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第二次世界大戦の時に戦場に行った元日本軍兵士の人達は、地獄のような死ぬ思いをしたわけですから、間違いなく、彼らはPTSDにかかっていました。
それから、彼らだけでなく、日本で米軍の爆撃にあい、死ぬような思いをした人達も確実にPTSDにかかっていました。

つまり戦後の日本人のほとんどがPTSDにかかっていたという事になります。

私の祖父は兵隊に行きましたが、長男だった為、戦場に行く事はありませんでした。
そして、住んでいるところも田舎なものですから爆撃にもあいませんでした。

事情通のみなさんの親族、知り合いの方で戦争で死ぬような思いをされた方は、やはりPTSDの症状などはあったのでしょうか?
それと、心のケアなどはどうされていたのでしょうか?

現在は戦争がありませんから、在日米軍の兵隊達の事件、事故は少ないですが、また、彼らが戦争に借り出されるような事態になるとPTSDを抱える人達が増え、戦場から日本に帰ってきた米兵達の犯罪が多発するようになります。
そして、憲法が改正されて日本人が戦争に行くようになれば戦争帰りの日本人達の犯罪も増える事になります。
私はその辺の事も心配になります。
場合によっては戦争反対!!軍隊反対!!の社民党などの勢力が盛り返すという事にもなりかねません。

事情通のみなさん、その辺の事についてどう思いますか?

A 回答 (6件)

うちの親父さんも徴兵で瀬戸内の輸送船に乗っており、夜に魚雷にやられて沈没、夜の海を漂っていると仲間が鮫に喰われて水面下に引きずり込まれるのを目にしながら、夜明けに救助されて呉に上陸しました。


その後、昭和20年8月9日頃陸軍の救援隊として広島に入り、爆心地で屍体の収容や後片付けに従事、終戦を迎えて帰郷しました。
黒こげの屍体を毎日運んでいましたから、トラウマはあり、プロレスなど流血画面が出てくると席を立ってしまったり、いろいろあったようで、神経衰弱になりかけた事もあります、近所の掛り付けの先生と個人的に親しくなり、その先生と山歩きをしたり、ゴルフやドライブなど気が紛れる趣味を持つことで克服したようです。

母親は祖母が農家の出身だったので、食糧難の時代も不自由なく乗り切り、なんと云うこともなかったんですが、唯一三菱に勤労奉仕に行っていたときに大震災や空襲に遭い、門衛の制止を振り切って工場外に逃げたので助かったが、学校時代の同級生や工場で親しくなった方がずいぶん亡くなり、この点はちょっと心に引っかかりがあったようですが、深くは考えなかったようです。

戦後は明日への希望に満ちた上り坂の時代だったので、日々の生活で克服したんじゃないかと考えます。
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この回答へのお礼

貴重な体験談をありがとうございます。
ご両親も戦争中は大変な思いをされたのですね。
PTSDを克服するのは非常に難しく、完治するにも個人差があります。
中には、非常に長い時間を要する人もいますし、死ぬまで完治しない人もいます。

現在、日本では憲法改正の話題が毎日のようにメディアから流れていますが、もし、日本人が兵隊となって戦場に行くことになればPTSDに罹る人が続出する事になります。
国はこの辺の事も真剣に考えてもらいたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/27 17:16

戦争にならなくても、PTSDには、別のことでもかかります。



女性は、強姦されたことでもなりますし、子供は、学校で虐められる

ことでもかかります。

シベリアに抑留、拷問を受けた日本兵もPTSDにかかったまま亡くなったり、心に傷を受けたまま

帰国したでしょう。

中国の満州で平和に暮らしてた日本人は、中国人に襲われ、多くの女、子供は

亡くなったり命からがら日本に帰ってきました。

何処にいても、どの様な時代に生きていてもPTSDには、かかるでしょう。

まぁ、戦国時代には、PTSDは、関係ないでしょうが、、、。

日本が戦争しなくても、他国か攻められればそれによってPTSDにはかかるでしょう。

どれだけ、ケアをされても、結局、立ち直るには自分の力でしかありません。
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この回答へのお礼

衝撃の度合いやショック度の違いで、症状に差が出ます。
学校でいじめられたのと、戦場で仲間が敵に撃たれ、頭がぶっ飛んだとか、地雷を踏んで体がバラバラになった、なんて光景を目の前で見るのとでは、まったく違う症状が出ます。

当然、残酷すぎれば過ぎるほど、完治は難しくなります。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/27 16:42

小林照彦陸軍航空隊第244戦隊の飛行隊長。

戦後会社勤めの後、航空自衛隊のパイロットとして参加しT-33の訓練飛行中に事故で殉職。最期は住宅地に墜落させないように機体をコントロールさせ脱出する機会を失っての殉職。

坂井三郎
言わずと知れた「大空のサムライ」の著者で零戦のパイロトとしても有名。戦後は米軍のパーティーに招かれるなどしてましたね。2000年に米軍のパーティーの帰りに発病しそのまま、亡くなっています。空中戦で右目を失明しながらも長距離を飛行しています。
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当然 PTSD がありましたが、Care はありませんでした(汗)。



だから本当に戦場を体験した人や人が殺された現場を体験した人は戦争の事を事を話したがりませんし、戦争の話題には拒絶反応を示すものです。

私の父は学徒出陣で台湾の高雄航空基地に行きましたが、戦闘機乗りではなく、基地参謀局の下っ端だったために実戦経験がなく、幸い内地引き上げ時も潜水艦に撃たれるなどという事もなく帰還して来ましたので、戦時中の体験談を良く話してくれましたが、母は満州で生まれ育ち、初婚で生まれた幼い娘 (私とは歳離れた姉) の手を引いて聞くに聞けない苦労を重ねて引き上げてきた人ですので、まだ戦局が怪しくなる前の満州の話はしてくれましたが、引き上げ前頃から引き上げた後までの話は一切してくれませんし、戦争の話を聞くと気が触れたような拒絶反応を引き起こします。

初婚の相手は父の兄だったのですが、私の叔父にあたるその方は南方戦線で戦死され、骨も帰って来ていません。

父は PTSD などなく、海軍の同窓会などによく参加していましたが、母は明らかに PTSD を抱えており、母の前では戦争の話は Taboo です。


PTSD を抱えているから犯罪を起こすという御質問者さんの提唱する論理が私には判りません。

戦争が PTSD を起こすのではなく、非日常的な、予想だにしなかった衝撃的な体験が PTSD を引き起こすのであり、戦争のない現代でも様々な PTSD が存在します。

確かに昔の戦争は痛ましい遺体を目の当たりにする機会が多いことから戦争が多くの PTSD を引き起こす要因となったものですが、現代の、特に日本の場合は、陸海空どの部隊に於いても相手の顔が見える Dog Fight (肉弾戦) はまずあり得ませんし、仲間の遺体を見る機会はあっても自分が殺した敵の遺体を見ることはまずあり得ません。

三陸沖地震の現場に入った、各地から招集された陸自の隊員達は数千人もの被災者の御遺体を探し当てているのですが、被災している家族や親族との連絡が取れないままにそうした懸念を振り払ってもくもくと救援活動を行った後に家族や親族を失った事を知った現地部隊の人達の方が遥かに PTSD に陥り易い状況ではなかったかと思います。

自分が殺したわけではない者の遺体を見る機会は戦争以外でもありますので、そうした体験による PTSD が犯罪の温床になるとは到底思えません。

戦争になろうとなるまいと社会状況によって PTSD が生じる機会が増減するのですし、PTSD とは無関係に、むしろ社会情勢が劣化することによって犯罪が増えるのですから、犯罪を憂うのであれば戦争よりも社会情勢の健全化を望むべきだと思いますよ。

戦争とは殺人罪を問われない殺人行為を行なう外交行動なのですが、殺人罪を問うべき犯罪が増える社会情勢の方が遥かに憂うべきものです。
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この回答へのお礼

第二次世界大戦が終わった当時はPTSDなどという概念も言葉もありませんでした。
PTSDという概念ができたきっかけは、ベトナム戦争帰還兵のトラウマがアメリカで大きな社会問題になった為に、それに対する処置の為の研究から生まれた概念、言葉です。

戦争で死ぬような思いをした人達が強烈なトラウマを抱えると、精神状態が不安定になり、まっとうな人間関係を築けず、そして、社会生活をも営めなくなる為にアル中やドラッグ中毒になる人が増え、結局、犯罪に走るようになったりします。

私の祖父は戦場には行きませんでしたが、アル中でしたし、家族に暴力を振るったりしていました。
多分、祖父以外の人間にはわからない心の問題があったのだと思います。
このような人は私の祖父だけでなく、昔は他にも多くいたように思います。

今もドメスティックバイオレンスなどが社会問題になっていますが、自分が親から暴力を受けた経験のある人は、自分の子供に対しても無意識に暴力を振るうようになったりします。

心に障害を持つと、自分が無意識のうちに他人に危害を加えるようになる事が問題です。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/25 21:18

変な考えかもしれませんが


『PTSD』ってのは平和ボケならではの病気だと思います。
もしこれが近代の『第二次世界大戦』ではなく、中世の『戦国時代』ならどうでしょう
 戦国の武者や雑兵とかもPTSDにかかっていたのでしょうか?
彼らの時代は生まれて人の生死、殺し合いなど身近なものですから、それが悲惨なものとは考え無かったと思います。
 人間の幸福とは絶対値ではなく、相対値で決まります
 天国の住人が地上に降りればそこは不幸せに感じストレスを感じるでしょうが
 地獄の住人が地上に上がればそこは幸せに感じストレスを感じないと思います。

二次世界大戦以前から日中戦争、日露戦争、古くは明治維新と戦争が立て続けに起こっていましたから、それが今の世代と違い、戦争は身近にあるものです
 なのだ『間違いなく、彼らはPTSDにかかっていました。』と断言する事自体間違いではないかと思います
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近所の爺さんは未だにPTSDですよ(90歳近くですが)


但し、爆撃とかのシェルショック系PTSDでは無くて溺れて死んだ部下を夢見るそうです

日本軍将兵の大半が中国戦線であり大変な思いはしておりません
地獄の戦闘地域に行った兵士はほとんどが死にました
そもそもほとんどが戦後復興に必死で、死んだ戦友の代わりに二倍にも三倍にも働きました

対日戦やベトナムへ行った米兵がPTSDになったのは、特攻機に突っ込まれて日本のパイロットのバラバラ死体を見たや爆撃では無く突っ込んでくるキチガイ相手に戦争をした事で精神を痛めたとか、夜襲を繰り返したり何処にいるのか判らない日本兵やベトコンと毎日戦った事で精神をすり減らした訳です。

対日戦やベトナムに行った兵士は夜寝るのが怖いんです。理由は『日本兵が夜襲仕掛けてくる』から…
道を歩くのが怖いんです。理由は地雷やブービートラップがあるかも、又は道の陰にトーチカがあるかも…

日本軍の兵士はそういう体験をほとんどしていないので病みづらかったようです。
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