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作文の内容を吟味していてね、意見を聞きたい。

釈迦さまが生きて駆け抜けた時代である、約2500年前、人が自らを自覚し歴史を刻もうとするさなかのインド社会では、荒々しい自然界の生存原理との折り合いをつけて、人間同士が共生する文明の芽吹きがあった。そのようなさなか人間同士の社会生活と個人が動物のように生きたそれまでの自然本性から発展させて共存を目指す、人間らしく新しい生き方を歩むにあたって、その難問を仲介する神と表現された、人間の理性的資質の所在をめぐり人々は様々な自説を述べ、神の案内する、人間の社会性の構築の理想像についてお互いに意見を交わした。
人と人を結ぶ神を道しるべに、人はお互いに解り合おうとした。
それは自らを知る行いが神を知る行いと一致した文明の発祥期の事柄だ。
神の案内する共存が人間同士の社会生活の発祥であろう。
そこにお互いに何を信じるかがあり、そんな当時の風潮のさなかに、お釈迦様は生きてそして自身の信仰に目覚めた。
いわゆる悟りである。

ここで、
>>
人と人を結ぶ神を道しるべに、人はお互いに解り合おうとした。

こういう文章を書いたが、このように神を介在してお互いに判りあえたのが、人と言う猿から人間への進化だと考えてさし障りないだろうか。
神の発見が人間を人間たらしめている。
発展させて何か論ぜつしてくれていいよ。
それから宿題である、仏と言う人間を表す古代語についても何か書いてもいい。

A 回答 (3件)

ग झ ढ ण ,भ क ञ ठ ड ,घ च ख छ ज. ख ङ.



>人と言う猿から人間への進化だと考えてさし障りないだろうか。

 回答不能なんだよね。この質問。
 人という猿ってのはいないし、人から人間への進化ってのもおかしい。
 猿からヒトへの進化なら解るけどね。
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この回答へのお礼

ありがとう。
参考になるよ。

お礼日時:2013/04/15 21:35

すいません、お礼の意味がわからなくてついていけそうにないです^_^;


また気になる質問となれば参加させていただきます。
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お金持ちになったら、大きな和式の建物に住みたいなとか思ってみたりする。


昔は、大きく、偉大であればいいと、子供染みた理想で、汚れがないとは透明のことだとか、そんな可愛らしい意見も持っていたりした。

人間とは何かを探求することは、神を探求するよりも大事なことだと個人的に考えてる。
前者は自分自身の事として、思索を身のあるものにしてくれる。対象が何であれ、ミーハーになってかぶれるのは良くない。一方、人間について思索するなら、かぶれるなんて事は難しい。人間はいいところだけじゃないから。

残念ながら、質問者とは気が合いそうだ。
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この回答へのお礼

ありがとう。
友好的態度はいいのだがね、今までの失敗経験からすると、ポンポコ狸合戦にもつれこんで、オウム返しをするだけの自動うなずき人形に改造手術をする事になった。

神を排除しようとする思考はあっても、完全に神の排除された思考はないだろうと考えているよ。
それから私は自分自身に疑問を持たないので、人間を探求するは退屈だ。

お礼日時:2013/04/17 20:07

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