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日本に対しては永遠に謝罪を要求して行くというスタンスのようですがイギリスに対してはなにも言わないのはどうしてなんでしょうか?
イギリスの方がどう考えても許し難い国ではありませんか?

イギリス政府はすべて突っぱねているのでしょうか?
日本政府はいつまでに謝罪してるから永遠に謝罪を要求するだなんてことになったんでしょうか?
中国のイギリスと日本に対する扱いの差は一体なんなのでしょうか?

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A 回答 (6件)

中国人は当時こういったそうです


イギリス人は侵略をしたが文化を我々にくれた
日本人は奪うだけだった
だから同じ扱いではない

だそうです
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

今や中国も日本の文化を受けているけどね。

お礼日時:2012/08/26 13:34

既出回答が、大変(小並で)残念すぎるので回答してこう



>日本に対しては永遠に謝罪を要求して行くというスタンスのようですがイギリスに対してはなにも言わないのはどうしてなんでしょうか?

第二次世界大戦終結後の国際(国際法・国際秩序)潮流として、戦時賠償に関しては、国家間賠償請求権は放棄している(SF条約はその典型例)
これついては中国は否定していないし、守っている。この決まり事は、あくまでも『国家賠償請求権』の話に過ぎない
つまり、日本国(政府)が勝手に自発的に賠償することは問題はないし、中国人民の個人が日本国に賠償請求することは問題がない(請求されても支払う義務はないので、払う必然性はない)

<ちなみに、これは戦後賠償の基礎中の基礎知識であり、既出回答者はこの基礎が理解できていない>

では、中国政府が英国に対する賠償請求しているか?というのは、上記したように、賠償請求権を否定していることから、”していない”
そこで、中国政府側が、英国に対して自発的な賠償を求める行為はどうか?といえば、
戦後まもなくはしているのだが、逆賠償を求められる(チラつかせた)ことから中国・英国は国家間の賠償をしない取り決めをしている。(中英共同宣言及び国連安保理議事より・というか、ヤルタ会談にも確認できる)

次に個人の賠償請求事例は存在する。既出回答者は知らないだけである。
ただし、英国司法は法廷判断していない。傍論において当事者間の和解による紛争解決を進言しているに過ぎないので、法的判断は行われていない。
なお、日本の地裁・高裁レベルでは個人の賠償(請求権)を時効、もしくは、訴えの利益がない、当事者適格から認めない。なお、賠償内容が戦後賠償の意味では様々あるので、仔細は割愛する

しかし、「西松建設」などの事例で戦後賠償に近いニアンスでの民間賠償事例がある(和解事例)
英国では戦後賠償ニアンスの基金での資金援助であるが、これは賠償ではない(アジア女性基金のようなものである)


>イギリスの方がどう考えても許し難い国ではありませんか?

 英国の植民地統治時代の投下資本総量を考えれば(これは逆賠償にも関係する)許しがたいとは思えないだろう
そもそも、イギリスの植民地支配はあくまでも経済拠点であって、日本のように統制・計画性の乏しい支配とは異なるだろう。要は投下した社会資本を考えれば”英国には借りが大きい”、という話。
 もっと言えば、オリエンタリズム(西洋至上主義)から列強に対しては文明国として優位性を認めるが、「日本は同族(カラード)のくせに・・・」という部類のヤッカミが勘案されるだろう
ちなみに、冷静かつ論理的には、英国は現在の中国共産政府の領有権を強力に結果的にも事実的にも援護する国であるのだから、許しがたいとは言えない。
まぁ、中国人からすれば、”清王朝をクソでその支配から開放してくれた”という見解は実はコアに存在しているらしい(清王朝が騎馬民族征服王朝であることが由来だが)
同時に、チベット・ウイグルの領有権の正当性を担保するのは英国のおかげだったりすることを理解できないと分からないかもしれない

 つまり、歴史的過程から言えば中国政府は英国政府との貸借があるので許しがたい、という感情は希薄なのである
これが分からないのは、歴史の総合的な知識が圧倒的に欠如しているだけ・という話

>イギリス政府はすべて突っぱねているのでしょうか?

英国政府の自発的賠償などは中国政府は請求しないので、突っぱねることもない。
自発的な支援(賠償)事業を実施している(江沢民以前から)ので、代替賠償という見解があるだろう
個人賠償に関しては、日本と同じ司法レベルでも却下されている

まぁ、支援行為を賠償とは言えない部分は、日本と英国も同じなのだが、支援方法にも問題がある
日本のODAは”ヒモ付”きと言われる支援で、ODA資金で日本企業が潤って国内企業にメリットがない、などという事実があるから支援が逆にマイナス評価になってしまう背景もあるのだろう
『人材投下の支援が多いEU諸国の支援に比較し、日本は金だけだして、技術は提供しない』との批判も目立ったし、なにより日本の政府支援は治安の安定している都市部に偏重してしまったことから、”国内経済格差”の拡大が指摘されている。
(この支援による当事国の国内経済格差の問題は、現在でも日本の開発援助のテーマ)
まぁ、日本が悪い、というわけではなく、中国側の被害妄想な部分が多いのだがwwwww


>日本政府はいつまでに謝罪してるから永遠に謝罪を要求するだなんてことになったんでしょうか?

さぁ?
そもそも、(中国政府・中国人民)連中が何を持って「謝罪」と認識するのか?という問題があるので回答できない
同じことは、日本の拉致問題にも通じるもので、抽象的に「解決」などという概念はいくらでも要求がエスカレートするものだから、”厳格な謝罪の意味すること”を求めるものを精査するのがリアルポリティクス
 謝罪については、もっと冷静にその主体を精査するのが妥当だった(それをやらずに放置しているから、河野談話・村山談話などの面倒な事実が成立しているわけだw)


>中国のイギリスと日本に対する扱いの差は一体なんなのでしょうか?

上記したとおり
根底にある「逆賠償問題」・「英中関係史」を日本人は知らないだけだろう

植民地統治モデルが本質的に違うし、植民地支配の経緯・過程とその背後にある価値観も十分に配慮できれば、中国側の傲慢な姿勢も理解できなくはない
その姿勢を尊重する必然性はないが、その源泉になるものは歴史から思慮すれば簡単に理解できる



根本的に賠償問題は、賠償主体について基礎知識がない既出回答者の程度が低すぎる(低すぎるというよりも、政治知識としてお粗末)
同時に、中国政府か?中国人か?という請求している客体をしっかり吟味できないでは話にならない
(まぁ、話として小学生レベルで十分なのだろうがw)

とりあえず、
(1)オリエンタリズム・(2)中華思想とその域外・・・というテーマだけで考えても理由は判然とするので、自前で二つのワードを中国側の立場で思慮すれば分かる


まぁ、真面目に取り合う道理がない要求には、スルーするだけで良い
同じステージで外交交渉する必然性はなく、相互に立場を主張しつつ平行線で調整しつづるのも、政治手法である

以上
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>イギリス政府はすべて突っぱねているのでしょうか?



回答:その通りです。

また、イギリスが戦ったのは清朝だ とかいう意見もありますが、
それなら、

日本の相手は国民党(蒋介石)です。中華人民共和国(共産党)ではありません。

実際、毛沢東は、「日本が国民党を叩いてくれたので、当時弱かった共産党が中国を取る事ができたので、日本を恨む理由は無い」と言っています。

なので、彼の後継者の謝罪要求については、彼等の内政上の都合に過ぎません。


植民地の正しい意味と目的は、未開の地域の民族に文明を与え発展させるというものです。
(実際の白人の植民地支配実態は全く違いますが、彼らの建前はそうなっています。)
実際、彼らは未開の土人に文明を与えてやったと思っています。
である以上、彼らは植民地を悪だとも、侵略したとも思っていません。

当時は、アジア(日本も)やアフリカは未開の野蛮人と見做されており、
そのような国は、文明国(欧米)の支配による指導(植民地)を受けた方が、彼らにとっても幸せだという理屈が通っていました。
日本は、これを避けるために、必死で近代化に取り組んで成功した稀少な例です。

当時の白人の西欧列強諸国の植民地に対する認識は以下の通りです。
1.未開国を植民地とするのは当時の国際法により合法である。
2.植民地支配は未開国に文明の恩恵を与え生活が向上し、人口が増加し寿命も伸びた。
3.植民地支配が悪と言うのなら、未開の生活、無知蒙昧の状態に戻るべきである。
4.植民地政策により生活を向上をさせたことを感謝すべきであり、謝罪要求など問題外である。
  もし要求されてもそれには絶対に応じないことが、西欧社会の常識である。
5.我々は過去の植民地支配について罪悪感など抱くことは決してない。

ということなので、↓のように、欧米各国は植民地に賠償したことは全くありません。
イギリス:香港を植民地にしていたのに謝罪したことは一度もない。
フランス:ベトナム・アルジェリアを植民地にしたが謝罪したことは一度もない。
オランダ:インドネシアを植民地にたが謝罪したことは一度もない。
ポルトガル:マカオを何世紀にも渡り植民地にしたが謝罪したことは一度もない。
ドイツ:ナチの虐殺行為は認めたが、侵略に対する謝罪したことは一度もない。
ロシア:東欧諸国を戦後弾圧し続けていたが、民主化後謝罪したことは一度もない。
スペイン:フィリピンを何世紀にも渡り植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。
中国:世界各地で昔も今も侵略と虐殺を続けてるが謝罪したことは一度もない。

彼等の意識は↑の通りなので、植民地が独立する時は、謝罪どころか、↓のように、残していくインフラへの補償を要求しています。

オランダはインドネシアの独立の時に、60億$を請求しています。
他にも、インドネシアにオランダ人が所有している土地財産の保全と、スマトラ油田の開発費用の弁済を要求しています。
その他の西洋諸国も同様で、独立した植民地には何もしないか逆に独立費を要求しています。
敗戦国のドイツすら植民地には支払をせず、併合していたオーストリアに戦後賠償金を払わせています。

フランスはギニア独立時に公共施設を破壊し、国の重要資料を本国に持ち去りました。それにはギニアの地図も含まれていました。独立後のギニアの開発は、地図が全くない為に行き詰り、世界最貧国に転落しました。


中国が、日本に謝罪を要求する理由ですが、
戦後の日本は、連合国とサヨクから、大東亜戦争の責任は全て日本にあるという洗脳をされている為に、アジア諸国に対して、罪悪感を持っています。
しかし、それらは全て嘘です。

嗚呼大和(GHQとサヨクによる洗脳)



中国や韓国の目的は、それを利用して戦争責任とやらを追及することで、日本から外交的な譲歩を引き出したり、反日で内政への不満をそらしたりする事で、謝罪の要求は名目に過ぎません

実は、中国は日本への戦争賠償の要求を放棄していますが、これには裏があります。
日本は終戦時に、中国(満州)に莫大な規模のインフラを残しています。
これは、中国が日本に要求できる賠償額を遥かに超えており、日本はこれに対する補償要求の権利があります。
つまり、うっかり要求すると薮蛇になる為に、事実を隠して寛大な振りをしているだけです。
(日本のサヨクマスコミは、このことを報道しませんが)


実は、真の意味で植民地経営を行ったのは日本だけです。
例:台湾・パラオ 朝鮮は併合なので植民地ではありません
そして、日本ほど謝罪や賠償をしっかりと行った国はありません。(動画参照)

【日本とパラオ ~歴史を越えた友情~】
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embe …

https://www.youtube.com/watch?v=nZte2nuvkMg
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/08/26 17:06

こんちわー


質問者さんを差し置いて書き込みしてすみません。
NO1 anatanomikataさんの書き込みに反論させて下さい。
清朝の時代のことなら、許されるんですか?
それなら、日本も同じですよ。
日本は、今の中国政府とは実はほどんと戦争していません。
ゲリラ闘争で多少は、やったようですが、全面的にはやって
いません。一部の中国軍はソ連軍に組込まれてなら
戦争したようです。それも日本の敗戦が濃厚になってからです。
ソ連軍は火事場泥棒みたいな、卑怯な国です。
現在の台湾政府とはやったようですが、しってのとうり
台湾とは仲がいいです。
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自国政府(自民党政府)を困らせるため、謝罪賠償したくしてたまらない日本人が国民の4割ぐらいはいたから。


中国も日本人の方から謝罪賠償したいて言うなら、貰わない手はないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/08/26 13:19

>イギリスの方がどう考えても許し難い国ではありませんか?



 理由がわかりません。

まさかアヘン戦争の事を言っているのではないでしょう。
相手は清朝です、中華人民共和国ではありません。
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Qイギリスは元植民地に対して謝罪や賠償をしたか?

少し調べものをしているのですが、イギリスが過去の植民地支配に対して謝罪や賠償をしたケースはありますか?

確かなかったはずだと思うのですが、なかったと言い切ってもいいのかどうか、そこまで現代史に詳しくないもので、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

イギリスに限りませんが、欧米諸国の旧植民地から旧宗主国に対し行われている賠償請求(植民地支配そのものに対するものから、その過程で行われた虐殺に対するもの、資源や土地、労働力の収奪に対するものなど、請求内容は各種あります)は莫大なものになります。
例えばマレーシアで2007年に起きたイギリスに対する賠償請求デモにおける要求額はなんと「4兆ドル」でした。
しかしながら旧宗主国はどこも「植民地支配は合法に行われた」との立場を取り、奴隷貿易なども「現在の価値観では非道な行為だが、当時は合法」として謝罪や賠償は拒否しています。
イギリスの旧植民地ではジンバブエが旧植民地時代の土地収奪などに対し、もっとも強硬な態度を取っており、2000年以降白人農場主(イギリスに住んでいた不在地主も少なくありませんでした)から土地の強制収容を行いましたが、それに対し欧米諸国は経済制裁で応えています。
当然ながらどこか1カ所でも賠償すれば、世界中の請求運動に火をつけるのは目に見えた話であり、イギリスはそのような謝罪や賠償は一切行っておりません。

Q中国は植民地化されなかったのではないですか?

アジアの中で植民地化されなかったのは日本とタイだけだと言う人がいます。

でも、中国もアヘン戦争などで負け、香港などの極一部が植民地にはなったものの、インドやインドネシアのように全土が植民地になったことは一度もなく、19世紀末は軍閥の台頭などで相当混乱したものの、中国大陸の9割以上は中国人が統治し、欧米や日本の植民地支配を受けなかったのではないでしょうか。
いや、中国全土は満州族による植民地支配を受けていたのだぞと反論する人もいるかも知れませんが、ここでの植民地支配は近代の欧米によるものを念頭に置いています。

Aベストアンサー

おっしゃる通りです。

列強による虫食い、蚕食の途上にはあったが、植民地化はされていません。

定義付けなど面倒だからしませんが、例えば、内政統治権・徴税権・外交権・軍事権など、要するに主権がどこにあったかを考えれば良いのです。

清朝、共産ゲリラ、割拠する軍閥勢力、国民党政府などなど、支配権は行き渡らず、分裂抗争やむことなく、大混乱状態が続いたものの、いっぽうの列強もまた、中国大陸を支配するほどの力なく、その決断もできず、せいぜい海岸べりや大河沿いの租借地や、狭い範囲の分捕り領地などの、有効活用程度に留まらずを得ませんでした。

条約や約束事などを、国際的に一貫して守ることは、上述の事情で、出来ないような弱体国家でしたが、とはいえ、主権は清朝政府、次に、国民党政府にあった、けっして外国にあったのではない、これは確かなことで、ゆえに植民地化されていたわけではありません。

Qよく戦後の謝罪はドイツを見習えというが本当?

よく「第二次世界大戦後のドイツの隣国への謝罪を見習え」という論調が
国内にとどまらず、中国や韓国からも出ますが(今回の韓国の竹島問題でも
少し話題に出ましたが)、

 ・本当にナチスドイツの謝罪はうまくいっているのでしょうか?
 ・もしそうでしたら、何がうまくいっていると言われているのでしょうか?
 ・また、日本以上に問題がこじれているものはないのでしょうか?

詳しくないので、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 「謝罪」という行為にはそれ自体に倫理的価値がありますが、外交においては「和解」に資する道具立てとして重要です。そのため、いくら「謝罪」しても「和解」にいたらないのなら意味はありません。
 日本の場合はこれが「うまくいっていない」ので問題視されます。

 なぜそうなのか。理由はいろいろありますが、まず相手方の事情から。
 中国と韓国は日本の支配に抵抗し、独立解放を勝ち取ったことを一種の建国神話としています。実際には朝鮮半島は連合軍が日本帝国を打ち破ったからであり、中華人民共和国は戦後の国民党との内戦の結果生まれたものです。しかし、彼らは祖国をそのようなものとして認識し、誇っております。もちろん、根拠がないわけではありません。
 それに対して、ヨーロッパ諸国はナチスドイツの侵略をこうむった時点ですでに近代的な国民国家を築いておりました。ナチスからの解放によって再出発したことには違いがありませんが、「建国」の重要度はまったく異なります。
 中韓の場合は、日本の支配・侵略から脱したことがはるかに重要な意味を持っているのです。それだけに日本がそれに見合った行動をとらないと、彼らには「納得できない」となりがちです。

 次に、アメリカが戦後の東アジア戦略を構想する過程で、日本と近隣諸国が緊密な関係を築くことを望まなかったという事情があります。ソ連に対しては敵対し、韓国とはアメリカを抜きにした友好関係を望まず、中国には最初は敵視で途中から敵対はしないが友好的でもない関係にあることを期待し、そのために行動してきました。
 東アジア諸国はまんまと(とあえて言います)これに乗り、「和解」の努力を中途半端にしてきました。この事情を国内政治に利用したのです。韓国では日本の支配を非難すれば失政をごまかすことができ、日本では国内の軋轢を呼ぶしかない「謝罪」の問題を適当に処理して済ませても許されました。
 ドイツの「謝罪」に対する不充分さはほかの方も指摘しているとおりですが、いっぽうで「和解」を獲得するための努力は真剣なものでした。一例としてドイツが放棄した歴史的領土は日本の比ではありません。ドイツは全体としてアメリカの世界戦略にしたがいながらも、この一点では独自の外交路線をつらぬいたのです。EUは伊達や酔狂で成立したわけではありません。
 条件の相違はあるものの、日本にこの姿勢が足りなかったことは事実でしょう。

 また、日本の「謝罪」が不充分だったのもたしかだと思います。
 ドイツの場合はその罪を当初ヒトラーとナチスにかぶせることができたので、罪過を認めることもより容易でした。しかしそのいっぽうで、あれらはナチスを支持したドイツの罪である、という論調も世間に根づくようになりました。だから、ブラントの東方外交も支持されたし、ヴァイツゼッカーの演説も受け入れたのです。
 文言や事実だけなら中途半端という評価も正当ですが、これらの言動が生み出された土壌は日本にないものです。だから、周辺諸国も高く評価したのです。
 もっとも、近年は歴史修正主義と称して「ドイツの罪と言われるものには誤りがある」とか「言われるほどではなかった」という論調もありますが、いつもそういった主張は批判を浴びてきましたし、いまでも文学者のギュンター・グラスのようにナチスであった過去は批判の対象となります。表だって公言することがはばかられる言説なのです。

 それに対して、わが国では大日本帝国と日本国を切り分けることが終戦時の条件の相違から難しかったし、あえてあいまいにもしてきたので、戦前の罪を認めることにもあいまいさが付きまといました。
 おかげで今になって、植民地支配や侵略の過程でなされた行為の数々がなかったことにされています。あるいは、あったかなかったかわからないことになってます。しかし、その多くは学術的研究の成果として否定されるのではなく、そのほうが国内の納得を得られるから唱えられているにすぎません。
 こういうことを書くのは多くの反発を喰らうのでかなり勇気が要ります。そのこと自体がドイツと日本の差です。村山談話、河野談話の文言がどうあろうと、また過去公式にどれだけの「謝罪」が積み重ねられていようと、それを認めたくない世論が多数をしめているかぎり、説得力は生まれません。

 皆さんの賛同を得られない「回答」であることは承知しておりますが、わたしが理解しているかぎりではご質問に対する答えはこうです。
 本文でお尋ねになっていることに答えていない部分もありますが、そこは他の方に譲ります。

 長文回答失礼しました。

 「謝罪」という行為にはそれ自体に倫理的価値がありますが、外交においては「和解」に資する道具立てとして重要です。そのため、いくら「謝罪」しても「和解」にいたらないのなら意味はありません。
 日本の場合はこれが「うまくいっていない」ので問題視されます。

 なぜそうなのか。理由はいろいろありますが、まず相手方の事情から。
 中国と韓国は日本の支配に抵抗し、独立解放を勝ち取ったことを一種の建国神話としています。実際には朝鮮半島は連合軍が日本帝国を打ち破ったからであり、中華人民共和...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
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Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Qタイはどうして植民地にならなかった

タイはどうして植民地にならなかったのでしょうか?
また、第二次世界大戦ではタイは戦ったのでしょうか?
ぜひお教え下さいませ。

Aベストアンサー

基本的には、「英仏の緩衝地帯」という見方でよいと思います。

当時、イギリスはビルマとマレー半島を植民地化していました。フランスは仏領インドシナと呼ばれる、現在のベトナムを含めたインドシナ半島の東側を領有していました。
この間に挟まっているのがタイで、双方どちらかがタイを植民地化してしまうと、国境を接してしまうことになるのでよろしくない・・ということです。
ただ、もうひとつ見方があり、それはタイ自身で独立を勝ち取ったという見方です。タイ自身も、あの時代外国人誘致による近代化を進めており、自身の力での独立維持という見方も、わずかながらあります。

さて、第2次世界大戦についてですが、あまり知られていませんがタイは枢軸国として参戦していた日本の数少ない味方国です。(以降は以前の回答から持ってきたものですが、そのまま回答になっています)。
イギリスの爆撃や、B-29の空襲も経験しています。関係としては、日本が仏印(今のベトナムを含めたインドシナ半島の東、つまりフランス領です)に進駐したころから、歩調を合わせ始めています。その前は第2次大戦について中立宣言をしていました。その後、日本が参戦するとほぼ同時に、宣戦布告を行っています。
しかし、最後には完全にそれを翻し(というか日本との同盟など、参戦した理由をうまく自国からそらしたのです)、ついには敵国条項(第2次大戦における連合軍の「敵」リストとでも考えてください)にすら名を連ねていません。これはタイの外交手腕の勝利といえます(今でもそうですが、タイという国は非常に外交が上手です。第2次大戦の前後におけるタイの外交は非常に巧妙で、見事といえます)。
なお、現在の日本との関係は友好的ですね。

基本的には、「英仏の緩衝地帯」という見方でよいと思います。

当時、イギリスはビルマとマレー半島を植民地化していました。フランスは仏領インドシナと呼ばれる、現在のベトナムを含めたインドシナ半島の東側を領有していました。
この間に挟まっているのがタイで、双方どちらかがタイを植民地化してしまうと、国境を接してしまうことになるのでよろしくない・・ということです。
ただ、もうひとつ見方があり、それはタイ自身で独立を勝ち取ったという見方です。タイ自身も、あの時代外国人誘致による近代...続きを読む

Q第二次世界大戦の日本は世界から見たら脅威的だった?

第一次大戦では勝利国として、その後も
小さな島国のわりにはいくつもの戦いに勝利して
第二次大戦の太平洋戦争のときのアメリカは、自国に上陸される可能性を十分考えていたとか。
そして日本艦隊も強かったようなことを聞いてます。
最終的にはアメリカ、イギリス、ソ連の超大国を相手に
最後まで戦って負けてしまいましたよね。

そこで質問です。
第二次世界大戦の頃の日本というのは
世界から見たら大変な脅威、軍事力を持った国家だったのでしょうか?

Aベストアンサー

異論として聞いてください。
陸軍についてです。

陸軍力は、
1)ソ連
2)日本
3)ドイツ(ただし、新戦術を勉強中)
4)イギリス
5)フランス
6)イタリア
7)アメリカ

だと思います。あくまでも開戦時です。アメリカは陸軍を開戦時にはあまり持っていない軍隊でした。ただ、陸軍を作る産業の力はすべてにわたって文句なく1位です。

で、日本対中国は前述の方の言われるようになったわけで、ゼークト・ラインをデザインした中華民国のドイツ人顧問が拳銃自殺するほど、日本陸軍は精強でした。
その日本陸軍と二次大戦前に唯一対決した列強があります。ソ連です。いわゆる「ノモンハン事件」です。
この時は日本側の連絡が東京と現地で錯綜したり、ソ連側が兵力(特に航空機と砲兵)を集中して結果は事実上日本の負け、となったわけですが、やったソ連にしてみてもとんでもない大損害をだし、よく言われるソ連の戦車無敵、でもなかった事実が浮き彫りになりました。当時までの帝国陸軍は時代に即した近代兵器をそろえた軍隊だったのです。
この事件、を指揮したのはのちにナチスを倒すジューコフですが、彼が戦後西側のインタビューで「一番苦労した戦いは?」との問いに間髪いれず「ハルハン・ゴル(ノモンハン)」と言ったのは有名なハナシです。

ただ、英米欧は「よくわからないけど……よくわからないていい」という、対日情報の不備、というか、あえて無視したという感じがあります。日本なんて関係ない、と。
英国情報部が東京駐在武官とともに、日本は海軍強いのは知られているが、陸軍も戦車、航空機の充実した恐ろしい組織である、とシンガポールで報告したものの、パーシバルが「では、パーティに」といったエピソードがあります。
また、陸軍の二式(鍾馗)戦闘機に乗ったバトル・オブ・ブリテン経験したドイツ空軍パイロットは、世界最強の戦闘機は極東にある、と報告しています。
戦後、台湾にのがれた蒋介石は、日本軍関係者を極秘裏に台湾に呼んで、実践学舎という軍学校をつくりました。アメリカの将校教育を受けた中華民国の軍人は、それをはるかに上回る日本人教官の精密な指導に驚いたそうで、蒋介石も授業をよく聞きに来たそうです。この日本人顧問団を「白団」といいます。最盛期には60人以上が台湾にいたそうです。

雪原から砂漠、そしてトウキョウにまで展開している、極東の謎の巨大組織、というのが他国がみた帝国陸軍の実態ではないでしょうか。

異論として聞いてください。
陸軍についてです。

陸軍力は、
1)ソ連
2)日本
3)ドイツ(ただし、新戦術を勉強中)
4)イギリス
5)フランス
6)イタリア
7)アメリカ

だと思います。あくまでも開戦時です。アメリカは陸軍を開戦時にはあまり持っていない軍隊でした。ただ、陸軍を作る産業の力はすべてにわたって文句なく1位です。

で、日本対中国は前述の方の言われるようになったわけで、ゼークト・ラインをデザインした中華民国のドイツ人顧問が拳銃自殺するほど、日本陸軍は精強で...続きを読む

Qアメリカとイギリスは仲が悪いの?

イギリスの知人がアメリカは最低といってました
映画でもイギリス人がアメリカのことを悪く言ってるのをよく聞きます
昔は自分らの方がゲスだったくせに。。。と思いながら聞いています

隣の国とは揉めがちだとは思うのですが
日本と韓国の今の仲と比べるとどの程度のものなんでしょうか?

そして決定的な理由はなんなのでしょうか?

Aベストアンサー

米国と英国は仲が良いですよ。

仲が悪そうに見えるのは、お互い兄弟みたいな
ものなので、遠慮無くモノを言い合っている
からです。

ホークランド紛争時、アルゼンチンと英国が武力
衝突することになりました。
アルゼンチンは米国に、英国の不当性を訴えましたが、
相手にされませんでした。

英国とは兄弟みたいなものだから、利害など関係
なしに米国は英国に味方をする、ときっぱり言われた
からです。

日本は米国と同盟を結んでいますが、この同盟には
英国とはレベルの差があります。
米国と英国とは一心同体みたいなもので、その間に
秘密は原則存在しない、とされています。


”日本と韓国の今の仲と比べるとどの程度のものなんでしょうか?”
    ↑
韓国は日本を憎悪していますが、英国人は米国人を
格としては下に見ています。
米国人は英国にたいしてコンプレックスを抱いています。
英国が兄で、米国が弟、という感じです。

これに対して、韓国は自分たちは日本の兄貴分だ、と
勝手に信じ込んでいます。
日本人にとって韓国はただのうっとうしい外国です。
米国と英国がお互いに兄弟のような感覚を持っているのとは
異なります。


”決定的な理由はなんなのでしょうか?”
    ↑
米国はかつて英国の植民地であり、英国から追放され
祖国を捨てた人間だ、という負い目があります。
しかし、お互いにアングロサクソンが中核をなしている
国家だという共同体意識があります。

韓国の反日は日韓併合が原因ではありません。
西郷隆盛の書見に、反日激しい韓国、という記載が
残されています。
当時既に反日だったのです。

江戸時代の朝鮮通信使の日記にも反日的記載が窺えます。
元寇などは、時の朝鮮王「忠烈王」が渋るモンゴルを説得
して起こしたものです。

この韓国の反日は、朱子学に基づく小中華思想にあると
言われています。
つまり、華夷秩序において、韓国は日本よりも格上のはず
だが、現実はいつも日本が上に位置している。
理解し難いのですが、彼らはそう考えて、日本は許せない
と信じているのです。

その証拠に、秀吉の朝鮮出兵に対して文句をいう韓国ですが、
千回も侵略されている中国には何もいいません。

格下の日本が韓国を凌駕しているのは、悪い事をしている
からに違いない。
そこから、日本に対する憎悪が生まれてくるのです。

米国と英国は仲が良いですよ。

仲が悪そうに見えるのは、お互い兄弟みたいな
ものなので、遠慮無くモノを言い合っている
からです。

ホークランド紛争時、アルゼンチンと英国が武力
衝突することになりました。
アルゼンチンは米国に、英国の不当性を訴えましたが、
相手にされませんでした。

英国とは兄弟みたいなものだから、利害など関係
なしに米国は英国に味方をする、ときっぱり言われた
からです。

日本は米国と同盟を結んでいますが、この同盟には
英国とはレベルの差があります。
米国と英国とは一心...続きを読む

Q戦争謝罪、なぜ日本だけが・・・

なぜ、日本だけが戦争に対して謝罪を求められているんですか?
原爆を落としたアメリカは日本に対して謝罪したのでしょうか?
戦争に負けたからでしょうか?
他に謝罪を求められている国はあるのでしょうか?

歴史や国際問題に関して全く知識が無いので教えて下さい。

Aベストアンサー

日本と中国の間には、1978年の「日中平和友好条約」があります。
韓国との間には、1965年の「日韓基本条約」があります。
国家レベルでの戦時賠償や謝罪は、その批准の時点で解決したと見るのが、国際法上の“常識”です。

このご質問の答えについて、もっとも簡単な答えは、「彼らが国際法を守っていないから」あるいは「守る気がないから」です。

中国や韓国が日本に対して、内政干渉に等しい行為を繰り返すのは、古代から続く「中華思想」「華夷秩序」に基づいています。中国を中心とする秩序の中で、東の果ての島国という、「序列下位の野蛮な国」が、自分達を“支配下”に置こうとしたことが、どうしても許せないのです。また、“宗主国”中国は、序列が下の国に対しては、どんな干渉も許されるのが決まりですし、韓国(を含む歴代朝鮮半島の国家)は、この秩序の「最も忠実な臣下」ですから、中国と同じことを行っても平気なのです。

今問題にされている「つくる会」の教科書では、日本は聖徳太子の有名な“日出づる国の天子から・・・”の親書によって、“華夷秩序”から離脱したということになってますが、彼らは、まだ認めていないんでしょうね。

私は、今回の教科書問題や、繰り返される“謝罪要求”を見るたびに、「歴史に縛られた、かわいそうな人たちだな」と思います。

日本と中国の間には、1978年の「日中平和友好条約」があります。
韓国との間には、1965年の「日韓基本条約」があります。
国家レベルでの戦時賠償や謝罪は、その批准の時点で解決したと見るのが、国際法上の“常識”です。

このご質問の答えについて、もっとも簡単な答えは、「彼らが国際法を守っていないから」あるいは「守る気がないから」です。

中国や韓国が日本に対して、内政干渉に等しい行為を繰り返すのは、古代から続く「中華思想」「華夷秩序」に基づいています。中国を中心とする秩序の...続きを読む


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