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「多様化」した日本社会における,コミュニケーションの「あり方」

1990年代より,日本社会は急速な多様化の時代に突入しました。

労働力の確保として来日した外国出身者,日本人配偶者として来日した外国出身者,さらには,彼ら彼女らの子供たちである,外国につながる子供たち,また,難民として受けいれた人々など,日本社会にはさまざまな「バックグラウンド」をもつ人々がいます。

さらには,それまでに日本社会のなかにおいて可視化されなかった「多様性」についても,しだいに理解がされるようになりました。たとえば,地区出身者,地区につながりをもつ人々,アイヌ,沖縄出身者,沖縄につながりをもつ人々,障碍者,ホームレス,ハンセン病患者,エイズ患者,おたく,ニートなど,「内なる多様性」が再評価されるようになりました。

日本社会は「単一民族の社会」ではなく,「同質性の社会」でもなく,そして,「均質性の社会」ではありません。ひとりひとりが,「違っている」こと,さらには,「違っている」ひとりひとりが,「“WA”になって踊ること」のできる<社会>こそ,これからの日本社会において必要とされている,目指すべき社会像であると,わたしは考えます。

「多様化」した日本社会においては,そのコミュニケーションの「あり方」が,たびたび問われています。ひとりひとりの「多様性」が「尊重」されることの重要さが強調される一方で,日本社会における<多様性>とは,「上っ面だけの<多様性>であり,社会の構成員にたいしては,“同化が強制”される」ことも指摘されています。(たとえば,テッサ・モリス‐スズキらによる日本批判。)

皆さんにとって,「多様化」した日本社会における,コミュニケーションの「あり方」とは,どのようなものでしょうか? わたし自身は,ひとりの「外国につながる日本人」という立場から,「ホンネ」と「タテマエ」に頼らない<コミュニケーション>の「可能性」を問うことが,いまの日本社会にとって必要であると考えます。

A 回答 (5件)

言うは易く行うは難しですね。



米国は、民族、人種、宗教、出身国などが異なる
寄せ集めの人工国家です。
その米国では、当初は西欧のキリスト教白人文化に
皆が吸収同一化されると考えました。

しかし、現実にはそうはならず、次には人種の
るつぼ論が提唱されました。
つまり、西欧のキリスト教白人文化ではなく、全く新しい
「米国人」になるのだ、ということです。
しかし、現実はそれも否定されました。
民族、人種、宗教などは溶け合わず、新しい
合金は製造されませんでした。

それで、現代では米国サラダボール論が提唱
されています。
つまり、それぞれアイデンティティを維持したまま
一緒に生活していく、というスタイルです。
このスタイルには、常に分裂の危機があります。

○下は、去年行われた大統領選挙の結果です。
        オバマ    ロムニ
白人        39%    59%
黒人        93      6
ヒスパニックなど  71     27
アジア       73     26

・現在の人種構成です
白人  72.4%
ヒスパニック 16,3
黒人    12,6
アジア    4,8

これを見ると解ると思いますが、政策など
あまり関係がなく、肌の色で投票している
ように思えます。


”「多様化」した日本社会における,コミュニケーションの「あり方」とは,
 どのようなものでしょうか?”
     ↑
正直、外国人にはあまり来て欲しくないです。
来るなら「郷に入っては郷に従う」をやって欲しいです。
米国は多様性に富んでいますが、対立にも富んでいます。
米国のようになるのはイヤです。

国連の報告書に見る「富のランキング」では、日本は
米国を抜いて世界一です。
外国人まで入れて、無理に多様性を図る必要はありません。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35606

この回答への補足

あなたは「外国人には来てほしくない」と書きましたが,その「外国人」を日本は,日本人は,そして,日本社会は必要としています。

わたしの親は外国出身です。さまざまな理由があって,わたしの日本の親は台湾の親と結婚をしました。

まずは,その「排他的」なコメントを,訂正すべきです。

そして,今回の質問においては,米社会との比較をする必要はありますか?

わたしは,単にこれからの日本社会のあるべき姿について論じようとしているだけであって,社会比較を意図した質問をつくったわけではありません。

もしも,わたしが米社会について質問をするのであれば,今回の回答してくださった内容については,いくらか参考になるものはあるのかもしれません。

あなたは「郷に入っては郷に従え」と書きましたが,あなたはその<意味>をしっかりと把握していますか? この<意味>を履き違えている人々がいるため,テッサ・モリス‐スズキらによって,日本社会は厳しく批判されたのです。

単なる知識のひけらかしということであれば,今後は,回答を控えることをお願いするかもしれません。

補足日時:2013/03/16 21:32
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日本人は、明らかに「コミュニケーション」が下手です。



って、いきなりチョット違った話になりますが、日本語は他の言語と比べて明らかに「冗長」です。
ですから、"ググる"なんてのが流行語になるのでしょう。
それならば、まだ可愛いのですが、ここのサイトでもそうですが、多くの回答が「誰が言っているのかわからない」「多くの国民が思っている」みたいな、つまり「誰の意見?」がわからないものが数多くありますし、「みんなそう思っている(だから正しい)」なんてのは、話す上での常套句にまでなっています。

「みんな言っている」「みんなやっている」、それだけでしか判断できない日本人、そもそも主体性がありません。

さらに、日本人は「議論できない」のも特徴です。
議論できずに「言い争うだけ」。
それは、常にみんなが「自分の答え」を持ち寄り、また自分の答えの無い人は「どっちにつくのが得か?」の損得勘定でしか判断できないのです。

そして、自分の答えを少しでも通すために、手段を選ばずに「言い争う」、これしかないのです。

日本人は、どこへ向かっているのでしょうかね?

それは、誰も考えていませんし、考えても仕方が無いことですね。

最後にあくまで、主観です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

回答者さんは,「主観的」という言葉を使われましたが,日本語の「特徴」が,ときとして<問題>になってしまうことについては,考えねばならない点であると,わたしは考えます。

ひとつは,「多様化」した日本社会において,ふさわしい<日本語>を見出すことです。回答者さんは,「ググる」という言葉を例にしましたが,これからの日本社会が必要とする<言語>をつくる必要があると,わたしは考えます。それは,いわゆる「ら抜き言葉論争」のような,日本語にとって,ネガティブなものであると一方的に断罪されたものではなくて,これからの日本語のあるべき姿の模索でもあると,わたしは考えます。

これについては,いわゆる「橋本文法(学校文法)」の「罪」の部分になると思います。

ディベートの技術,コンポジション,これらも,回答者さんは指摘されましたが,「教育の課題」でもあると,わたしは,そのように認識しています。日本の学校では,「子供たちを縛りつける,管理する」という<教育>がいまだに実践されていることが,非常に残念なことです。「スキル」を教える教育こそ,これからの日本のためになるものであると,わたしは考えます。

お礼日時:2013/03/16 21:37

No.2です。



う~ん、「揚げ足取り」したいですが、

「政策などあまり関係がなく、肌の色で投票している」
その根拠を書かないと、訳がわからない事を言っている「タダの馬鹿」になってしまいますよ。
もし、「肌の色で判断している」のならば、絶対数が多い白人が毎回大統領にならないとおかしいでしょう。

あなたの意見を否定しているんじゃないですよ。
ただ「そう断定した根拠を示さないと"タダの馬鹿"になる」と言いたいだけです。

この回答への補足

コメントありがとうございます。

該当者については,今後は,回答を控えてもらうようにします。わたし自身,対米経験があるので,こういった<意見>をつくる日本人がいることを知っています。安易な日米比較をするのではなく,双方を熟知したうえで,しっかりした比較を実践してもらいたいものです。

補足日時:2013/03/16 21:39
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こんばんは。


最近やっと「ググる」を覚えた田舎オヤジです。

文化や経済におけるグローバリゼーションにより、内なる多様性が顕在化し社会問題になりました。

また、近代合理主義の負の生産物なのかも知れません。

私が望む日本社会のコミュニケーションとは、民族のアイデンティティの維持をしながら相互に尊重しあい、正しい情報の伝達により意志の疎通がされ理解しあえる事、でしょうかね。

また、あなた様は言葉についても触れておられましたが、私は日本人のアイデンティティの維持をする観点からも、言葉の利便性に走るべきではないと思います。

TPPも、英語とスペイン語で調印されるらしいですから、条約文に通用出来るような英語教育を考えた方が、宜しいように感じます。

内なる多様性に対する日本人のアイデンティティは、社会的弱者や外国人に対する偏見、偏向、差別する事で保たれている面があるように思われます。(あくまでも、私の個人的意見ですが)


あなた様の言われる「たてまえ」と「本音」の使い分けは、ある意味で日本人の文化であり、同時に「思いやり」や「優しさ」を、たてまえというオブラートに包んだり出来る言語であり、民族のアイデンティティに関る言葉でもあると思います。

私の若い時は、日本には島国根性があると、わりと使用されておりました。

自分の嫌なもの、都合の悪い事は受け入れ難いのですが、一旦受け入れたものには、調和しようとします。

それが顕著だったのは、昭和30年代から50年代でしょうかね?
日本人は、敗戦で壊されたアイデンティティを、経済で回復し自我のバランスをとる為、エコノミックアニマルと馬鹿にされても、一生懸命に働いて来ました。


そういう年代の方々が、日本を牛耳っているうちは、少しずつ変化はするでしょうけど、これから日本社会のコミュニケーションのあるべき姿は、まだまだ先のような気がしますね!

しかし、若い方々のお陰で日本にも新しい文化が、確実に進化していると感じます。

日本は、まだまだ村社会の分野が多いと感じます。

私も正しいコミュニケーション出来るように努力したいと思いますが、あなた様のような考えを持つ、お若い方々がたくさん現れて頂きたいと思いますね!

追伸 自分の望む解答(考え)でない事で、すぐ拒否する態度では、真にコミュニケーションを論じる事は出来ませんよ。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございます。

これからの日本社会にふさわしい,<コミュニケーション>とは,どうあるべきなのか。非常に重要なことであると,わたしは考えているのですが,それをあまり重要であるととらえていない人々が,わたしが思った以上に多かったことには,わたしはとても驚きました。

まずは,マイノリティを「スケープゴート」にしないこと。これは,日本人がやるべきことであると,わたしはつねに主張しています。たとえば,朝鮮学校の支援問題については,短絡的なアクションで問題を解決させようとしています。(たとえば,神奈川県の<対応>,など)

また,昨今の経済不安のなかで,いわゆる島国メンタリティ,内向きという現象,さらには,行動する保守に代表される排外主義など,日本社会を「おびやかす」存在があることについては,わたしはとても「危惧」しています。なぜならば,「外国につながる日本人」のひとりとして,何かしらの「出来事」を理由に,わたし自身が日本社会において,一方的に「敵」として扱われる可能性があるからです。

コミュニケーションの問題については,「ホンネ」と「タテマエ」の概念について,もっと詳しく理解すべきだと,わたしは考えます。わたし自身,「外国につながる日本人」ということもあって,「ホンネ」と「タテマエ」の概念は,理解しにくいものですし,日本人であっても,疑問をもつ人々が少なくないと,わたしは考えます。ですから,オプションのひとつとして,「ホンネ」と「たてまえ」から脱却した,新しい意思の疎通のあり方を模索することも,ひとつの「あり方」であると,わたしは考えます。

日本人というアイデンティティは,時代とともに,大きく変化しました。とりわけ,近代日本の時代においては,台湾や朝鮮半島の植民地化,急速な近代化によって,その「あり方」は大きく変化しました。しかしながら,アイデンティティが変化しても,日本は日本であり,日本人は日本人であり,日本社会は日本社会であると,わたしは考えます。コミュニケーションや,アイデンティティの「あり方」が変化することで,日本的でないとか,日本にとってネガティブな影響をもたらすということは,基本的にはありえないと,わたしは考えます。

あとは,わたし自身がコメント,フィードバックをするときには,なるべく,公平な視点でコメントをしています。

お礼日時:2013/03/17 02:15

>皆さんにとって,「多様化」した日本社会における,コミュニケーションの「あり方」とは,


>どのようなものでしょうか? わたし自身は,ひとりの「外国につながる日本人」という
>立場から,「ホンネ」と「タテマエ」に頼らない<コミュニケーション>の「可能性」を問う
>ことが,いまの日本社会にとって必要であると考えます。

コミュニケーションが「パブリックな場でのコミュニケーション」と言う意味であれば、おっしゃる通り、西洋のように「タテマエ」だけで完結するコミュニケーションが必要となるのでしょうね。民族同士の軋轢の長い歴史を持つ西洋の場合、プライベートは「同質の者が集まる場」で、パブリックは「異質の者が集まる場」と言う位置づけにそもそもなってます。ホンネを全く介在させず、タテマエ(=ロジック)のみで社会を動かし、結婚や宗教まで「契約」の概念でくくって来る彼らの価値観はそれなりに大したもので、「プライベート」が「パブリック」にダダ漏れしてしまう普通の日本人にはなかなかついていけない面があります。

とは言え、本当に、タテマエだけで社会を動かす西洋的手法が、これからの多様性維持のための主流となっていくのか、私個人は疑問を感じています。最近のEUの移民問題の状況等を見ていると、理念と現実のギャップがもはや抜き差しならぬ所まで迫ってきており、日本がこれからの社会のあるべき姿として、本当に目標とするべきなのか、やや危なさも見えてきているように思えます。

理想論かもしれませんが、私は、これからの日本社会には、プライベートとパブリックを峻別する西洋流の手法ではなく、「ホンネベースでの共有化」と言う、ある意味正面突破の正攻法で、多様性を達成してほしいなあと思っています。単一神の西欧キリスト教社会に真っ向から対立する概念として、八百万の神を数千年間信仰してきた日本ならではのアプローチがある筈です。神様の多様性ならこちらの方が上手です。

世界同時多発テロが起こった時、日本も当初当然親米国としてテロの対象になっていたのですが、実際には日本国内でテロは発生しませんでした。その理由として、逮捕されたテロリストの一人がこう語っていたのを覚えています。
「日本国内のイスラム教徒の中に、テロに協力してくれる者が現れなかった。」

多くの日本人は、さもありなんと実感すると共に、そのような日本社会を誇らしいと感じるでしょう。日本人は確かに排他的で村社会で勝手に自分達を単一民族だと思っている傾向はあり、少数派をいじめたりからかったりする悪い面も見られますが、一方で、自らの価値観を決して絶対視せず、異なる宗教や異なる文化を、論理ではなく感覚ベースで受け入れる柔軟性・寛容性も併せ持っています。少なくとも宗教の違いを理由として殺し合いをするような感覚は持ち合わせていません。この点は、日本人の(おそらく自分たちが想像している以上に遥かに大きな)美徳だと思います。

と言うことで、「あなたと私とはだいぶ違っていますけど、そのことを一向に私は気にしませんよ。」と皆が思うような社会は、実は西洋よりも日本の方に潜在的な可能性があると私は思っています。ご質問の「コミュニケーションのあり方」から、少し話が広がってしまいましたが、倫理や理念で多様性を受け入れるのではなく、感覚で受け入れることがこれからの日本社会には必要だし、またそれができるポテンシャルも持っているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございます。

回答者さんの指摘された「ポテンシャル」が,いまの日本社会においても,それが大切に護られているかどうかが,わたしが非常に気になる点です。

現在の日本社会には,「行動する保守」とよばれる組織の活動が,日一日と活発なものになっています。それは,いわゆる在日コリアンをターゲットしたのもののみならず,ハロウィンを楽しむ在日外国人をターゲットにしたものなど,「異質性」のある人々にたいしては,容赦なく「牙」を向けるものです。そういった人々が,ひとりひとり,増えているのが,いまの日本社会であると,わたしは考えています。

「最悪なシナリオ」とは,極端な二極化になることでしょう。オープンマインディッドな人々がいる一方で,「日本版クークラックスクラン」が組織されてもおかしくはないと,わたしは考えます。そういう「事態」は,避けたいのです。

ひとつの,出来るアクションとしては,教育をとおして,日本社会の多様性の包摂の歴史を,公教育において十分に,子供たちに教えることです。日本社会というものは,本来の姿とは,多様性を包摂できる,非常に懐の大きな社会であったことを,子供たちに教えることで,排外主義や差別の醜さ,不公正さを教えることは,非常に大切なことであると,わたしは考えます。

コミュニケーションの「あり方」については,「ホンネ」を基礎とした「あり方」は,非常に良いアイデアだとおもいます。ただし,そこまで「柔軟」なものの考え方ができる人々が,どれだけいまの日本社会にはいるのでしょうか? この場で回答をしてくださった皆さんのなかには,数名ほどおられますが,それ以外の,多数の人々にとっては,多様性を理解することよりも,異質な他者を排除することに熱心になる人々が,圧倒的に多くなると,わたしは「危惧」しています。

日本社会の「明日」とは,いまを活きている日本人の手にかかっていると,わたしは考えます。いまを活きている日本人が,どれだけ熱心に,「明日」のことについて向きあうことができるのでしょうか? 将来,次の世代の人々が,日本の歴史を書くときには,いまを活きている日本人を,どのように「評価」するのでしょうか? そのことについて,どれだけの,いまを活きている日本人は,「アウェアネス」を持っているのでしょうか?

お礼日時:2013/03/17 02:26

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