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私は歴史を信用してません。
300年以上も前に起った事がどうして詳しく説明できるのですか?
ましてや、紀元前の話など、まったく信用できません。
「○○年は何々が起きたと思われる」と言われればある程度納得するのですが、
「○○年は何々が起きた」と学校の授業でも教わりましたし、世間一般でもそうなってます。
この自信はどこからくるのですか?

A 回答 (20件中1~10件)

 まず、昔になればなるほど正確さとしては良い加減になるのは歴史を学ぶ人なら分かっている。



 しかし、残されたものから推測することでつじつま合わせを行っている。その為に歴史に関しては、後に修正が入ったりすることも多い。近年では聖徳太子の存在そのものも疑われています。
 ただ教科書などのは現段階で正しいと思われる物が載っているのです。だからこそ、歴史は考える楽しみも多い物なのです。
 
 すでに今年の公開が終わった奈良の正倉院展ですが、面白い巻物が展示されていました。当時の記録としての巻物。約束事などが書かれたものなどです。罰として宴席を設けなさいみたいな約束をさせられたものまであります。そういった文字等で残っているものがありますので、そこから当時の様子を推測出来ます。また歴史はつながっているので伝承なども実は大切な物で、伝播の仕方などから今は残っていないけど、遅くに伝わった所には昔のものが残っているなどもあります。テレビ番組で「アホ・バカ」の境界線を探ったら、京都を中心とした同心円状に広がっていることが分かりました。文化も同じようにつたわったと考えられます。
 昔話なども実はある出来事があり、神話や昔話になったとも考えられます。その遺跡なども見つかる事もあります。江戸時代などは瓦版などもあり、調べて行くと面白いですが。
 ただ、文献に関しては後に修正されている事も多く、他の文献と異なる部分があるなどもあります。その為に歴史ミステリーとして取り上げることもしばしばありますからね。
 基本的に学会などで納得させることが出来ればそれが正しいという感じです。

 ただ、曖昧だけども教科書には現段階での定説となっているものを載せていますよ。数年経てばまた変わるかもしれないけど。
 また発掘に関しても以前はねつ造間であり大問題にもなりましたから。

 歴史を信用するしないというより、基本は信用出来ない物も多いが、どれが正しいか正しくないかも難しい学問でもありますね。あなた自身、歴史の楽しさの一歩を踏み出したのです。信用出来ない。では信用出来る物はなにかと考えて見ましょう。それが歴史の楽しみ方の一つです。

 エジプトのピラミッドも奴隷がということから、それは違うと分かってきましたけどね。二日酔いで休みますなんて奴隷には無理ですから。

 今は古事記と日本書紀かな。 異端の書というのもあるからね。そこに書かれていることから本当の歴史はなにかを考えて見ましょう。
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この回答へのお礼

>歴史を信用するしないというより、基本は信用出来ない物も多いが、どれが正しいか正しくないかも難しい学問でもありますね。あなた自身、歴史の楽しさの一歩を踏み出したのです。信用出来ない。では信用出来る物はなにかと考えて見ましょう。それが歴史の楽しみ方の一つです。

こういった歴史の楽しみ方もあったのですね。
ひょっとして、大学の教授ですか?

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/14 13:56

No.7です。

少し補足します。>その文字で書かれた記録が信用できないのです。

文字で書かれた記録を鵜呑みにしないことは歴史を考える上で大切なことです。ただし、「文字で書かれた記録を一切信用しない」わけにもいきません。重要なのは、複数の史料を比較検討するなどの地道な作業を行って、どの史料のどの部分がどの程度信用できて、どの史料のどの部分は信用できないのかを見分ける判断能力を身につけることだと思います。これは歴史研究者の必須の能力のひとつですし、歴史書の読者にもある程度は必要な素養でもあります。なおご質問には、いわゆる1次史料の真贋や内容の正否の問題とこうした史料に基づいた歴史叙述が妥当がどうかという問題の両方が含まれているように感じます。

なお、歴史を考える上で文字で書かれた記録は重要ですが、これだけに依存するのは不十分です。日本の民俗学の祖と呼ばれた柳田國男は次のように警告しています。「文字史料の存在にしか、我々の歴史は無いときまると、北海道東北の広々とした地域はさておき、首都を取り繞らす活発なる生活帯の中にすらも、なおアメリカ以上の古さを尋ね難い地域が多い。まして何百とある離れ島などは、一歩門を出れば則ち神代になってしまう」(「歴史教育について」 原文は旧かな使い)

私が太安万侶の死去を例に挙げたのは、1200年以上昔の古代に作られた文献史料(続日本紀)の記述が、現代に発掘された考古学上の資料(墓誌)で(死去日の1日の差はありますが)裏付けられた貴重(稀有)な事例だからです。墓誌の発見以前には太安万侶に関しては架空の人物ではないかとする「非実在説」さえありました。

これも疑ってかかれば、「それでも太安万侶は架空の人物であり、人骨や墓誌はこれにあわせた後世の人の捏造」という主張もあり得るもしれません。イギリスのピルトダウン人や日本の旧石器時代の遺物などそうした捏造の事例も皆無ではありませんので、文字史料と同じく考古学上の発見も鵜呑みにしない姿勢は必要ですが、この太安万侶の事例に関しては発見の経緯なども含め総合的に見て、墓誌などが後世の偽造であると判断される合理的な証拠はなく、奈良時代のものだと考えられます。

歴史を研究するということは、過去になればなるほど失われたピースが多い巨大なジクソーパズルについて、何が描かれた絵なのかを、限られたピースを組み合わせて何とか復元しようと試みるようなものです。ピースが全部揃っていなければパズルはできないと考えたのでは、そもそも歴史の研究など不可能です。

史料の数は今から過去に遡るほど少なくなりますので、史料が限定されていることは承知の上で、その史料の性質を熟知して「この史料から確実にいえることは何か」を考える必要があります。そうすれば、「○○年(場合によっては月日まで)に□□が起きた」と確実に言えるレベルのことから、「○○年に□□が起きたと想定される」程度には言えること、さらには「○○年ころ(場合によってはもっと広く△△世紀)に□□が起きた可能性もある」位にとどめるべきことの区別もできるかと思います。

なお人の生死や建築物の建立の時期など、起こった年が明確に特定可能な問題と、鎌倉幕府が成立したのは何年かという問題のように、(鎌倉幕府の本質をどう捉えるかという問題と密接にからみますので諸説があります)、本来ある程度の年代の幅があり得る問題の性格の違いも考慮する必要があります。

良心的な歴史に関する著作ではこのあたりはきちんと書き分けています。その点に意を用いず、何でもかんでも同じように「○○年に△△が起きた」と断定的に書いている書物は、歴史書とは呼べないと考えます。
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この回答へのお礼

数回におよぶ回答ありがとうございます。
こんなに回答がくるとは思わなかったので、そろそろ締め切ります。
勉強になりました。ほんとに、あいがとうございました。

お礼日時:2012/11/15 13:43

回答者No.1です。


ちょっと整理しましょ。
質問者様の疑問その1。
~と思われる。と書かれていれば、納得できる。これに対して、全ての回答者様たちは、同意しています。新しい証拠が出てくれば、歴史は書き換えられる事、全員が認めています。
質問者様の疑問その2。
何故、言い切るのか?
これについては、回答されている方、いない方様々です。
ここに集中すべきと感じます。
これは、世間の常識と言うものに繋がる大きな問題を含んでいます。
私個人は、単なる上意下達、長いものには巻かれろ、無自覚、と言う問題として受け取ってます。
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この回答へのお礼

数回におよぶ回答ありがとうございます。
こんなに回答がくるとは思わなかったので、そろそろ締め切ります。
勉強になりました。ほんとに、あいがとうございました。

お礼日時:2012/11/15 13:40

なるほどなるほど・・・。


そう切り返されるとは思いませんでした・・・(^_^;)

>もし、両親がほんとのことを言わなかったら、兄の誕生日
>は戸籍に記載されている日で、親族以外は戸籍に記載さ
>れているのが本当の事と疑わないでしょう。

どうして↑これは「ほんとのこと」だと言いきれるのですか?(^_^;)
まだ嘘かもしれないとは疑いを持ちませんか?
ご両親が
「ほんとはこの日だったんだよ」
と、いう言葉を信じたのはなぜですか?

「疑問を持つ」のはいいことです。
「本当なのかな?どうなんだろう?」
と、自分で研究し探求していくのが歴史学者なのだと思いますよ。
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この回答へのお礼

数回におよぶ回答ありがとうございます。
こんなに回答がくるとは思わなかったので、そろそろ締め切ります。
勉強になりました。ほんとに、あいがとうございました。

お礼日時:2012/11/15 13:38

お礼




>明日にも光秀自筆の書状が見つからないとは限りません。

見つかったとして、その書状が、なぜ光秀が書いたと分かるのか?
光秀になりすました、他の奴が書いたと思うのは、私だけでしょうか?



 光秀の直筆書状が残っています。実物写真つき。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1% …


 また、専門家による光秀書状の解説があります。
http://blog.reichsarchiv.jp/item/1618
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この回答へのお礼

数回におよぶ回答ありがとうございます。
こんなに回答がくるとは思わなかったので、そろそろ締め切ります。
勉強になりました。ほんとに、あいがとうございました。

お礼日時:2012/11/15 13:36

<<厳密に言うと、学校は嘘を教えた事になりますよね。

>>

 いや、科学的歴史観と皇国史観が共存していたというべきでしょうか。小中学校では後者が教えられていましたが、大学では前者が研究されていました。

 大学では国史学研究室は東洋史、西洋史の研究室と並んでいたし、論文も歴史学共通の専門誌に掲載されるので、科学的根拠のない学問を教えるわけにはいきませんでした。たとえば津田左右吉の業績を振り返ると、東洋史の素養に根差していることが気が付きます。

 ということで、小学生には偏向教育を施し、社会のエリートになる若者には科学的な考え方を教えたわけです。

 なお、戦乱で資料が失われることが多かった中国や西欧と異なり、日本は古文書の宝庫です。それも行政文書だけでなく、絵地図、日記、書簡、会計の記録などが山のように出てくるので、クロスチェックの材料に事欠きません。津波の記録もそうですね。文字が知られていなかった古墳時代以前はともかく、奈良時代以降は一級資料で裏付けできない重要な出来事はまれだと思われます。光秀の謀反の理由など、まだ決着のつかない問題は残っていますが。ただし、明日にも光秀自筆の書状が見つからないとは限りません。
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この回答へのお礼

私には難しすぎる回答でしたね。
私がバカなだけかもしれませんが・・・。

>明日にも光秀自筆の書状が見つからないとは限りません。

見つかったとして、その書状が、なぜ光秀が書いたと分かるのか?
光秀になりすました、他の奴が書いたと思うのは、私だけでしょうか?

私って疑り深いんですかね?

お礼日時:2012/11/14 23:36

基本的に質問者様のスタンスは共感できます。

しかし、ちょっと違う様な気もします。

こう考えられませんか?
歴史は天文学や数学ではない、文学に近いものだ。
わたしたちは事実を学んで居るのではない、歴史学者たちの想像した壮大な過去の物語を聴いているのだ、と。

>「○○年は何々が起きた」

この自信はどこからくるのですか?

自信があって彼らはこういう書き方をしているのではないと思います。一種のレトリックなのでしょう。いはは読む者に説得力を持たせるためのテクニックなのです。

それに、ちょっとは信用した方が歴史が面白くなりますよ。いや、そういう歴史の味わい方もあるということですが。
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この回答へのお礼

わかりました。
「わたしたちは事実を学んで居るのではない、歴史学者たちの想像した壮大な過去の物語を聴いているのだ、と。」と、思うようにします。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/14 22:48

物差しがあるから本当か怪しいかが認識出来ます。




全く信用できないと
捨てていたはずの歴史スケールと言う物差しを用い
それで比較検討して

>ましてや、紀元前の話など、まったく信用できません。
などと結論付けていますが、

>紀元前の話など
神話性が強いと言う認識自体が1級文献との比較(スケール)である。


物差しを捨てたトンデモにアインシュタインは間違っているがあります。

距離は人類が作成した物で変動するので使えません。
ならば、間違っている証明もスケール無しで証明せねばなりません。


>この自信はどこからくるのですか?
トンデモ研究者の貴方方が間違っている事すら証明も出来ない
ミジンコだからみんな同じ授業を受けるんです。
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この回答へのお礼

言っている意味がよくわかりません。
バカでもわかるように説明して下さい。

お礼日時:2012/11/14 23:17

 疑問を持つことは、きわめて健全な反応だと思います。



 しかし、ある記述に対し疑問派が多数を占めたら、その記述は間違いだと決めつけていいでしょうか。

 実は、歴史についての記述は、たった一つの反証があれば覆ります。多くの専門家が反証を探し、それでも覆らなかったことだけが生き残りました。邪馬台国の所在のように、誰もが納得する反証がまだ見つかっていない場合は、教科書に断定的な記述は書かれていません。

 こうした手続きが繰り返されてきたから、我々は歴史の記述を信頼してきました。もちろん、今でも意図しているかどうかは別として、反証探しの努力が続けられ、その成果として教科書が書き換えられることも十分ありえます。
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この回答へのお礼

反証探しも大切ですよね。
教科書が書き換えられてますが、私が子供も頃は、書き換えられる前の物で、
歴史はこうだった。と決め付けられてました。
厳密に言うと、学校は嘘を教えた事になりますよね。

お礼日時:2012/11/14 17:29

それは目で見たものしか信じないからじゃないの?



昨日の事は自分で体験してるから信じるけど
自分が生まれる前の日の出来事は見てないから信用できない

そういうことでしょ


まぁ 紀元前はともかく
日本ぐらいの歴史の浅い国なら 書物は信用できますけどね
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この回答へのお礼

>日本ぐらいの歴史の浅い国なら 書物は信用できますけどね

その書物が、なぜ信用できるのか
なんですよ。

私って疑り深いんですかね。

お礼日時:2012/11/14 23:23

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