いちばん失敗した人決定戦

”素粒子まで見ると世界は数えるほどの物理法則で成り立っているため、未来は変えることはできないはずです。
理想的に無限の計算速度と無限の並列計算ができるコンピュータを仮定すれば未来は予測可能です。
生まれる遠く前から私たちの行動は決まっています。
確率もマクロな現れ方でしかありません。ミクロでは物理法則が成り立っています。”

こういう考え方って一言でどういう言葉で言い表しますか?
また短い文章で用語を使いつつ説明してください。
エネルギー最小の原理、エントロピー増大の法則 で言い表せるでしょうか?
哲学的には唯物論、虚無主義とかでしょうか?

関連する用語を思い出したい、また知りたいだけです。

A 回答 (7件)

 19世紀末頃の物理学では、幾つか未解明のことはあったものの、広大無辺(宇宙等)から究極の微細なもの(素粒子等)に至るまで、全て理論的に分かったと思われていました。

これは20世紀初頭に相対性理論が出て来て、時間や空間は絶対的ではなく相対的であると分かっても、揺らぎませんでした。

 神や悪魔といった、物理法則を無視しそうな未知のものは一切ありませんでした。そういう存在を否定するわけではないですが、そういう存在が現実世界に何らかの介入をしているようなことは、痕跡の欠片すらありませんでした。

 物理学が知り得る物理現象は、全て物理法則通りに起こっており、人間の技術的限界で人間には知り得ないとしても、無限の過去から無限の未来まで、すべてのことはあらかじめ決まっていると思われていました。物理法則を記述する数式が全てが確定的で、気まぐれなことが起こる余地が全くなかったからです。

 それを『決定論』と呼んでいました。原子構造から宇宙まで、いつ何が起こるかは宇宙が誕生した瞬間に、無限の未来まですべて決まっているという世界観です。誰がいつ何を考えるか、感じるかまで決まっています。

 これを端的に言い表したのが『ラプラスの悪魔』です。

「どの瞬間でもいいから、ある時刻での全宇宙の粒子の位置と速度が完璧に分かり、無限の計算能力があれば、この宇宙すべての過去から未来までの全歴史を、計算によって何でも完璧に知ることができる。」

 そういうことができる仮想的な存在を、ラプラスの悪魔と呼んでいました。人間には不可能ですし(たとえば無限桁の小数の計算はできない等々)、そんな凄い存在はこの宇宙にはいそうもありません。しかし、たとえ誰も知り得ないとしても、それは知らないということにしか過ぎず、本当はすべては理論的に決まってしまっているということです。

 この決定論の世界観を打ち砕いたのが量子力学であるのは、ご承知の通りです。たとえ無限に発達した科学技術があろうとも、電子たった1個ですら確率的に、しかも誤差を伴ってしか分からず、その電子1個で全宇宙の未来も変わり得るし、過去を計算で知ろうとしても不可能という世界観ですね。
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この回答へのお礼

”決定論”ですね。

あと”ラプラスの悪魔”ももっと調べみたいと思いました。”決定論”に相反する立場に”量子力学”の世界観があると言えますね。

お礼日時:2013/05/12 14:41

No.6です。


お礼をありがとうございました。
内容すべての返答をするのは、私に対する干渉が含まれていますので
すべてお答えし続けることは議論になりますのでやめておきます。


神はサイコロを振らない。
例えば、物を手に持って離したら物は落ちます。
質量があって空気より重いなどという条件がそろえば、どんな物でも同じ現象が見られます。

人間はサイコロ振る。
分かっていること・分かりきっていることを、やる人とやらない人が出ます。
例えば、勉強したほうがいいと分かってるとき勉強する人と勉強しない人が出ます。
やる時間があり必要性などの条件がそろっているにもかかわらず同じ行動をしません。
人間はサイコロを振るからです。

詳細は書き出せるほどの量じゃないので割愛しますが、あちこちに確実に現象として現れます。
わずかな不確定性要素を使って人は動きますから、それが伸びる人と伸びない人などの違いとなって出るのです。

私のこの質問の回答は、ここまでにしようと思います。
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この回答へのお礼

たぶん僕が言おうとしたことが伝わってないかと思います。生命の定義について考えてみたり、人間や生物と、高度に知能化されたロボットやウイルスの違いを考えてみてください。その後人間と動物の違いについて考えてみてください。人間と手に持って話された”物”について違いを考えてみてください。物と動物の違いなんて曖昧なものです。人間の意識も神経の電気信号とか、化学変化とかで説明され得るでしょう。そういうことです。

唯物論の立場では、また物理的にいうのであれば、勉強できる子供はやる気があるから勉強したわけではなく、脳が神経に電流を送ったから勉強をしてのです。人間の意識も物理法則で決められています。そういう話です。あなたの言う勉強できる子と勉強できない子は物理的には全く違う状況です。

また人間がサイコロを振るとき、出る目はほぼ完全に決まっていると言えるでしょう。人間がそのタイミング、その手の角度で離せば簡単な物理法則で出る目は決まっているのですよ・・。また人間の意識だって先ほどの理由で物理法則に依っている。量子力学の不確定性原理なんて、この試行では完全に無視できます。量子力学を無視すれば物理法則は全て確定的です(たぶん)。

ま、たぶん教養のある方だと思いますし、こんな基本的なこと等もちろん理解していると思います。お互い伝えることが十分文書にして伝えられず行き違いになっているだけでしょうね・・。

お礼日時:2013/05/13 19:00

No.1です。



>少なくとも人間の意思とは無関係ですよね。

神はサイコロを振らなくても、人間はサイコロを振るので関係しています。

誰が信じているかより、私は自らが手にしている事実を尊重します。
しかし、あなたが信じたいものを信じることには特に問題はありません。

私の敬愛するアインシュタインも、いくつかの事実から発言がそれていたとしても
なんら敬愛の念に遜色がないものと同じです。
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この回答へのお礼

>神はサイコロを振らなくても、人間はサイコロを振るので関係しています。

なるほど、興味深い。だけど唯物論の立場だと、神がサイコロを振らないなら、人間もサイコロを振ることができない、と考えられます。No6さん、量子力学信者とみたが、実は心身二元論を無意識的に支持しているのでしょうか?そうでなければ、この記述はどう説明されるのやら?それに、人間の意思と確率は別問題な気がします・・。

>誰が信じているかより、私は自らが手にしている事実を尊重します。

事実(No6さんの文章内に限って言えば、現社会で認められていることを意味していると思いますが)=真理となるのか?とも考えられるわけで。

質問からは逸れてしまいましたが、いろんな意味でいろいろと考えさせられる素晴らしい回答でした。

お礼日時:2013/05/12 19:09

そうした決定論的な世界像は、百年前に量子論によって否定


されたものです。
決定論的な立場に立てば、物事の未来は本質的には決まって
いて、情報不足や分析力の不完全さによって、未来は不確定
になっているとされます。

しかし量子力学の不確定性原理において、そうした確定性こそ
二次的なものであり、存在の本質は確率的なものである事が
明らかとなりました。
ある粒子の未来の位置を決定するには、その現在の位置と
運動量を把握せねばなりませんが、その2つの値の不確定性が
相補的=一方を確定しようとするともう一方が無限不確定性
(=無)に発散してしまう、というのが不確定性原理です。

その不確かさを、冒頭のような観察手段の不完全さに由来する
ものと批判する一派もありましたが、たとえば2本のスリットを
通して、向こうのスクリーンに電子を飛ばすと、1個ずつ電子を
飛ばしても、痕跡の集まりが次第にスクリーンに描くのは、2本
の帯ではなく干渉縞模様である事により、決定論は息の根を
止められました。
即ち、1個の電子(の不確定性)が、2つのスリットを同時に
通った確率同士が干渉しているのでなければ、スクリーンに
1つずつ消えていく電子が、それ以前に消えていった電子の
場所を覚えていて、皆で協力している事になるから。

そうした現象的なものだけでなく、素粒子の相互作用におい
ては、経路積分として知られています。
物理学的な状態Aが、Bに変化する確率は、そのAがBになる
複数のプロセスの全てを足したものとなる=可能な複数の
プロセス全ての経路を経て事象は起きているのです。

決定論の根底にあるのは、「認識とは結果的に生まれたもので
観察とは無縁に外部に有限な性質を持った存在がある」という
ものです。
量子論では、その根本にある不確定性原理において、そうした
外的存在性が否定され、「位置(S)を確定すると、(その変化で
ある)運動量(St)が無限不確定化」し、「時点(T)を確定すると、
(時間的な相対運動だと言える)質量(Ts)が無限不確定化」する、
とされ、存在的確定性とは、それを原理的に確定化せずに、
階層現象の表面的に(いい加減に)捉える事で、仮象的に派生
する=本質的には無に還元される事が明らかとなったのです。

全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に
詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」の闇の潜在(認識可能性)として、
認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束の時系列化=
物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、
認識体はその光の向うに、自我仮説の補完としての時空仮説を
認識するのです(相補分化)。
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この回答へのお礼

どっちかというと量子力学についての説明ですし、全然一言じゃないですね。質問をよく読んだ方が・・。自己表現したいならブログにでも書いたらどうですかね。

お礼日時:2013/05/12 14:45

>一言でどういう言葉で言い表しますか?



必然
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この回答へのお礼

ちょっと違うと思います・・。
その言葉って考え方ではないですし。

お礼日時:2013/05/12 14:31

No.1です。



>関連する用語を思い出したい、また知りたいだけです。

ニュートン力学です。
詳細は検索してください。

哲学的には、決定論だと思います。


人が「思考にいかに囚われているのか」の現象を理解するには
決定論を理解すると分かりやすいです。

自分の理解とその逆説も理解すると、より人間は分かりやすくなります。
自己選択のための手札のカードは、多くそろえていたほうがいい。
後悔に踏み込まないために、間違えないためのカードとして使えるので。
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この回答へのお礼

>>哲学的には、決定論だと思います。
まさに決定論でした。決定論について復習しておきます。

お礼日時:2013/05/12 14:33

ハイゼンベルグの不確定性原理により、未来は未確定であることが立証されています。



それを覆すのは、今のところ無理じゃないかと思います。
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この回答へのお礼

僕はあんまり不確定性原理は信じていないんですけどね。
大学の時の物理の先生もそう考えてたし、アインシュタインもそうですよね。
立証されてるとしてもミクロの世界でなく日常生活においては”決定されている”と考えてよさそうですし、少なくとも人間の意思とは無関係ですよね。

お礼日時:2013/05/12 14:37

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