激凹みから立ち直る方法

私は宗教家ではありませんが、聖書は何回も読んだことがあります。その関係の講演会にも何度も行ったことがあります。

ところで、聖書の神(創造者)が広大な全宇宙を創造したという考えがキリスト教の基本になっています。しかしながら、創世記の最初には「神は初めに天と地をお造りになった」と書いてあるのみで、聖書の神が全宇宙を創造したということは明確に述べられていません。そもそもGensis(創世記)とは地球の創造に関する用語でそこには全宇宙の創造は含意されているとは思えません。実際、創世記の最初に具体的に書かれているのは、地球の創造に関してです。また、宇宙空間の存在する知らない人類に仮に神が説明するとしても天地の「天」に全宇宙を含めること自体無意味に思われます。

確かに、イザヤ書40章等には神の地球以外の創造に関する言及もありますが、地球から観察し得る宇宙は地球を中心にせいぜい数千光年ですから、これも神による全宇宙の創造を明確に示すとは言えません。したがって、ある人々が天地の「天」に全宇宙を含めることは拡大解釈にすぎません。

宇宙の創成から130~140億年が経過しており、宇宙の広大な広がり(300垓?以上の恒星を含む)からすれば、地球以外に知的生命体の存在する惑星が存在しないと解するのは極めて不合理なのに、聖書の教えが記述する地球上に宇宙で初めて反逆があったこと、キリストの天使の時の役割及び聖書上の神のタイムスケジュール等からすると、仮に聖書の教えと天文学上の発見を整合的に理解すると、地球上にしか知的生命体が存在しないという結論に到達します。

このような矛盾を解消する理解の方法はありますか?

A 回答 (5件)

天と地、とは、「この世の全て」の意味で使われ、それ以外の意味で使われることはまずないので、


天を現代物理の用語に置きかえると「全宇宙。ただし地球を除く」以外には考えられないのだけど....
※天国と地獄は「あの世」なので、天の中に含まれるかには言及なしとみなします。

>このような矛盾を解消する理解の方法はありますか?

その1 世界5分前仮説を使う。5分前でなく、約6000年前と考える。
   ※要するに、遠くは、そう見えるように作られているだけ。映画のセットと同じと考えればよい。

その2 天地創造=ビッグバン と割り当てる。 「この世の全ての創造」には矛盾が生じない。
   ※まあ、ビッグバン後100億年くらい経過してから地球できたわけだが.....
   ※※なお、質問文以外の箇所の矛盾点はほっかむりを決め込みます。

その3(きわめてあたりまえな理解)
  聖書が書かれた時代は、現代で言う全宇宙の大きさが思い切り過小評価されていた(月の軌道より手前、程度)
 ため、当然、天=地球以外の宇宙全て。
 その後、宇宙の広さがだんだん広くなったが、当初定義は生きているため、やはり、天=地球以外の宇宙全て。

その4 観察可能な宇宙というのを、現代物理学の「観測可能な宇宙」と同じ意味として使う。
 wikipadiaによれば、観測可能な宇宙の大きさは460億光年。我々一般人にとって、全宇宙と定義は一致する。

>実際、創世記の最初に具体的に書かれているのは、地球の創造に関してです。
ダウト。
創世記では、4日めに、太陽をはじめとする恒星を作っています。
まあ、天地創造=ビッグバン と割り当てたら、作る順番が矛盾するけど。

>イザヤ書40章等には神の地球以外の創造に関する言及もあります
???。創世記の最初(4日目)に、恒星を作ったと明確に書いてあるのに、わざわざイザヤ書を引っ張り出す理由が不明。

>地球から観察し得る宇宙は地球を中心にせいぜい数千光年
観察?観測じゃないのか。まあ、肉眼でという意味に取ります。最遠点はアンドロメダ星雲なので、約240万光年。ゼロ3つの過小評価です。
ゆえに、創世記の記述を文法どおり理解するなら、
天とは、少なくとも、銀河系の所属する局部銀河群である、と考えないとつじつまが合いません。
これって、1920年頃なら、全宇宙を意味していました。

>地球以外に知的生命体の存在する惑星が存在しないと解するのは極めて不合理
私も、地球外生命体の存在は楽観派に属する(銀河系内で数10万存在、の意味です。)のですが、
まだ、地球外生命体の存在の証拠は全く挙がっていません。地球外生命体が存在しない証拠を挙げることは不可能。
こういう場合、不合理だからという理由のみで自分と意見が違うことを退けるのは反則です。
科学とはそういうものなので、これは仕方ないことです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。あなたの説明があり得る合理的説明の1つではあるとは思います。アンドロメダ小宇宙に関しては、気付かなかったのではなく全天でただ1つの雲なので例外と考えました。大マゼラン雲や証マゼラン雲も南半球では肉眼で見えますが、一般的に肉眼で観察しう得る天体という意味で理解しました。勿論、天文学者の中にキリスト教徒がいて創造論を採る方々がいるのも承知していますが、聖書の記述と自然科学の発見理論を完全に調和させることは極めて困難でしょう。まあ、仮に神が存在して人類に聖書を与えたとしても、古代民族に地球以外の惑星に存在する他の仁絵類に関して言及する必要性は認めなかったと思います。

お礼日時:2012/11/02 10:20

こんにちはです。




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創世記の最初には「神は初めに天と地をお造りになった」と書いてあるのみで、聖書の神が全宇宙を創造したということは明確に述べられていません。そもそも Gensis(創世記)とは地球の創造に関する用語でそこには全宇宙の創造は含意されているとは思えません。実際、創世記の最初に具体的に書かれているのは、地球の創造に関してです。また、宇宙空間の存在する知らない人類に仮に神が説明するとしても天地の「天」に全宇宙を含めること自体無意味に思われます。
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1:1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 1:2この言は初めに神と共にあった。 1:3すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
(ヨハネによる福音書)

ことば = ロゴス = アルケー(宇宙の第一原理・宇宙の根本法則)

「すべてのものは、これ(ロゴス)によってできた。できたもののうち、一つとしてこれ(ロゴス)によらないものはなかった。」とあるのですから、宇宙はロゴス(神、もしくは神の一つ属性)から派生した、生れたと言ってよいのでは、と思います。
かりに宇宙の根本法則なるものがあり、その根本法則にしたがって、人類は猿などとの共通の祖先から進化したのならば、神が人類を創造したと言えるのではないでしょうか。矛盾していないのではないでしょうか。

また、創世記によれば、
  宇宙 = 天 + 地
でしょう。天は地(球)の対立概念、否定概念なので、宇宙に属するものであって、地球に属するものを除いたすべてのものの総称が天になります(これは、「天と地、そして宇宙」の定義なのですから)。ですから、「創世記の神さまが、その天と地を創造した」というのですから、「創世記の神さまが宇宙を作った」ということになるのではないでしょうか。
ヨハネによる福音書の記述とも一致すると思います。
宇宙空間は天に属するもの。天の一つの(構成)要素にすぎません。無理数という数のすべてを知らなくても、無理数の集合は定義できます。
  無理数(天) = 実数(宇宙)ー有理数(地球)
無理数という集合に属するすべての要素を知らなくても、無理数の集合を定義できるように、天の要素の一つである宇宙空間の存在を知らなくても、天は定義できると思いますが。
わたしは、このことについて、何も疑問をいだきません。


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宇宙の創成から130~140億年が経過しており、宇宙の広大な広がり(300垓?以上の恒星を含む)からすれば、地球以外に知的生命体の存在する惑星が存在しないと解するのは極めて不合理なのに。。。。
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創世記は、
 この地には、高度な知的生命体は人間だけである
と言っているだけであって、「かりに、他の惑星(他の地)があったとして、そこに知的生命はいない」とは言及していないと思いますが。。。。
「必ずしも矛盾していない」のではないでしょうか。

あるいは、創世記の《地》を地球の意味に解さない。地球は《地》の一つにすぎないと解釈すれば、なんの矛盾もおきないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。ロゴスは、ヨハネ福音書ではイエスキリストとされていますが、仮に彼によって、又は彼を介して全宇宙が創造されたとすれば、キリストが一惑星に処刑されるために来たとすれば、あまりにも地球に対して示された関心が過大すぎると感じました。

ところで、天文学者の中にキリスト教徒がいて創造論を採る方々がいるのも承知していますが、聖書の記述と自然科学の発見理論を完全に調和させることは極めて困難だとは感じます。勿論、人類の微弱さを認めないわけではなく、人類の科学力にもかなりの限界がありましょうが・・・。いずれにせよ、仮に神が存在して人類に聖書を与えたとしても、古代民族に地球以外の惑星に存在する他の人類に関して言及する必要性は認めなかったと思います。

お礼日時:2012/11/02 10:27

>>このような矛盾を解消する理解の方法はありますか?



「聖書に書かれていることは全て正しい」という無謬主義は、共産主義や社会主義に通じます。そして、霊性を重視するグノーシス派を皆殺しにしたような大量虐殺を生み出します。
また、魔女狩りとか、科学を敵視する暗い時代となり、イスラム教に科学技術で大きく劣ってしまう事態になりました。

宇宙創生とか人類誕生、処女受胎をはじめとして、非科学的なものは「嘘、デタラメな記述」として無視し、愛の教えなどだけを参考にされればいいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。有名な天文学者の中にもキリスト教徒がいて創造論を採る方々がいるので、聖書の記述と自然科学の発見理論を矛盾なく整合させるために彼らが何を考えているのかと考察していました。

お礼日時:2012/11/02 10:31

キリスト教の概念から脱却すれば、全ては解決するでしょう。



ある世界的な地質学者は、地球の成り立ちを調べていて、聖書の概念が間違いであることを証明するわけですが、当時の世の中では彼の主張をキチガイ扱いするわけです。キリスト教の権威というか、絶対性が崩れるわけですね。
技術が進歩した現代では、当然ながら宇宙創生時点までは解っているわけで、キリスト教の概念に着いて来いと言うのも無理がありますよね。まぁ、世界の中の天文学者、地質学者の中にはキリスト教信者もいるわけですから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。有名な天文学者の中にもキリスト教徒がいて創造論を採る方々がいるので、聖書の記述と自然科学の発見理論を矛盾なく整合させるために彼らが何を考えているのかと考察していました。

キリスト教の概念から脱却すると言われますが、世界人口の3分の1はキリスト教徒です。確かに、日本はキリスト教徒人口が全人口に対して0.8%なので、文化的にもキリスト教的文化からは遠いかもしれません。しかしながら、日本以外の先進国はすべてキリスト教国なので、国際関係上キリスト教を全く受け入れないこともできないとは思います。

お礼日時:2012/11/02 10:37

「地球以外に知的生命体の存在する惑星が存在しないと解するのは極めて不合理」とする見解は、進化論的な考え方、確率論で偶然に(何者かの意図によってではなく)生命が発生したという考え方です。



一方、「地球上にしか知的生命体が存在しない」というのは創造論的な見解です。

アメリカでも創造論(最近ではID理論)と進化論が対立していますよね。両者は合い矛盾しているのは当然と言えば当然です。
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