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私は歴史を信用してません。
300年以上も前に起った事がどうして詳しく説明できるのですか?
ましてや、紀元前の話など、まったく信用できません。
「○○年は何々が起きたと思われる」と言われればある程度納得するのですが、
「○○年は何々が起きた」と学校の授業でも教わりましたし、世間一般でもそうなってます。
この自信はどこからくるのですか?

A 回答 (20件中11~20件)

前の回答者さんの方々が答えているのですが、


中学や高校で習う程度のものはほぼ、間違いはないと思って下さい。
資料や科学的な解析から信憑性が高いものであるからです。
もっとも、新たな資料が発見されれば、また史実は変わってきます。

>この自信はどこからくるのですか?

私なりにお答えしますね。
あなたは自分の生まれた日(いわゆる誕生日)を確実に間違いが無いと言いきれますか?
言いきれるのならばその自信はどこからくるのですか?

私は自分の誕生日に自信が持てます。
両親の話、伯父、叔母、出生届・・・etc。これらの「資料」に信憑性があり、信じるに足るからです。
自分が生まれた時の事を覚えていないにも関わらず、ですよ。


こういう身近な事に置き換えれば、他の回答者の方々の意見も納得できると思いますし、歴史を学ぶのは意義のある事だと思えてくるとおもいますがいかがですか?
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この回答へのお礼

>あなたは自分の生まれた日(いわゆる誕生日)を確実に間違いが無いと言いきれますか?

言いきれません。

理由は
今となっては笑い話ですが、兄は両親に誕生日を違った日にさせられていました。
戸籍も生まれた日にはなっていません。理由をかくと長くなるので、ここでは書きませんが。
もし、両親がほんとのことを言わなかったら、兄の誕生日は戸籍に記載されている日で、親族以外は戸籍に記載されているのが本当の事と疑わないでしょう。
兄には誕生日が違うことを言って、私には言ってないので、私の誕生日は本当だと思います。が、100%は言いきれません。
歴史にも、こういった事があるのでは?と思ってます。

ひょっとして、あなたの誕生日も違うかもしれませんよ。

お礼日時:2012/11/14 23:12

質問者さんは、「地球は太陽の周りを回っている」と思いますか。

それとも、「太陽が地球の周りを回っている」と思いますか。たぶん、「そりゃ太陽の周りを回っているに決まっているだろう」と答えると思います。でも、自分で計算式を作って地球が太陽の周りを回っていることを確認したわけではないと思います。「昔学校でそう習った」から、そういうもんだと思っていると思います。もしある日突然NASAが「なんかよく見てみたら太陽が地球の周りを回っていました」なんて発表したら、「まあ天下のNASAがそういうんだから、そうなんだろうな」と思うと思います。NASAに問い合わせて、膨大な計算式を見せられて「ほうほう、そういうことか」なんてことはないでしょう。

似たようなことは案外身の回りにはありまして、例えば飛行機って仮説で飛んでいるんです。揚力の発生にはどうもよく分からないことが多いらしくて、今のところ「こうなっていれば飛ぶはずだ」という仮説の元に飛行機を作ったら飛ぶのでそういうことにしてあります。
しかし、今の学説ではトンボやチョウがなぜ飛べるのかについて説明できないそうです。特にトンボはああ見えて急降下に急上昇、ホバリングに急回転までできる縦横無尽な飛び方ができるそうで、尾翼もないのにただ飛べるだけでも証明できないのに、その機動力を説明することは到底不可能なんだそうですよ。
一説には「世の中の科学説の90%は仮説に過ぎない」なんて話もあるそうです。「もう絶対間違いない」と言い切れるのはニュートン物理学みたいな物理学と数学の一部くらいで、おそらく世の自然科学の中で最も進んでいる科学のひとつである数学でさえ、ユークリッド幾何学をとるか非ユークリッド幾何学をとるかで意見が分かれたりします。
つまり、本当に正しく教えるならば、「…という説です」とか「…ということになっています」というふうに学校の授業で教えなければならなくなります。でも、そんなことにしたら面倒くさくて子供は覚えられないでしょ。分数の割り算は分母と分子をひっくり返して掛け算にするって習いましたけど、なんでそうなるのかって考えなかったでしょ?「そういうもんなんだろう」って。だから世の中、ある程度は「偉い学者さんたちがそうだといってるんだから間違いないんだろう」ってことで話を進めないと進まないってところはあると思います。

2011年3月11日に東日本大震災が起きたことは、今の時代なら誰でも知っています。「あれは作り話」なんていう人はいないでしょう。でも、あと100年経てば現実に知っている人は一人もいなくなります。100年後には「おじいちゃんから聞いた」という人がいるくらいです。あと300年も経てば、もはや「歴史上の出来事」です。その頃には「あれは作り話」と大真面目な顔でいう人も出てくるでしょう。津波の映像を見せても「この頃にはもうコンピュータでこういう映像を作り出すことも技術的には可能だった」ということだってできます。
つまり歴史ってのはそういうことなんですね。「○○年に何が起きた」と年まで特定していうのは、だいたい中世以降の出来事が多いです。中世以降だとしっかりした暦が残っているからです。日本とか中国であれば「天正何年」とか記録になっていますからね。「そんなの信用できるか」と言い出したらキリがありません。あの天下の東スポだって日付だけは正確に残していますが、500年後の人が「この東スポなる当時の新聞はウソ記事ばっかり載せているので日付もウソに違いない」といわれたらそれまでだけど、日付を不正確に記録することに意味はあまりないですね。ただし、記録を残した側が「改ざんしないと都合が悪い事情」があるなら、改ざんされることはあります。例えば福島第一原発に津波が襲った時間とかね。東電が発表した公式の時間は改ざんされた可能性が高いです。
おっと、話がそれました。中世以前でも、ローマ帝国のように高度に文明化した国家である場合はきちんとした記録が残っていることが多いです。「○○皇帝は在位32年目のときに死んだ」と公式の記録があったら、別にそれはいちいち疑う必要もないだろうとなります。ただ、他の資料が出てきて「在位28年目に死んだ」とあったら「どっちが正しいのか?なぜ資料によって数字が違うのか?」という議論が出てきます。
江戸時代末期の絵師司馬江漢は結構ジジイになったある日突然自分の年齢を10歳足しました。どうも気まぐれだったみたいですけどね。でも本人の記録がそうなっているので「普通は自分の年齢は10歳も間違えないだろう」と常識的に考え、資料によって年齢がまちまちなので研究者がだいぶ混乱したそうです。まあそういうこともあるってことですね。歴史ってのは人間の積み重ねですから。
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この回答へのお礼

ふむ。
なんとなくわかりました。

太陽が地球の周りを回っている。
面白い発想ですが、たしかに自分で確認したわけではありませんね。

分数の割り算。
教わった時は理解してませんでしたが、今はしてますよ。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/14 14:22

 「史実(歴史としての事実=Fact)」を記した「モノ」を史料と呼びますが、これにも大別して二つの種類があります。

一つは「公式史料」そしてもう一つは「民間史料」であり、文献史学(日本史学の領域)では前者を「正史」後者を「稗史(または野史)」と称して区別しています。
 「正史」を事業として編纂するのは国家ですから、当然のように「自らの都合が良いように『歴史を書く』」ことが前提となり、後者では「それに対する批判的な叙述」を行うものもあれば、「権力を正当化する記述」ものもあります。
 つまり「歴史」と「歴史叙述」では認識のレベルが明らかに異なるものと説明できます。今現在、こうして質問者様が「質問している」と言う事実も歴史であり、それに対してコメントを寄せている方々の「説明」も一つの歴史叙述であるということになります。
 一つの事実を説明するにはそれだけでは証拠能力に疑問符の着けられることは当然であり、それを立証するための様々な傍証が必要で、それらの「証拠」を吟味し、整合性を問うとのそれこそ緻密で気の遠くなるような作業を延々と繰り返した上で、ようやく一つの事実に辿り着くことができ、その先には更に「一つの事実をその時代そして歴史全体の中にどのように位置付けし、評価するか」との極めて困難な作業が待ち受けています。
 一つの事象に関して、「それがあったこと」が幾つもの史料に記されていれば、「あった、との事実」を確定することは簡単にできる作業です。ですが、「その内容がどの様なものだったか」はそれに関する記述を逐一、史料の山の中から掘り起こして、ジグソーパズルのピースの様につなぎ合わせていき全体の図柄を構築していく。もしピースの場所や形が異なっていれば、それは全体の形を作る上で齟齬を来しますから、なぜその様に異なる記述があるのかを原点に遡って考えねばならない必要に駆られる結果となります。全体の形が正当か、それともそのたった一つのピースの方がより整合性を示していると評価できるのか。それが本来の歴史学の仕事ともいえます。
 現在の歴史教科書や一般レベルでは、こうした様々な検証を経て「これが現在の歴史学での到達点であり、一先ずの共通認識でもある」との評価に基づいた結論であり、新たな史料や学説が提起されたならば、それがひっくり返ることも珍しくはありません。実際に「鎌倉幕府の成立」でも、1970年代のテキストでは1192年説が記されていましたが、現在では1185年説を中心とする幾つかの見解が並記されてる形です。
 「証拠の学としての歴史学」にスタンスを置くならば、歴史は常に相対的であるともいえます。新たな史料が検出されれば再検証が求められ、歴史叙述のありかたも「歴史像の描き方」を巡って、価値基準をどこに求めるかによって様々に異なります。ですから「絶対にこれが正しい」などとは限定することができないことになります。それだけ歴史学は科学的そして哲学的営みであるともいえます。
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この回答へのお礼

私も信頼していい歴史はあると思ってます。
しかし、歴史本のほぼ全てに、「こうであった」と書かれている事に納得していないのです。
あなたも、{「絶対にこれが正しい」などとは限定することができないことになります。}
と書かれています。
私もその通りだと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/14 14:09

ひとことで言えば、「○○年に□□が起きた」と文字で書かれた記録が残されているからです。



この文字による記録(史料)は、紙に書かれたものだけでなく、木や竹の薄板に書かれた木簡・竹簡、石に文字が刻まれた石碑、金属器に刻まれたり、刀剣に象嵌で記されたりしたものなど多種多様で、現代でも新たな発見があります。

例えば奈良時代に古事記の撰者として教科書にも載っている太 安万侶(おおのやすまろ・安萬侶、安麻呂とも書く)という人がいます。「続日本紀」という歴史書にはこの人が「養老7年7月7日に死去した」(秋七月庚午民部卿從四位下太朝臣安麻呂卒)と書かれています。

ところが今から33年前の昭和54年(1979年)になって奈良市の茶畑からこの人のお墓が発見されました。そう判明したのは人骨とともに銅製の墓誌が見つかり、「太安萬侶が養老7年7月6日に死去した」(左亰四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之 以下省略)と書かれていたからです。

続日本紀と墓誌とでは、死去の日が1日違っていて、これにはいくつか説明する説があるようですが、ともあれ「養老7年7月6日(または7日)に太 安万侶という人物が死去した」ということは、1300年近く昔の歴史的な事実(史実)として認めるべきだと考えますがいかがでしょうか。

なお当時日本で使用されていた暦が、当時の西暦(ユリウス暦)でいつに当たるかについては詳細な研究があり、天文学などの力も借りて(日食・月食などで検証する)決められています。養老7年の7月は西暦(ユリウス暦)では723年にあたります。
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この回答へのお礼

その文字で書かれた記録が信用できないのです。
かりに、私が2012年11月14日に「政治家全員自殺」なんて書いて、500年後に発見されても信用されないでしょう。それは、他の資料を調べれば分かる事ですから。
しかし、昔は資料も少なく、信頼性も少ないと思います。
誰かが、いたずら書きした物かどうかの判断が出来るのでしょうか?
資料が複数あれば、ある程度納得するのですが・・・。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/14 13:50

 あなたや、回答者の方々のように、まじめに考える以前に、歴史なんて 権力者たちが 自分たちに都合の良いように 主張するのが基本だし、結局は 国論を統一するため、と考えていた方が無難でしょう。



 もともとが、権力者の自己主張だから 断定調になるのでしょう。
 権力に媚びる 御用学者の論説だから 断定で語らざるを得ないのでしょう。

 選挙権などの権利 は行使しなくても 義務教育などの 義務は立派に果たす 従順な 国民たちを 洗脳するのは簡単だもの。
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この回答へのお礼

>歴史なんて 権力者たちが 自分たちに都合の良いように 主張するのが基本だし、結局は 国論を統一するため、と考えていた方が無難でしょう。

たしかに、そう考えたほうが無難ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/14 13:36

確かに信用できませんね。


例えば、現代のことを歴史に残そうとしても、どこまで本当のことが書けるか、甚だ疑問です。
また、現代の歴史書は現代の常識で書かれているという事実があります。
つまり、その時代の常識ではないので、歪んだ捉え方という解釈です。
更に、政権を握ると自分を正当化し、前の時代の嘘八百を書き連ねるのも常ですからねえ。

しかし全てが間違いでも無いでしょう。事実と嘘(思惑)や間違いが入り混じっていると考えられます。
これは現代のニュースでも同じことが言えるのではないでしょうか。
私は人類の能力の限界と思っています。
玉石混交の情報から自分の感性で選んでいくしかないでしょう。
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この回答へのお礼

今の時代も500年後には違った歴史になっていると言う事ですね。
有り得るかもしれませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/14 13:33

当時の信頼できる史料が存在しているからです。


たとえば、天正10年(1582)6月2日に織田信長が明智光秀の軍勢に襲撃されたことは、複数の当時の史料によって確認することができます。
一方、当時の信頼できる史料が存在せず、後世の編纂物や信憑性の低い史料にしか書かれていないことは、「と思われる」ことと捉えるべきです。
たとえば、大河ドラマ「平清盛」でも取り上げられた「鹿ケ谷の陰謀」。
断定できるかどうかは、出来事によって異なります。
結局、それを発言する人が、どこまで史実の精度を理解しているかが問題となります。
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この回答へのお礼

複数の資料によって確認できた事は、信頼性がありますが、
信頼できない資料によって作られた歴史もあると思います。
そんな歴史でも、「○○年に○○が起きた」と断定している所が納得いかないのです。

お礼日時:2012/11/14 13:29

昔の人たちが日記などに記録を残しているからです。



暦というものは、紀元前から非常に研究が進んでいた分野です。
何年何月にこのようなことがあったとの複数の記録があれば、
ほぼ間違いないと承認されるでしょう。
(実際には、年月のずれがあるケースも多く見受けられますが)

また日蝕や月蝕が記録に残っていた場合、
現在の科学であれば、何年何月何日に起こったかを正確に計算できます。
このような天象は、複数の記録が残っていることが多く、
ほぼ間違いなく当たりを付けることが出来ます。
そうなると、その前後の記録についても大凡の目処が付けられます。
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この回答へのお礼

私も複数の記録があれば、ある程度断定できると思ってます。
しかし、歴史の本に載っている物、全てが複数の記録より作られた物なのでしょうか?

お礼日時:2012/11/14 13:23

まず基本的には書物に書かれていることが、「本当のことか」ということを調べることから始まります。



これを調べるのに使うのは以下の手段です。
・本が本物か?
 放射線による年代測定や使用している紙の材質、墨やインクの種類・材質などから年代を特定する。
 また原本がなく写本の場合は、数種類の写本があることが多いので、数を集め比較して原本の表記を特定する(写本の場合、昔は必ず手書きなので間違った箇所がそのまま写本されていたりするので、数を集めると特定が可能になります)

・外国の本や資料の記述はどうか?
 日本であれば、中国などに残っている記述と日本の資料の記述を調べます。外国がわざわざウソをつく必要は無いので(逆にウソをつくならその理由も合わせて)資料として日本の記述と同じかどうか調べます。
特に日付や年代は各国ごとに違う為、年号の取り方などの資料を合わせて確認することで、実際の出来事があった年代が特定できるようになります。
たとえば、秀吉による朝鮮出兵は日本では「文禄・慶長の役」と呼びますが、朝鮮では「壬辰倭乱・丁酉倭乱」と呼びます。これにより文禄は壬辰であり、慶長は丁酉であることが分かります。
このようにして年代とその年に起きたことを細かく調べ、内容が同じなら、それは事実という可能性が高くなります。

また外国の場合たとえばヨーロッパならラテン語・ギリシャ語・エジプト文字・フェニキア文字など多数の資料があります。これらの中に書かれている内容と年代が一致すれば、事実という可能性は限りなく高くなります。

・天文学やその他の学問と合わせて考える。
 日本でいえば卑弥呼と日食の関係が有名でしょう。天文学ではいつどこでどのくらいの時間、日食や金環食などが起こるかが計算で分かります。また彗星などの周期もほぼ判明しています。
これらがいつ起こるかといのは、未来の日時も分かりますし過去も分かります。これらか先に起こる日食を計算して、日付などを特定しその日時に日食が現れたなら、同じ計算式で算定した過去の日食も信頼できます。

このようにして過去にあった出来事に書かれている日時と日食などの天文学的なイベントの日時が合っているなら、書かれていることは本当にあったことである可能性が高い、ということになります。

また川の氾濫や大きな地震などは色々な国や文字で記録されているものです。そして実際に自然現象による地面の崩壊などの痕跡と、資料に書かれている内容を合わせて確認することで「本当にあったこと」と「作り話」を分けていくのです。

またもっと根本的なことがあります。それは「昔は文字が書けるということは特別なことだった」ということです。

文字を書ける人が昔は少なかったですし、文字を記録するための紙などの素材、筆・墨なども非常に高価な時代がありました。
ですから文字を使って何を記録するか?というのは非常に重要な課題だったわけです。

ですから、昔の書物である、ということが年代測定で確認できればそれだけで重要な資料になるわけです。

もちろん当時の為政者によるウソや勘違いなども多くあったでしょうから、そこは慎重に他国の資料や天文学的な事実を合わせて確認するのですが、それらと確認した結果、つじつまが合っているなら「本当に有ったことである」と断定し、歴史的事実、ということになるのです。

それでも断定が難しいものもあります。本来ならば「○○年は何々が起きたと思われる」と書いたほうがいいところを「○○年は何々が起きた」と言い切っていることもありますし、後々の研究でそれが変更になったことも実際にはけっこうあります。

たとえば稲作の伝播も今までは朝鮮半島経由という説だったのに、最近はイネのDNA鑑定から中国や沖縄経由もあった、という風に変化しています。また逆に「ウソだ」と思われていたのに、書物に書いてあったことが本当だった、というのに兵馬俑を配置した始皇帝のお墓の発掘があります(始皇帝のお墓は多数の人形によって守られている、という書物を誰も信じていなかったが、1974年に始皇帝のお墓が発見されると、書物の内容とお墓の内部が一致して「これは本当のことが書いてあった」ということになったのです。

本来歴史は数々の資料を基に「あった(はず)」ということを「事実」と認定しているにすぎません。ですから常に「○○年は何々が起きた(はず)」「○○年は何々が起きた(ということになっている)」前提で見るべきものなのです。

それが本来の科学的な態度、であり訂正があればすぐに訂正する、というのが科学的態度です。実際に私(40才代)が習った教科書と今の教科書では、歴史だけでなく科学の教科書も内容にそうとうな違いがあります。

ですから学校で「起きた」と習っても、心の中で「(はず)」とつけるぐらいで丁度いいと思います。
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この回答へのお礼

なるはど。
よく分かりました。
やはり「はず」と言う言葉はつけるべきなのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/14 13:16

私も同じ考え方です。


何も、歴史だけじゃないですよ。数学や基礎科学以外は、学説の主流が変わると手のひら返しますから。
学校の先生はこう教えなさいと命令されているので、許してあげましょう。
これが、今の主流の考え方。そう受け取っておきましょう。
仕方ない!
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この回答へのお礼

まったくその通りですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/14 13:09

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