痔になりやすい生活習慣とは?

小学生と、知的障害がある中学生に第二次世界大戦のことについて
説明してほしいと頼まれましたが、しゃべった内容が難しかったのか
ぽかーんとされてしまいました。自分が完ぺきに理解しているというわけでもないので
説明しながら自分でもわからなくなってしまいました。

そこで、子どもにも簡単に説明できるような第二次世界大戦の
開戦きのっかけ、流れ、終戦、状況などをとても簡単に教えてください。
お願いします。
一時間以内で話せたらいいかなあと思っています。

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A 回答 (1件)

 こういうのでどうでしょうか?



(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメリカ
  やイギリスが邪魔をしたのでそれら強国との大戦争に
  なった。
 ・ドイツも同じく周りの国々を軍隊の力で支配し、
  アメリカやイギリスと大戦争になった。
 ・強国に支配されていた国々は日本やドイツのやりかた
  が酷かったので日本やドイツと戦いを始めた。

(3) 流れ

 ・日本とドイツの戦争のしかたは奇襲といって相手が
  油断しているときに突然襲う戦い。だから初めは
  勝つけれど、より強いAグループが本気を出すと
  日本・ドイツは負けていく。そして支配の仕方が
  酷いので支配された国の人から恨みをかい日本と
  ドイツは大敗する。

(4) 終戦
 ・負けることがわかっても日本だけ戦いつづけた。
  理由は天皇を守るためということだった。
  戦いが続く中、アメリカは原爆という大きな爆弾を
  日本の広島と長崎に落として日本は降参した。

(5) 状況

 ・この大戦争は初めは強国どうしのよその国を奪い合う
  喧嘩だった。けれど日本やドイツが少人数の偉い人の
  命令をみんなは文句を言わず聞け、一人一人の事より
  国=偉い人のほうが大事なんだという考え方と、一人
  一人の事を大切にする考え方に賛成する国々との戦い
  となり、最後は日本と80の国々との戦いとなった。

 ごめんなさい。やはり難しいですね。でもこれを下敷きに

もっとお話し的に変えたらどうでしょう?

 
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この回答へのお礼

いやいや、かなりまとめられててとてもわかりやすいですよ。
これならわかってもらえそうです。
自分で説明する時は何を取捨選択すればいいのか
わからなかったので、助かります。

明日会う予定なので物語調にして早速話してあげたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/30 07:56

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Q第二次世界大戦って何で起きたの?小学四年生への回答

小学四年生の子に、
「第二次世界大戦って何が原因で起こったの?」という質問をもらいました。

色々と細かいことは数知れず説明が必要かと思うのですが、これを簡単に、かつ、四年生にもある意味バッチリと理解させるためには、どのような説明を行えばよいでしょうか?

ドイツの負債やブロック経済云々を話しても難しいですし、何と伝えれば理解しやすいでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

お子様がどの程度知識がお有りになれて、どんな切っ掛けで質問されたのか判りませんが取敢えずトライしてみます。

今は日本とかアメリカという国どうしで色々な問題があったときは、話し合いで解決しようとします。
その話し合いの場所として国連というのが、ニューヨークにあります。
今から70年ぐらい前の第二次世界大戦が始る前までは、どこの国も戦争をして勝ち負けで決めようという考え方をしていました。
今でも、シリアやアフガニスタンやアフリカで戦争をしています。
これも、話し合いよりも腕ずくで問題を解決してしまえと考えている人達が沢山いる為です。

第二次世界大戦が始る前の頃には、世界の国が二つのグループに分かれていました。
一方は日本とドイツ、イタリアのグループでした。
もう一つはアメリカやイギリス、フランスなどヨーロッパの国々でした。
今の国連とよく似た国際連盟というのがスイスにありましたが、なかなか話し合いが上手くいきませんでした。

ヨーロッパではドイツが初めに周りの国へ軍隊を送り戦争がはじまりました。
日本はその頃、中国の東北地方と呼ばれる朝鮮半島の北側の一帯に満州国という国を作って、そこへ沢山の日本人が移り住んでいました。
このことについてアメリカなどが強く反対していました。
日本とアメリカや他の国といろいろ話し合いをしましたが、上手くいかずに戦争で勝負を着けようということになってしまいました。
ドイツはフランスなどヨーロッパの国と戦争し、日本はアメリカや中国と戦争をするという状態になってしまいました。
ドイツと日本は同じグループでアメリカやフランスは別なグループですから、結局このグループ対グループの戦争となり世界中が戦争をしているという状態になってしまいました。

ドイツがなぜ他所の国へ軍隊を派遣したのか
第二次世界大戦の前に第一次世界大戦と呼ばれるヨーロッパの国々どうしの戦争が有りました。
この戦争でドイツは負けました、
負けた後に払いきれないほど沢山の賠償を要求されてしまいました。
この為に貧乏になって生活が出来なくなりました。
これを止めさせることをスローガンとした政治家が現れて、国民の支持を受けて独裁者となりました。
そして約束通り周りの国を武力で降参させていきました。

日本がなぜアメリカと戦争を始めたか
日本が中国大陸の一部に満州国という国を作ったことに対して、アメリカが強く反対しました。
その頃東南アジアの国々はフランスやイギリス、オランダなどの植民地でした。
これ等の国々も中国の各地方を自分の支配下に置こうとしていました。
フィリピンもその頃はアメリカの植民地でした。
日本のまわりの国を植民地にしていた国々がアメリカと同調して経済的な圧力を加えてきました。
今の経済制裁というやり方です、何も売らない、何も買わないというやり方です。
この話し合いが上手くいかずに、中心となっていたアメリカに対して宣戦を布告をしました。
当時、日本は石油はほとんど全てアメリカから輸入していました。
鉄も同じように輸入していました。
これを売ってもらえなければ、日本は生活ができませんでした。

今と全く違うのは、アメリカやヨーロッパの国も、戦争で勝負を着けることがごく当たり前という考え方でした。

こんなところですかね~
何かの参考になれば幸いです。

お子様がどの程度知識がお有りになれて、どんな切っ掛けで質問されたのか判りませんが取敢えずトライしてみます。

今は日本とかアメリカという国どうしで色々な問題があったときは、話し合いで解決しようとします。
その話し合いの場所として国連というのが、ニューヨークにあります。
今から70年ぐらい前の第二次世界大戦が始る前までは、どこの国も戦争をして勝ち負けで決めようという考え方をしていました。
今でも、シリアやアフガニスタンやアフリカで戦争をしています。
これも、話し合いよりも腕ずくで...続きを読む

Q小学3年生に、第二次世界大戦が勃発した理由を説明するには。

先日小学3年生の息子と戦争がテーマのアニメ映画を見た際、息子はその悲惨さにショックを受け、第二次世界大戦はいったいなんで起こったのか聞いてきました。

日頃ぼんやりしている息子が、あまりにまっとうな歴史の質問をして来たので「これは大切な歴史的事実学んでもらう絶好のチャンス」と思い解りやすく説明をしようと試みたものの、お恥ずかしいことに全くうまく話せませんでした。家に帰って改めて調べてみても、この事実を長々と話して小学3年生に理解してもらえるとは思えません。

小学3年生に、「なぜ第二次世界大戦は始まったのか」「なぜ日本も参戦したのか」について、どの国が良い悪いという視点ではなく、歴史的事実を偏見無しに解りやすく説明する事はできますか?
情けない親ですいません。これを機会に自分も勉強してみます。

Aベストアンサー

私の偏った知識で簡単に説明してみます。基本的には戦争は両方とも悪いです。
まず、ヨーロッパのドイツいじめ、第一次世界大戦で負けたドイツは戦勝国に「お前のせいでこちらは損害こうむったんだよ金で弁償しろや」と無理な賠償金を請求されます(最初は1,320億マルク)。ドイツの極貧生活、その後は正しく債務整理。やっと立ち直りかけたところでおこったのが、アメリカ発世界恐慌。ほかの国でも大変な不景気だったのにもとから貧乏なドイツはなお悲惨です。そこで出てきたのがナチスです。ナチスは賠償金を踏み倒しました。で、強い国に戻るべくドイツは自分より弱い国に攻め込みます。最初は傍観していた英仏もポーランド侵攻には驚いて宣戦布告。ドイツは自分の次くらいに貧乏で困っていたイタリアを誘って同盟。ヨーロッパでの世界大戦が始まります。
で、日本は以前から他国に侵略されない強い国になるべく努力していました。でもロシアに勝ったあたりからかなり調子に乗っておりました。中国に侵攻して中国を子分にしようとする日本は、アジアで商売をしたいアメリカにとって邪魔な存在。英米を始め各国は日本に石油や鉄を売らないことにしました。アメリカはこのへんで日本が折れると思っていたでしょう。なぜなら戦争になったら自分(アメリカ)に勝てるわけないし。しかし日本はキレてしまったのです。ヨーロッパで仲間はずれチームだったドイツイタリアと組んで更なる対立、そしてアメリカ組に宣戦布告…。

私の偏った知識で簡単に説明してみます。基本的には戦争は両方とも悪いです。
まず、ヨーロッパのドイツいじめ、第一次世界大戦で負けたドイツは戦勝国に「お前のせいでこちらは損害こうむったんだよ金で弁償しろや」と無理な賠償金を請求されます(最初は1,320億マルク)。ドイツの極貧生活、その後は正しく債務整理。やっと立ち直りかけたところでおこったのが、アメリカ発世界恐慌。ほかの国でも大変な不景気だったのにもとから貧乏なドイツはなお悲惨です。そこで出てきたのがナチスです。ナチスは賠償金を踏...続きを読む

Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。

Q戦争が起きた原因

1・一番始めに戦争が起こった原因は何なのでしょうか

2・なぜ日本が戦争をしなければならなくなったのか
  またその引きがねとなった理由は

3・日本はどこと戦争していたのか

4・戦争中の日本を誰が指揮していたのか

5・なぜ周辺アジアと未だに仲が悪いのか

いまだに全く知らない自分が恥ずかしいです・・・。
よかったら教えて下さい。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北部中国へと、軍をすすめてゆきます。

当時の中国は、欧米列強による半植民地状態で、中国で、欧米との利害関係での対立を引き起こした事に起因します。

2.日本軍が、中国に深入りしすぎて、撤退も妥協もできなくなったため、国際間での調整がつかなくなったためです。

3.同盟関係は、とても複雑で、基本的には世界の2/3の国を相手に戦いました。
同盟国は、ドイツ、イタリア、ハンガリー、フィンランド、ブルガリア、ルーマニアです。

中立国は、スエーデン、スイス、スペイン、トルコ、タイなどです。

主な敵国は、アメリカ、イギリス、ソ連、オランダ、中華民国、中国共産党、自由フランス、などと、その植民地のオーストラリア、ニュージーランド、インド、カナダ、などです。

4.一応大本営は有りますが、各組織が勝手に作戦をたてて動いていました。

5.アジア周辺と仲が悪いと言っても、問題になるのは、中国および華僑圏と、韓国・北朝鮮です。

東南アジアの華僑は、大戦前は、シギリス・オランダ・フランスなどの植民地支配の手先として、現地人を支配する立場にいましたが、日本軍の進撃により、植民地軍が撤退すると、その利権を奪われてしまいました。
その後、日本の支援で独立国となったため、当時の利権を永久に失ってしまった事によります。

中国(中華人民共和国)は、戦勝国といっても、自分達では、全く無力で、何もできませんでした。
実際、中共軍と日本軍は、ほとんど戦っていません。
戦勝国といってみても、実質が全く伴っていませんでした。
そのため、日本に対し、強いコンプレックスを持ってしまい、やたらに正当性を主張するようになりました。
最近では、中国の国力がアップしてきましたので、コンプレックスは、より大きくなっているようです。

韓国ですが、本来韓国は、敗戦国なのですが、戦勝国としての地位を求め、他国からソデにされています。
ここでも日本に対して強いコンプレックスから、反日になっています。

ただ、韓国の場合でも中国の場合でも、日本に対して、真に反日の人は、それほど多くなく、パホーマンスの域を出ていないようです。

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北...続きを読む

Qなぜ日本は第二次世界対戦に参戦したのか。

一応検索したのですが見つからなかったので質問させていただきます。
どうか教えてください。

タイトルの通り、なぜ日本は第二次世界対戦に参戦したのでしょうか。
その背景には五・一五事件や二・二六事件も関係していると聞いたことがあるのですが、どういうことでしょうか。
そもそも、日本は第一次世界大戦に参戦し、戦争はたくさんの人の命を奪うということが分かったはずなのに、どうして戦争を止められなかったのでしょうか。
レベルの低い質問で申し訳ございません。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極東アジアには、列強の利権が最後まで未確定であった中国がありました。
 衰退した清朝の倒れた後の中国は、軍閥が群雄割拠する政治的に混乱した社会があり、中国と隣り合う日本はもっとも有利な地理的位置におり、中国の利権を手に入れれば一躍、アメリカ・イギリス(広大な植民地の中でも、インドという人口の多いアジアの重要地域を手に入れたことが、イギリスの繁栄の原動力でした。)と並ぶ列強トップになれるように見えました。

 第一次世界大戦の破壊からヨーロッパが回復するにつれ、世界の列強間の経済戦争が激化し、お互いの勢力圏から他国を締め出すブロック経済が進展、利権の確定していない中国が各国の経済戦争の主戦場となりました。
 
 経済戦争だけでは、国力のあるアメリカ・イギリスに勝てない日本は、その地の利を生かして軍事的に中国の利権を確保すればよいという考えが、軍内部に生まれました。

 皇道派(現場指揮官が多く、天皇に対する忠誠心など精神論を信奉。)と統制派(陸軍大学卒業者の参謀などが多く、論理を重視。)に分かれていた軍内部は、五・一五事件や二・二六事件によって、統制派がコントロールするようになり、暴力機関である軍の力を恐れた文官・政治家が増えたこともあり、軍内部で独自の政治的意図を持って行動する素地が生まれます。

 この時点で日本の選択肢は、日本がアメリカの覇権を認めるか(第二次大戦後、現在も続いている状況です。)、日本がアメリカと並び立つかという選択になりました。(当時、あめりかのGDPは日本の10倍と言われていました。)そして日本は日本がアメリカと並び立つ可能性にかけたわけです。
(ですから、日本とアメリカの間の戦争は侵略戦争ではありません。)

 日本がアメリカと並び立つには、その経済力の差を少しでも埋めなければなりませんが、その可能性は列強の権益の確定していない中国にしかありません。
 まともに正面から経済戦争をしたのでは、アメリカに勝てません。そこで軍事占領による市場・資源の確保を目指したのです。
(ですから、中国に対しては侵略戦争となります。)

 アメリカに対抗する以上、満州事変から日華事変(=支那事変・日中戦争)太平洋戦争と続くこととなりました。
 
<<個別エピソード>>
・満州事変と支那事変の開始
 戦前の日本の政治システムにおいては、日本軍は皇軍=天皇の軍隊として存在しており、内閣と軍(陸軍=参謀本部、海軍=海軍軍令部)は、天皇のもとで並立する立場でした。
 明治時代においては、明治維新の重鎮(政治家だが、明治維新では軍指揮官としても活動。)が生存しており、内閣・軍双方に対して強い影響力を持っており、天皇を補佐する枢密院のメンバーとして内閣と軍をコントロールし、日本の政治力の根源となっていました。
 昭和になると、この枢密院に軍・行政双方に強い力を持つ人物がいなくなり(政治体制が確立して年数がたったため、軍・行政いずれかの出身者となり、どちらにも強い発言力を持つ人物がいなくなったのです。)、軍事・行政を統括した視点で政治力を発揮出来なくなったのです。

 そのような状況の中で、政府・参謀本部ともに「満州では、極力事を構えない。」方針であった(=満州の軍閥、張学良の兵力は、日本軍の10倍あるといわれていた。)のに、満州派遣日本軍(=関東軍)の参謀であった石原莞爾・板垣征四郎が、この方針を無視して軍事行動を起こし、張学良軍を電撃作戦で圧倒、軍事作戦としては大成功をおさめました。参謀本部・日本政府ともに関東軍の軍事行動を追認し、満州国建国に至ったのです。ここまでは、石原莞爾の戦略通りの展開となったのです。

 その結果、石原は陸軍同期の中で最も早く大佐となり、陸軍内部で「軍参謀は中央の方針に反しても、作戦で戦果を挙げれば、出世する。」という認識が生まれることとなりました。

 石原莞爾は、満州を取って「日本・朝鮮・台湾・満州を日本の経済圏として開発することに専念すれば、アメリカに対抗できる。」との見方を持っており、そのための戦略は、『満州を勢力下に置いた後は、他国との軍事衝突は外交力を総動員して回避し、軍事費を抑え経済開発に専念する』というものでした。

ところが・・・・
Wikipedia抜粋 
 石原莞爾は、1937年の日中戦争開始時には参謀本部作戦部長となり、内蒙古での戦線拡大に作戦本部長として、中央の統制に服するよう説得に出かけたが、かえって現地参謀であった武藤章に「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑される。戦線が泥沼化することを予見して不拡大方針を唱えたが、当時関東軍司令長官東條英機ら陸軍中枢と対立し、1937年9月には参謀本部から関東軍に左遷された。

 日中戦争を開始した中国派遣軍参謀を評して、石原は「鵜の真似をする烏」と言ったらしいが、過去の自分の行動が影響を与え、石原の戦略は崩壊することとなって行きます。

<<日米開戦>> 
 開戦直前に昭和天皇は「本当にアメリカと戦争して大丈夫か」とかなりしつこく聞いています。御前会議(天皇出席の会議)で昭和天皇は「発言する」と言い出して周囲を慌てさせています。当時、既に御前会議は形骸化していて「陛下、このようになります」という申し出に天皇がケチをつけるというのはありえないこととなっていたのです。会議において天皇自らが発言すること自体が異例となっていたのです。
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3146246.html

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極...続きを読む

Qなぜ「広島」「長崎」に原爆投下?

どうして広島と長崎に原爆投下したんですか?
他にも候補地がいくつかあったみたいですが・・。
東京、川崎、横浜とかも入っていたんですよね。
広島に落とすより、東京に落とすほうが意味があるような気もしますが・・・。
気象の関係と言うことも聞いたことがありますが、わかりません。

Aベストアンサー

下記リンクの中の「原爆投下都市の選定理由」に書いてあることが、私の知るところと概ね一致しています。

その中にあるように、長崎に原爆を落とした時は、小倉が第一目標であったが、小倉に落とせずに長崎に落としたとされています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86#.E5.8E.9F.E7.88.86.E6.8A.95.E4.B8.8B.E9.83.BD.E5.B8.82.E3.81.AE.E9.81.B8.E5.AE.9A.E7.90.86.E7.94.B1

日本に対する都市無差別空襲について、下記の本が参考になりますので推薦します。「京都が空襲されなかったのは、文化遺産を惜しむアメリカの配慮」というのが根拠のない俗説であることが論証されていますが、「空襲の優先順位」などについても分かります。

日本の古都はなぜ空襲を免れたか
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31002714

「東京、川崎、横浜とかも入っていたんですよね。
広島に落とすより、東京に落とすほうが意味があるような気もしますが・・・」

日本の主要都市は、昭和20年8月にはほとんどが焼け跡になっていました。東京も川崎も横浜も徹底的に空襲されて、燃えるものが既にない状態でした。

原爆の投下候補都市は、「ある程度大きく、かつ大規模な空襲を受けていない都市」として選ばれたようです。

下記リンクの中の「原爆投下都市の選定理由」に書いてあることが、私の知るところと概ね一致しています。

その中にあるように、長崎に原爆を落とした時は、小倉が第一目標であったが、小倉に落とせずに長崎に落としたとされています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86#.E5.8E.9F.E7.88.86.E6.8A.95.E4.B8.8B.E9.83.BD.E5.B8.82.E3.81.AE.E9.81.B8.E5.AE.9A.E7.90.86.E7.94.B1

日本に対する都市無差別空襲について、下記の本が参考になりますので推薦します。「京都が空襲されなかったの...続きを読む

Qアメリカは日本になぜ原爆を落としたのでしょうか

先日、テレビで広島に落とした原爆と長崎に落とした原爆では、種類が違うということを聞きました。
私はなぜ違うのだろうと疑問を感じました。

早く戦争を終わらせるためという理由だけでしたら、同じ種類の原爆でいいんじゃないかなと思ったのです。
アメリカが日本に原爆を落としたのは、実験の意味もあるのでしょうか?

だけど、実験で何十万という人間が死んでしまうわけですから、アメリカが実験でそのようなことをするのかなとも思います。

すみませんが、お教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

質問の主旨は↓でよいのでしょうか。

>アメリカが日本に原爆を落としたのは、実験の意味もあるのでしょうか?

回答:そうです。

原爆使用の目的は↓です。

1:原爆(2種類)の効果を、実際の都市や人間で確かめ、データをとる事。
2:他国に使用可能な核保有国であることを示し、戦後の国際関係で優位に立つ為。

1についてですが、上記の目的を満たす為に、投下する都市は↓のような経緯で選ばれています。

A:周囲を山に囲まれた直径3マイル以上の市街地を持つ都市。
アメリカは、↑の条件をより満たす為に、広島への空襲を停止して建築物を保存し、人口を集中させました。

B:警告無しの使用の決定
トルーマン大統領は、自分が設置した暫定委員会で、原爆の使用は「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で行われるべきだと語り、そのように決定しています。
(開発に携わった科学者は、無警告の原爆投下に反対しています。)


この質問は過去にも何度か出ており、警告については、連合軍は爆撃前にビラをまいて避難を呼びかけていたという意見がありますが、それには【広島】と【小倉】は入っていません。(画像参照)

実は、小倉は広島と同じ理由で選ばれていましたが、爆撃機が航路を誤って、長崎に落してしまいました。
長崎の投下地点の真上には、日本に始めて建設された「教会」がありました。
(アメリカはこの事を隠していますが)


アメリカの原爆の使用について、日本が降伏をしなかったからだという意見もありますが、それは間違いです。

当時の日本は条件さえ合えば降伏(というか講和)をするつもりでした。
しかし、アメリカは曖昧な降伏条件(国体の護持、天皇制の維持等が保証されていない)を出すことで、日本が降伏できないようにして、原爆を使用する準備をしました。
(降伏条件の起草段階では天皇制の維持が含まれていましたが、トルーマンはこの部分を変更しています。)

ただ、これについてはいつまでも戦争を続けていると、ソ連が参戦してしまい、戦後処理についてソ連に発言力を与えることとなり、タイミングが難しい作戦でした。(実際そうなりました)

日本は↑のような条件が不明な状態で降伏した場合、国が消滅する事もありえるので、安易に降伏はでいませんでした。
更に、降伏後に天皇が処刑された場合、国民や軍部が政府の意向に関係なく戦闘を行う場合もありえます。
そのような内戦になった場合、中ソが介入して朝鮮やドイツのような分断国家になり、冷戦の最前線になってしまう事も考えられます。

以上から、敗戦後の外交や政治まで考えれば、安易に降伏できる状態ではありませんでした。
そもそも、原爆の使用自体が、民間人の虐殺という国際法違反であり、日本が降伏しないことを理由に正当化するのは間違いです。


原爆の使用について、東京裁判で糾弾されていたという意見もありますが、それは誤りです。
原爆については、日本の弁護についたアメリカ人(ブレイクニー氏)が語っていますが、その目的は↓を指摘することで「裁判自体の無効」を訴えるもので「原爆の使用そのもの」を糾弾するものではありません。

【戦争は国家の行為であり、戦争指導者であっても個人に責任は発生しない。
なので、日本の戦争指導者が個人として責任を追及されているのは間違っている。
日本人が「個人」として裁かれるなら、原爆の使用を決定した者も裁かれるべきである。】

それに、彼の意見は、↓の動画では、裁判所の意向に拠って却下されています。

【A級戦犯は冤罪】(動画:東京裁判の映像)
http://www.youtube.com/watch?v=sDTJVZheUwo


この類の質問ではよく言われることですが、戦争は政治であり、外交の一手段です。
である以上、国家間の約束や契約である条約は守る必要があります。
戦争では【国際法】がそれにあたります。
そして、【法】である以上、一国の【都合】や【政治的判断】とやらで解釈や判決が変えられるべきではありません。
勝てば何をしても不問になるなら、国際法は無意味になります。


ご質問の主旨とは外れますが、
対立する意見の者を「ネトウヨ」と呼んで、「歴史の一部」だけを取り出して、「事実」を歪曲したり、印象操作、誤解、させるのは愚の骨頂である。ということを書き加えさせて頂きます。



>だけど、実験で何十万という人間が死んでしまうわけですから、アメリカが実験でそのようなことをするのかなとも思います。

質問者様は、WW2が人種差別との戦争であると言われている事をご存じないのでしょうか。
またアメリカ国内の人種差別を知らないのでしょうか。

アメリカには1964年までジム・クロウ法という、黒人は白人と同じ公共施設を使用できないという内容の法律がありました。
こんな法律があるくらいなので、民間でもそれぞれ専用の店があり、トイレも分離されていました。

徴兵されたアメリカの黒人兵は、
【何故我々が、白人と戦っている日本人と戦争をしなければならないんだ】
と言っています。
(アメリカ軍内では、戦闘では黒人がまず先に出され、枢軸軍に応戦させて位置を調べてから、砲撃をしています。)

黒人だけでなく、日系人(アメリカ国籍)も差別の対象でした。

【第442連隊戦闘団(アメリカ日系人部隊)】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC442%E9%80%A3%E9%9A%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E5%9B%A3
(アメリカ政府は、アメリカ国内の日系人社会の動向を、黄色人種に対する人種差別的感情を背景に(実際に同じく敵国であったドイツ系やイタリア系アメリカ人については、大がかりな強制収容は行われなかった)不安視していたことなどから、1942年2月以降に、アメリカ西海岸に居住していた日系人と日本人移民約12万人は、ほとんどの財産を没収された上で全米に散らばる強制収容所に強制収容された。)

同じアメリカ人同士ですらこの有様なので、日本人への扱いは更に酷いものでした。

【大東亜戦争における米軍の残虐行為】(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=g6MmpEuGipQ

質問の主旨は↓でよいのでしょうか。

>アメリカが日本に原爆を落としたのは、実験の意味もあるのでしょうか?

回答:そうです。

原爆使用の目的は↓です。

1:原爆(2種類)の効果を、実際の都市や人間で確かめ、データをとる事。
2:他国に使用可能な核保有国であることを示し、戦後の国際関係で優位に立つ為。

1についてですが、上記の目的を満たす為に、投下する都市は↓のような経緯で選ばれています。

A:周囲を山に囲まれた直径3マイル以上の市街地を持つ都市。
アメリカは、↑の条件をより満たす為...続きを読む

Q世界恐慌って?

1929年の世界恐慌に限って質問です。

世界恐慌って言うのはどういう風にして起こったのでしょうか。
世界までにも影響が波及した理由も兼ねて、分かりやすく、かつ詳しく教えていただけると幸いです。

それと、しってたらなぜ今の不況を世界恐慌といわないのかも教えてください

Aベストアンサー

こんにちわ
理由としては以下のものがあります。

・第一次世界大戦終結によるアメリカの好景気化
 ・工業投資の発展
 ・戦地からの帰還兵による消費向上
 ・自動車工業の躍進

これらによって、アメリカは発展します。しかし同時に
・ヨーロッパの復興によりアメリカ農作物の輸出過剰
・社会主義国の市場離脱(ソ連を代表とする東欧諸国)
により、アメリカ国内では生産過多、供給過剰に陥ります。

当然、商品価格はだぶつきますが投資家筋は長期的に上がると判断し、
投機熱が高まり、資金が異常に市場に流入されました。
市場流入した金が多いということは、市場そのものの価値が下落します。
(モノが大量にあれば希少価値が無くなり値段が下落しますよね)

ここで株価が史上最高値を出したことで株の売りが出だしますが、
下がれば買いが入り、しばらく上がっては下がりの状態を繰り返しました。
そんななかアメリカの国益産業である自動車産業の雄、GMの株がこのあおり
で売られはじめたことで不況の端を発します。
投資家が売り出したことで、他の投資家も「今が売りだ!」とGM株が大量に
売られてしまったのです。この売り誘発で他の銘柄も売りが殺到し、
市場の株が売り一辺倒になりアメリカ恐慌が発生しました。

ちょうど、GMも過剰生産だったので工場縮小などの措置を講じていた背景
があり、投資家に売りを誘発させる材料が整っていたことも大きな要因です。この流れで強烈な経済後退をアメリカ国内で招きました。

これが世界に流れて大恐慌になったのですが、当時はまだ株式市場は影響力
が小さく、被害はアメリカ内部だけにとどまっていました。
大きく世界を巻き込む恐慌に発展した理由として、銀行の倒産が挙げられます。
金融システムが停止し、世界取引の大部分は金本位制に基づく現物だった
ことから信用取引が中心となっており、輸出が激減して信用がなくなった
東欧諸国への取引が停止されます。
これによりオーストリアの銀行が倒産し、隣国のドイツを恐慌が襲い
ドイツの銀行が倒産し、企業の倒産が急激に襲い始めました。
また、第一次世界大戦からやっと復興し、金本位制に戻った各国から
大量の金が流出し、特にイギリスやドイツのヨーロッパ諸国の経済停滞を
招いて価値が急激に下落します。

日本やドイツは産業統制により資源配分を国家が管理することで恐慌から
脱しましたが、政党や軍部の台頭が資本主義先進諸国との軋轢を生み、
他の国々も巻き込んでアメリカ市場経済への報復と、戦争による通貨価値
の上昇が狙われ第二次世界大戦が勃発しました。

現在の不況は当時の世界恐慌とは異なり(この恐慌から学び)、
国政資本を注入して建て直しを図る政策を各国が採っています。
各国が市場経済を導入している現在は、通貨の価値保全を各国が協調し、
一国の不況で計り知れない経済停滞が世界を襲うことを避けるため、
各国通貨や国債を他国が購入し、通貨の安定や外貨、外債を持つ購入国の
発言力が大きくなることでバランスを図っています。

そのため、株価は下落しても通貨自体は大きく変動していないので
通貨の国際的地位は各国とも保全されており、当時の世界恐慌ほどの
停滞とは言えないと思われるからだと考えられます。

簡単に言えば、各国がこれまで貯め込んだカネを放出して経済対策を
講じることが出来るためです。
国際法がしっかりとできあがり、世界的な連鎖恐慌を避ける措置が
図られているためですね。

こんにちわ
理由としては以下のものがあります。

・第一次世界大戦終結によるアメリカの好景気化
 ・工業投資の発展
 ・戦地からの帰還兵による消費向上
 ・自動車工業の躍進

これらによって、アメリカは発展します。しかし同時に
・ヨーロッパの復興によりアメリカ農作物の輸出過剰
・社会主義国の市場離脱(ソ連を代表とする東欧諸国)
により、アメリカ国内では生産過多、供給過剰に陥ります。

当然、商品価格はだぶつきますが投資家筋は長期的に上がると判断し、
投機熱が高まり、資金が...続きを読む

Q末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 

末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 
末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。
これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。

母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。
肝臓にも転移しており既に手遅れでした。
今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが
4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。
あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。
肺へも転移し、咳がひどいです。
今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。
急に食欲もなくなりました。
一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。
母はこれからどうなっていくのでしょうか。
苦しみが増しますか? 
意識は最後まであるものですか?
自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?
この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。

文章がうまくまとまっていなくてすみません。
少しでも心の準備ができればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用
が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。
大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。
腎臓の機能が低下すれば……
脳の機能が低下すれば……

つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、
ということです。
何が起きても不思議ではない、ということです。

「苦しみが増しますか?」
軽くなるということはないでしょう。
出てきた苦しみを押さえるということになります。

「意識は最後まであるものですか?」
わかりません。
先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている
場合もあります。

「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」
状況によりますが、オムツということも考えてください。
尿はカテーテルを留置することになります。

残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、
「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを
しないという選択肢もあります。

末期症状は、医師や看護師がよく知っています。
まずは、医師や看護師と相談してください。

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む

Q戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍人、民間人合わせて310万人の人が死亡し、都市面積の30%が消失したと言われています。
しかし、310万人の死者は一見多いように見えますが、1億人の人口から見たら3%で、97%の国民は生き残っているわけです。
また、国土が焼け野原になったと言われますが、都市面積の70%は無傷だったわけです。

これらのことから見ても、当時の国民で、肉親や親戚に死亡した人がおらず、空襲も受けなかった人はかなりの数がいるはずです。
その中でも、農村部に住んでいる人であれば、食料にも不自由せず、普段通りの生活をしていた人も多くいたと推測されます。
もちろん時代が時代ですから、派手なパーティーをやったり、観光旅行にでかけたりということはできなかったでしょう。
しかし、戦後世代の人が教わったような、日本中が地獄絵と化したというのはちょっと大げさなのではないでしょうか。

当時は情報も統制され、日本がどんどんやられているというような情報は入って来なかったでしょうから、いずれ自分たちも攻撃を受けるというような危機感もなかったと思われます。
当時の国民の、少なくない数の人たちが、実は普段通りの平和な生活を送っていたと推測されます。
戦時中、実際にこのような普段通りの平和な生活を送っていた方の体験談を聞かせていただけませんか。
また、そのようなことを紹介したサイトなどがあれば教えて下さい。

なお、私が聞きたいのは「戦争中、普段通りの生活をしていた人の話」であって、「そんな人はいない」とか、「そのような質問は不謹慎だ」というような回答はお断りします。
質問の趣旨を理解した上で回答をお願いします。

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍...続きを読む

Aベストアンサー

 母は田舎にすんでいたので、まったく戦争の影響はなかったそうです。
確かに統制品は手に入りにくかったらしいですが、食べるのにはまったく困らなかったそうですよ。
 よく、都会から食べ物を分けてくれって人が来たらしいです。

 父は逆で都会で生活していたので疎開をしました。
疎開には、集団疎開と縁故疎開ってのがあるんです。
中でも悲惨なのが集団疎開です。学校の力関係が24時間中です。いじめっ子はずっといじめ、いじめられっこはそれこそ現代で言うイジメなんかと比較できないほど酷かったらしいです。

 また、縁故疎開っていうのも、ようするに都会のこじゃれたガキが、自分の親戚をたよって田舎に疎開するんです。すると、もちろんその子のキャラにもよりますが、めちゃ人気者になった人もいたみたいです。


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