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千葉~三鷹間走る黄色い電車のことを、JRは中央・総武線各駅停車と表示していますが、どのような経緯で、誰が名づけたのでしょうか。20年くらい前は、御茶ノ水以東は総武線各駅停車だったような記憶があります。また、中央が先にくるのはなぜですか。ご存知の方いらっしゃいましたら教えて下さい。

A 回答 (4件)

たぶん、209系500番台の側面表示に路線名と行き先を交互に表示するに当たって、取って付けたように命名されたのでは無いかと。



中央線が先に来ているのは、単に日本語の単語として捉えた場合の発音のしやすさでしょう。

「ぶ」の直後に「ちゅ」は口の動きが大変です。

あの部分の表示は、よく言えば線区毎に個性があり、悪く言えばJR東の首都圏の路線同志なのに全く統一性がありません。

当時はまだ3色LEDだったというのもあるでしょうが、京浜東北線や常磐線各停に倣えば、
三鷹→御茶ノ水:「各駅停車|総武線直通」と「各駅停車|千葉」の交互表示
御茶ノ水→千葉:「各駅停車|総武線」と「各駅停車|千葉」の交互表示
千葉→御茶ノ水:「各駅停車|中央線直通」と「各駅停車|三鷹」の交互表示
御茶ノ水→三鷹:「各駅停車|中央線」と「各駅停車|三鷹」の交互表示
などと表示して欲しいものです。

東西線直通も同様ですね。現在は、東西線に入ってからや中野で地上に出てからもずっと「東西線直通」と表示していてちょっと間抜けです。
こちらは「東西線経由」と変えるだけでもまともになるのですけどね。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
取って付けるくらいなら、名称を公募してほしいものです。
私も、LEDの表示は改善が必要だと思います。

中野区~三鷹市の利用者に、黄色い電車の写真を見せたら、何腺と答えるのでしょうか。

お礼日時:2013/01/15 21:19

No.1です。



> 中野区~三鷹市の利用者に、黄色い電車の写真を見せたら、何腺と答えるのでしょうか。

中野区~三鷹市だけで無く、千代田区~中野区の人もほとんどの一般人が「総武線」というでしょう。
だって、駅で「2番線の総武線、発車いたします」という駅がいくつもあるくらいですから。

気持ちとしては東西線直通の区別のためですが、「直通の」を言わないがために、あれを総武線だと思っている人は多いです。

早朝深夜を除いて中央線電車は快速運転であるが故に、中央線の方が格上/偉いと思っている人も少なからず居るようです。

錦糸町以東で黄帯の電車が中央線と呼ばれていたりするなら、それはそれでお互い様なのですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
中央・総武線は浸透していないように思われます。やはり総武線にした方がよいと思います。

それにしても、中野、西船橋とも5番線は面倒です。
中野はJRと東京メトロが両方来て間違えやすいし、西船橋は、JRのきっぷで船橋方向に行くには、
中間改札を通る必要があるからです。

お礼日時:2013/01/16 19:38

中央線,総武線という名称は,明治時代に国有化された当初から変わっていないので,


「誰が名づけたのか」に対する直接の答は「当時の鉄道省」ということになります。
「中央・総武線各駅停車」という表記は,(私の知る限りでは)1975年の新幹線博多
開業時の時刻表には既にありましたから,ずっと昔から一般的表記だったようです。
しかし,回答へのお礼を読んでいると,どうも論点はそこではないようですね。

東京に住んでいる我々には気づきにくいのですが,中央線の各駅停車を「総武線(の
各駅停車)」と呼ぶのは言わば東京の方言で,東京とその周辺の人にしか伝わりません。
鉄道は地元住民の利用があって経営が成り立っているのですから,「地元で流通して
いる呼び名で」というのもわかりますが,他方で鉄道は公共のものでもあります。
地元の人にしかわからない呼び名ではやはりまずいのでしょう。
駅舎は地元でも出資しているので地元の呼び名で表示するにしても,電車や駅構内の
表示は全国的に流通している一般名称(正式名称)で表示しているのだと思います。

「中央」が先か「総武」が先かについては特に深い意味はないと思いますが,(私も含
めて)東京の人間はふだん「総武線」と呼んでいるので,「そう言えば,御茶ノ水から
西は中央線だったよなぁ」とときどき思い出してもらうためなのかもしれません。(笑)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
過去の経緯まで教えていただき、参考になりました。

「学研都市線」や「学園都市線」という路線について、地元の人も全国の人もわからない名前だと思いますが、定着しているのでしょうか。

お礼日時:2013/01/20 20:22

誰が名付けたという訳でもない。

統一された名称がある訳じゃないんです。

歴史的経緯を説明すれば、元々新宿~東京は中央本線でした。
甲武鉄道の国有化・電化・複線化という歴史が絡んでややこしいのだけど、ターミナルが昌平橋駅、万世橋駅、東京駅と順次延伸に伴って1919年には東海道本線の東京駅に乗り入れていました。

その頃、総武本線はどうだったかというと両国駅がターミナルだったのです。

それが1923年の関東大震災の後の復興計画で、鉄道用地の買収が可能になって、中央本線の複々線化と総武本線の延長開業を同時にやろうという計画が持ち上がります。

総武本線が浅草橋・秋葉原駅・御茶ノ水駅と延伸開業して、中央本線に乗り入れて中野まで行きました。
中央本線が快速線を新設して従来の東京駅に乗り入れ、従来線は緩行線として総武本線に乗り入れることになりました。

そういう訳で中央本線は複々線化されて快速線が東京方面、緩行線が総武線方面となったが、総武本線はまだ複々線化されていません。総武本線は特急列車が従来通り両国駅止まりで各駅停車と快速が中野まで乗り入れるという運用をしていました。この時点では総武緩行線とは呼びません。

それが戦後高度経済成長によって首都圏各線は殺人的混雑を見せるようになり通勤五方面作戦によって、また時代が変わる。

中央線側で複々線区間を中野から三鷹に延長して地下鉄東西線との直通運転も始まります。
総武線側では錦糸町~東京駅の快速線が新設され、錦糸町から千葉駅が複々線化されて快速線と緩行線が分離されます。各駅停車は従来通り、中野・三鷹方面に乗り入れて、快速電車は東京駅から横須賀線に乗り入れることになったのです。

というわけで、中央線と総武線の相互直通運転は戦前から行われていたのですが、その時点では中央・総武線各駅停車と呼ぶことはできません。そう呼ぶことが可能になったのは戦後の通勤五方面作戦の後なのです。

ただし冒頭に述べたように中央・総武線各駅停車が正式名でもないし通称として定着している訳でもないのです。
歴史的経緯は京浜東北線と似ています。京浜東北線も路線名は、大宮~東京が東北本線で、東京~横浜が東海道本線で、運用で相互直通しているだけですが、通称として今ではすっかり京浜東北線という呼び名が定着しています。

それに対して中央・総武線各駅停車はいまだ定着した通称とはいえない。中央・総武緩行線、総武線、中央線・総武線各駅停車、など人によってまちまちです。
東京人には黄色い電車で話が通っていたので、固有の通称が無くても特に不便もなかったし、国鉄に利用者側の便宜を図るという視点もなかったのです。

中央が先にくるのはなぜ?さあね。路線図を見れば左が中央線で右が総武線なんだから中央・総武線と呼んだほうが自然というだけだと思いますけど。

何度も繰り返しますが、誰が名称を定めたわけでもないんです。それぞれが勝手に自分の解釈で呼んでいるだけの話。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
京浜東北線に比べると、定着度合いは非常に低いと思います。

順番については、電車に貼ってある路線図では、快速も横須賀線が先に来て、総武線はいつも後になっており、JRの総武線に対する位置づけがよくわかります。

お礼日時:2013/01/20 20:28

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