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前にKYという言葉が流行りましたが、それって、ADHDの可能性因子だと思いませんか?
ADHDを知らない人はたくさんいるとおもいます。
その中で自分は本当にKYなやつだと思って自己否定してしまっていたり、なんでこんなにKYなんだろうと思い悩んだりしている人もまた多いと思います。
どう思いますか?

A 回答 (14件中11~14件)

 僕も♯1の方に同感だな。


KYを僕なりに概念規定するならば、日本人特有の「群れたがる特性」に対し、自身のスタンスや意見を持つことのできる「人間本来のあるべき形」として哲学的に評価すべきであって、恰も一つの規格に基づく画一的生産物などの様にしか見てこなかった「日本型人間」の方がよほど軽蔑に値すると考えます。
 日本では「みんなと同じ」が美徳であるとされますが、それは日本だけにしか通用しないルールであって、一方の「違いを認めるから進歩や発展がある」とするのは近代以降の西欧や古代中国の発想にも通づる。
 教育心理学の見地からすれば、ADHDとKYが等価であるとの見解もおかしい。子どもは一人一人の発達段階も異なります。サンプリングの論理からしてもサンプル全てがその範囲内に収まるとは限らない。従って「偏差」「遍在」「点在」といった概念も確立されることになる。
 ADHDの定義の仕方も識者によって異なります。脳科学の方からの意見と心理学あるいは教育学の方からの意見でも前提が異なりもします。また実際にADHDを単に多動性障害とするだけなら、それに対する処方も薬物両方から心理療法までさまざまあります。それは個別のケースで対応するしかありません。主治医が精神医学の専門家なら心理療法に重点を置き、病因を突き止めるために患者の生活歴を洗い直すでしょう。アスペルガーやディスレクシアとの境目も定まってもいません。いわゆる「KY」が思考や印象は共有されるものであるとの前提に基づいて定義されるなら、それに対する少数意見との定義付けをすることも可能であり、そうした見地からすれば、病理学で使用される「可能性因子」とは少し距離感があるように見うけられます。病理学での「可能性因子」とは、それがあれば病気を発症する危険性の確率が高いとの要因を示す言葉ですから、それは実証に基づかねばなりません。感覚の上でこの言葉をお使いでしたら、少しお考え直す必要もあるかと存じます。
 始めにお話しした文化論との問題に戻りますが、一つの問題に対し意見が異なる事はさほど不自然でもありません。結果に対し適切なアプローチ方法と根拠が示されていれば、多数と異なる結論が示されても「そういう見方もあるよね」で認めることもできるでしょう。であるなら、KYとのレッテルを貼って排除する方がよほど不健全な社会であると僕は考えます。

この回答への補足

 ご意見ありがとうございます。
 「可能性因子」は、感覚で使っていました^^;気を付けます

 安易に意見が異なるからと言ってKYというレッテルを貼られて排除される社会は不健全ですね。同感です。


「KYといわれる人」と最初に書きましたが、子供→子供に向けて「お前KYだな」「ほんとKY」「話通じないわー」のようなやりとりがあったとします。
ADHDとKYが等価、ということではなくてたとえば「この子よく不注意な言動でKYといわれたり、孤立してしまっているな」と担任教師が感じたときに「もしかしてこの子はADHDの可能性があるかもしれない」と判断材料になるのではないかとおもいます。

どう思われますか?
また、こういうKYという風潮が子供に出回ること自体日本社会の問題だと思います。
周りと異なる意見や感覚を持ってKY呼ばわりする大人のマネをする子供が成長してまた同じサイクルが繰り返される・・・。
考えれば考えるほど難しいです。
よろしければご意見お願いします。

補足日時:2013/06/03 23:26
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思い出したことがあるんで、コレ見てください。


http://livedoor.4.blogimg.jp/himasoku123/imgs/c/ …
空気読む人ってのは、この男の子はカツラのことを気にしているのだから、その点には触れないでおこうという配慮をします。
初めはわからなかった人でも、周りの人に合わせて行動しているうちに真相に気づき、同じように配慮するようになります。
最後まで真相がわからなかったとしても、周りの人に合わせた行動をしていればカツラの子を傷つけることはありません。

ソレに対しKYと言われる人は、この男の子がどんな気持ちになるかなんて考えないか、この行動で自分と同じように楽しくなるはずという妙な理屈で、自分の思うままに振舞います。
そしてカツラを剥ぎ取って笑うという行動の結果招いた事態が自分の思い通りでなかったとき、自分に非があるとは考えず回りのせいにします。

この漫画の無神経な男の子が、
>自分は本当にKYなやつだと思って自己否定してしまっていたり、なんでこんなにKYなんだろうと思い悩んだり
すれば、こんな酷いことはしなくなると思います。

この漫画の無神経な男の子と同じような精神の持ち主か、ハゲやヅラの奴はこんな仕打ちを受けても当たり前だと思うような人ならば、KYな行動をかっこいいことであるかのように感じるでしょうね。

この回答への補足

 詳しく解説、本当にありがとうございます。
 例もとってもわかりやすいです。
 
 AD/HDには3つくらいタイプがあって、「注意欠陥優位型」「多動・衝動性優位型」「混合型」で、それぞれがどんなものかというと

「注意欠陥優位型」
・身だしなみを気にしない・忘れ物やなくしものが多い・身支度するのが遅い・集団行動によく遅れる・よく散らかし片づけるのが下手・約束事を忘れやすい・人の話を聞いていないことが多い
「多動・衝動性優位型」
・待つことが苦手・短気ですぐカッとなりやすい・すぐに手が出てしまう・順番を無視して行動する・じっと座っていられない・静かにしているべき時でも騒ぐ・人のおしゃべりを遮って自分が話す
「混合型」
・思いついたらすぐ口にする・忘れ物やなくしものが多い・すぐに気が散ってしまう・順序立てた行動がとれない・じっとしていられない・順番待ちができない・ルールを忘れて行動する

 個々人によって程度は違いますが、こういう傾向だというそうです。
 この漫画の無神経な男の子をこの上のものに該当させるとしたら「多動・衝動性優位型」のADHDの可能性もあると捉えることもできると思います。
 例示くださったマンガではこの無神経な男の子が障害とは関係なく無知、偏見、差別意識、習慣、主義主張の問題で言っているのか線引きがしにくいですね。
 KY言われる所以がADHDなのか、自身の生活経験に基づいて作られた性格なのかなど、どこにあるかは難しい所です。
 ではKYだと言われて本人が劣等感・自己嫌悪を抱き自己肯定感を喪失してしまいそうなのは「注意欠陥優位型」「混合型」で、小学校においてそういう子が「お前KYだな」とクラスにいる周りの子から出遅れてイジメにつながる可能性もあると考えたのですが、いかがでしょうか。
 
 よろしければご意見お願いします。

補足日時:2013/06/03 23:05
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ADHDに限らず、発達障害の特性としてそういった察する能力や共感能力に欠けてる人がいます。


その一方で、無知、偏見、差別意識、習慣、主義主張の問題からそういう行動や言動をとる人がいます。

そして、原因が何であれ自分の行動や言動で相手が傷ついたなら、それは真摯に受け止め誠意のある謝罪をしなくてはなりません。
KYと言われる人は、相手の心をえぐるんです。
相手の痛みを理解できないから、受けた仕打ちを理不尽なものと解釈します。


ソレとは別に、周囲に過剰な配慮や共感を求める人がいますが、こういうひとは思い通りにならない相手をKYなどとケチつけるでしょうね。


ADHDについて説明する絵本で
オチツケオチツケこうたオチツケ
と言うものがあり、作中では「ブレーキのききにくい車」という例えが出ていました。
そして、作中では『ブレーキのききにくい車』によって引き起こされた物損事故や人身事故が描かれています。

私が車に撥ねられたとして…事故の原因が『ドライバーの余所見』でも『無謀運転』でも『居眠り』でもなく『ブレーキのききにくさ』が原因なんだと説明されたって、怪我やその結果の被害に変わりはありません。
障害に絡んだトラブルも同じだと思います。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
『ブレーキのききにくい車』、納得しました。
たしかに、トラブルが発生してしまったらAD/HDであれ何であれ被害は変わらないですね。

お礼日時:2013/06/03 22:38

 空気を読むだけが能で「これってどう思いますか」と匿名掲示板で他人の意見ばかり求め自分の頭をまるっきり使わない連中がゴマンと居るのですから空気を読まないことはすばらしい個性であって才能です。

この回答への補足

ご意見ありがとうございます。
他人の意見ばかり求め自分の頭をまるっきり使わない連中=世間の言う空気が読める人
ということでしょうか?

補足日時:2013/06/03 22:22
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