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江戸の末期「濃州 羽栗郡」といわれていたところは現在の岐阜県下になると思うのですが、
更に細かく言うとどのあたりになるのでしょうか?
ご存知の方が居られましたらお教えください。

A 回答 (2件)

岐阜県のサイト


岐阜県歴史資料館 美濃郡代笠松陣屋文書の2・4 木曽川附に、羽栗の名前を確認できます。
宝暦5年ですから、江戸時代ですね。
http://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku-bunka-sports/s …
さらに、その名前の由来は、ウィデペキアの美濃国のサイトの羽栗郡をクリックすると、別ページが紹介され、そこに詳しく紹介されています。古くは尾張国葉栗郡の一部。安土・桃山期に洪水で木曽川の流路が変わり葉栗郡が分断。美濃側に分断された部分を美濃国に移し、区別のために葉→羽に字が変更。
明治以降は岐阜県に属したとのこと。この付近は、歴史的に、古くは洪水があり、治水工事に伴う犠牲者もあり、その霊を奉る治水神社もあるようです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E6%A0%97% …
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この回答へのお礼

有難うございました。我が家の初代が「文化」の頃まで「濃州羽栗郡」に居、次男が大阪に出、商売を始めたとまで分かっているのですが、なんとなくつかめるような感じになりました。あとはお教えいただいた「岐阜県歴史資料館」をたよりに 「美濃郡代笠松陣屋文書」等を拝見してということになろうかと思います。
長年のもやもやが少し明るくなったような気がします。有難うございました。

お礼日時:2013/04/22 21:39

WIKIで調べると次のように記されています。



 古くは尾張国葉栗郡の一部であった。安土・桃山期に洪水で木曽川の流路が変わり葉栗郡が分断されてしまったため、美濃側に分断された部分を美濃国に移し、区別のために葉→羽に字が変更された。

明治以降は岐阜県に属した

明治22年7月1日 町村制施行(2町46村)

笠松町(笠松町)
中野村、園城寺村、無動寺村、江川村、米野村(下羽栗村 → 笠松町)
長池村、田代村、北及村、門間村(松枝村 → 笠松町)
竹ヶ鼻町(羽島市)
南宿村、市場村、北宿村、直道村、坂井村、小荒井村、南之川村(足近村 → 羽島市)
島村、西小熊村、東小熊村、川森村(小熊村 → 羽島市)
本郷村、平方村、浅平村、間島村(福寿村 → 羽島市)
坂丸村、不破一色村、森村、光法寺村、南及村(正木村 → 羽島市)
野中村、三宅村、伏屋村、若宮地村、平島村(上羽栗村 → 岐南町)
下印食村、徳田村、上印食村、薬師寺村(八剣村 → 岐南町)
柳津村(柳津町 → 岐阜市)
川島村(川島町 → 各務原市)
下中屋村、神置村、成清村、大佐野村、上中屋村、松本村(中屋村 → 稲羽町 → 各務原市)

明治29年4月18日 中島郡と合併して羽島郡となった。
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この回答へのお礼

有難うございました。
下羽栗郡が笠松町になったということをヒントに、笠松町あたりが考えられるような気がします。お陰様で長年のもやもやが少し明るくなりそうな気がしてきました。しかし1800年ごろのことですので、果たして行き着けますかどうか。根気よくやってみるつもりです。
有難うございました。

お礼日時:2013/04/22 21:44

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