想か現実か、というのは、人によって違うと思います。
矛盾を消そうと思えば、背負投を食らうはずです。たぶん。
というか・・矛盾は本質的ではない、と考えるなら、自己が本質的ではない、ということにつながっていくんじゃないでしょうか?


イマイチ十分じゃないので屁理屈こねてみました。
100%自信ある内容じゃないので参考意見です。
他の回答寄せてる方の意見も興味深いですねー。

こういう自分にフィードバックのある質問はありがたいです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。


興味深い内容ですね。すみませんが、後ほどまとめてコメントさせていただきます。


真剣に回答してくださって、ありがたいですm(_ _)m

お礼日時:2012/08/30 21:47

ANo.10のkrya1998です。


自分もそれから自己がおかれている環境も、外界のどんな物事も
いろんな側面があり、しかも世の常に変化の流れでかわっていきますよね。

それらの側面や変化に、矛盾なく一貫していくということは、普通の人にも普通を超えた人にもありえないではないでしょうか?
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この回答へのお礼

確かに、あり得ないと思います。時とともに人は変わりますからね。


時や環境の変化を越えた一貫性を求めるのは、たぶん無理でしょう。


でも、いつにおいても、矛盾を無くしたいと思うのは僕の自然な心情だと思います。


自分のなかでの、とりあえずの納得があれば、それで良いと思っています。


御回答ありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2012/08/28 10:21

自分の中にあった観念は、



構って欲しい
放っておいて欲しい

という二つの観念でした。その他にも、色々あります。静かなのがいいとか、静かなのは寂しいとか。

葛藤を感じる場合は辛いので、自己浄化しています。
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この回答へのお礼

なるほど、そのお気持ちわかります。僕も同じようなことを感じる時があります。


葛藤を感じる場合、なんとなく自己嫌悪に陥りますよね。


自己浄化というのが何なのか気になりますが。


御回答いただきまして、ありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2012/08/28 09:59

みなさん、たいへん立派なご回答ですが、ketahazureさんは、適合する処方箋の回答があると思って質問されましたか?


ketahazureさんの補足やお礼の方が立派なような気がします。

私はみなさんのように理論性がないのですが。
矛盾のない人間存在はありえないのでしょうね。止揚とかなんとかしても所詮は、肉体とそれを生きる人間存在って、多様の中でエゴと非や超エゴをうまく、生きていくとか理論理屈を捏ね回さないといけませんからね。

矛盾のない人ってどこまでいってもいなのでしょうね。
建前、本音。他人と自分。社会と自分。

どう向き合うか。毀れた統一性ではいけませんが、そういう異質や矛盾を抱えている、本人もほんの少ししか意識の光を意識できない総体を自分として受け取り抱えていくんでしょうね。

そして螺旋的になんとか自分というものを課題的にしていく。矛盾をなくそうとすれば、消化中の腸内の食物、呼吸も問題になりますね。

時に、許容しえないことに気づきながら、全体を素朴に受け取り、生きていくということが健常ではないでしょうか?
論理の為の論理は諦める。というくらいでしょうか。
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この回答へのお礼

処方箋を求めるという気持ちは確かにありましたが、あくまで皆さんの考えを聞きたかったのです。皆さんの考えを聞くことによって色々な考え方があることを知り、それによって少しでも気持ちが和らげれば良いなと思いました。


確かに、矛盾の無い人間はいないのでしょうね。でもそれは分かりきっていることなのに、人は何故、他人の生き方に関して矛盾を指摘したり蔑視したりするのでしょうか?そのようなことが無ければ、矛盾など全く気にならないのですが。


矛盾を許容できないことを認め、全体を素朴に受け止める。難しい表現ですが、なんとなく伝わりました。しかし、「素朴に受け止める」ということがとても難しそうですね。おっしゃるとおり、仕方の無いこととして諦めることも大事なのかもしれませんね。


御回答いただきまして、ありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2012/08/28 09:49

(1)ご自身はどのような矛盾を抱えていますか?


矛盾を抱えているかもしれませんが、認識していません。この意味で全くの自由です。

(2)その矛盾をどう思いますか?
人として許容される範囲だと考えています。

(3)そういう矛盾があるという事実に対して、どう向き合えば良いと思いますか?
信念やポリシーという規則を忘れる事だと思います。

(4)矛盾は無くせると思いますか?
そもそも矛盾を認識しなければ、思い煩う事が無くなります。

水は方円の器に従うと言います。自由に生きたらどうでしょうか。
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この回答へのお礼

そもそも矛盾を認識していなければ、苦しむこともないですよね。

とことん考え抜かないという心構えも、時には必要かと思います。

御回答いただきまして、ありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2012/08/26 15:32

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Q自己チューでなくアマエでない自己表現はあるか?

1. 《自己中心的》について 次の辞書は 四つの要素を挙げている。

▲ (Weblio辞書 類語辞典:自己中心的) ~~~~~
http://thesaurus.weblio.jp/content/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E4%B8%AD%E5%BF%83%E7%9A%84%E3%81%AA
① 他人のことを気に掛けず、自分のことしか考えていないさま
② 人が他人のことを考えずに行動をするさま 他人の迷惑を考えない
③ 他人の都合を考えず、自らの利益のみを考えているさま
④ 自分の都合のいいように物事を行おうとするさま
~~~~~~~~~~~~~~~~~

2. ①について:けれども 人はふつう《自分のこと》から考えるのである。仮りにそ
のとき《他人のことを気に掛けない》としても そのような《自分のことのみの事柄》を
自己表現し相手に話しかけ問いかければ 問題はない。相手は いやならイヤだとこたえ
ればよいだけだから。

3. ②: 他人のことを気に掛けないだけではなく《他人に迷惑のかかるということを
考慮に入れない》のは どうか? 
だけれども 一方で相手は そのことを問いかけられたときイヤだと言えば済む。他方で
は 《他人の都合を前もって考慮する》というのは そのことによって《自己の都合をよ
り一層確実に実現させたい》というに過ぎないのではないか?

4. もし前項でいわゆる《利他》という行き方があるとした場合 しかしながら その
内容としての《他人の都合がよいように〔のみ〕ものごとを取り計らう》ことは 《それ
としての自己の都合であり さらには自己の利益ないし満足を計っていることがある》と
いうことではないのか?

4-1. NPOは 営利団体の上げる利益からその活動資金を得ている。または 完全
に自己の持ち出しのボランティアであるとすれば そのような利他志向としての自己中心
的な自己表現である。

4-2. ちなみに 自己顕示欲に発しない自己表現はあるか? ボランティアは 明ら
かに自己満足だけではないのだから むしろわが自己顕示欲の現われであると言えば済む。
わが利他という我欲のひけらかしであると。

5. ③および④: すでに考察した。と言えるはずだ。

6. ひとの自己表現はすべて 《甘え》という内容を持つ。のではないか? 甘えちゃ
いかんという自己表現は その人のアマエではないのか?

6-1. わづかに・そしていわゆる実害としては《良し悪し》の問題がからむ場合であ
るとは思われます。けれども まづはそれ以前の――倫理以前の――基礎である哲学とし
ての問題です。

6-2. つまりすべての自己表現はアマエであるとき 《相手の意志や心を踏みにじる
ような意志行為〔たる自己表現〕》は 悪しき行為として有効ではないと共同主観される。
無効の行為は 原状復帰がもとめられる。

6-3. このような倫理的判断をほどこした《よくない行為》のみに《自己チューない
しアマエ》というレッテルを貼るのは いかがなものか? 哲学として独り善がりなので
はないか。

7. 基本の哲学としては 広くおのれのアマエをどう表現するかであり それをどう受
け留めるかなのではないか?

8. われらはすべからく自由で粘り強い話し合いを持ち これをおこない続けるという
こと。これに尽きるのではないか? 

9. この話し合いを避けここから逃げる《逃避》志向が アマエや自己チューや自己顕
示欲や認識の浅さやあるいは無知を弾劾している場合――そういう《お花畑》志向――が
あまりにも多いのではないだろうか。

1. 《自己中心的》について 次の辞書は 四つの要素を挙げている。

▲ (Weblio辞書 類語辞典:自己中心的) ~~~~~
http://thesaurus.weblio.jp/content/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E4%B8%AD%E5%BF%83%E7%9A%84%E3%81%AA
① 他人のことを気に掛けず、自分のことしか考えていないさま
② 人が他人のことを考えずに行動をするさま 他人の迷惑を考えない
③ 他人の都合を考えず、自らの利益のみを考えているさま
④ 自分の都合のいいように物事を行おうとするさま
~~~~~~~~~~~~~~~~~
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Aベストアンサー

辞書の説明は一般論である、として受け止めていいと思うのですが、ブラジュロンヌさんは特殊論(一般論からさらに踏み込んだ論)に入り込んで、なにをしようとしているんでしょう。
一般論の否定が目的ですか。それとも肯定はするけれども分析が《甘すぎる》との思いなのでしょうか。一般論から外れるわけではないが、と。

「極限状態」での人の心理にある“甘え心”に付いてはどう考えますか。

「社会」に踏み出して、そこでのエチケットに反しない言動の底にあるのも“自己チュウ”の心理なんだ。
だから、“自己チュウ・自己チュウ”と云って批判する者もみんな“自己チュウ”なんだ。それでも「お前は批判する気か」と、云いたいんでしょうか。

一般論を特殊論が攻撃している、と云う図式?
洗練と未熟、に繋がると思うのですが。


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