質問投稿でgooポイントが当たるキャンペーン実施中!!>>

天皇家の信心は神道でしょうか?仏教でしょうか?
天照大神はよく神棚で見かけますし 仏教が伝わる前は神道を崇拝していたと思います
しかし歴史的には 出家した法皇が居たりと仏教な面もあります

現在の皇室はどうなのでしょう?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (9件)

>天皇家の信心は神道でしょうか?仏教でしょうか?



明治維新前後で変わりますね。
ご存知の様に、明治政府は「天皇中心の国家」を目指して政策を進めましたよね。
(江戸幕府が、仏教中心の国家でしたから反動でしよう)
そこで、神仏習合を廃止して「天皇=神の子孫(生きている神様)」としたのです。
ここから、天皇は「天照大神の子孫」との考えだけが優先します。
つまり、国家神道の誕生です。
明治維新以降は、天皇家は神道となります。
が、明治維新までは「神仏習合」です。
門跡寺は、天皇家一族から出家がある寺ですよね。(明治維新時に、廃止)
江戸時代まで、皇室の葬儀は「仏教」で行なっています。岩倉具視・三条実美に暗殺された?孝明天皇(明治天皇の父)が仏教式で葬儀が営まれた最後の天皇です。
※三条実美など(都落ちの時)は、孝明天皇から「逆賊・追討例」が出ています。
江戸時代までの皇室の位牌は、京都の泉涌寺など皇室の菩提寺に祀られていました。
嘘か真か、明治維新寺に「皇居の祭殿に移した」様です。

>現在の皇室はどうなのでしょう?

完全に、神道です。
明治天皇・大正天皇・昭和天皇も、神道で葬儀を行なっています。
天皇即位の儀式も、神道形式で行ないます。
    • good
    • 5
この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2013/01/12 21:47

日本人の宗教観を示す言葉に、次のような表現があります。


― 「あれか、これか」ではなく、「あれも、これも」―  

人によって評価は分かれるかもしれませんが、良い意味での「神仏混交」であると私は考えています。細かいデータ等は個別に検索して勉強していただくとして、大雑把に概説してみたいと思います。


質問者さんは、神道をかなり固定的なイメージで捉えておられるのではないでしょうか?

「仏教伝来」以前もしくは「十七条の憲法制定」以前は、皇室の信心はすべて「神道」であったと言えるでしょう。

但し、この当時の「神道」は、
1、祖霊としての「氏神への崇敬」
2、穀物神・水神等の自然神への崇敬
という内容のものだったと考えられます。明治以降の国家神道、現在の神社神道が形作られるのは、かなり後の事です。この点については、専門家の論考を詳しく読まれた方が宜しいと思います。
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%A5%9E%E9%81%93/


「即位の儀礼としての大嘗祭」や「収穫を祝う儀礼として新嘗祭」は、恐らく仏教伝来以前から行われていたと思われます。(儀礼の内容は時代と共に変遷していると思います。)そして、現在も続いています。当然、当時も神を祀る「宮 みや」「社 やしろ」「祠 ほこら」等に類する施設があり、何らかの祭祀・儀礼は行われていたでしょうが、今日の神社そして神道儀礼では無かったでしょう。「今日の神道は日本に仏教伝来してから形成されたものである」という点をよくご理解ください。

 先に、「仏教伝来」以前もしくは「十七条の憲法制定」以前と私が書いたのは、それぞれのエポックが「当時の天皇家が原始神道から仏教に移行していく象徴的事例」だからです。

◎仏教伝来
  仏菩薩は異国の神として受入れられました。従来からの自然神への崇敬だけでは疫病・凶作・災害に対応できないと考えられたから、異国の神が導入されたと解されています。

◎十七条の憲法
  「十七条の憲法」が聖徳太子が定めたかどうかについては論争があります。仮に、聖徳太子に仮託して著されたとしても、飛鳥奈良平安時代にいわゆる「鎮護国家仏教」が形成されていく過程を示す史料であると言えるでしょう。いずれにしても、天皇家を中心として国家を治めていくためのイデオロギーとして天皇家は仏教を採用するようになったことを示す文献であると考えられます。

天智天皇、天武天皇、持統天皇、そして聖武天皇の治世の時代に、天皇家の宗教は仏教が大きく占めるようになりました。一番わかり易い事例としては、諸国に国分寺・国分尼寺を建立したことでしょう。鎮護国家という言葉に代表されるように、天皇家のため国家のため僧侶による祈祷がさかんに行われるようになりました。
(尚、蛇足ですが、御所内には、陰陽師寮も置かれておりましたから、卜占という神道でもない、仏教でもない信仰(?)も存在していました。)

持統天皇が亡くなった時に、仏教式に火葬が行われ埋葬されております。また、13世紀以降、多少の紆余曲折はあったと思いますが、天皇家の葬儀が泉涌寺 (せんにゅうじ)で執り行われるようになりました。
http://japanese.hix05.com/Folklore/Burial/burial …
http://allabout.co.jp/gm/gc/67441/2/

孝明天皇までは、歴代天皇の葬儀は仏教で執り行われましたが、明治天皇以降天皇家の祭祀から仏教は排除されたようです。徳川幕府が寺請制度等仏教を政治の中に組み込んで来たことに対するアンチテーゼとして、神道を政治の中心に据えました。そして、天皇家の祭祀はすべて神道になりました。

但し、明治憲法下に在っては、泉涌寺 (せんにゅうじ)の維持管理のために宮内庁からは費用が支出されていたようです。

大日本帝国憲法施行以来日本国憲法施行まで、営繕・修理費は全て宮内省が支出していた。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E6%B6%8C% …

仏教で葬儀されお寺の墓地内の陵(みささぎ)に埋葬された歴代天皇に対しても、追善の意が捧げられていました。

現在の憲法になっても、天皇家の祭祀は明治憲法下と同じように行われています。少なくても、昭和天皇の大葬、今上天皇の即位からはそう受け止められます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

知ってますよー

お礼日時:2013/01/12 21:47

 こんばんは。

結論から申しますと「イデオロギー」としては「神道」ですが、政治形態の上からは仏教との形になります。
 「政治形態」といったのは、例の聖武の問題があるからです。聖武は玄昉による母親の治療などを通じて仏教に傾倒していきます。そして「法皇」とは世俗を離れ「超越した存在になる」ことを意味しますから、全てを支配するとの色彩を帯びることになります。こうした「二つの法」を中世史家の黒田俊雄は「王法仏法」などと称しています。
 出家することは世俗の規範から離れることを意味し、それが王である場合は同時に世俗の規範を配下に治めるとの意味で超越的な存在を意味することとなります(俺に逆らった奴はトンデモナイ目に会うよ、との恫喝でもある)。
 これに対し、仏教が神道と融合するのは8世紀中頃とされています。東大寺を創建するにあたり地鎮祭の様な形で魂鎮めを行ったとの由来ですから、両者がさほどの敵対関係にあったとはいえず、それを殊更にデフォルメして歪めたのが例の本居宣長やら賀茂真淵といったイカレた国学者です。
 東大寺や醍醐寺は天皇家とも繋がりがあり、一方の伊勢神宮は形式的に参拝する程度でしょう。そういった意味では無宗教とも呼べるでしょうね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2013/01/12 21:47

神道と仏教は全く矛盾することなく両立できます。

どちらも排他性がなく、機能がかぶっていないからです。「神様 仏様 稲尾様」。日本人なら分かる話。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます゜

お礼日時:2013/01/12 21:48

>しかし歴史的には 出家した法皇が居たりと仏教な面もあります


当時は神仏混淆ですから、当然のことです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2013/01/12 21:48

今の今まで一切疑うことなく神道だと思ってました。



祖母が子供の頃
キリスト教の一番の偉いさんがローマ法王で
神道の一番の偉いさんが日本の天皇と
言われたとおりずっと思ってましたけど
確かに歴史で習った気がするのに何故今まで疑問に思わなかったのか…

回答としましては、現在も神道だと思います。
理由としましては、私は今まで言われた通り神道だと思っており今日始めて疑問に思いましたが
その疑問を解決できなかった故に神道であると考えております。

あなたの質問にきちんと答えた回答でなくてすみません。
あまりにハッとしたのでつい…
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます゜

お礼日時:2013/01/12 21:48

天皇家は代々太陽を神とする。



太陽神です。

ですから天照大神は太陽の別の呼び名です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/01/12 21:48

テキトーな回答しちゃったので、追加回答します。



天皇は、明治以前から、神社神道の最高神官だそうです。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

ここに同じような質問と回答がありました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2013/01/12 21:48

神道の総本山(?)ですよ。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

あれがとう

お礼日時:2013/01/12 21:49

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q天皇家が神道になったのはいつから?

仏教伝来以降仏教徒だった天皇家が神道になったのはいつ(具体的に何天皇)からでしょうか?
現代では天皇は神道の法皇です

Aベストアンサー

江戸時代前半にじわじわと

後陽成天皇が最後の火葬
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E9%99%BD%E6%88%90%E5%A4%A9%E7%9A%87

崩御1617年9月25日


最後の法皇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E5%85%83%E5%A4%A9%E7%9A%87

落飾して法皇となる。法名は素浄。享保17年(1732年)8月に崩御

この100年くらいの間に、仏教徒成分より神道成分が濃くなった。

Q皇室における仏教と神道の関係

いつもお世話になっております。
つまらないことで恐縮ですが、よろしくお願い致します。
古来から、天皇の権威は、記紀神話を根拠とし、その地位は神道における祭祀の主宰者と考えてよいと思います。
ところが、中世、近世の天皇の場合、その地位を退いた後仏門に入ることが多かったようです。一方の宗教の主宰者が、他の宗教に帰依するというのは、一見矛盾するようですが、このような行為が長く容認されてきたのは、何か特殊な事情があったのでしょうか。

Aベストアンサー

一言でいえば「神仏習合」という言葉でくくられる現象でしょう。
ただ注意しなければならないのは、「神仏習合」という時に、多分に「純粋な仏教」や「純粋な神道」というものが一方で観念的に想定されていて、往々にしてそこからの逸脱ないし零落のように現実がとらえられがちになることです。
教義が体系化された現時点からさかのぼって過去のあり方を論じることは、多分にイデオロギー的な見方に堕しやすいものですし、宗教とそれを支えてきた民衆のダイナミズムという根本を見落とすという陥穽にはまりやすいことに充分注意してかかるべきだと思います。

さて、天皇家が仏教に帰依するようになるのは大変古い話です。いろいろな見方ができますが、天武天皇から聖武天皇のあたりで道筋がついたとするのが一般的でしょう。大きくみると、この頃が律令体制の整備の期間であり、仏教が国教化する時期でもあります。
基本的に当時の神道、神祇信仰は氏族や地域に根ざしたもので普遍的ではなく、従って国家的な共有信仰になりにくい面もあったでしょう。
また何よりもまさに自然宗教であったがために、体系的な教義がなく、特に葬送儀礼に関する部分での「魅力」に乏しかったのでしょう(死穢にまみれた死霊の処理は、農耕民族特有の生成思想にはぐくまれて清浄を旨とする神祇思想の最も苦手な分野だったに違いありません)。
実際に、神祇信仰のなかの呪術・シャーマニズムは呪術力増進のために、つまり荒ぶる死霊との対峙のために進んで仏教に近づいたのが趨勢でした。
こういったもろもろの背景が渾然となって仏教の受容を推し進めていったと思います。

もちろん政策としての国教化以前に、天皇個人の帰依が強かったことは言うまでもありません。
例えば天武天皇(686年没)は、亡くなる直前の詔勅で「朕が身不和む。願ふ、三宝(=仏教)の威に頼りて、身体安和なること得んとす」と述べていて、仏教を個人に利益をもたらす力として積極的に支持していたことが伺えます。
特に、「三宝の威」を「かしこきみたまのふゆ」と読んでいるあたり、神道に通じる「みたまふり」観念が仏教に投影されていることは注目すべきでしょう。
天武天皇の葬儀では、僧尼が参列し、設斎(食べ物の布施)が行われたり、大官大寺では無遮大会(むしゃのだいえ;食べ物や財物を布施する法要)が行われていて、仏教思想が葬礼を通じて受容され始めたことがわかります。

東大寺を建てた聖武天皇になると、仏の権威によって国家意思を実現しようとする動きがみられます。しかし聖武天皇とて、大仏にひれ伏して自らを「三宝の奴」と称していますし、没前に出家していますから、個人として強烈に仏教に帰依したことは明白です。むしろ個人の信念が先にたったと理解すべきでしょう。

以後は益々天皇家と仏教の結びつきは強まって行きます。
平安時代、例えば一条天皇などは病気平癒を祈って、大赦(これも仏教思想が核になってできたものですが)を実施し、丈六(5メートル弱)の仏像を造立し、念仏を唱えながら亡くなる…という具合に、ますますその程度は深まっていったのです。

このような実例を見ると、天皇を「神道の主宰者」としてみることが、かなり眉唾に思えるのではないでしょうか。冒頭に述べたように、混じりけのない純粋な神道をはなから想定してかかる態度そのものが、明治政府による神仏分離~国家神道の樹立の背骨となった“イデオローグ”、ないしはその下敷きとなった江戸時代の上古至上型国粋主義から抜け出ていない態度だといえるのではないかと思います。
そもそも「神道」という言葉が文献に初出するのは「日本書記」の用明記とされていますが、これは「仏道」の語が意識されて生まれた言葉なのでしょう。飛鳥時代になって普及し始めたと言われる神社建築が仏教寺院の建立に刺激された所産であるのと同様、「神道」という概念そのものが「仏教」という他者を発見することで生み出されるわけですから、そもそも最初から両者の関係は、机上の教学で分別のむずかしい、ダイナミズムに満ちたものだったのです。
京都東山の泉涌寺は代々天皇家の菩提所であって墓所もあるのですが、そんな程度の事すら実はあまり知られておらず、いわば近世の所産である「天皇家=神道」イメージがいかに強いものか、驚かされます。

神仏の習合という現象は、互いに求め合う必然性があったと私は考えています。神仏習合とは、仏教の側から見れば日本人の根源的な宗教性を吸い上げることで日本的な仏教の花を咲かせたということができますし、神道の側から言えば、仏教から足りない部分を補いつつも仏教と日本人との心根を結びつける潤滑油として機能し、それによって延命した、ということが言えるでしょう。学者の中には、神仏習合がなければ神道が今の時代まで伝わったかどうか疑問視する人すらも大勢いるのですから。

一言でいえば「神仏習合」という言葉でくくられる現象でしょう。
ただ注意しなければならないのは、「神仏習合」という時に、多分に「純粋な仏教」や「純粋な神道」というものが一方で観念的に想定されていて、往々にしてそこからの逸脱ないし零落のように現実がとらえられがちになることです。
教義が体系化された現時点からさかのぼって過去のあり方を論じることは、多分にイデオロギー的な見方に堕しやすいものですし、宗教とそれを支えてきた民衆のダイナミズムという根本を見落とすという陥穽にはまりやす...続きを読む

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q卑弥呼と天皇の関係

邪馬台国が北九州にあったのなら疑問はないのですが、もし畿内にあった場合は
当時、奈良か大阪にいた天皇勢力とはどんな関係だったのでしょうか?
当時の天皇勢力の範囲も限られていたため、邪馬台国とは共栄共存という感じでしょうか?

Aベストアンサー

邪馬台国は、畿内とは言っても、京都、兵庫、大坂の地域に分布した国です。一方、原大和朝廷(天皇勢力)は大和盆地(奈良盆地)にあった国です。両者は棲み分けていました。魏志倭人伝に登場する狗奴国が原大和朝廷のことです。(邪馬台国が畿内にあったのはほぼ間違いありません。)

また魏志倭人伝にある通り、邪馬台国の領袖は女であり、狗奴国の領袖は男(天皇)でした。

両者は国境を接して小競り合いを続け、対立を繰り返し、決して友好な関係ではありませんでした。しかし、邪馬台国が魏朝と晋朝の冊封体制下にある間は、中華皇帝の威光を背景とする邪馬台国の勢力が優っておりました。

武帝が死去して恵帝の時代になると晋朝の内部崩壊が始まり、八王の乱に至って晋朝の権威は地に堕ちました。中華皇帝の威光の凋落は日本にも大きな影響を与えました。邪馬台国の勢力は弱体化し、この時期に原大和朝廷が邪馬台国を制して西日本の統一へ動き出したと見られます。(第八代孝元天皇から第十代崇神天皇のころ)

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q江戸時代、藩がどう分布していたかがわかりやすい日本地図を探しています。

たとえば、
今の山口県のあたりには長州藩があり、藩主は毛利家
ということが見てわかりやすい日本地図を探しています。
そのような地図がおいてあるサイトをご存知の方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

江戸時代初期は大名の取り潰しが多かったので、いつの時代が必要なのか難しいですが、一応300藩と言うことで参考URLをご覧ください。
地方ごとに分かれています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

Q武士政権が天皇家を潰さなかったのはなぜ?

源頼朝から明治維新まで武家の長である将軍家が政権をにぎっていましたが
しかしその間、天皇はその将軍家の君主として滅びずにあり続けました。
これは何故なのでしょうか?
かつての王家が名目だけ残る、というのは、実質上のトップである将軍家にとってやりづらくはなかったのでしょうか?
天皇家を存続させるメリットや、潰すと起こるデメリットなどがあったのでしょうが
考えをめぐらせてもピンと来る答えに行き着きません。
もし「これだ!」というものがあれば教えて下さい。

Aベストアンサー

まず歴史をひも解いてみますと, 平安時代に「摂関政治」が始まって以来, 天皇が権力を持っていた時代はほんのわずかしかありません. 白河上皇の院政期と後醍醐天皇の「建武の新制」, 明治天皇の一時期 (憲法ができるまで) くらい?
ということで, 鎌倉幕府成立時点で既に天皇は「権力を認める背景としての権威を保持する機関」となっています. そして, 武家政権を確立した平氏・源氏ともに「武家の棟梁」として認められたのは「貴種 = 天皇につながる血を持つ者」であるところが大です.
つまり, そもそも権力を持たない天皇をつぶすメリットはありません (天皇家をつぶしたとしてもそれに代わる権威が得られるわけではない). むしろつぶしてしまうと, 自らの権力を認める権威が失われてしまうこと, そして自らの棟梁としての正当性を失うことにより, 2重の意味で自らの権力基盤を失うことになってしまいます. であれば, わざわざ手をかけてつぶすよりも手の上でコントロールしていた方が簡単です.

Qイスラエル人ってユダヤ人なの?

タイトルのとおりです。中東問題の番組をみてて気が付いたんですが、イスラエル国民について教えて下さい。

1.イスラエル国民=全員ユダヤ人ですか。
2.人種的には白人ですか、アラブ系ですか、基本的に。
3.宗教的には全員ユダヤ教の信者ですか。 イスラム教や仏教を信仰するイスラエル人っているんでしょうか。
4.ユダヤ人のために建国した国がどうしてユダヤって言葉を国名に使用しなかったでしょうか。
5.パレスチナ人って全員イスラム信者でしょうか。
6.よくパレスチナ難民っていいますが、彼らのパスポート発行はどこが行なっているんでしょうか。
7.パレスチナ人は、例えば漢民族とかクルド族とか一緒で、民族性でいえば全員同じ民族なんでしょうか。

HPをみても難しいので、簡単にご回答願えれば幸いです。

Aベストアンサー

一般に、民族とは文化的背景、特に言語を共有する集団を指します。共通の言語は共通の生活領域を前提とすることが多いので、結果的に、民族は同一人種から構成されることになります。しかし、ユダヤ人は例外です。
ユダヤ人は2000年前に国家を失ってから世界各地に離散していたので、言語や肌の色に共通点はありません。ユダヤ人とは、原則的には「ユダヤ教徒」からなる宗教的集団なのです。
※それでは「ユダヤ教徒」とは何かということが問題になりますが、複雑過ぎてここでは深入りできませんので、ユダヤ教徒を自認する集団でも、その奉ずる教義によってはイスラエル当局からスンナリとイスラエル国籍を付与されない場合があることだけを指摘しておきます。イスラエル当局のいう「ユダヤ教」とは、端的にいえば、神殿時代(以降)のユダヤ教を指しています。

現在、イスラエルは、ユダヤ教徒およびユダヤ人の母親から生まれた子供をユダヤ人と認め、国籍を付与しています。後者がユダヤ人とされる理由は、ユダヤ人女性は自分が生んだ子供をユダヤ教徒として養育する宗教的義務を負っていることにあります。よって、日本人も、ユダヤ教に改宗すればユダヤ人になることができます(教義や歴史に関する難しい試験や、宗教指導者による面接などがありますが)。

イスラエルには、ユダヤ人=ユダヤ教徒以外にも、キリスト教徒やイスラム教徒である国民が存在します。なぜなら、現在イスラエルの領土となっている土地には、古くからユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒が混住していたからです。しかし、現在では、ユダヤ人=ユダヤ教徒が圧倒的多数を占めていることは確かです。

人種構成はさまざまです。ユダヤ人=白人というイメージとは裏腹に、アフリカ系(黒人)やアジア系(黄色人種)のユダヤ人も存在します。なお、言語についても、公用語であるヘブライ語を解さず、出身地の言語しか話せないユダヤ人も多数存在します(特に、旧ソ連崩壊後に入国したロシア系ユダヤ人)。

イスラエルという国号についてはすでに回答されています。宗教的な意味のある国号です。

パレスチナ人とは、パレスチナ地方の住民を指す言葉です。すでに指摘したとおり、パレスチナ地方にはもともとユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒が混住していました。民族的には、アラブ人(アラビア語)、ユダヤ人(アラビア語・ヘブライ語)及びキリスト教系少数民族が存在しました。しかし、ユダヤ教徒であるパレスチナ人はイスラエルに迎え入れられたので、現在のパレスチナ人は多数のアラブ人とキリスト教系少数民族からなっています。

パレスチナ地方は、その大部分がイスラエルに、一部がヨルダンに併合させました。ヨルダンが併合したのは、ヨルダン川東岸といわれる地域です。この地域に住んでいたパレスチナ人は、幸か不幸か、ヨルダン人としてヨルダンの旅券を所持することができます。

参考URL:http://homepage.mac.com/ceramic_tsuka/rekisipage.html

一般に、民族とは文化的背景、特に言語を共有する集団を指します。共通の言語は共通の生活領域を前提とすることが多いので、結果的に、民族は同一人種から構成されることになります。しかし、ユダヤ人は例外です。
ユダヤ人は2000年前に国家を失ってから世界各地に離散していたので、言語や肌の色に共通点はありません。ユダヤ人とは、原則的には「ユダヤ教徒」からなる宗教的集団なのです。
※それでは「ユダヤ教徒」とは何かということが問題になりますが、複雑過ぎてここでは深入りできませんので、ユダヤ教徒...続きを読む


人気Q&Aランキング