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都会の路地を真っ昼間に全裸でウロウロすると、公然猥褻罪になります。しかし、温泉は例外で、公然と全裸になっても合法です。何故でしょう?温泉入浴の際は、水着着用の義務を課しても良いのでは?ユニットバスなど1人で入浴する方法は幾らでもあるし、そこで全裸になれば良いという考えが少数派だから?

お盆休みの江ノ島海岸で、黒岩知事はヌーディストビーチの日を定められますか?ヌーディストビーチ設定のハードルが高いとすれば、それは何?

温泉とヌーディストビーチの違いは何?

A 回答 (5件)

被害者がいません。


納得ずくでの混浴です。
水着着用したければすればいいし、そもそも混浴が嫌なら入らなきゃいい。
実際、若い女の子はいませんし。

ビーチは通常スッパダカではありませんし、同列には論じられません。
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法律は「解釈」によって違法にも合法にもなるものです。



解釈の1つとして「お風呂はハダカで入るのが当たり前だから合法」「海やビーチは水着で泳ぐのが当たり前だからここでハダカになったら違法。

この考えが正しくないと思えば裁判で判断を仰ぐ権利がありますよね。

仮にあなたが温泉に入って「ここにいる全員を公然猥褻で訴えます」と訴えることは可能と言うことです。

でも公然猥褻だから即逮捕してくれ・・・とはなりません。警察が逮捕する緊急性がなければ逮捕できませんから。


違法か合法かを決めることができるのが極端にいえば「裁判官」のみです。

カップルがハダカで温泉をウロウロしても問題ないけどイチャイチャ始めちゃったら「エッチは人前で擦るものではない」のが前提なので公然猥褻が適用されるということです。


極端な例ですが殺人を犯した犯人に対して弁護士があれこれ理由をつけて「~だから無罪だ」と主張しますよね。

これは法律を無罪になるように「解釈している」からです。

だから違法、合法の判断というのは突き詰めれば「裁判でしか判断できない」ということです。
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温泉も男女別と混浴がありますよね。


前提としてどちらの話しでしょうか?


まず、混浴は微妙な議論だと思います。
「特定の人」だけが入っているというので公然性がないとか、裸で入る文化だからわいせつ性がないとか。
言ってみるとグレーゾーンですね。
ポイントは、異性の陰部を露出するということでしょうか。「公然」とは異性が対象かもしれませんね。

ということは、同性のみが多数いても公然性がないということになるかもしれませんね。
男女別の温泉、銭湯、プールの更衣室・・・
高校の水泳のときに水着を忘れて見学しようとしたら、「男子だけだから裸で泳げ」と言われましたが、公然性がないのでしょう。(もちろん今の時代だっら体罰とかで問題になるでしょうけれど、当時はそんな雰囲気じゃなかった)。

ということで、同性だけのヌーディストビーチだったらあるのかも。
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(公然わいせつ)


第174条
公然とわいせつな行為をした者は、6月以下の懲役若しくは30万円以下の罰金
又は拘留若しくは科料に処する。

つまり、公然わいせつ罪が成立するためには
「公然」と「わいせつ」な行為をすることが
必要です。
この「公然性」「わいせつ性」がポイントになります。

1,まず、公然性の違いがあります。
 公然とは不特定または多数ということですが
 温泉と街中とでは、公然性に質的な違いが
 あります。
 温泉は、それなりに閉鎖された空間ですが、
 街中は開放された空間です。

2,次は、わいせつ性の違いが挙げられます。
 ア、温泉で裸になるのと、街中で裸になるのでは
   性秩序に対する侵害の程度が異なります。
   温泉で裸になっても誰も驚きませんが
   街中だと驚きます。
 イ、温泉と街中では、観る人の嫌悪感が異なります。
   温泉なら嫌悪感は少ないし、イヤなら温泉に
   入らなければよいのです。
   街中なら、異性も子供もいます。
   イヤでも街から出て行く訳にはいきません。
 
つまり、公然性とわいせつ性に質的な違いがあるから
ということです。
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まずどんな場合でも「法律」がすべて、ということではありません。

法律の前に「道徳」があり「価値観」があり、その中で一般的に枠組みとして必要なものだけが法律になっているのです。

ですから、法律に書いていなくても一般的にそういうことをしない(法律にはない価値観としての禁止)、ということや、法律の解釈からは疑問があっても価値観として許されている(法解釈とは異なる価値観としての許可)があるのです。

まず、公然わいせつに問われる場合、場所と時間に「必然性と蓋然性」がありません。つまり日本の一般的な道徳とか価値観から見て、ほとんどの人がそのような行動はしない、という社会の価値観があります。
一般的に日本では「都会の路地を真昼間に全裸でウロウロ」することは、社会の価値観として認められていませんので、公然わいせつ罪が適用されることになります。

しかし、まったく同じ「都会の路地を真昼間に全裸でウロウロ」している場合でも、それがお祭りであって伝統的な仕草であるなら、その期間に限って許容されることになります。つまりまったく同じ場所でも社会的な価値観で決まるのです。

こういうものを「社会通念」と呼びます。

温泉の場合も「社会通念」で検討すべきです。少なくとも、日本の温泉やお風呂では「裸になる」ことが一般的です。逆に水着を着ているほうがおかしいですし、タオルで体を覆ったまま湯船に入るのも社会通念上、むしろおかしい行為となります。

その上で「混浴」と断っている場合、男女とも素っ裸でお風呂を楽しむ、という前提でありますので、公然わいせつに問われることは、この日本においてはありません。外国はまた別の社会通念がありますので、別の考え方があるでしょう。

>温泉とヌーディストビーチの違いは何?
基本的には、裸になる、ということは共通しています。しかし、裸になって何をするのか、という目的が違います。温泉またはお風呂の場合は、体を洗い清潔な状態で湯船に浸かるために、全員が裸になっているといえます。逆を言えば、裸にならないで湯船につかることは不衛生だとして拒否されている、といえます。

ヌーディストビーチの場合、裸になるのは「日光に当たるため」です。特に北欧の半年ぐらい日中も太陽の出ない地域に住む人々は「夏の間に太陽の栄養(日光)を体(つまり素っ裸)に浴びるためにヌードになる」という考え方があります。

これがヌーディストの考えの基本であり、そのためにはビーチである必要はありません。しかし、日本には「日光を浴びるために素っ裸になって過ごす」という社会通念がありませんので、これが許容されることはないでしょう。

外国であっても、たとえばアメリカやギリシャなどの、北欧とは違う地域のヌーディストビーチは観光目的かまたは閉鎖されたビーチ(人目につかない)でセキュリティを守ることを前提に許可されている、というものになります。

「素っ裸で全身に太陽を浴びて一日を過ごしたい」という文化や社会通念を持つ人々を許容しながらも、それが公然わいせつ罪にならないように、文化や社会通念を共有できない(しない)人々からは隔離されている、ということです。

その点で温泉とヌーディストビーチはあまり違いがありません。たとえば猪苗代湖ほどの大きさの温泉があり、ビーチがあるとして、そこが山などに囲まれて一日中過ごすことができるけど、一般の社会からは隔絶されている、なら温泉を楽しむために素っ裸なのか、日光を楽しむために素っ裸なのか見分けをつけることはほとんど不可能でしょう。せいぜい、より多く湖(温泉ですね)に浸かっているか、より多くねっころがっているか、サンオイルを塗るか、湖から上がってから腰に手を当ててコーヒー牛乳を飲むか、ぐらいでしか見分けられないでしょう。

ああ、福島のハワイアンズをヌーディスト集団が借り切ったらまさにその状態ですね(笑)

日本の海岸にヌーディストビーチを作るのは難しいでしょうね。社会通念がありませんので、
アメリカは移民の国であり、自由の国ですからセキュリティを守ることが条件で許可されている場所がいくつかあります。
ギリシャなどは北欧からの観光客が大挙してやってくるため、観光資源として保護しています。ただし、敬虔な正教徒の多い地域では反対運動もあるようです。

ま、法律で決められているからといって、法律がすべてではないですね。
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この回答へのお礼

さんきゅー

お礼日時:2013/03/23 10:14

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