No.3ベストアンサー
- 回答日時:
美濃の斎藤道三との会見の時、道三を紹介された信長は立ったまま柱に寄り掛かって「…であるか」と答えた~と。
後の信長家臣であった太田牛一が残した『信長公記』の一節に記されています。マムシ道三と信長の会見は一つの歴史の有名事件ですので。今のところ唯一と言って良い信長に関する歴史書である『信長公記』の記述を頼りに、後の歴史作家たちが書き表した会見場面を、さらに映画やドラマ化する際に一つのキャラ付けとして誇張して使ってるのだと思います。
その後の『信長公記』記述や、他の書簡(手紙)などに、特に信長が「であるか」と言う口癖があった様にはことさら記述が無いので。たまに言う事はあったけど、口癖というほどでは無かったと思われます。
またポルトガル人宣教師のルイス・フロイスの書簡に由れば。信長は日頃から言葉を良く省略して短く言う癖があったと記されています。「であるか」は正式には「そうであるか(分った)」という事になります。
もう一つの「是非に及ばず」若しくは「是非も無し」は、やはり『信長公記』によれば、信長が本能寺で明智光秀の謀反を聞かされた時に言ったとされる言葉です。現代語訳で「仕方が無い」というニュアンスになります。諦めというよりは、じたばたしても仕方が無いのでやるだけやってやれ~的な、どちらかと言うと前向きな意味合いが強いと思われます。
No.4
- 回答日時:
ドラマや小説の影響でしょうか。
どちらも『信長公記』の記述に見えますね。実際のところ、すでに回答にあがっていますが、斎藤道三との会見の時に「こちらが山城殿(斎藤道三)です」と紹介され「であるか」と言ったという記事のみです。それが名シーンとして小説・ドラマで何度も取り上げられたので、大河ドラマ「利家とまつ」の信長のように口癖だと思われるようになったのでしょう。
「是非に及ばず」は、本能寺の変の誰の謀叛か確認したところ、明智勢と聞かされて「是非に及ばず」と言ったものがよく知られていて、これまた小説・ドラマで取り上げられてますので印象が強いものですね。もっとも「是非に及ばず」という言葉は、信長に限らず東西南北いろいろな武将が、当時の史料で使っている事例が山のようにあります。全国的によく使われていた言葉ですから、信長の口癖というわけではないでしょう。
余談ですが、「是非に及ばず」という言葉はいろいろな意味を持っていて、その事例やそれまでの信長の行動から最近は本能寺の「是非に及ばず」も「光秀なら仕方ない」という諦めを表わしたものではなく、「事態は把握した。とりあえず防戦する」という前向きな意味であったと評価が見直されています。藤本正行『本能寺の変』(洋泉社 歴史新書y 2010年)に詳しく書かれていますので、興味があれば一読をお勧めします。
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