プロが教えるわが家の防犯対策術!

高校生です

「ハッと目覚める確率」という本なのですが
どうも著者が(算術的)確率をまったく理解していないのではと思われる記述が多いです
とはいえ私が間違っているのかもしれないので質問させてください


まず引っかかったのが
『場合の数はものを区別しないことがある
確率はすべてのものを区別して考える
なぜならば確率は現実世界の話だからである』という記述です

「場合の数は現実世界の話ではなく
確率は現実世界の話である」という趣旨に取れますが
まったくもって意味不明です

私は区別する、しないはあくまで前提に過ぎないのだから任意に設定できると考えます
算術的確率とはそうやって任意に設定した前提の元で話をすすめるとどうなりますか?
という分野のはずです
もちろん「特記がないときには人は区別する」「特記がないときには同じ色の玉は区別しない」
「円卓という表現が出てきたらイスを区別しないという意味である」
といった暗黙の了解はありますが、それはあくまで暗黙の了解で
それに逆らった出題ももちろん可能
つまり
「3人でじゃんけんをする、人を区別しないとき3人の手の出し方は何通りあるか」(入試問題)
という問題はなにもおかしくないと思います

しかし著者は『こういう問題は奇問である、なぜならば確率は現実世界の話だからである』
という趣旨のことを書いています
私はそうは思いません
ただのこじつけだと思います


さらに
「3人の女子と12人の男子が無作為に円卓に座る、3人の女子が連続して並ぶ確率を答えよ」
という問題において著者はイス(座る場所)をすべて区別して考えています
高校数学においては「円卓」といったらイス(座る場所)を区別しないといった前提があるのですが
著者はそれを無視しています
その理由は
『現実にはすべての席はことなるから区別して考えるのが自然である』
と書いています
しかしながら著者は同じ本の中で場合の数の問題を解くときには円卓のイスを区別していません
なぜか確率になったらいきなり区別し始めます

「3人の女子と12人の男子が無作為に円卓に座る、3人の女子が連続して並ぶ確率を答えよ」
という問題は入試問題なのですが、出題者の意図を考えてみると「円卓」と書いているのだから
イスを区別しないで解くのが当然だと思います

もし出題者がイスを区別するという前提の元に問題を出したいならば
「円卓」といった表現は使わないはずです



さらに著者は
『なぜ自分が間違ったか分析するのではなく、正しい解法を覚えるのが大切である』
ということを書いています
思うに、この著者は結局、問題ごとに解法を暗記してしまっているのではないでしょうか?


また、高校、大学入試あつかう「確率」とは
ラプラスが確率の解析的理論で定義した 算術的確率のことなのですが
この著者は統計的確率や公理的確率とごっちゃにしているように思います
それゆえ「現実世界」などという言葉がでてくるのだと思います



私は上記のように考えるのですが
この本の著者は東京大学の学部を卒業なされた方ですから、
どう考えても私より頭がいいはずです

だから自分の意見に自信がもてません
私はあっているのでしょうか?

A 回答 (9件)

現実の世界は量子力学が基になった小さい世界での確率現象が集まってできたもので、


大学入試とは違います。
面白おかしく書くとこうなるという飛躍した考えを書いたのではないでしょうか。
    • good
    • 5

>「3人でじゃんけんをする、人を区別しないとき3人の手の出し方は何通りあるか」


は奇問でもなんでもないでしょうね。次の10通りが答えでしょう。これは場合の数の問題ですから確率とは関係ありません。
(グー,グー,グー),(グー,グー,チョキ),(グー,グー,パー),(グー,チョキ,チョキ),(グー,チョキ,パー),(グー,パー,パー),(チョキ,チョキ,チョキ),(チョキ,チョキ,パー),(チョキ,パー,パー),(パー,パー,パー)
では、問題を発展させ、「そのとき3人の出した手が同じである確率は?」を解く時、前提が必要ですから、上記の10通りを同様な確からしさで起きる。と仮定しましょう。
ラプラスの定義に従えば、注目している場合の数/起こりうる全体の場合の数で計算されます。なので、確率は3/10になります。経験と合いません。なぜか?
上記の10通りを同様な確からしさで起きる。という仮定が、我々が経験的に知っている現実の世界に合わないだけの事です。

>算術的確率とはそうやって任意に設定した前提の元で話をすすめるとどうなりますか?。いう分野のはずです
その通りでしょう。ただ、現実の問題解決の手段として数学を用いようとするときは、想定する確率モデル(前提)が現実と合うようなものを持ってこないと役にたたないよ。

というようなことを著者は強調したいのでは?と推察します。
    • good
    • 4

>『場合の数はものを区別しないことがある


>確率はすべてのものを区別して考える
>なぜならば確率は現実世界の話だからである』

著者の主張は大筋合っていると思うけどな。少なくとも、ものに色が塗ってあったり
することを仮定することは確率に影響を与えないから、ものを区別したら
答えが違ってくるということはないはず。

例えば「コインを2枚投げる。コインが全て表になる確率を求めよ」
では、コインを区別しなければ、
事象は、表表、裏裏、表裏の3通り。だから、表表の確率は 1/3 はもちろん間違い。
コインを区別して、表表、裏裏、表裏、裏表 だから、1/4 が正解。
コインを区別しない方がおかしくなるのは、各事象が同じ「確からしさ」を
持たないから。

確率では事象を列挙してゆくだけでは不足で、各事象の確からしさの吟味も必要。
ところが事象の確からしさを吟味する場合、ものを区別した方が楽なことが
多い。なのでまず区別するとして問題にあたるのが無難です。
    • good
    • 11

http://www24.atpages.jp/venvenkazuya/mathA/outco …

の、

>大きさ形などがまったく同じ2つのサイコロを振ったとき、出る目の組み合わせは何通りか?ただし2つのサイコロは区別しない。

といったことを意識しているのでしょう。そこでも、

>※<補足1> 通常、このような問題においては2つのサイコロを区別して行うので、2つ目の問題は非常に珍しい問題です。

といった注意書きをしています。そして確率については、

>※<補足2> 上のような2題の問題を出すと2つのサイコロを振ったときピンゾロ(1,1)が出る確率は、「大小異なるサイコロのとき 1/36 」「同じサイコロのとき 1/21 」のように考える方がいますが、そんなわけありません。
>常識的に考えても 1/36 が答えです。 確率がサイコロの大きさで変わる、なんて日常的な経験でもありえませんよね?ここでは確率の説明を割愛するので、この理由については「確率」の単元で学んで下さい。

と、注意を促しています。

 お示しの書籍は受験参考書のようですから、それに即した記述になっているのではないか、と申し上げるくらいでしょうか。ネットでざっと見た限りでは、受験参考書としては、おおむね評判はよいようです。受験目的で誤った確率を計算してしまうようでは、評判が悪くなっているのではないかと思います。数学としての厳密さより、受験技術に絞って書かれてあり、利用目的には適っているということなのでしょう。

 しかし、受験数学参考書の記述が、数学本来の考え方からすると、どうもそぐわないということはあり得るでしょうから、質問者様が数学書としてはおかしいとお感じなら、それも正しいと言って差し支えないとも思います。
    • good
    • 1

件の本(

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%81 … )は、
著者から考えて、数学書ではなく、受験参考書なのだろうと思う。
だから、そこに書かれてあることは、そう考えるのが正しいというような話ではなく、
正しいかどうかは別にして、そう考えておくと試験で正解答案がかけるよという
提案に過ぎないのだろう。当面、割り切って、こう考えちゃいなさい
正確な話は入試が済んでから…という受験指導の立場での物言いだと思われる。
その意味では、役に立つ本なのではないだろうか。amazon のレビューも、概ね好評だし。
貴方が、入試数学の確率分野が苦手であれば、このような本を利用すればよいし、
その説明に問題を感じる程度に、この分野を理解しているのであれば、もう少し
マシな本で勉強するといい。
    • good
    • 0

 ⇒安田亨 - Wikipedia(

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%94%B0% … )
ですね。
 受験テクニックとしての数学ですからね。
 機械工学科出身のようです。数学については素人ですね。
 Amazon.co.jp: カスタマーレビュー: ハッとめざめる確率( http://www.amazon.co.jp/product-reviews/48874204 … )
 の http://www.amazon.co.jp/product-reviews/48874204 …
    • good
    • 1

企業でSQC(統計的品質管理)を指導する立場の者で、応用統計の学位があります。


#1さんのご指摘があり、学位(博士号)があると言えない状況ですが、
それなりに勉強しているということで、ご理解ください。

私は、ご質問者のお考えを支持します。
物事を一面的に決めつけて、自説を押し付けるのは良くないですね。

数学本は、実業のナントカ社とかのような、半ば文芸出版のような所ではなく、
共立、朝倉、岩波、丸善、というような学術出版のものを購入しましょう。

なお、場合の数とは、あるケース(事象)における出現数で、
確率は、その他のケースも考慮して、そのケースの出現数を比で示したものです。

グラフ的に言うと、横軸に各場合があって、縦軸に度数(場合の数)があります。

通常、確率は-∞から∞まで積分したときに1になるようにします。
それが、確率密度グラフです。
ですから、確率は基本的には面積です。

今、コイン10個を振って表の出る個数をカウントします。

横軸は、0~10まで、つまり「表が1個も無い」から「全て表」になるまで、
ケース数は11です。
学校教育的には、たとえば「表が2回出た時の出現数」を「場合の数」と言うようです。
10C2=45 です。

確率は(10C2)・p^2・(1-p)^(10-2) となりますが(p=1/2)(二項分布)

この式を見ると、場合の数(度数)と確率(そのケースが持つ頻度)とは
別物であることが分かります。

区別するとかしないとかは、前提ではなく、
計算時の省略であると考えてください。
前出のグラフでは、「区別しないという場合の乗数」がいつも一定であれば、
グラフの高さが何分の1になるかだけで、
正直に区別して計算しても、同じ結果となります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます
とてもよくわかりました

多くの方に回答をいただきましたが、kamiyasiroさんの回答が一番詳細だったので
ベストアンサーにさせていただきます

ありがとうございました

お礼日時:2013/01/12 21:35

こんばんわ。


この本を見たこともないですし、前後の文脈も見えないのですが。

円卓の問題で
『現実にはすべての席はことなるから区別して考えるのが自然である』
と書かれているところをみると、

確率を考えるときは、「その人自身」や「特定の人・状況」について事象が起きる確率を計算するのである。

という考えを筆者は持っているのでは?と思いました。


正直、数え上げ方は一通りではありませんし、
考え方にしても一方的なものに偏るのは危険だとも思います。
わたしはこの内容をみて、「ああ、そういう見方もあるのねー」と勉強になったという感覚です。
    • good
    • 0

教授は頭がいいとは限らない。



偏った分野の知識に悔しいのは事実。

人間的にも偏った人が多いですよ。

人付き合いの上手い学者あまりいませんから。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!