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「正しい参拝の仕方」なんてページを見ると…
 ・一の鳥居をくぐる前にお辞儀をする(行きも帰りも)
 ・神社の境内では、左側通行をする
と書いてますよね。

これについてちょっと調べてみたら、
「神様へ失礼に当たらないよう、これは最低限の礼儀だ」とも書いてあれば、
「昔の日本人だってそんな事守ってなかったんだから、別に気にする必要はない」とも書いてあります。
(戦前の神社を撮影した写真だと、確かに左側通行なんて気にせず好き勝手に歩いてる様子です)

結局、どっちが正しいのでしょうか?

A 回答 (6件)

このマナーがいつごろから言われ始めたかを考えればわかることです。

つい最近ですよね。
そもそも本来参拝というのは拝殿に上がってすることであり、多くの神社では庶民は参拝が出来ませんでした。
私達が日常している参拝は略式のもので、正式ではありません。
庶民は許されても拝殿前、位の高い神社では楼門より中に入ることすら許されなかったのです。だから鳥居の手前で拝礼するだけの世界です。
江戸中期くらいから盛んに開拓や神社勧請が増えてきました。特に江戸では長屋ごとに社が建てられました。つまり辻々に神社があるのですから、イチイチ作法等ありようはずもありません。現在NHKの「妻はくの一」でも拝礼はたまにするものの、脇からひょいと入ったりしていますし、平清盛では拝礼すらしていません。
その理由は元々、参拝は昇殿するもので、拝殿前の参拝は「神参り」でしかなかったからです。そしてもっと大きな理由はほとんどの神社が神仏習合で寺の管理化にあったこと。だから作法の違いも庶民には関係なかったわけです。

正中は神の通り道には根拠がありません。
拝殿前には大きな注連縄がありますよね。注連縄って何であるんですか?
天照大神が岩戸から出た後、二度と入らないようにと張ったのが注連縄です。つまり天照ですら通れない結界が注連縄。なのにどうやって注連縄を通り過ぎて神が境内を散策するのでしょうか?
じつは正中を通るのは神ではなく勅使や宮司なんです。偉い人が通る道なんです。だから向こうから、或いは後ろから神職や巫女さんが来たら正中をあけて通り過ぎるのを待つのが正解なんです。もちろん追い越したり普通にすれ違ったりするのはダメ。すれ違う場合も最低限一礼しましょう。
神様が表に出るとき、それは輿に乗ります。つまりみこしです。神様は神輿などに乗って始めて注連縄を通ることが出来るのです。

それにマトモな神社であれば、参道は正中にはありません。必ず斜になっているか、途中で曲がっています。
伊勢の神宮もそうです。今年それがどうなるかが楽しみでもありますが。
つまり参道の正中を歩いても拝殿の正中にはなりません。むしろ外して歩くと神殿の正中になるかもしれませんよ。

「一の鳥居を過ぎる場合には一礼し左側通行」こう書かれて居るなら大嘘つきです。
まずそのものは「一の鳥居」すら知りません。たしかに神社から1.2.3と数えた時期もありますが、現代では外側から数えます。従って神社前の鳥居は一の鳥居ではない。一の鳥居は伊勢の神宮では変更もありますが、最大限で松阪辺りにあったそうです。ハテさて松阪からどうやって神宮まで正中を避けるのでしょう。
それに山岳部では人一人がやっとの参道も多いですけど、正中を外したら崖から落ちますけど、どうしますか?
要するにこんな嘘をついている連中は、街中の八幡社くらいしか行った事のない類の物です。
伊勢の遷宮記録を御覧なさい、神様でもないのに斎宮様は真ん中を歩いていますよ。

左側通行といい始めたのは「武士は鞘が当たらないように左側通行」といい始めてからです。
でも武士は左側通行も嘘です。全国の武家屋敷の道ってドンだけ広いんでしょうね?どうやったら鞘が当たりますか?しかも江戸時代、江戸の侍は「落としざし」といって立てて指していた。テレビのように横に指しているのは「閂ざし」といって柳生門下と田舎侍だけです。もし相手が刺客だったら、左側通行では抜きざまに殺されますよ。つまり神社では左側通行は嘘に嘘が重ねられたデタラメです。

神様事に例外があると思いますか?
神様の通り道であれば極めて清浄であるはずなのに、なぜ初詣では関係なっちゃうんでしょうか?
そんな簡単に例外が言えるのなら、ハナからマナーなどいりませんよね。

実はこれらのマナーは昇殿後のものです。
昇殿参拝では、丁寧なところでは今でも、上がる直前に巫女が手水をします。また拝殿と神殿が一体の神社が多いんで、神殿の前ではこのようにします。
さらに拝殿と言っても拝殿前の階段のある場所。ここから先は拝殿と同じなので外でも作法を守ります。
伊勢の神宮でも階段の上からで充分です。
そういえば伊勢でも参道は恥を歩いているのに神殿の前では平気で横切る人多いですよね。私に考えられませんよ。

最近は神職でも不勉強で、デタラメを真に受けている愚か者が多くなっています。
神社本庁では古典等によって常に勉強を怠らないこととしているのですから困ったことです。
ちなみに今マナーだとか言っているものは戦後神社本庁が「一参考例」として昇殿参拝をもとに作った参拝法です。
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「こんなわずらわしい事、誰が決めたんや」と言う気持ちもお持ちなんですよね。

回答:No.2の方がおっしゃっているように「郷に入っては郷に従え」というのは、よく耳にしますが、これも選択の自由というか自分で選んで人生を歩んで行かねばなりません。
郷がいやなら郷に入らなければいいわけですが、郷に入らざるを得ない状況や、すでに郷に入ってしまっていて出たいけれども出られない。北朝鮮の脱北者のように命をかけて脱出したり、試みる人達もいます。

地方(田舎)では「法事やつきあいが大変だ」とよく耳にします。ご存知だと思いますが、法事はだいたい仏教です。日本は戦後、信仰の自由や結社の自由を手に入れ憲法で定められています。だから何を信じようが(イワシの頭も信心から)自由で、他の方から信仰を強要されない自由もあります。(簡単にみえて簡単ではありません。過去に、アメリカでも「自由」のために多くの血が流されました)。

ただ、親や兄弟や子供や連れ合いへの情(未練)を切れず、自分の意思(本心)を曲げてしまう場合が多いですが、それを選んだのも自分なのです。栗原 類さんやローラさんのような(個性的な)生き方が私は好きです。嫌な事は嫌、わからない事はわからないでいいと思う。自分の意思に反しない生き方みたいな、他人は他人、自分は自分みたいな。

人の中には「偉そうにしたい」方や他人を「牛耳りたい」「いじめたい」という方々や専門分野で「自慢したい」方々がいらっしゃいます。(正直いって私の中にもありますが)

右か左は利便性で考えたのだと思います(いわれはあっても時代と共に変化してゆく)。関西では駅のエスカレーターは皆、右端に寄って、左を急ぐ人のために開けています。これは思いやりの心からであって強制ではないはずです。
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* 「神様へ失礼に当たらないよう、これは最低限の礼儀だ」とも書いてあれば、


     「昔の日本人だってそんな事守ってなかったんだから、別に気にする必要はない」

  これは、神社の参拝離れを防ぐためと、マナーを知らない人にも気兼ねなく参拝してもらうためのものです。

*  「正しい参拝の仕方」
  
  これは、参拝者が自分の願いを叶えるための、最低のマナーです。
   道路の中央は神様が通るところ、だから道路端を歩く。
  
  追伸   相談とは関係ないですが参考までに。

 参拝では、鐘を鳴らすのが先、神様を何時もそこの神社に入りわけではなく、
       神様は本山に帰っているから鐘や柏手の音で来てもらうため。

 さい銭には自分の息をかけて自分の住所・氏名を唱えながら下手投げでさい銭箱に入れる。
       神様にも、参拝者が何処の誰か判らないから。

 願い事は、一回目の参拝ではお願いしない、2回目以降の参拝からお願いできる。
          

* これは、私の行っている神社のマナーです、だからと言ってこれを守れば必ず願い事がかなうとは言いませんが、雑に参拝するよりもある程度マナーを守って何回も参拝いたほうが願い事は叶う率が上がるように感じています。

    参拝の仕方に正しいとか間違いはなく、貴方がどういう参拝をしたいかで、
      必ず守らなければならないことではないのです。
        
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質問者の想像しているような 「正しい」 はありえません



どちら側を通行するかは 混雑しているときと 人がほとんど居ないときでは 同じに扱うのは無意味です
鳥居をくぐる前の挨拶も同様

要は 質問者が礼儀として如何思うか、他の参詣者に迷惑にならないか不快感を与えないかで判断することです


杓子定規に xxで無ければならない と叫ぶのは 教養が足りないだけです(深い意味が理解できなくて表面的な捉え方しかできない)

質問にある「正しい参拝の仕方」は ひとつの例です
 それに捉われすぎてああだこうだと口出しするのは コンビニの店員のマニュアルを強要するのと同じです(自分で考えることを放棄したマニュアル依存人間)
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神道への傾倒しだいかと



キリスト信者に仏教の戒律を強制はできんのと一緒

郷に入っては郷に…とも言いますけどね
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例えば伊勢神宮(正確には神宮)では、お書きになられているマナーが守られています。


鳥居では必ずお辞儀をしますし、境内では常に左側通行、マナー違反だと怒られることもあります。
個人的にはそれが本来あるべき姿なのだろうと思っています。

ただ、知ってから知らずか好き勝手にされている方は多いですし、確かに戦前にもそういう方はいたのでしょうね。
どちらが正しいかと言われると人それぞれに考え方が違うので難しいですが、「正しい参拝の方法」として書かれているのは「作法として」は正しいです。

ご満足いただける回答ではないかもしれませんが・・・。
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この回答へのお礼

伊勢神宮に行った事はないので、とても勉強になりました。

やはり書かれている事は正しいのですね。

その場の状況に応じて、適切に対処していきたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/04/21 09:26

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