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これは単なる偶然でしょうか。何か理由があるのでしょうか。

百済のピョンアンと奈良の都は歴史的関連があるのでしょうか。
奈良県には百済姓の人がいるとか。
平城京では朝鮮語が公用語として使われた、また持統天皇が百済の要請をうけて派兵したとも。

同様に、平井康三郎の平城山は『ならやま』と読まれますが奈良県の奈良と同じ発音ですね。理由は何でしょうか。

A 回答 (13件中11~13件)

平壌は高句麗の都で、百済とは関係ありません。



「ならやま」という地名は、平城京ができる前からあり、「那羅山」「平山」「奈良山」などと表記されていました。平(なら)につくった宮城・都だから平城宮(京)と名づけられたといわれています。なので「平城」を「なら」と読むのは当然のなりゆきです。
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인터넷 < イン ト ネッ


インターネットのことですが、これをもって、韓国の影響を日本のインターネットが受けているなんて考える人はいない。なぜなら元が英語だと知っているから

漢字は中国語で、東アジア文化圏は中国の影響を強く受けています。

江戸時代の朝鮮通信使は、京都のことを西京と呼んでいます。
中国文化の影響を受けている朝鮮の知識人にとって、東西に首都機能があれば、西を西京、東を東京と呼ぶのは当たり前。そして同じように漢字文化圏にある日本人が、江戸を首都的に名付けようとすれば東京とか東都とか名付けるのは当たり前で、朝鮮の影響ではない。
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この回答へのお礼

『江戸時代の朝鮮通信使は、京都のことを西京と呼んでい』るのは江戸が実質的に日本の首都と認識していたのでしょうか。明快なご回答ありがとう。

お礼日時:2012/09/08 19:08

>平城京では朝鮮語が公用語として使われた、また持統天皇が百済の要請をうけて派兵したとも。



与太話ですね。当時の朝鮮語のことは全くわかっていませんし、平壌を「ぴょんやん」と
発音したかどうかもわかってもいません。

ちなみに百済に住んでいた人種と、現在の朝鮮人とは人種が違います。
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