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問1
最近よく子供の理科離れが問題視されてますがその原因は何ですか?


問2
日本以外の外国の状況はどうなのでしょうか?
周辺アジア、欧米は

A 回答 (7件)

こんにちは。



私は技術(電気)の世界で仕事をしており、趣味もその分野。また、教育者ではありませんが、割合に長く子供・子供の集団とおつきあいのある「おじさん」です。また、少し過去になりましたが、他国に出かけ、その国の方々と話をする機会もありました。
さて、「理科離れ」といっても、確かにいろいろな要素の集合なのですが、次のような考察は役に立つでしょうか。
ポイントは、「電子ゲームがおもしろすぎし、便利になりすぎた。世界中同じ傾向だが、日本ではかなり顕著らしい。」

さて、議論を「かつての理科好きの子供たち」(私を含む)と、「今の子供たち」(私の子供を含む)との比較で見てみましょう。特に他の方からは教育・社会制度上の問題が挙げられていますが、過去の私たちに比べて現代の子供たちがさほどひどい制度の中にいるとは思えなくて・・・。それに比較してかつて子供たち(私も含めて)がたむろしていた模型屋・部品屋は相次いでつぶれてみる影もありません。

「理科離れ」という中の「理科」には、「科学/技術への一般的興味」と、「学科としての理科系科目への意欲」の意味があり、本来はこれらを使い分けなければならず、それらに与える影響も個々で異なるでしょうが、そのような緻密さは後回しににして、次のような要素を羅列してみましょう。

(1) 電子ゲームがおもしろすぎる。(50%)
 過去と現代を比較した場合の理科離れの最も大きな要素でしょう。
 かつて、子供たちは退屈していました。友達と遊んでいてもある程度のマンネリは生じます。そのような中で、「虫」や、「天文」、「機械・電気」、「化石」などは「新しい興味」を引き、退屈を解消してくれる重要な要素でした。
 天体望遠鏡を買ってもらってもしばらくすると飽きてしまったりもするのですが、退屈の中から「天文に興味を持ち」「望遠鏡が欲しいと思いつつ本を読み(調べ)」「買ってもらった喜びからいろいろチャレンジ」のプロセスをひととおり行えば、実は相当な知識が身についているのです。
 一方で、電子ゲームは、「簡単に手に入り、すぐに着手でき、何時間でも費やすことができ、猛烈なおもしろさと充実感があり、そして何の知識にもならない・・・」でも、空いた時間さえあればそのおもしろさに惹かれてしまいます。「莫大な費用と知恵を使っておもしろく感じるように設計した」電子ゲームがあれば、面倒くさい天文の本など読まずとも楽しい毎日が過ごせます。(昔は、天文少年、虫少年、模型少年、化石少年・・・がクラスに1名~数名はいたものです。)
(2) 便利すぎる(20%)
 かつて、自動車はあこがれの乗り物でした。身近に増えたとはいえみんなが持っているものではない。飛行機ときたら決して手の届かない夢。この結果、「模型」を通じてそれらに近づこうと自分で努力したのですが、現代はその必要がありません。(双眼鏡にもすごくあこがれ、科学雑誌を見てレンズを組み合わせて作ろうとしたりしましたが、今では3000円でも買えて、生まれたときから家にある・・・。テレビもトランシーバー(電話・アマチュア無線)も、ラジコンも・・・容易に想像できる便利なものはすべて高度に実現し、あとは”タイムマシン”と”どこでもドア”かな)
(3) 子供に自由がない(10%)
 私たちの世代は、「半径”学年km”が行動範囲」でした。小学1年生は1km、小学6年生は自転車で半径6kmを縦横無尽に駆け回り、虫の多い森、柔らかな砂のたまった崖、不思議な物を作っている工場、おもしろい物が捨ててあるゴミ捨て場などを回り「自分で発見する喜び」を知っていたのです。現代はよほどの田舎でもこの範囲の行動は許されません。6年生でもせいぜい1kmの範囲の「発見の乏しい公園」しかないのです。   
(4) 理系は苦労するだけ無駄なので、目標がないなら文系だと思っている(10%)
 技術(理系)は苦労する割には職を得る上で有利でないと思われているようで、これもまあ理解できるでしょう。特にバブルの時代は、製造業に比べて金融系の給料が高く、今の親の世代はその記憶を引きずっていますし、現代でも円高により製造業は苦しんでいます。そうすると、大学受験に向けて「理系・文系」の選択に当たり、「数学が苦手だから文系」「受験科目が少なくてすむので文系」という選択を許してしまっていて、子供にも波及しています。(これは、「何の意志も目的もないから楽な方へ」という意味であり、積極的な目的があって文系を選ぶのとは異なる愚かな選択であることを理解していない親も多く、「数学が得意でもなく目的意識もないのに理系を選ぶ奴はバカだ」と親が言ったりします。本当は、「目的意識のない奴ほど、面倒な科目に取り組み、真に専門知識をつける必要がある」のに・・・。
(5) 貧乏が怖くない・・他 (10%)
 日本は「貧乏らしく見える貧乏な方」はほとんどいません。かつて、皆がけっこう汚い格好をしていた時代でも、「本当に貧乏だね」と見える方が周辺にいたり、自分の親がその立場で愚痴と夫婦ケンカばかりしていました。その結果、「こんな生活から脱却したい、あんな生活にはなりたくない、そのためなら他人より少しでも複雑な知識・技能・学歴(=多くは理系技術)を習得したい」と思う傾向がありました。
 申し訳ない言い方ですが、現代では生活保護を受けている方でもこぎれいな姿をしておられるし、その子供に電子ゲームを買い与えることは容易です。その結果、子供は屈辱感も貧乏への恐怖感もなく、「ほどほどに他の人と同じ程度の勉強をしておけば良い」(友人の中に楽な方へ逃げている者がいれば、その人間と同じことをしていても良いはず)と思ってしまっています。

さて、このような傾向は海外でもよく似ているようです。しかし、日本はやや特異なようです。
(1) 電子ゲーム
 電子ゲームは世界中にありますしアジアの比較的貧乏だった国にも広く普及していますが、日本は特に寛大ですね。「1日1時間」なら当然・・・という親御さんも多いはずですが、このような「無為に時間を浪費させる箱」に対して他国はもっと厳しいです。日本は大変なゲーム先進国だったこともあり親御さんも含めて文化として根付いてしまって寛大です。また、子供に野球クラブ・サッカークラブと電子ゲームとを組み合わせて休日を過ごさせると、「自分で何も考えない子供」を作るのには有効です。
(2) 便利すぎる
 欧・米では同様ですが、アジアの国ではまだ「不便にもとづく欲」が残っており、子供の技術指向のエネルギーになっています。
(3) 自由がない
 これは多少の差はあれ、最近は各国とも同様のようですね。
(4) 理系は苦労するだけで有利でない
 親における理系軽視の傾向は日本が特に大きいようです。やはりバブルの経験/円高が背景で他国とは違う立場だからでしょうか。面倒な理系から逃げる傾向に日本だけが社会的に合致してしまっていますね。でも最近は、逃げ癖のついた者がどういう目に遭うか少し見えてきました。
(5) 貧乏が怖くない
 これも日本独特のようですね。アジアでは相当に経済発展した国でも親戚など身近の中に「貧乏らしい貧乏」がいたりしますし、先進国でも一部に「貧民や犯罪の多い汚い街」が形成され、あるいは残っています。このため、子供たちに「将来への警戒感」を抱かせる効果があります。これ故でしょうか中国の方などは米国・日本等に留学しようとする指向が強く、日本の大学に来ている技術系留学生は日本の学生に比べて猛烈な意欲があります。

さてさて、すっかり長くなってしまいましたがいかがでしょうか。
私も、理系の端くれとして、上記の背景を考えるほどに今後の国際競争力に不安を持っており、子供たちに理科・技術のおもしろさを教える活動もしているのですが、難しさを感じます。特に電子ゲームは強敵で・・・

お役に立てば幸です。
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ゆとり教育の弊害で理科の授業時間も減っているので、大学入試で求められるレベルは変わらないので、難しく理解しないと点を取れない理科を勉強するより、覚えるだけで点の取れる文系科目を勉強するようになったのが一番大きいと思います。



また.科学技術が発達し過ぎ、子供が興味を持っても教えてあげられる大人がおらず、またそういのはお金がかかったりして、子供に探究する環境を与えられられないのも原因でしょう。

他の方が指摘しているように、ゲームが高度でオモシロ過ぎ、ゲームソフトを自作したり、ゲーム機を自作したいという気持ちより、ゲームを攻略することに興味が行ってしまうのも一理有るでしょう。
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昔、ミニ四駆ブームがありました。

自分で部品を交換したり、改良したり、給油や軽量化など、いろいろ工夫して良いタイムを出そうとみんな智恵をめぐらせていました。私は、このブームがちゃんとしたブームになってくれれば、自然法則に従う面白さが若い人にも解ってもらえるだろうと期待していました。

ところが、専門の雑誌まであったのに、中身に書いてあることは全く自然法則とは無関係なメチャクチャばかり。それを信じて一生懸命改良しても、当然のことながらタイムは良くなりません。それより、高額なモータを買えば圧倒的に強くなれる。

たとえば、「フロントにオモリをつけると、上り坂から下り坂になるところで、フロントが先に下を向くので、ジャンプしてコースアウトすることを避けられる」なんていう理屈がまかり通っていました。一方で、薄いプラスチックのボディに穴をたくさんあけて軽量化を図っています。軽量化の効果より、剛性不足でばらばらになったりしていました。だってふにゃふにゃにしたボディにオモリを積んでいるのですから。

理科を教え、興味を持ってもらう良いチャンスだったのですが、雑誌はウソばっかりでした。もったいない!

これでは理科は意味ない、という結論になってしまいます。

アメリカなんかでは、エンジニアというと、弁護士や医者と同列に見られるものです。私の友人(エンジニア)は渡米して5年くらいで1億の豪邸を建てました。ギャンブルや投資で設けたのではありません。優れたエンジニアは時に社長より高給取りです。ヘッドハンティングを防止するためです。

こんな状況を身近に見ていれば、エンジニアに憧れる少年少女が多くなることも当然です。カッコ良く見えるんです。

何かヒントにでもなれば幸いです。
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1しかわからんが、学校での実験が減っている。

危ないからとさせないことも要因かな。
 親も、子供からの質問に答えられない、本の使い方を知らない、勉強の仕方を知らない親だと無理。
 我が家では両親とも理科は好きなので教える事も出来ますし、難しかったら科学館へ行ったりもします。身近にあるわりに科学を知らないですね。それと数学とかのアレルギーもあるので。
 
 英語の授業と同じで、継続的なこと、身近に接する機会が少ないことが学校で習って興味をもっても持続できない原因でしょうね。


 それと世の中には科学的なことで失敗するとものすごい批判をすることも原因。実験とか失敗することはあるのですが、その失敗を批判してしまう。失敗から何を学べるかということを忘れて批判だけに集中するのも原因だろうね。宇宙開発なんてはやぶさがなんとか帰還出来たので絶賛されていますが、帰還出来なかったら無駄使いだの言われて散々だったと思われます。それまでの成果なんて無視しますからね。結果しか見ないから。
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問1のみの回答ですが、小学校で、理科の時間に、教わる順番が、子供たちが「理科はつまらない教科」という印象を与えてしまうような順番だからです。


 小学1年の理科といえば、花壇の花について、朝顔の種まき、ウサギ・・・ああつまらない。
 一方、楽しい内容、すなわち、乾電池と豆電球を、どうつないだら、明るく点くか、エナメル線をぐるぐる巻いて、電磁石を作る、こうした内容を教わるのは、高学年になってからです。
 これではダメです。「つまらない内容」→「楽しい内容」の順番に教えていては、理科離れが進むのは当然です。
 まず最初に、乾電池と豆電球、電磁石など、子供たちが喜んで取り組みそうな内容を、まず1年生で教えることです。こうして「理科は楽しい教科」という印象を与えてから、高学年になって、勉強は、楽しいことばかりやっていたのではいけない、つまらないこともしなければならないということで、植物、動物、天体といった、つまらない内容を教えるようにする。これが、子供たちの理科離れを食い止める、一番の方法です。
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実験をしなくなったから


ただの理屈だけ詰め込んで面白いはずがないです
海外は知らないのでごめんなさい
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高校や大学入試に理科のテストがないから。

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