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桜宮高校や女子柔道全日本の体罰が問題になっております
私が矛盾に思うのは、ある組織では
「体罰は日常茶飯事、我々はそれで強くなった。だからそれ位の事で騒ぐな。」
「自殺者や矛盾を感じる者が弱い」
と云う意見が組織を信奉する方の意見としてあがると思います
(桜宮高校の保護者 生徒側の意見はこの様なものだったと思います)
暴力が常識の組織が体罰を肯定するのは
1 緊張感の保持
2 統制
3 強くなる
4 忍耐力
5 処世術
と云う事なんでしょうか?

星野仙一氏が
明治大学時代 島岡吉郎監督が「便器を舐めさせる」事や(学生運動をしている学生を島岡が「赤は嫌いや、あいつらやれ」と野球部員に殴らせたエピソード)を美談の如く語られております

別にこの様な組織を信奉される方はそれで良いですが、組織に少しでも矛盾を持つ人間や受け入れられない人間を認めない 信じれないと云う事が問題なのではないかと思います
(中学時代 この様なやり方の部があり強かったのですが、部員は顧問や先輩の暴力を有り難いと受け入れ、クラスの大人しい生徒等に鍛えていると同じ事をしておりました 私にはその様な感覚が異様に映りましたが、彼等は上述の1から5を体現でき部の目指す所には叶っているのですね?
矛盾を感じる時点で強くなれない 部の目指す所に叶わない人間になるのですね)
ご回答宜しくお願い致します

A 回答 (5件)

正しい指導理念,合理的なトレーニング方法がマスター出来ていない。


取り急ぎ暴力に訴えれば,即効性がある。
などと,馬鹿な勘違いをしている指導者。欠格人間です。動物未満です。
動物は補助金不正受給など考えもしません。
1.緊張感は全てのスポーツに必要。元々,武術(生き残り術)から発展しているから危険を認識させることが不可欠。暴力だけで緊張感が維持出来ると信じるドアホーの指導に,どれほどの成果が期待出来るのか?
2.統制力が無いから暴力に訴える。野獣のボスになった気分。お粗末。
3.殴って強くなるなら,コーチに高い金払わなくとも,殴り屋でも雇えば良い。何の為にどう練習させるのかを,論理的に考える頭脳が無い。
4.忍耐力は体力と精神力。暴力の痛みに耐えることではない。
5.処世術として監督・コーチにプレゼント贈ったり飲み会に招待したり,おべっか使って息子を正選手にして貰おうと,ご機嫌取りする馬鹿親たち。却って子供を馬鹿に育てる。
それらが永年引き継がれての,今日の結果です。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます
やはり暴力馬鹿の人間がこの様な方法を浸透させたのですね
それが良い方法と勘違いしているのですね
科学的な検証から忍耐力や体力を付けていく時代に変わっていくべきですね

お礼日時:2013/04/13 06:13

> 組織に少しでも矛盾を持つ人間や受け入れられない人間を認めない 信じれないと云う事が問題なのではないかと思います



そんなコトを問題視しちゃうと、質問者さんも体罰容認派と同罪ですよ。

仮にそれが「問題」であれば、質問者さんが、相手の常識を受け入れても、問題解決は図れますよ。
しかし質問者さんは、「この様な組織を信奉される方」の「常識」は受け入れられないのでしょ?

個人の「常識」などの価値観は、対立するものなんですよ。
一方で体罰とは「自分の価値観の強要」に他なりません。
「自分の常識と対立することは認めない」と言うのを、物理的(暴力的)な手段で実行することが体罰です。

この問題は、いずれか一方の「常識」では、解決出来ません。
体罰容認派は、「常識や価値観を強要すべき」と言う常識・価値観です。
一方の否定派は、「強要してはいけない」と言う常識・価値観です。

否定派である質問者さんが、相手に自分の価値観を強要しちゃダメですよ。

双方が共有せねばならないモノで、議論すれば簡単に解決します。
即ち、「法律」などに照らせば、「体罰は違法である」で解決しますよ。
それを受け入れず、体罰を継続する様であれば、「法に照らして処分する/される」が解決であり、実際にも現在は、そういう風潮です。

「体罰を容認する」と言う常識・価値観は、それを共有する中でしか、通用しないとも言えますし、そこに法律などの上位概念を持ち込めば、「万人が共有し得る常識・価値観では無い」とも言えます。

もし、体罰容認が、日本の常識の主流であれば、民主主義的な手続きで、法律で許容されているでしょう。
許容されていないと言うことは、体罰容認派の常識は、「少数派の常識」であって、一般に少数派の常識は、「常識的では無い」とか、むしろ「非常識」となります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます
やはり違う価値観を無理やり従わせる所に体罰肯定の価値観が生まれてくるのですね
唯狭い組織ではそれが肯定されるのですね
だから、法律が必要なんですね

お礼日時:2013/04/13 06:20

世界中どこでもあります。

 軍ー警察ー運動部 は連鎖しています。適性の問題です

一般論(是非論)にするべき議題ではないと思います。(特殊領域です)

組織に居ることで安心感を覚える部分と閉塞感で苦しくなる面があります。
どちらが より大きいかで 適正としてどちらがより向いているか決まります。
日本だけではなく世界中一緒です。
アメリカの軍隊などでは毎年訓練中に何人も事故で死者が出ます。

向いている人は 自衛隊とか警察に就職すれば良いし
そうでないひとは近寄らなければよいだけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます
閉塞感を感じる人は向いていないのですね

お礼日時:2013/04/13 06:22

【組織に少しでも矛盾を持つ人間や受け入れられない人間を認めない 信じれないと云う事が問題なのではないかと思います】



主題は暴力ということより、その’共同体・団体’の主義・常識?と、本来の目的と一緒でなくては
目指す集団として機能しないということです。

古くは山本七平氏がその著作の中で’日本教’信者としての在り方として看破してました。

強くあるためにはそんなしごきより、もっともっと合理的なあり方、やり方があるはずだし、
その種目のスポーツは好き、そして能力もある、・・・・が、しかし、その団体としての在り方が好ましくないので、
やらないとか、所属できないとか、そういうことになる。

日本のあらゆる共同体がそうです。
能力とか、必要性とかでもなく、まさに、’組織、共同体’への忠誠度?のようなものとしての生まれ変わりをしないとだめだというはなし。

興味があるなら、山本七平著の’日本教’にかんすることを読書されると、日本人って、
基本的に全然、民主主義でもなく、戦前から今に至るまで変わらないとわかります。

いじめも、しごきも、正社員、契約社員などなど、全部がそうなんだ・・・・と。

ちょっと、むなしくなる感じです。

共同体に入らなくちゃならないという、意味が判ると、世の中の不合理が見えてきます。
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この回答へのお礼

日本教は良さもあるがみんな 多数派だから
その組織の常識だからで
通っている所がありますね
悪しきことも
見直していくべきですね

お礼日時:2013/04/13 06:25

暴力も使い方次第で教育にもなるのは確かです。

最近の暴力はただの支配制圧です。
強いものに逆らうと痛い目の合うと印象を付けて自身の立場を守ってるに過ぎません

確かに1~5の意味はあると思いますが、使い方を間違っている

そこに優しさと愛情が最近の大人に欠けているのです。
ただ厳しければいい 優しさは甘えだ等と思っている事がそもそも間違いなのだ

相手にて手を上げても、どんなに厳しいい特訓をしようとも、些細な優しさが生徒達の心の支えに成り
より強くなるのです。精神的にも体力的にもね、

だがそれが忘れられているから、身勝手な暴力や体罰にしか見えないのです。

もっと相手も思いやる優しさを持てば、厳しいけど優しい先生(コーチ)になるのです。
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この回答へのお礼

やはり、恐怖のみで従わせるのは後から問題が出て参りますね

お礼日時:2013/04/13 06:27

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