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止観座禅とはどのようなものでしょうか?
「仏前に座り心静かにして今後どうすべきかあるいは今日一日どうすべきかを思索したり心を鬼にして喝を入れたり夕時は自らを省みたり褒めて労わる事」と解釈しています。
臨済宗の座禅と異なる点は何でしょうか?

A 回答 (1件)

ざっくりした意味では、「止観」≒「坐禅」です。



「止観」は主に天台宗で用いられる用語ですが、『広辞苑』には、

心を一つの対象に集中させて雑念を止め(止)、正しい智慧によって対象を観察すること(観)

とあります。
そのように心を集中させて、ものごとを正しく観るために「坐る」のが坐禅です。
「止観坐禅」とは、そのような考えに基づいた修行方法のことでしょう。

臨済宗の坐禅と大きく違うことは、臨済宗では「坐禅」=「公案禅」です。
師匠が「公案」という問題を提示し、弟子はその「公案」の答えを求めて思索しながら心を統一し、坐禅をします。

もう一ついえば、「阿字観」というのが、真言宗における「坐禅」の形態です。
「阿字」という梵字と一体化するために精神を統一し坐るのが「阿字観」で、これも「坐禅」の一形態と言えると思います。

いずれにしろ、最終的には「煩悩にとらわれず、真実を観る」ための修行方法ですから、大きくは違いません。

この回答への補足

しかし曹洞宗の座禅は上記宗派とは正反対ですね。

頭を空っぽにするようですが実践するととても難しいですね。
非現実的で不自然に思えますが道元さんは何故このような事を考えたのでしょうか?

補足日時:2013/05/30 21:17
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この回答へのお礼

どうやら「雑念を払って対象に精神を集中させて考察する事」が共通しているようですね。
対象は天台宗の場合は自らで設定し臨済宗は師匠が提示し真言宗では常に決まっているという違いですね。

大雑把ではありますがそうすると何かに気付き自らの糧となりそれがやがて
他人の為となるのでしょうね。

お礼日時:2013/05/30 21:11

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