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あの世に行った人は、この世のことを振り返るのであろーか。
この世が懐かしいとか、この世に戻りたいとか思うのであろーか。
もしそのよーなことを思ったとしたら果たしてあの世は良いところなのであろーか。
それともあの世に行っても更なる次のあの世を願って祈るのであろーか。
あ~、あの世。
 

A 回答 (8件)

いずれにしても、「後悔は先に立たず」

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やあ。


私は世界が浄化されるまで徐霊千人切りを目指して悩める人々を地獄に落とす悪の魔道師だ。
今年の仮面ライダーまいつものように私の弟子だ。
君を占ってしんぜよう。

ムム、君には死人の霊が群がるようについておる。
君にはおじいちゃんがいたな、そのおじいちゃんは苦しんで死んだか?
人は皆死ねば成仏する、生前に苦しんだ事は脱ぎ去り浄化されるのだ。
その清らかな霊に対して、君は苦しんだ姿が忘れられない。
生前苦しんだように死後も苦しんでいるであろうと言う抜きがたい思いを抱いている。
それは供養が足りないからだ。
そして成仏した清らかな霊の名を偽り君のおじいちゃんの振りをして君に地獄の業火を知らしめる悪霊が君についている。
さらに悪霊仲間を誘い、君が死人は苦しんでいると思えば喜んでその死人の名をかたり君を苦しめるだろう。
そして君の父が死ねば君の父の名をかたり、父は苦しんでいると君に訴える。
そして君の順番がくるとだな、すなわち君が死ねば、君の名を悪霊は語り君の子を苦しめる。
子が死ねば孫を苦しめる。
そのように子々孫々古来より人を苦しめた悪霊が君についている。
君は地獄の業火に焼けただれ、このままで燃え落ちるように死んでいくであろう。
何とかしなければいけないが、私は救わない。
そのように苦しんで屍をさらすのが君の生涯だ。
誰でも似たり寄ったりだ。
その悪量の名は「生きる意思」であり「生きる欲望」ではない。
君が自らの生きる意志を実感し、生きる喜びを実感すれば、その悪霊は天に昇り、君は生きながらに成仏できるだろう。
その成仏を誘う優しく柔らかい光が、悪霊にとっては燃え盛る地獄の業火なのだ。
君は神の優しいまなざし、すなわち光を地獄の業火と見なし悟るまでは焼けただれるような苦しみを抱く。
では、どうすればいいか。
燃え尽きるまで焼かれるるがいい。
すまわち心を地獄においてこそ清められるのだ。
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あの世は 誰もが考える問題の一つでしょう。

存在の実証は 不可能かもしれません、が
論理的には扱えると思うのです。論理学の公理に相当する部分を無矛盾にしてあの世の生成の原点を明確にするのです。
例えば、(1)全員が永遠に極楽浄土に住む世界とします。すると 全員とは この世で何十人も殺した非道なひとまで入れてもいいのかとか、永遠とは この世の時間と同じく経過する時間が無限に続くのかとか、極楽浄土とは 例えば 憎しみのない相互魂の状態とはどのような状態とか、住むとは住む空間はとか、衣食はとか、色んな設定を演繹的に構造化しておかなければ 論理的あの世とは言えなにのです。多数の人は その構造化されたあの世を理解できるのです。公理の部分がどうも理解できないという場合は そこを変えるのです。
例えば(2)この世で善行を積んだものは永遠に極楽浄土に住むことは出来るが、悪を行ったものは永遠に地獄にすむことになる。すると善とは何か、悪とはなにか、善悪の中間的部分はないのか、あるいは永遠に地獄に住むのは問題ではないか いろいろ設定をしないと構造化できないのです。あるいは 永遠の極楽、地獄では納得できない場合は
例えば(3)極楽か地獄である期間過ごしたあとは次の世に行き別モノに成るのです。極楽魂は人間に生まれ変わり、地獄のあるグループはゴキブリに生まれ変り、やがて彼等が死ねば また あの世に行くという この世とあの世のサイクルを永遠に繰り返すのです。

要するにあの世は論理的に扱えるということです。公理を信じれば 信仰となり 他人との共有化ができれば宗教団体になることも出来るということでしょう。

さらに 言葉を信じるということに重点を置けば 矛盾的言葉の内容も生きてきます。矛盾的言葉の内容であっても繰り返し感じられるとなおさらでしょう。たとえば 「無いことが有る」とか、「信じないことを信じる」とか「存在しないことは存在している」とか です。言葉は人間に与えられた最大の伝達手段と思います。

以上参考までに
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それ以前の話ですが、一度死ぬ(‘この世’との関わりを断つ)、しかも過去のことを全く考えもしない・・・のなら、その人(存在?)はもうそれまでの「自分」とは全くの別ものって考えていいんじゃないですか?


もう「今まで関わってきたもの」の何にも影響を与えず、(完全に忘れるということは)何の影響も与えられない訳ですから、完全に無関係ってことになるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 
>しかも過去のことを全く考えもしない・・・のなら、その人(存在?)はもうそれまでの「自分」とは全くの別ものって考えていいんじゃないですか?

人が記念写真を取ったりするのは、70のばあさんが自分が乙女の頃の姿を見て楽しむためではないだろーか。
 
もし人が過去のことを一切考えないのであれば、人がこの世で喜んだり悲しんだり恨んだりすることもなかろー。
 
しかしそのよーな状態は果たして人であると言えよーか。
 

お礼日時:2012/09/30 11:57

>あの世に行った人は、この世のことを振り返るのであろーか。



人の道23は、せっかくこの世に生まれながら、前世をふりかえっていないだろう。
だから、せっかくあの世に行っても、この世をふりかえることはなかろう。

犬や猫と同じ生をいきているのじゃろうな。
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正直に言って


あの世があるのかどうかも分かりませんし
あの世の人間がどうこうはわかる訳がないじゃないですか。
死なないとわかりません。
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この回答へのお礼

 
>死なないとわかりません。

やっぱ死ぬ以外ないな。
 
 

お礼日時:2012/09/30 11:00

どうなのでしょうね。


個人的には死んだら魂は浄化され、次は何か(動物や植物など)に生まれるのだろうと感じています。

植物として魂がおりたなら、もう生まれ変わることはないでしょう。

できる限り現世では死ぬ前に過去を反省すると綺麗になっていきますので、浄化が早いでしょう。
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この回答へのお礼

 
>できる限り現世では死ぬ前に過去を反省すると綺麗になっていきますので、浄化が早いでしょう。

毎日毎日、反省してます。
 

お礼日時:2012/09/30 10:58

ふりかえりはするでしょうが あの世 が いいところなのか わからないので はんだんしかねます。



天国なら まだいいですが、地獄なら最悪でしょう。

まあ、昔は常世の世界は素敵な場所であると言い伝えがあったりなかったりしたそうですが。

神話とか調べてみたらなんか わかれかもですよ。
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この回答へのお礼

 
>天国なら まだいいですが、地獄なら最悪でしょう。

わしは既に20回も南無阿弥陀仏と唱えたんで極楽浄土へ行くことは間違いない思う。

しかし極楽浄土はえーとこかも知れんが、極楽浄土に往けばこの世を懐かしんだりはせんだろーかなどと思いを巡らしているんです。
 


 

 

お礼日時:2012/09/30 11:13

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